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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2020.05.12 (Tue)

 

 
 

「自粛!」「ステイ ホーム!」とやらで、ネット ニュースの見出しを眺めても、やたら食い気に走った記事のオンパレードだ(苦笑)

やれ、お菓子の詰め合わせが半額セール!とかって、どんだけ太らせる気やねんw

まあ、買う余裕もないから、うちは無関係ですけどww

もやしを使った節約メニュー紹介記事なんかには、つい、喰いついてるけどなw

 

「コロナ自粛でストレス」てな言い分を聞くたびに、「なにを甘えたタワゴトを」と、せせら笑いたくなる私、

メニュー作りが~食費が~とアタマを悩ましてる世間だと聞けば、

「ずっと家のなかで、運動不足だ~ふとる~とボヤクんなら、食事も2食で よろし!もやしでも食っとけ」とツッコミたくなるww

 

むかし、生い立ちの複雑さや紆余曲折の数々を経て、姉が再婚することになり、そのときの結婚式に出席するため、大阪から出向いて宿泊した姫路のホテルが、たぶん、ここだったんだと、おぼろに思い出したのだが、大きな駅が すぐ前で、有利な立地だったはずなのに、今回のコロナ自粛でトドメを刺された体で、営業終了となったらしい。

 

ホテルでは、母親と私が同部屋、一人で別室になった親父は、到着して すぐ、行方不明になった!と騒ぎになり、
のほほんと戻ってきた本人を問い詰めると、お城を見ようと、ぶらぶら ほっつき歩いてたというので、母親が呆れたり。

夜は、マッサージ業の女性に来てもらい、すごい色白ですねとか、私のスベスベ肌のことを いたく褒めてもらったりw

明朝の お式を控えた姉が、私らの部屋へ訪ねて来ていて、しばし談笑のあと、じゃあ、あしたね、と、マッサージを受けている最中の私の足を握って、握手したことにして帰って行ったことやら、いろいろな場面を思い出した。

翌朝、せっかく揉みほぐしてもらったはずなのに、全身が痛くなっていて、どうしたことか?と驚いたw

 

あとで、そのことを母方の叔母に言うと、
自分も そうだったが、仕事の疲れを癒そうとて、マッサージも やり過ぎると、「揉み返し」とか言って、かえって逆効果になることもあるよ、
という話だったが、

その叔母も、もし存命で、かつての華やかな時代の客商売だったなら、今ごろ青息吐息だったかもしれない。
なんせ、1ヵ月の家賃が100万円のマンションに入居してた頃も あったからな。

そこに住んでいたときに発病して、何もかもメチャクチャになってしまったけれど。

 

 

姉の結婚式場では、相手方の姓と、うちの親父のほうの名字をもって「両家」としていて、母親が、姉にとっては継父に当たる親父の実の家のほうのルーツである兵庫県にて、そして、親父の名字で、結婚することになった、と感無量の体だったことも思い出した。

 

 

さて、

サービス精神の塊りみたいなエンターテイナーであり、これぞロックンローラー!なロック界大御所の一人であり、次々に、世を去っていくなかの生き残りでもあったリトル・リチャードが、ついに亡くなったそうだ。

ご多分に漏れずで、もしや「新型コロナ?」と思ってしまい、記事を読んでみて、87歳になっていたという年齢にも驚いた。

 

私が12歳の頃からゾッコンだったエリック・バードンも、とっくにリッパな高齢者になっちゃってるけど(なので、ちと心配してる)

亡き叔母が若い頃に入手していたものを、引越か何かのおりに処分するため、コレクションしていた大量のレコードを、とりあえず、うちで譲り受け、そのまま、小学生だった私が、興味を持ったり気に入ったものだけを自分が もらっておいたなかの古いレコードによって、ばりばり「ブラック」志向のエリック・バードンと『アニマルズ』を知り、

同時に、そのジャケット裏に記された(たしか、かの大橋巨泉氏による文だったと記憶している)解説によって、エリックが大ファンだという黒人のロック スターたちの一人、Little Richardの名をも知ったわけなんだけど、

それとは別に、

じきに中学生となり、受験を控えた頃になると、当時、クラスメートたちと一緒にハマっていた深夜放送ラジオの音楽紹介番組、そこで流れてきた『ルシール』を初めて聴いて、とにかくタマゲタわけ。

 

なに?これ、ブッとんでる~!!emoji

という第一印象。

 

実際そうなんだろうと思われるが、
リトル・リチャード登場の以前には なかったスタイルだったんじゃないかなと思われた。

 

LucilleにしてもTutti Fruttiにしても、自然と「ツイスト」を踊り出したくなるようなリズムだね。この時代のブームだったからでもあるのだろう。

 

私たちリアルタイム世代のPrinceも、リトル・リチャードの影響を受けてるのはハッキリ分かる。

 

 

このへんの思い出話は、過去エントリーでも話題にしたことが あります。

レコード

哀しみのLast Christmas

 

ちなみに、

アニマルズと言えば、『朝日の当たる家』というのが最も、あまりにも知られているでしょう。

とにかくブラック志向で、ふつうにエゲレス人の若者とは思えないほどの歌唱力とリズム感のエリック・バードン&アニマルズ。

一例:“The Story of BO DIDDLEY

 

 

んもお、どうして こんなにウマイのかしら。シビレちゃう~ああん

 

ということで、

このたび、エルトン・ジョンも、リトル・リチャードについてコメントしているけど、

私が初めてエルトンを聴いたときも、いかにもロックンロール!という感じを受けて、てっきり、彼はアメリカ人なのかなと思ってたです。『クロコダイル ロック』とかね。

 

『にわとこのワイン』 


 

彼のママによれば、
「いつも寂しい眼を していた男の子」
エルトンも、すっかり偉うなったなあw

太ってさ、満ち足りてさ、これじゃロックンロールちゃうわー!!(苦笑)

 

 

『北朝鮮』の「おなかの大きな王様」を見るたびに、

「国民(くにたみ)が食うや食わずで餓えてるっつうに、オマエさんばっかり、たらふくゴチソウ喰って、ぱんぱんに肥え太りやがって」

と腹立ちを覚えてしまう私は、

(あいにくw)生きていたジョンウンと聞いて、

思わずチエッ!と舌打ちしてましたww

 

 

しかし まあ、音楽の趣味においても、同級生どころか、一般的日本人の範疇からハズレがちな私。

「リズム&ブルース」好きの小学生・中学生なんてねw

当時は、同年配は勿論、オトナのなかにも殆ど いやしなかったもん。

 

親しくしてた友だちなんかも、もっぱら歌謡曲アイドル中心で、私が薦めて、せいぜい『カーペンターズ』とか。
もちろん、私もカーペンターズ大好きだからね。

 

うちは、兄が かなりの年上だったから、しかも、「(教育的)指導好き」なw兄の影響も多少あったけど、『サイモン&ガーファンクル』とか。

 

 

さて、そんな私が、叔母から譲り受けたエリック・バードンと『アニマルズ』のレコード、これは、とっくに希少盤であり、入手困難になっているらしいが、

そのアルバムには、かのジミー・ヘンドリックスとも親しかったエリック・バードンの最も好みである、主として黒人ロック スターたちのカバー曲が何曲も入っていて、その一つに、くだんのリトル・リチャードの“The Girl Can't Help It”も含まれている。御本家に負けんくらいパンチ効いてまっせー!()

 

中学生だった私は、授業で習い始めた英語に慣れるため、という名目を前提に、いっしょうけんめい、単語を調べては、ギターを抱えて、聴きよう聴き真似よろしく、カバーに励んだものだったが、この“The Girl Can't Help It”だけは、発音の速さに四苦八苦して、なかなか ついていけなかったわ。

 

 

Little RichardSend Me Some Lovin'

 

 

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