2021.02.03 (Wed)
『ヒルトン・バレンタインさん死去、77歳 「アニマルズ」ギタリスト』CNN.co.jp 2/1(月) 9:52配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c359262c3e1fb97ed96ac46d0e0a0dbfd5324cc
見出しを見た瞬間、ギクッとした。。。
そうなのよ、もう そんな年齢なのよね、彼ら。
私よりも、ずっと上の世代だから、時おり、エリックは だいじょうぶかな、もう すっかり、おじいちゃんになってるし、しかも、「コロナ」のこともあるから、、、と、気にかかってたの。
なんせ、初恋の人だもん
有名な『朝日の当たる家』が、くだんの『アニマルズ』によって、世界じゅうで知れ渡った頃、リアル タイムで耳にした当時の若者たちは、自分自身もギターを手にするキッカケともなり、そして、やっぱり、ヒルトンの その印象的で魅力的なリフをコピーしようとしたものだそうな。
ギターのリフってのも ほんとに重要で、ビリー・アイドルの『顔のない眼』で、スティーヴ・スティーヴンスが奏でるギターの出だしもカッコイイよね。
ところで、
母方の叔母は、まだ若い頃に、東京の あちこちを転々と引っ越していた時代が あって、そんなおりに、たくさん溜め込んだアクセサリーや洋服や、家具の果てまでも、飽きてしまったり、新居に収まりきれない場合は、とにかく、むかしの私の実家へ送りつけてきたりして、それで、本人はスッキリ処分したつもりだったみたいなんだけど、
もとは、そんな叔母のレコード コレクションのなかに あったのを、やはり、うちの家へ大量に送ってきたなかから、あれこれチョイスしつつ、試しに聴いてみて、すぐ気に入ったものは即、私のものにしていたわけ。
そのなかの1枚が、たまたま、
そう、上掲の記事に添えられた写真の、ヒルトンの斜め後ろに見えてるレコード アルバムね。うちにも全く同じジャケ写のが あって。
小学生の頃から夢中で聴き惚れてた『アニマルズ』のレコードから流れてくる『朝日の当たる家』を、私も、中学生になって手に入れたのはガット ギター(クラシック ギター)では あったけれど、歌とギターで真似しようと、いっしょうけんめいだった頃が ありましたわ。
『レコード』
記事では「ロックンロール」としているけれど、いつ聴いても、「R&B」の名曲中の名曲。一度でも耳にしたら、誰もが忘れられないだろう。
大男のチャスは、のちに、プロデューサーとしても、偉くなったそうで。
かのジミ・ヘンドリックスを発掘したとかね。エリックも、ジミヘンとは大の仲良しだったとか。
去年、生前のジミヘンのコンサートを、『ユーチュウブ』で視聴したんだけど、めちゃクールで寡黙でセクシーだったわあ
ふと思い出したけど、中学生時代、あのレコードを、叔母に見せたとき、英国貴族と交際経験もある(本人、英語はカラッキシよw相手のイギリスさんは日本語できるけど)叔母は、ジャケ写のチャスを指差して、
「あら、なつかしいレコード。。。この人はイギリス人らしいハンサムだわね、上品な顔立ちで」
と言ってから、
「ほかは皆、たいした顔じゃないわね」
ふん、という感じで言い放ったので、私は内心、ムカッときたもんです(苦笑)
その後、
クラスメートたちにも、『アニマルズ』の素晴らしさを布教しようと、遊びに来たときなどに、なかば強制的に、くだんのレコード アルバムを聴かせていたもんだけど、
いやはや、過去エントリーでも触れてあるけど、
「あんた結婚したい言うてるエリック・バードンって、もう とっくにオッサンやん。結婚できるトシになったら、向こうはオジイサンやで、やめときぃや!」
と、なぜか本気で忠告してきたあげく、
「なあなあエリック・バードンてさ、桜井センリに似てるやん?」
と言い放った友人が いて、その一言で、クラスメートらは、顔を見合わせ、腹かかえて大爆笑。
「どこが!!似てへんわ!!!
」
私一人、猛烈に立腹して、怒りと抗議の叫びを あげておりました。
このトシになって思い出しても不愉快だw
まあ、ちょびっとだけ、たしかに似てなくもないかなと思える程度には冷静になったけどww
※ちなみに、
桜井センリさんって、日本の誇りである素晴らしきバンド、かの『クレイジーキャッツ』のメンバーだった人ですね。私の世代でも、すでに、往年の、という感覚でしたが、テレビ番組には よく出てらしたので、お茶の間で親しんでる顔だった。
ヤフーのコメントで、「中川家の弟に似てるのはチャス・チャンドラー」とか言われてるけど(苦笑)
この動画を見たら、チャスが どんだけデカいか、よく分かるよw
どこかのテレビ スタジオに出演、演奏したときのものであるらしい映像のなかの彼らは、まだ とっても若かったのよね。なぜ、こんなに貫禄あるんだろうなあ。
“House of the Rising Sun”
2020.12.30 (Wed)
という題名の映画が ありましたな。。。
当時新進だった「バンドール」というかたが作曲したそうだが、テーマ曲も名曲で、
私が初めて聴いたのは中学生の頃、兄が くれた、映画のテーマ曲だけを集めたシリーズ盤らしきレコードの1枚だった。
もらって すぐに視聴してみて、『ブーベの恋人』とか『マルセリーノの歌(『汚れなき悪戯』)』などと並んで、この曲が流れてきたとき、針仕事か何かを しながら、そばで一緒に聴いていた母親が、
「なんとも言えず寂し~い感じの曲やね」
と、感想を漏らしていたのを憶えている。
私たちが、そのレコードで聴いたのは、「サウンド トラック」では なく、シンプルなピアノ ソロのような演奏が中心だったせいか、より哀感に満ちた印象だった。
いま聴いても、ロシアあるいは東欧の どこか寒い国の素朴な民謡のような感じが漂っているなと思う。
映画そのものは、長いこと、いつか鑑賞したいと思いつつ、近年、『ユーチューブ』で、部分的にだけ見ることが できたのだけど、当時の『ユーゴスラビア』を舞台に、ナチスのユダヤ人迫害時代の体験を もとにしたという原作だけ あって、やはり、たいへん悲劇的なストーリーのようだ。
ナチスの場合は勿論、古今東西の権力や国家が犯した犯罪から、民衆レベルの犯罪にいたるまで、それが凄惨を極めるような内容であるほどに、どうして、こんなことが できるんだろうか?と、つい絶望的な、暗澹とした気分に陥ってしまうのだが、
要するに、対象を、自分と同じ人間とは思わない、また、同じ命ある者とは思わないから、とことん冷酷なことを平然とやってしまえるのだろうか?
さて、実は、このエントリーは、冒頭の映画の話題とは全然、関係ないんだけど(笑)
先日の夜、かなり遅くなってから、外へ出て、
街灯などの光を防ぎつつ少しでも、よく見えるようにと、左右の眼の周囲を、両手の指でもってメガネみたいな形にして覆い、南西の空を見上げてみたのだが、
「見えないよ?」
あたりまえだった。
よく見えるという時間帯を、全然、間違えてたんだから。
かのガリレオの生前から、ほぼ400年ぶりという時を超えたランデブー。
『木星』が『土星』をオンブしたみたいな重なり。
なかばは薄い雲に隠れていた月ばかりが、とろりとした橙色に滲んだ姿を見せ始めたものの、星のほうは全く見えないながらも、なお少しの間、未練がましく、寒さに震えつつ、思わず集中して見上げていたあとで、
ふと、われに返ると、すぐ前の道を、そそくさと、お勤め帰りらしき女性の姿。
続いて私も、もう諦めて、自宅に入ろうと歩き始め、なんとなく、今しがた通り過ぎた女性の後ろ姿を見送っていたら、なんだか、怯えているように感じられ。
考えてみれば、
この寒いなかを、パジャマ姿のオバハンが、両手で「指メガネ」つくって、呆けたように、あらぬ方角の夜空を見上げ、立ち尽くしておる。
たぶん、あたまオカシイ人だと思われちゃったのかもw
ところで、
うちには、私が若い頃に大奮発して買った、本格的な大型の双眼鏡が ある。
ほんとうは、天体観察用の望遠鏡が欲しかったんだけど、予算の つごうと、できるだけ、収納スペースを取らないほうが、と考えて、用途も広そうな双眼鏡にしたんだけど。
これは、お月さんなら、すぐ目の前で見ているような錯覚を起こすほどの大迫力かつ鮮明に見える優れもので、いきなり覗くと、思わず、自分の足が地面に着いているかどうかも心もとなくなる恐れが あるので、よろけたり、ひっくり返らないよう、気をつけながらでないと、ちと危ないくらい。
過去エントリーでも書いたことが あったかと記憶するが、
これでもって、クレーターまでもクッキリした月を眺めた人は、まず間違いなく、溜息を つきながら感動のコトバを洩らす。
「うぅーーーん。。。丸いなあ」
とかw
むかし、親父が、中国へ観光旅行することになったとき、憧れの『万里の長城』あたりで眺めたいから、おまえの双眼鏡を貸してくれよ、と せがんできたけど、
私が大事にしているものほど、破損したり置き忘れてきたりする兄の父親だけあって、よく似た粗忽者なので、断固として断った。
逆恨みされたけどねw
『木星と土星が最接近 400年ぶりのランデブー』12/21(月) 19:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b86e55ae15dce90c9b681a283c9155fdab12ccf1
翌夕刻にも、ほぼ同様の光景が見られるということなので、じゃあ、寒いのガマンして再チャレンジするかぁと思いつつ。
そして、翌夕方になった。
今度は抜かりなくと、時間を確認し、寒いので、戸外には出ず、室内の窓からベランダ越しに、南西の空を見てみると、たしかに、薄雲が かかっている そのあいだから、わりと明るい星が見える。あれが『木星』なのかな??でも、、、一つしか見えない。
自慢の双眼鏡を使えば、『土星』も、『木星』の衛星たちも見えたんだろうけど。
クローゼットの高い位置に収納したっきりなので、探して出すのがメンドクサイ。
それにしても、
近年、夜空を見上げるたびに思っていたのが、「満天の星空」というやつが見えなくなったこと。
うちの母親は、そういう夜空を見ると、思わず窒息してしまいそうになる感じがして恐いと言ってたもんだが。
やっぱり「光害」ということの影響なのだろうか。ここいらは それでも、私が子どもの頃は、比較的に田畑も多い、田舎っぽい地域だったせいか、裸眼でも「星くず」さながらの夜空を見ることが できたんだけどなあ。
ところで、これも数ヵ月前に書きかけのまま放置していたんだけど、今回の『木星&土星』の話題で、そうだったと引っぱり出した。
「宇宙――究極のリサイクル世界」という、マイ・チョイ仮説ですw
私個人は、願わくば、この「リサイクル」プロセスから永遠に脱出したいと思うんだけど(苦笑)
「死後の世界」、当然、ありますでしょ、ええ。
ただし、ハッキリ言えるのは、「物質」世界としてのこと。
だって、この世は、どこまでも物質の世界だから。
ゴチャゴチャした感情やら様々な思いや考えを めぐらしたりやらも、脳を含めた肉体という物質が あってこそ、
そこから発生する「保全欲求」が基盤なので。
もちろん、それは、われわれにも理解できうる範囲内の世界のことだろう。
古来、人類究極の知的希求、すなわち『宇宙』発生前後の時点を考えると、いまのとこは「お手上げ」しか できないものね。
最初はギュウ~ギュウ~と犇めいててですな、
そっからドッカー――ン!!と、、、
…どう表現したら いいのやら(苦笑)
生物が、無生物から発生したことと、どこかの段階で、ある意味で、似ているのかもしれない。
すべての「生命体」という物体・物質は、死後、原初の最小のレベルまで還元されたあと、
長らく、あるいは しばし、とどまっていた この地球上の大気圏から、少しずつ少しずつ、大気圏外へ、宇宙空間へと漏れ出していくのだろう。
やがて、辿り着くのは、『ブラック ホール』の崖っぷちかな?
この宇宙空間から、別の宇宙空間へ??。。。
だとすれば、
「お空の お星さまになりました」
って、あながち、嘘でも間違いでもないかも(笑)
――ホラ、遠くの空で、石ころが光ってる。
『キャプテン フューチャー』のテーマ
CUSCO“Saturn”
どこか、イギリスの古謡のような。
ホルスト 組曲『惑星』から『ジュピター』
『ユピテルとセメレー』(部分)Moreau(1826-1898)
2020.07.31 (Fri)
『【最終・4】最新の事件簿~「枯らすは黒い』の続き。
この世は、むごい所。
だから、「よくまあ、子ども産むよなあ」と、私は思うわけw
ただ、「ヤフゴミん」のなかには、
「昔であればぁ、生き延びられないはずなのだからぁ」
とかいうヘリクツを相変わらず持ち出してくるアホが いるけど、
だったら、
「おまえ自身は どうなのよ?」
の一言で一蹴されるだけだわな(嗤)
「そう言うオマエさんが、洞窟なんかで暮らして、エアコンどころか、空腹に耐え、病気になっても医者を頼らず、自動車や電車にも乗らず、太古の昔に戻った生活すりゃどうよ?」
とね(大嗤)
この世は、むごい世界なのだ。
その むごさから逃れるためにこそ、人類は、ここまで来たわけさ。
…
遠くのほうで、石ころが光ってゐるよ。
この醜悪な宇宙の隙間で。
…
と、
今にも折れそうな「葦」は、たまに吠えてみたくなるのw
2020.05.12 (Tue)
「自粛!」「ステイ ホーム!」とやらで、ネット ニュースの見出しを眺めても、やたら食い気に走った記事のオンパレードだ(苦笑)
やれ、お菓子の詰め合わせが半額セール!とかって、どんだけ太らせる気やねんw
まあ、買う余裕もないから、うちは無関係ですけどww
もやしを使った節約メニュー紹介記事なんかには、つい、喰いついてるけどなw
「コロナ自粛でストレス」てな言い分を聞くたびに、「なにを甘えたタワゴトを」と、せせら笑いたくなる私、
メニュー作りが~食費が~とアタマを悩ましてる世間だと聞けば、
「ずっと家のなかで、運動不足だ~ふとる~とボヤクんなら、食事も2食で よろし!もやしでも食っとけ」とツッコミたくなるww
むかし、生い立ちの複雑さや紆余曲折の数々を経て、姉が再婚することになり、そのときの結婚式に出席するため、大阪から出向いて宿泊した姫路のホテルが、たぶん、ここだったんだと、おぼろに思い出したのだが、大きな駅が すぐ前で、有利な立地だったはずなのに、今回のコロナ自粛でトドメを刺された体で、営業終了となったらしい。
ホテルでは、母親と私が同部屋、一人で別室になった親父は、到着して すぐ、行方不明になった!と騒ぎになり、
のほほんと戻ってきた本人を問い詰めると、お城を見ようと、ぶらぶら ほっつき歩いてたというので、母親が呆れたり。
夜は、マッサージ業の女性に来てもらい、すごい色白ですねとか、私のスベスベ肌のことを いたく褒めてもらったりw
明朝の お式を控えた姉が、私らの部屋へ訪ねて来ていて、しばし談笑のあと、じゃあ、あしたね、と、マッサージを受けている最中の私の足を握って、握手したことにして帰って行ったことやら、いろいろな場面を思い出した。
翌朝、せっかく揉みほぐしてもらったはずなのに、全身が痛くなっていて、どうしたことか?と驚いたw
あとで、そのことを母方の叔母に言うと、
自分も そうだったが、仕事の疲れを癒そうとて、マッサージも やり過ぎると、「揉み返し」とか言って、かえって逆効果になることもあるよ、
という話だったが、
その叔母も、もし存命で、かつての華やかな時代の客商売だったなら、今ごろ青息吐息だったかもしれない。
なんせ、1ヵ月の家賃が100万円のマンションに入居してた頃も あったからな。
そこに住んでいたときに発病して、何もかもメチャクチャになってしまったけれど。
姉の結婚式場では、相手方の姓と、うちの親父のほうの名字をもって「両家」としていて、母親が、姉にとっては継父に当たる親父の実の家のほうのルーツである兵庫県にて、そして、親父の名字で、結婚することになった、と感無量の体だったことも思い出した。
さて、
サービス精神の塊りみたいなエンターテイナーであり、これぞロックンローラー!なロック界大御所の一人であり、次々に、世を去っていくなかの生き残りでもあったリトル・リチャードが、ついに亡くなったそうだ。
ご多分に漏れずで、もしや「新型コロナ?」と思ってしまい、記事を読んでみて、87歳になっていたという年齢にも驚いた。
私が12歳の頃からゾッコンだったエリック・バードンも、とっくにリッパな高齢者になっちゃってるけど(なので、ちと心配してる)、
亡き叔母が若い頃に入手していたものを、引越か何かのおりに処分するため、コレクションしていた大量のレコードを、とりあえず、うちで譲り受け、そのまま、小学生だった私が、興味を持ったり気に入ったものだけを自分が もらっておいたなかの古いレコードによって、ばりばり「ブラック」志向のエリック・バードンと『アニマルズ』を知り、
同時に、そのジャケット裏に記された(たしか、かの大橋巨泉氏による文だったと記憶している)解説によって、エリックが大ファンだという黒人のロック スターたちの一人、Little Richardの名をも知ったわけなんだけど、
それとは別に、
じきに中学生となり、受験を控えた頃になると、当時、クラスメートたちと一緒にハマっていた深夜放送ラジオの音楽紹介番組、そこで流れてきた『ルシール』を初めて聴いて、とにかくタマゲタわけ。
なに?これ、ブッとんでる~!!
という第一印象。
実際そうなんだろうと思われるが、
リトル・リチャード登場の以前には なかったスタイルだったんじゃないかなと思われた。
“Lucille”にしても“Tutti Frutti”にしても、自然と「ツイスト」を踊り出したくなるようなリズムだね。この時代のブームだったからでもあるのだろう。
私たちリアルタイム世代のPrinceも、リトル・リチャードの影響を受けてるのはハッキリ分かる。
このへんの思い出話は、過去エントリーでも話題にしたことが あります。
『レコード』
ちなみに、
アニマルズと言えば、『朝日の当たる家』というのが最も、あまりにも知られているでしょう。
とにかくブラック志向で、ふつうにエゲレス人の若者とは思えないほどの歌唱力とリズム感のエリック・バードン&アニマルズ。
一例:“The Story of BO DIDDLEY”
んもお、どうして こんなにウマイのかしら。シビレちゃう~ああん
ということで、
このたび、エルトン・ジョンも、リトル・リチャードについてコメントしているけど、
私が初めてエルトンを聴いたときも、いかにもロックンロール!という感じを受けて、てっきり、彼はアメリカ人なのかなと思ってたです。『クロコダイル ロック』とかね。
『にわとこのワイン』
彼のママによれば、
「いつも寂しい眼を していた男の子」
エルトンも、すっかり偉うなったなあw
太ってさ、満ち足りてさ、これじゃロックンロールちゃうわー!!(苦笑)
『北朝鮮』の「おなかの大きな王様」を見るたびに、
「国民(くにたみ)が食うや食わずで餓えてるっつうに、オマエさんばっかり、たらふくゴチソウ喰って、ぱんぱんに肥え太りやがって」
と腹立ちを覚えてしまう私は、
(あいにくw)生きていたジョンウンと聞いて、
思わずチエッ!と舌打ちしてましたww
しかし まあ、音楽の趣味においても、同級生どころか、一般的日本人の範疇からハズレがちな私。
「リズム&ブルース」好きの小学生・中学生なんてねw
当時は、同年配は勿論、オトナのなかにも殆ど いやしなかったもん。
親しくしてた友だちなんかも、もっぱら歌謡曲アイドル中心で、私が薦めて、せいぜい『カーペンターズ』とか。
もちろん、私もカーペンターズ大好きだからね。
うちは、兄が かなりの年上だったから、しかも、「(教育的)指導好き」なw兄の影響も多少あったけど、『サイモン&ガーファンクル』とか。
さて、そんな私が、叔母から譲り受けたエリック・バードンと『アニマルズ』のレコード、これは、とっくに希少盤であり、入手困難になっているらしいが、
そのアルバムには、かのジミー・ヘンドリックスとも親しかったエリック・バードンの最も好みである、主として黒人ロック スターたちのカバー曲が何曲も入っていて、その一つに、くだんのリトル・リチャードの“The Girl Can't Help It”も含まれている。御本家に負けんくらいパンチ効いてまっせー!(笑)
中学生だった私は、授業で習い始めた英語に慣れるため、という名目を前提に、いっしょうけんめい、単語を調べては、ギターを抱えて、聴きよう聴き真似よろしく、カバーに励んだものだったが、この“The Girl Can't Help It”だけは、発音の速さに四苦八苦して、なかなか ついていけなかったわ。
Little Richard“Send Me Some Lovin'”
2020.02.24 (Mon)
「北欧のエリンガ」
と言うべきじゃないかなぁ?とは思うんだけれど、
「エリンガ」自体、いまだに、あまり知られていないようだから、しかたないみたい?
ハマースホイだって、日本では、わりと最近だもんね、一般にも知られるようになったのは。
『ハマスホイはなぜ室内画を描いたのか? 19世紀デンマークの時代背景から読み解く』 2/22(土) 7:54配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200222-00000002-btecho-cul
私自身、エリンガのほうを、ずっと先に知っていたんだけど、
大好きな画家や、その作品は数多あるなかで、
エリンガの、この『読書する婦人』という室内画については、単なる好みを超えた、別格の感覚が、どうしても湧いてくる。
と言うのは、
この絵を知る少し前に、予知夢で出会っていたから。
「予知夢」だなんて、ふだんは、およそオカルトだのスピリチュアルだのを嬉しがる手合いを、隠すことなく軽侮してしまう傾向を自認している私に似つかわしくないはずだろうが、
実際に、時おり、「予知」とでも言うしかない現象が、わが身に起きるんだから、しょうがない。
まだまだ、人類には未知の領域が あるんだわなあ、ってとこで受け入れざるを得ない。
ただし、
絵に関する「予知夢」を見るときは独特。
作品としての絵そのものの形で見るのでは なくて、絵のなかの風景なり光景なりに、私自身が入り込んでいて、まさに現実の世界として、そこを歩いたり眺めたりしている、そういう状態で見る。
なので、
「予知夢」のなかで入り込んでいた絵を、ふつうに「作品」としての形状で、あらためて見るたびに、なんとも表現しにくい感慨が湧くわけ。
あのとき味わった空気、光、音、
それらが、まざまざと よみがえってきて、一種、懐かしいような感覚さえ覚える。
こういう感じの予知夢を見る人は、私の他にもいるんじゃないかしら。
ま、
この話は、すでに、旧ブログか過去エントリーで、わりと詳しく述べたことが あるから、再び長々と述べなおす気には なれない。このへんで。
Elinga(Dutch,1623-ca.1682)Woman Reading
Hammershøi(Danish,1864-1916)Woman Reading in the Sunlight, Strandgade 30(1900)