2020.04.25 (Sat)
私には、経済一般のことは分からないけれど、
一つ確実に言えるであろうことは、
最初に、安倍首相が、いきなりの如く「休校」要請したとき、賛否両論のなかで、私は、それが いけないというのでは なくて、あまり意味が ないだろう、という考えだったのだが、
というのは、
できるだけ短期間で済ませたくばこそ「徹底的に自粛」するしかないからだ。
なので、
休校に羽を伸ばしたような子どもたちが、さっそく、友人たちと組み、繁華街へ繰り出しているという現状が報じられているのを見て、「あ~あ、やっぱりだな」と思った。
尤も、子どもたちだけが おとなしくしていれば おさまる問題でも、勿論、ない。
むろんのこと、「徹底的に自粛」すなわち「活動全停止」に近い、それだけでも、その状態を長期間続けることは不可能。
ではと言って、できるだけ緩やかなる自粛、というのも結局、意味は薄くならざるを得ない。ダラダラやっていれば、ウイルスのほうもダラダラ生き延びるわけだから。
はてさて、
「適者生存!」「体力が ない企業は、むしろ潰すべき!」という、血も涙もない(w)主張が とっくに あるくらいだ。
個人経営レベルの零細商売なら、もとから、跡継ぎの予定も なく、雇用している人数が あっても ごく僅かで、終始ほそぼそ、といった感じに やってきたのであれば、もう潮時かと、その多くが、割り切って たたんでしまっても、社会全体に齎す影響としては、それほど大したことは ないんじゃないか。
喫茶店やレストラン等がバタバタ潰れてしまっても、人々の生活が立ち行かなくなるわけじゃないから。
実際、家計が苦しい、生活に余裕が ないとなると真っ先に、ほとんどの飲食店の類へは行かないことになる。
基本の生活に、ほんとうの最低限、不可欠なものと、そうでないものとの差は明白だ。
芸術、スポーツ、これらも、いっぺんに、あとまわしされる。
次に段階が進むと、「交際費」「慶弔費」「文化・娯楽費」といったものが廃される。
当然、身も蓋もない、無味乾燥な生活を営む人の心は、しだいしだいに殺伐と してくる。
だが、いちばん、始末が悪いのは、ある程度の人員を雇用している中小クラスの企業だろう。
そもそも大企業クラスは一握りに過ぎず、じつに、100パーセント近くを占めているのは、日本の場合、中小企業なので。
しかも、大企業の下請けをメインに やっている中小は夥しく存在しているわけだから、そこがバタンバタン状態にならないためには、大企業自身が、自社の社員のことばかりでなく、これまで、いろいろ「泣いてもらった」ことも少なくは なかったであろうパートナーである中小との関係を如何にすべきか、ここぞ真面目に考えないわけにいかないはず。
企業にとっての「調整弁」「使い捨て」の非正規社員問題も そうだったし、
さんざん、政治方面に口を出し、つごうが良くなるよう融通を つけさせ、自分らをトコトン最優遇させるよう強要してきた経済界こそは、政治権力に頼ってばかりでなく、自分たち自身で考え、実行するべきだろう。
「甘えるな、国民!」
などと叱ってみせる資格は、財界にも政府にも、ない。
学校・教育現場にしても、企業活動にしても、これまで、あとまわし あとまわしを続け、ひたすら、目を つぶり続けてきた日本社会の問題のツケが、猛烈に噴き出している。
私なんかは、子どもが いないので、学校の「遠隔授業」というものを実行しかねる状態のままである現状を知り、少なからず意外に思い、驚いた。
これは自分自身でも、長年、どうにかならないのかとウンザリしてきたラッシュアワーの満員電車。
通勤も仕事も、むだに疲れるだけの非効率な現実。
疲れ果てても、サッパリ報われない勤め。
かれこれ数十年近くも前から、教育現場で、企業で、IT等々を活用し云々と、口先だけで言いつつ、結局、何も進んでいなかった。
「遠隔授業」だ「テレワーク」だの話どころか、
この国では、いまごろ、ハンコの話を している(呆)
一事が万事、このパターン。。。
そもそも、学校なんて存在は なかったので、日本も、どこの国も、教育の基本は、本来、家で適当に(その子のペースで)済ませてたもんなのだ。
私なんか、小学生時分から、
「学校とは、、、時間を区切って、『教室』と呼ぶ牢獄に繋がれる刑務所、みたい」
と思ってたw
いまでも、およそ、子どもというものの本能に反している存在だと思う。
指導者も生徒たちも、その親たちまでもが疲弊するというバカバカしさ。部活なんかは、まず廃止して、そしたら、誰が どんだけ困るの?くらいに、私は思ってるけどw
振り返って、よーく考えたら、学校へ絶対に行かなきゃならない、学校でないと絶対に不可能なほどのことって、大して多くないよ。
それと、
「ヴァカンス」や長い夏休みは、日本にこそ、必要だと思ってきた。
今度の「新型コロナ」は、太陽光(紫外線のことを言っているのかな?)が有効という記事を見かけたが、これは、あくまでも空気中や物体表面についてのことらしいので、やはり、それだけでは済まないようで、これで安心、とは いかないことに変わりは ない。
日本では、すでに指摘されていることの一つに、土足のまま屋内に出入りする習慣が、一般に ないのが、有利に はたらいているのでは ないかという。
また、
諸外国と比較して、水事情には昔から豊かに恵まれているという特長も ある。
ただ、日本の場合も、年々上昇していく気温に伴い、夏季の冷房がフル運転になることは当然となっており、
体内の奥深くまで潜り込んでしまうという特徴を持つらしい当該ウイルスを不活性化させたいばかりに、敢えて、真夏の日光に晒されようものなら、たちまちにして熱中症の恐れが来るのは確定的になっている。
多方面に わたって、こういった、
「あちら立てれば、こちらが立たず」
というパターンに悩まされるウイルスである。
いま最も悩ましい問題は、まさにジレンマ。
世界じゅうが「自粛or経済活動」の狭間に陥り、頭を抱えている状態。
『スウェーデン』だっけ、「ロックダウン」とかは せず、「集団免疫」を目標に、幾つかの基準を示し、あとは、国民個々の「おとなとして判断と行動」を要請したということらしいが、
『PCR検査』についてのスタンスも、いまいち判然としない姿勢の政府の性質のみならず、
「主体性」「個の確立に乏しい」傾向が指摘されがちな日本人は、従来、「上」のほうより降ってくる声には従順な傾向が あるだけに、
今が まさに、そういう状態であることを問題視されているように、「上」が緩んでチンタラしていると、それに合わせたように、
国民全体も また、ちんたらデレデレしてしまう。
もう一歩、二歩で、「ええじゃないか」状態にまで進むのかもしれないw
「コロナ」か「経済」か。というジレンマ。
それにしても、次の蔓延シーズンが やって来たなら、今回以上の困難に陥るという予想も出ている。
恐らく やって来るだろうという次の蔓延シーズンまでには、あらためて、厚く身構えておかなければ ならないわけで、既存薬が あるものと同列に語ることは無意味。
結局のところ、治療薬・療法が確立されているか否かによって、状況は大きく左右される。
ウイルスとの「共生」を唱えられるようになるのは、
やはり、治療薬が開発され、万人に用いることが可能になってからの話だ。そこまで辿り着くには、まだまだ、遠い。
「カネが ないのは、命が ないのと同じや!!」
と喝破した、どこかの おばあちゃんが いたそうだが(苦笑)
しかり、現代社会で、どんだけ「自粛!」と言ったところで、医療は当然、ライフ ラインに直結する方面の仕事に従事する人々は、通常以上にも勤務している。それからして、完璧なる「自粛」は あり得ないのだ。
各方面の活動を再開することになろうのは、どのみち、遠からずだろうが、それまでは、
いま一度、個々人の生活環境、健康状態ならびに過去の既往歴等々の再確認、そして それから、まずは「時短勤務」「ワーク シェアリング」といった方策も考えながら徐々に再開することが望ましいだろう。その場合でも、
余裕が あるときならではの楽しみを、余裕が ないときに優先することは あり得ないのだから、順序は つけなければ ならないだろう。
補償・保障や補填などのことについては、大企業みずから、社員を守る手段を主体的に考慮し、実行しなければ ならないし、
なおも身を置く場所を見失いかけ、生活状態が不安定な状態に置かれそうな人々は、国家の力をもって守らねば ならない。
夏季に、いったんは沈静化あるいは鎮静化可能であるならば、その間、政府や行政方面には、早急に、しっかりしたプラン・グランド デザインを練っておいてもらわなければ ならない。
そして、それをハッキリと示すことによって共有され、一般国民全体も、考えを整理し、おのおのの自覚を深めなければ ならない。
であるから、
見通しを示すことが できず、あっちへ行ってみたり、こっちへ引き返したりと、あさはかな日和見の如く迷い続けて、覚悟も見識も備わらぬままの、頼りない無能政府には、すみやかに退場さすべし。
少しでもマシな「暫定政府」のほうが、よっぽど良いかもしれないな。