2020.04.27 (Mon)
静岡4区とかいう地域の「補欠選挙」、これまた、どえらい低投票率。。。
「弔い合戦」ってのは、昔から『自民党』の大好物なもんで、こういう時期だし、そりゃリキが入るでしょうよ、ましてや、地方の田舎の(行ったこともないので知らんけど)典型みたいな「ジミンの牙城」的地域の一つというし。
その反面で、
Nなんとかいう、キチガイじみた政党(もどき)以外の野党連は、
今回も また、立候補者の人選を、どこまで真剣に やったのかいな?という些かの疑念を抱かせられる。
国際的に、アピール下手な日本の与党。
そんな与党よりも、もっと、国内においてすら、アピール下手な野党。
自民党シンパらが、
「野党は、自分たち議員の報酬削減を、なぜ、いち早く提案してアピールしなかったのか」
などと、せせら嗤ってるけども、
大昔から汚いカネ溜め込んでウッハウハの自民党と大違いで、
野党は殆どが資金不足でしょ。
要するに、ここでも「物量」で負けてんだ。
『ヤフージャパン』提供「ヤフゴミ捨て場」を大舞台にしている「自民党ネトサポ」なんか見てたら、よくわかるわな。それも、税金を流して雇ってるというんだから、まったく、けしからん話。
おまけに、
「腰が引けてんな?」という感じは、どうしても、漂ってるよ。。。自覚してるか?野党連。
いま以上に低下していくと、そのうちに、世界でも特異なる異常性ケースのモデル国にされちゃいそう。
仮にも「民主主義国家」で、こんなにも選挙システムが壊れちまってる国って、日本以外にも あるのかなあ?
まあ、あるみたいだけどな。フランスとか。アメリカとか。
だからかね、トランプさんみたいな、品もコケラも、知性も、、、と、日本の庶民にまで顰蹙買うようなタイプの人を大統領に就かせて平気でいられるのは。
アメリカ人にとっては、かなり失礼な発言かもしれないけれど、日本人にとっても、激怒したくなる理由は多々あるもんね。
他国の首長に対しても、こんだけ腹が立つんだから、自分とこの首長には、その何倍も腹が立つわえ。こちとら、トバッチリもろ被りだかんね。
そう言えば、オジー・オズボーンが、この前の大統領選のとき、言ってたわ。
選挙権を持ってるやつは、ちゃんと、選挙に行っといたほうが いいぞ、って。
うちの母親なんかは、自分の子ども世代が、選挙投票に行くのサボったとしても、ただただ、呆れた~、という表情のみで、選挙権というものは、あくまでも権利で、義務というわけでは ないということを心得ていたのか、つよく咎めることまでは しなかったが。
「女には学問不要」という考えが、まだまだ まかり通っていた時代の生まれ育ちだったのと、やっぱり、その親の無責任ゆえ、「できれば弁護士、せめて教師」という志望を持つ優等生だったにも かかわらず、本人にとって、はなはだ不本意ながら、いたって低学歴で終わらせられ、基本は「主婦」だったし、それでも、いわゆるDV亭主と離婚するための経済力を得ること第一目的に、和食店を自力で経営してた時期も あった。
残念ながら、やっと軌道に乗った数年後、交通事故で続けられなくなったけど。
そんな母親も、私の記憶では、選挙投票に行かなかったことは、多分、一度もなかったと思う。
本人の話からも、選挙権というものの大切さを根本に ふまえていたことは感じられた。
母親は、終戦直後の『難波』『梅田』周辺に大勢たむろしていた「浮浪児」たちの哀れな ようすを、おりに触れては、私に聞かせていた。
なにしろ、もともと、「特権階級」以外の一般の日本国民は、選挙権を持っていないのがアタリマエだったし、
ましてや女性は、戦後になってから、やっと、参政権を得たのである。
その重みを、ひしひしと実感していた ほぼ最後の世代だったと思う。
日本は、小学生のうちから、主権者教育を、しっかり行なっていくべきだ。
主権者であることの自覚を、これ以上、失わせてしまっては、将来世代の行く末が気がかりである。
さて、
政治家と官僚の不可解な関係性というものを、私も近頃になって、やっと少し分かってきた感じが する。
思い当たるのが、入社した先で、コピーライターとして制作部に配属され、そこで初めて、下請けの印刷会社の人たちと交渉する業務などにも あたった日々のこと。
と言うのは、
この道何十年というベテラン印刷業者相手に向かい、
「ここ、こういうふうな効果を出したいんで、それに合う加工を してもらいたいんですけど」等々と要望すると、
印刷屋のオッチャンは、即座に、
「技術的に無理ですな!」
と、
にべもなく、ソッケもなく断言するのである。
そこを なんとかと、少しでも食い下がろうとすると、
今度は、たちまち、業界の専門用語を持ち出して、専門技術の解説へと進み、このように、まだ初心者の私にはチンプンカンプンの講義をして、あえなく諦めさせようとするのである。
私は、ショボンとして、面談室から部署に戻り、
「そんなん無理です、って言われた」
と、先輩社員に報告。すると、
「ええ?そんな加工なんか、すぐ できるはずやで。前にも やってもらったことあるんやから。あんた新入りやからいうて、舐められてるんちゃうか。できるはずでしょ!って、もっとキツク言わんと あかんでぇ」
とダメ出しを喰らう。
この当時の私は、仕事帰りに、大型書店へ立ち寄っては、業界人向けの印刷技術に関する書籍を何冊も、自腹を切って購入、必死で読み漁ったもんでした。
政治家、特に国政の政治家は、何は ともあれ、それが国民のための、いちおう「公約」であろうと、裏側で邪まな私利私欲を潜めたものであろうとも、まずは、なにがしか「ビジョン」というものを掲げ示す。それに沿った実行のために、段取り、手回しを、実務担当の官僚に指示し、手伝わせるのだろう。ところが、実際面では、この官僚のほうが、そもそも「先生」なのだ。
「センセイ(=議員)、それは無理です」
と、
本当の「センセイ=(官僚)」が申し渡す。
こういう構図なんではなかろうか。
【続く】