2020.05.02 (Sat)
最近、近場のスーパーマーケットへ行ったら、あれもこれもと、またぞろ、実質値上がりだらけほんとにゲンナリする。
5月に入ったとたん、急に暑くなった。
そろそろ、マスクするのも厭になってきた。
去年に買い置いていた分も、もうすぐ 使いきってしまうから、敢えて無理しなくても いいのなら、そうしようかなと思う。
しかし、いまだに、せめても「ソーシャル ディスタンシング」ってのを やらない人も見かけるしな。
売り場の床には、位置の目安を表示したりしてくれているのに、おかまいなしだ。
「猛暑の防護服地獄」をも引き起こした原発大事故を思い出させる。
いまと同様、「専門家」たちが言うこともバラバラだったなあ。
あのときの日本は、放射性物質を、世界じゅうにバラ撒いた加害国でも あった。
韓国は、あのとき、自国民全体のための大事な備蓄だった「(非放射性)ヨウ素」を、気前良く、日本に提供してくれたということが あったのだが、そんなことはキレイさっぱり忘却の彼方、やれ、大統領と与党の支持率が、たいへん高く持ち直しとなったから、今後も「反日」政策が続くのだろう~云々と煽りたてるだけの、日本のマスコミw
先日のエントリーで、スウェーデンの「実験的」コロナ対策のことを話題にしたが、死亡者は、やはり高齢の人々が中心ということで間違いないのだろうか?
あちらでの人々の ようすを写した画像などを見たら、小道をゾロゾロつらなって散策していたり、いくら「オープン エア」でも、飲食店のテーブルについている人たちとか皆、ふつうに ひっついて、しゃべってるねw
当然、国家あげて「覚悟のうえ」なのだろうとか言われてるみたいだが、
最近になって、スウェーデン国内の少なからぬ学者や専門家たちからの異議申し立てが起きているそうな。
スウェーデンの方針についても、「ヤフゴミん」あたりが、毎度のウヌボレを発揮し、
「高齢者を大事にする日本では、スウェーデン同様のことは できない」
とか言ってるけどさ、をいをい、
もともと、日本だって「姥捨て」が伝統の国ざんしょw
をい、「新自由主義者」どもは どこ行った?
ほれ、「適者生存!」「弱肉強食のススメ」は、どこ行った??w
ほれほれ、お得意の
「経営体力のない商売や会社は、さっさと潰れさせろ!」
の声が聞こえてこないぞー?ww
そもそもが、「哲学」という概念を持たなかった日本人は、外来思想一般などを、本当の意味では理解できていないまま、愚直にバカ正直に、
あるいは、
どこか歪んだ解釈のまま、自分の つごう良く変えて、まかり通らせてしまう習性や傾向が あるせいなのか どうなのか。
で、今ごろになって、
「お客が来ないんじゃ、商売は成り立たない」
そうだよ?wなにを今さらww
何度も言ったように、
人っ子ひとりも いない無人島などでカネ稼いだ商売人は いない。
どんな商売だって皆、お客が いなけりゃあ、逆立ちしても成り立たない。わかったろ?ww
窮乏は、まずは日々の食費から削らせる。
ましてや、飲食や娯楽の たぐいなんど、最低限生活を じゅうぶん上回る余裕あってこそ、心から楽しめる分野の商売。
少数では なく、大多数の人々のフトコロぐあいによって、いとも簡単に左右される。アッタリマエだ。
どんな権威者・権力者だって、民衆が「笛吹けども踊らず」状態になったら、自分自身の吸える甘い汁が おあずけになり、ヘタ打つと、おのれの首も締まってくる。
だから恐れるんです。民衆のパニックと怒りを。
それに、日本の、とくに、「新型コロナ ウイルス」騒ぎ初動の時期には、ほぼスウェーデン同様と言える状態だったと思える。
いや、もっと ひどかったのではとすら思う。
「集団感染を目指し」も何も、
この国では、そういう理論的なこととか最終目的とか大局的予測もなしに、ただ、オリンピックに対する思惑ゆえか、右往左往の行き当たりバッタリでしかない、ほぼ野放し状態に近かったのだから。
政権も一般国民も互いを信用していない、できないのだから、腹くくって共に闘う気にもなれない。
いまだに、「緊急事態宣言」その延長をも めぐって終始、政府も国民も、大地震みたく、ぐらーり ぐらーり揺れ動いている。
ひどく中途半端なまま、腰が定まらないでいる。
ほとんど「ええじゃないか」を踊ってるようにさえ見えるw
近く迎える先の不安や破滅的なまでの予感ばかりが、いよいよ増大してきて、ますます、極端から極端へと揺れ動いている。
それから、
「高齢者なのだから、若い者に譲るという考えを持てないのか!」云々、こういうのも相変わらずの「ヤフゴミ」名物的主張だが、よっぽど苦労知らずの若造か何か、人生経験浅薄な者が多いのかしらんと思う。
私は何度も指摘してきたとおり、
「きのう きょうとは思わざりしを」。
人間、高齢になった自分自身に、当の自分で驚くもんなのよw
それよりも、
いまの日本は、今後、どれだけ高齢になろうが何だろうが、
倒れて再起不能確定になるまで、働き手として現役でいるように、
という政策だ。
つまり、
この際、高齢者には、さっさと死んでもらいましょうや、
という余裕すら なくなっておるのだよwわかってるか?(嗤)
まあ、親子の生活が別々に独立してると、わりと冷静になれるのかもだが、
毎日、一つ屋根の下で密接に かかわる家族関係だと、あまり冷静には受け止めるのが困難かなあ、良くも悪くも。最悪の場合には、親が子を潰し、子が親を殺めるに至る。
18歳になったら、とっとと親から離れ、自立生活スタートというのを基本的生き方として確立させてる国民性と、
「マンマの国」イタリアや、日本のように、成人後も、なかなか、実家から出ず、子も親も互いに、いつまでも密着しがちな国民性の違いも あるかもね。
ところで、
人工呼吸器というのも、装着された本人は、そうとう苦しいものらしいよ。
うちの母親のときも、私は、本人がシッカリしていた頃から、無理な延命は不要と言明していたこと、家族としても、その意思に異議は ないことを、担当医に伝えたものの、
もう今夜、明日あたりには、という時点で、最後は、やはり、人工呼吸器を装着されていて、
そして、臨終を迎え、それを取り外された その瞬間に、
「おかあさんな、その瞬間、ああー、やっと楽になったぁ、って顔したんだぞ。おまえも見たか?」
と、
それから十数年後に、肺炎が直接の引き金となって、自分も また亡くなった親父は言っていた。
私は、幼児みたいに、母親の胸に すがりつき、ただ泣いてる最中だったから、まさに「その瞬間」の顔は見ていなかったんだけども。
心電図モニターなんかを見ると、いまだに、なんとなく重苦しい気分に陥ってしまう。
臨終間近の母親の枕頭に置かれていた その機械の、波型を示す表示が、だんだんと平らになっていく光景を思い出すので。
ま、「コロナ以後」のライフ スタイルは、多かれ少なかれ変化することだろうし、また、そうでなければ ならないのだと思う。
世界じゅうがホイホイと、まるっきり、もとの状態に戻ってしまうんでは、人類は愚か過ぎるということになろう。特に、何もかもが悪循環の様相を来して久しい日本は。