2020.05.05 (Tue)
『どこまで操られ人形』の続き。
この現代になって、あろうことか、
安倍政権は勿論、自民党としても、そんな時代に戻るべきだ、と考えているのだそうな。
それは、
「徴兵」制度を復活させ、
「上級国民」が側を取り囲み固める、その真ん中に位置する権力者から発される命令・号令に、
いちばん外側の輪を形づくるシモジモは、従順に、疑問も持つことなく黙って従うべきなのだと。
国民の生活が大事、なんて考えは、まったくもってケシカラン!てな主張ですよ。いやはや
よくも まあ、これほどまでに時代錯誤で、一般国民・市民をバカにして舐めきった政党なんかを支持できるよなあ
もっとも、自分自身が、現与党に甘い汁を飲ませてもらってるとかいった立場じゃないから言えることなのかもしれないし、実際、甘い汁を飲ませてもらってる者たちにすれば、当然のことじゃん!として、現状維持肯定するんだろうけどさ。
仮に、自分が、そういう立場にいたとしても、やっぱり、やだけどね、そこまで自己中になるのは。
だって、
なんか、人間やってる意味も価値もない感がするもんね。
あ、もちろん、
ただいま絶好調で「ヒーロー」演出に励み、今後のモクロミを成功させるべく、ここぞと点数稼ぎに精出して いそしむ『(大阪)維新』なんかも、大いに賛成してるよねー。
なんせ自民党の補完勢力だもの。
安倍政権と結託し、あの『森友』を裏から支えていたんだもの。
ちなみに、こないだも触れたように、
アベシと橋下さんとでは、一見して、それぞれ全く違うタイプの雰囲気に見えるし、もちろん、生育環境や背景事情なんかも全然、異なってるだろうけど、なぜか、内面性において酷似した共通点が幾つか見受けられる。
まずは、
「ふわーっとした民意(くうき)」とやらに担がれることを望んだ ご本人らの採った人選というものが、からっきしダメダメだった。
いったい、どこに目ん玉つけて見とったんや?!
ってなくらいに、もう絶望的にダメだったこと。
要するに、「見る眼が ない」ってやつかね。
彼らを支持する人も また、同じことになっているのだから、なんとも皮肉だ。
この両者と支持者全体に、一種特有めいた軽薄さが表れている。
次に、謝らない。
謝る前に、というよりも、非が明白であるほど、まずは他所へ擦り付けて、大概ひらきなおるか逆切れ。
自分で背負えない、地位に見合った、その力がないからだろうけど、
根幹が非常に子どもっぽいからでもあろうか。
ただでさえ、年齢相応程度の了見が磨かれないまま、度量も また極小のままなうえ、いっこう改めようとしない不勉強さが拍車を かけて、殊更に歪かつ短絡的思い込みと低レベルのヘリクツを駆使して穴埋めを図らんとするもんだから、ますます、その不勉強さが露出する。それも誤魔化して、あわよくば、このままズルズルなし崩し的に押し切ろうとする。
しつこくゴリ押して再浮上を図る。
叶わなければ遁走一択w実際、やってるしww
そして また、しつこくゴリ押してみる、というシツコさ。
「大阪都」w
「憲法改正」w
返り咲きww狂い咲きww
さて、現代では、権力側を縛ることを目的とする憲法によって、国家の側の専横・逸脱を防ぎ、もって、国民個々の生命と生活を全うさせ、各々の人権を守らせる、そのために付与された権威と力だ。
もちろん、まずは命は大切、だが、あたかも、その「引き換え」であるかのように、自由が奪われるのでは、意義に乏しかろう。
時として、あくまでも命と生活を防御するため、相当程度に自由が制限され得る場合は ある。
こんにち ただ今も、「要請」によって、集会など各種の「自由」が制限されている最中だ。
しかしながら、「グローバル社会」のなかの人々の動きを、完全・完璧に停止させられるわけが ないのは、火を見るより明らかというものだ。
それ以前の初歩的段階から、モタモタと迷走を繰り返して、この事態。
「要請」であってすら、これを尊重しないことは、なかなか難しいという。
あの『福島第二原発』大事故のあとで、他にも危険性の高さが取り沙汰されていた原発施設の一つを使わないよう要請すべきだという提案にも、賛否が激しく分かれたし、当時の菅首相自身、かなり躊躇ったようで、そのときも、首相の「要請」ともなれば、ほぼ命令に近いほどの重みが あるからだと指摘されていたことを憶えている。
この国ですら、一般国民が思っている以上に、首相の権限や権力というものは強大なのだということ。
だからこそ、私物化を憚らぬアベシならでは、
「ぼくが やらせてあげるよ(ぼくの権力を使わせてあげるよ)」
てな、甚だしく履き違えたセリフも出るのだろう。
「オトモダチ」に自分を守らせるため、国家の最高権力を利用している、
これが、現在ただ今の日本国首相である。
国じゅう、何もかもが歪を来し、堕落するのは当然だろう。
【続く】