2016.12.27 (Tue)
50歳代になっても、これからも、自分が欲しいものは、手に入れることが できるだろう、そんな大成功者の一人なのに。
音楽についてだけは、自分の才能に信念を持っているんだと語っていたというのに。
こんなに あっけなく。。。
それにしても驚いた。
ジョージ・マイケルが亡くなったという25日、日本では、この訃報が まだ出ていなかったようなので、私は、当ブログで、クリスマス イヴのエントリーをアップしながら、
これまで、過去のクリスマス用エントリーでは、大好きな『ラスト クリスマス』の動画を何度もアップしてきたのだけれど、いくら大好きだからって、そう何度も同じ内容ばかりもなあと思いつつ、今回は、後ろ髪を引かれるような気分のまま、クリスマスも はや翌日になり。。。
この『ラスト クリスマス』という曲、1984年(――ビリー・アイドルも最新のアルバムで歌っているように、それは特別な年だった。
あの頃、FMラジオのDJも、「80年代は、ロック・ミュージックのパワーが大きく注目された」云々と言っていたのも憶えている。)リリースされてたのね。
その当時、私には、この曲を聴いた覚えが なくて、初めて聴いてゾッコンになったのは、90年代に入ってからだった。
さて、今度は他のことで検索途中、
たまたま、Wham!やジョージ・マイケルに行き当たったので、やっぱり、ついつい、あの『ケアレス ウィスパー』や『ラスト クリスマス』もシッカリと聴いちゃった。
うっとりしたところで、パソコンを閉め、
きょう27日になって、早朝のコーヒーを飲みながら、まずはニュース閲覧しようと立ち上げたら、ジョージの訃報が、目に飛び込んできた。
で、真っ先に、このエントリーの内容を書き始めたというわけ。
てか、その検索中に知ったのは、ジョージ・マイケルのじゃなくて、
『ヴィサージ』のスティーヴ・ストレンジが、昨年2月12日に亡くなってたということで、ええっ?!知らんかったわー!!とビックリしてたの。
この人も、心臓で、50歳代だったってよ。
ちなみに、
ピート・バーンズもスティーヴ・ストレンジもスティーヴ・スティーヴンスも、『ジャパン』のスティーヴ・ジャンセンも、皆、同い年なんだと。
このなかで、私が、現在の姿を知らないままなのは、ジャンセンだけになった。シルヴィアンの弟の名に恥じない、たいした美青年だっただけに、見るの恐い。。。デヴィッドのほうは、すでに見たからねえ;
でも、デヴィッドは、むかし、一時ヤバかったらしい(『イエローマジック』の坂本さんか高橋さんだったか、その話してたw)が、そんなに言うほど肥ってしまっては いなかったけどね。
でも、見とうない見とうない。恐い。
だって、ピートの場合は ともかく、
スティーヴンスのほうのスティーヴでしょ、ストレンジのほうのスティーヴもでしょ、今回の訃報のジョージでしょ、
なんで、こんな肥るの?って感じ。
ジョージ・マイケルも、この世界お定まりのごとく薬物問題が大きかったし、
大麻でも、自分から申告、矯正施設入りしたことが あったのだっけ?
それに、
スティーヴ・スティーヴンスのことでも言ったけど、年齢が上がってくると、若い頃に比べて、どうしても肥りがちだし、特に、欧米圏の白人種はね。。。
体重が増加するほどに、そのぶん、心臓への負担も増すわけだから。
ビリー・アイドルは、イギリス人どうしということもあるのかと思ってたら、そもそもが『セックス・ピストルズ』の関係で、スティーヴ・ストレンジと友人だったそうな。
いや、しかし、同い年や年齢の近い者どうしで、こうもパタパタと、という気が してきた。。。あうう。。。なんなんだ、何か あるのか?
私は、ジョージのルックスについてだけは、あまり好みじゃなかったけど(苦笑)でも、全体の雰囲気とかは、たしかに躍動的でカッコ良かったね。なんと言っても、肝心の楽曲のほうには特に好きなものが多かったので、CDも持ってたし、youtubeでも、時々繰り返し聴いていた。
今でも鮮やかに思い出せるよ、あの“MTV”で、“Bad Boys”を引っ提げ、軽快に強烈に登場した『ワム!』の若い二人のアンチャンたちを。
私、詳しくは知らなかったんだけど、あの当時、ジョージたちは、ほんとに、まだ すごく若かったのね。わりとトシくってるように見える、落ち着いた感じの顔だちだったし。
だいたい、20歳代後半で「自叙伝」出すってのがねー、早過ぎ!
ビリー・アイドルだって、還暦くらいになってからでしょ、そういうの出したのは。
ここで、突然の宣言ですが、と言うか、旧ブログでも言ったことあったんだけど。
私の初恋の人は、エリック・バードンです。え、知らんか?
かの『アニマルズ』を知らん?まあ、無理もないかね。
「ビートルズ世代」ですらない私自身、むかし、叔母から譲り受けた お古のレコードの山のなかから見つけ出したのが、小学6年生頃だったのだもの。
そっから中学時代は、もう『アニマルズ』の演奏と、エリックのセクシーな声にシビレっぱなし~
つくづく、せめて、もう少し早く生まれていたら、、、
と、エリックを悩殺しに行けない、幼い自分が悔しかったもんですw
おとなになって、英語が少しは分かるようになったら、そっこーでイギリスへ赴き、エリックに会いに行くぞぉ、ロンドンか?彼の出身地であるニューキャッスル?なーんてことでマジに悩んでて、
ほとんどは歌謡曲アイドルに夢中だったクラスメートたちに、
「エリック・バードン??誰やねん?それ」
と訝られ、かくかくしかじかと熱を込めて説明したら、皆から、判で押したように、
「アンタ、やめとき~よ!!ものすごい年上やんか、そんなオッサン。じきにオジイチャンやんか」
と押し止められたもんです。
ほっとけやと一人で怒っていた私。
まあ、このトシになってみても、母語の日本語ですら聞きとりにくい私には、英語なんて、もっと大変だしね。
何よりも、エリックは、とっくに「オッサン」時代を通り越して、いまや本当にオジイチャンだ。
それでも、現役やってるようだから、すごい!!
でも、13歳だった私の王子さまは、苦節ウン十年後のオバはんになった いまでも やっぱり、エリックなの。
長生きしてね、私の永遠の王子さま
かくて、あの頃から、こんにちに至るまで、
私の音楽の基本的な指向は、揺るぐことなく、R&Bなのです。
つまりは、私の音楽的処女膜を破ったのが、エリックだったわけ。
R&Bよ、永遠なれ!!
ジョージ・マイケルまでが、こんなことになってしまった いま、
エリックに対する長寿の願いも さることながら、
警棒ビリー&相棒スティーヴには、できるだけ元気で長生きし、二人して偕老同穴?を遂げてもらいたい!!たのむ!!!
ということで(?)
R.I.P.ジョージ・マイケル。
まじ、ショックだった。
マドンナじゃないけど、いったい今年は どうなってるんだと言いたくなってくる。
あかちゃんみたいに泣いてるよ。。。
“Like A Baby”
“A different corner”