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Updated   
2021.12.01 (Wed)

大島紬製造現場に暗雲 染料材シャリンバイの採取者が不足奄美の南海日日新聞11/28() 13:02

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ce67aefdda6e074c204f3b668c8db7ccf0536da

 

ほんとうに、女性でも、和服を着ている人ってのが、お正月にさえ見かけなくなって久しい。

かく言う私も、実家を出てからは年々、季節行事の類も疎かになる一方で、

幼い時分から、(父親違いの姉の「お下がり」だった)振り袖に「コッポリ」履いて、ティーンに さしかかった頃からは『京友禅』に「桃割れ」結って、日本の お正月情緒に浸っていたものであったはずが、それも、母親が元気だった頃まで。

 

なんせ、自分一人で着られない、これが最大のネック。

そのうえ、和服特有の決まり事とか、着たあとの始末等々を考えただけで、着る気が失せる。

振り返れば、母親の葬儀以来、はや、かれこれ数十年近くに わたって、和服を着ていないのだ。

もちろん、ちっとも困らん。むしろ、ただ保管中にも注意を怠っては いけないのがメンドクサい。

 

元気な頃の母親が、時おり、虫干しを兼ねた和箪笥総ざらえとばかり、一枚ずつ、畳(たとう)紙から取り出しては、それぞれの着物や帯を確認し始めると、私も自然と近づいていって、職人や材の不足による希少性だとか手入れ方法とか、母親による解説を、あらためて、ひとくさり聞かされ、それから、母娘ならんでの、しばしウットリ鑑賞タイム。

あの頃は、虫干しやシミ、汚れのチェックなどを、めんどくさいものと考えたことすら なかったのに。

母親にとって、なかには思いきって買った高価なものも あるので、それらの細かい作業をメンドウに思っている感じを微塵も出さなかったというか、むしろ、「至福の ひととき」だったからだろう。

 

思うに、

自分の好きなもの、価値あると信じられるものを引き継がせたい相手を持つことは、幸せなことなのだろう。

 

 

ン十年前、私が二十歳代の頃までは、さすがに、お正月となれば、男性の和服姿も、そんなにまで珍しいものでなかったし、

うちの親父なんかは、私の母親が、自分のものを新調するついでだったのだろうか、懇意にしていた京都の老舗の呉服屋さんで誂えた、多分「総裏」だか「胴裏」ってやつを、殊のほか気に入っていたらしい。

カルタか何かをモチーフにした古典柄で、男性用に ふさわしい渋い色調だった。けっこう、お値段も張ったそうな。

それが、結婚に関連しての行事だったか、あるときに、兄が、和服を着ることになったからと、親父に無断で、母親が兄に貸したままになっていた。

 

さあ、新年を迎え、久しぶりに和服で外出をと、ウキウキ張りきった親父は、お気に入りの「胴裏」が見当たらないので、たちまち おかんむり。

この話も、旧ブログで披露した記憶が あるのだが、

自分の知らない間に、大事な「胴裏」が、倅のところへ取り込まれたままになっていたと知った親父は、

「俺の胴裏を返せー!!」と激怒w

 

あんまり騒ぐもんだから、私も呆気に取られて眺めていたのを憶えているが、

貸した母親も同じく呆れはてて、

「アンタな、自分の息子に取られた取られた、返せ返せって、胴裏ごときで大騒ぎするようなことかいな、あほらしい」

と、諌めていた。

結局、親父は、その大事な、お気に入りの胴裏を、息子から取り返して、やっと、気が済んだらしい。

二度と、貸すこともなかったようだww

 

 

さて、

まず第一には、『大島紬』だろうが、なんなら化繊の「二部式・ワンタッチ・簡易式着物」であろうと、そもそも、およそ和服を着る気になるか?ってこと。

 

現代人のライフ スタイルでは、和服は、とかく、活動しにくいのが現実だ。

和服を着て、帯を締め、草履や下駄を履いて、あの満員の通勤電車に乗れるか?

 

そもそも、一人でチャチャッと着られない、

着たら着たで、事後、いろいろなメンテナンスに注力を要する。

 

草履もね、普段から履き慣れてないと、かなり痛いよ。

 

うちの母親なんかは、若い頃から好きで着慣れてるから、和服や草履のほうがラクなくらいだと言ってたけど。たしかに、和食店を営んでいた頃も、民謡の教室運営や行事のときも、和服姿が多かった。

それでも、いよいよ病身となった晩年は、和服を着ることは皆無となっていった。

 

和服って、現代では、「道楽」とか「好事家」「趣味人」のものという印象が つよくなっている。珍しく和服の人を見たら、何かの お稽古事を やってるのかなと思うことも多い。

叔母も、お茶席に出たりで、和服を着る機会が多く、うちの身内のなかでは「おバカ」で通っていたのにw意外なことには、自分でも着付けの免状を持っていたようだ。

 

 

いまでも圧倒的に絹地が多いだろうから、雨に濡れたり、汗かいたからって、洗濯ジャブジャブは不可、かと言って、下手なクリーニングには出せないし、昔ながらの「洗い張り」だの「丸洗い」だの仕立て直しも必要になってくるし、自宅で保管するにも、箪笥の材質やら防虫やら虫干しやらと、何かと手間が かかり、気も遣う。

 

 

ちなみに、

どこかの福祉系サイトで見かけたことが あるのだが、

とある大手クリーニング工場では、作業所から出向の かたちにした障碍者を、最賃以下の時給で長時間コキ使っていると、怒っている親御さんも いるようだ。

 

じつは私、
娘の障碍を無視したくてしょうがない母親の言いなりに入った専門学校(少なくとも平均的聴力が必須な学校w)を卒業する頃、障碍が あるので、事務職にしろ営業にしろ普通の会社に就職するには難しいかも、と考え、絵を描いたりするのは好きなので、和服の生地の図案を描く職人になろうかと考えたりもした。実際に、つて(懇意にしていた呉服屋さん)を頼って、現場の人の話を伺ってみたら、この仕事は、当時でも、地方の田舎から出て来ている若い人が殆どで、集団で寮生活していて、お給料は少ないということだった。

他にも、

本当の志望の一つはジャーナリストだったので、とりあえず、スポーツ系などの新聞記者として始めてみる気が あれば、紹介してあげるよという話もあったけれど、
喫茶店ウェイトレスのアルバイトですら、お客の注文を聞き取るのに難儀したことを考えて、無理だろうなあと諦めたことも ある。

 

 

さて置き、

うちでも、着物道楽だった母親や叔母が遺した和服を何枚も保管しているのだが、これでも、ぐぐぐーっと減らしたのだ。

華やかさ満点の「総絞り」やら、涼し気で綺麗な色合いの「夏大島」やら、洋服にでもリフォームしてもらうしかないかなぁと当初は考えていたものの、その費用の余裕もないわ。

正直、金のインゴットとかを遺してくれたほうが、よっぽど助かるってもんだぜw

 

叔母の分は、家が一軒建つだろうと言われたくらい、高価なものが夥しく遺されていたのだけれど、

あいにく、私には、和服を着る趣味も習慣もないし、

そのうえ、おデブだった母親のものは、丈は、なんとか調節できても、幅がブカブカ。

おチビだった叔母のは、幅は、まあ なんとかでも、丈が全然、無理。

わたしゃ、もともと、日本女性としては高身長で、スマート体型だからね。

 

いまでは、生前の母親や叔母なんかよりも、よっぽど、ものを知ってると言えるようになった私だが、

あの当時は、まだ、こういった方面の世事に疎かった私は、

ネットでテキトーに探して、和服買取業者に来てもらい、どさどさ取り出して、ほぼ片っ端から売ろうとしたら、さすがに言われた。

「買ったら、なかなか高価なものばかりですよ?少しは残しておかれたら」と。

でも、ほんとにテキトーな値段で持って帰ってもらった。

あの業者さん、さぞ、ほくほくだったろう。

 

 

母親に次いで叔母が亡くなったとき、新幹線や飛行機に乗らなきゃいけない遠方まで、仕事を辞めて、叔母の家を かたづけに行き、特に大量に残された和服に仰天し、まずは、本人が住んでいた地域の福祉バザーに、親しくしていた人のツテを頼んで、ミンクのコートや何かも一緒に運んでいってもらったのだが(完全に、ただで譲り渡し)、それでも なお大量に残り、そのなかから、私自身の好みとか、母親を通して持っていた知識によって選り分けたものだけを、私の実家に運び込んで、自分の生活や体調とか仕事もあるので、つい、そのままになっていたら、

いつまで置いとくつもりだ?と、当時は、まだ元気だった親父にブーブー言われたので、実家に通って、整理したというわけ。

もちろん、親父は、値打ちなんぞには全くの無知だった。

 

そこから、やがて親父も亡くなり、その直後、近所の人もフシギがるような不可解な現象が起きたりしたあげく(この話も、いつか詳しく書くかもね、お楽しみにw)
やっとの思いで、私んちの狭い自宅へ運び込んで以来、

亡母の生前、私のは いらないよ!と言ってるのに、勝手に拵えた「紋付色無地」なども保管している和箪笥のなかには、母親の友人、知人らが頻りに欲しがっていた『大島紬』も含まれている。

 

いかにも南国のものらしいと言うか、一見して、ちょっと、蛇のウロコ模様を連想させる『大島紬』。

地味ながら、その特筆すべきは、感触、肌触りの素晴らしさだ。

肌に沿う特有の柔らかさ、それでいて、サラッとしている感触も独特で、私個人的には、ぶっちゃけ、ねまきとか肌着だったらな、と思うくらい。

でも、和服だからねえ。

 

【続く】

 

 

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Updated   
2021.11.29 (Mon)

ここでは、話題を絞りw

例の小室さんの、主としてマスコミに対する おじぎについても、とやこう言われていたようなのだがww

どんだけ深々と頭を下げているようでも、その目は、しっかりと、こっちを見張ってるみたいだ、とかって批判?w

 

でもさ、かのブルース・リーだったら、大いに褒めてくれるかもよwこれ、あとで ちょっと説明するけど。

 

私も、子ども時分に、幼なじみが、あるときから、まさに「腰を二つに折り深々と」という お辞儀の仕方を するようになったのを怪訝に思い、その理由を聞いてみたら、要は、相手の心証を良くするためだ、というふうなことを言っていたのを憶えている。

 

幼なじみの親の離婚に関して、詳しくまでは知らないんだけど、その子の家庭も、おばさん側に根本的問題が あったようで、おじさんは、家庭を大切にする、とても子煩悩な人で、自分の父親で苦労していた幼い私の眼から見れば、子どもの友だちにも優しい、真面目な良い おとうさんと思えていたのだけど、なんだかアッサリ離婚したようにも見えて、フシギだった。

うちの母親が、自分の厄介な家庭事情は棚に上げw生来の「おせっかい焼き」で、当時、幼なじみの父母の両方から言い分を聞いており、事情を、かなりのところまで知っていたのだが、
やっぱり、おばさんのほうに問題が大きいのでということを、おじさんは言っていたらしい。

ただ、問題が、と言っても、うちの母親やwいまどきの女性のような、たとえば「不貞」だの「不倫」を はたらいたとかいうようなことを、おばさんが やっていた、とは全く違うのだが、

むしろ、おじさんのほうが、他の女性と、その連れ子ともども引き受ける覚悟で一緒になりますと、うちの母親に向かって明言していたそうだ。

 

いま、自分自身が、この年齢になって分かるんだけど、
当時の おじさんは、まだ若くして、たいへん有名どころの料理長を務めていたくらいだから、腕に技術あり、景気の良い時代でもあり、経済的には、強気で やっていける立場だっただろうけど、
かたや、
若い頃は美容師だったという おばさんは、もともと『茨城』か『栃木』あたりの出身で、結婚して来阪して以来、ずっと専業主婦だったから、経済的に不安も大きかったはずだと思う。たぶん、おじさんのことだから、うちの親父とは違って、少なくとも養育費については、できるだけの配慮を したものと思うけど。

 

まあ、子ども心にも、そこの おばさんは、かなり独特な、ヘンな性格の人のようには思えていたので、おじさん側の言い分に、無理もない感じは持ったのを憶えている。

 

幼なじみが、近所の おとなたちに対して、不自然なくらいの、バカ丁寧な お辞儀を始めたのは、そのあとからだった。

 

ちなみに、

この幼なじみには、うちの親父の連れ子の一人だった、腹違い姉のように、私が大事にしているものを壊されたり、隠されたりしたことが何度も あったし、他の近所の友だちと結託してイジメてきたり、悪いことを唆されたりしたことも あった。はっきり言って、嘘つきで、底意地の悪い性格だったが、中学あたりから猛然と、勉強を頑張りだした。それで、地域では2番手か3番手くらいの高校へ進学した。

 

でも、
それなりに、私が、「なるほど」と感心して反省を促されたようなことも あった。

たとえば、彼女には、妹が いるんだけど、その妹が、まだ あかちゃんに近い幼児なので、たまたま私らが食べている お菓子などを欲しがって、むずかったり大泣きしたり、その単純でアカラサマな反応がオモシロくて、年齢が大きく離れた、義理の姉や兄など、おとなに囲まれて育ち、「弟か妹を、デパートで買って~」と、親に せがんでいた末っ子の私は、ある日のこと、アイスクリームを買い、共に食べながら、くだんの幼なじみに言ったことが あった。

「今から、□◆□(←幼なじみ)ちゃんちへ行こうよ」と言ったら、「今ダメ」と即座に拒否された。

なんで?と聞いたら、「妹が欲しがって泣くから」という返事だった。

 

なお、私自身は、生まれつきと言っていいほど幼い頃から、およそ、人の ものを欲しがるということが殆どなかったノンビリおっとりな性格なので、真逆に、大っぴらに何かを欲しがって泣き叫ぶ子の ようすが、なんとなく興味深かったのかもしれない(苦笑)

 

 

でね、

ブルース・リーは、映画のなかのキャラだけでなく、本来の彼自身がバリバリ「武闘派」で、『截拳道(ジークンドー)』とか言ったっけ、ケンカに勝つための、かつ、「哲学的」武道の家元でもあったという。
そんな彼が、あるとき、指導するべく若い男性が、われわれと同じような、ふつうに目線も下げ、頭を下げる お辞儀を したところ、即座に頭を はたいて、同時に、「目線はゼッタイに外すな!」とダメ出ししていたそうな。

これは、ブルース自身が、まだ子どもの頃に、師匠格の男性から、きつく注意されたことが あったからだとか、そういったエピソードを、ブルース・リーのファンである私は、若い頃に視聴したドキュメンタリー番組か何かで紹介されていたように憶えている。

ま、

とは言えど、小室さん自身は、そういった武道とかに縁が あったようでもないし、彼の「二つ腰折れ」お辞儀wの理由は、私の幼なじみと共通したものだろう。

要するに、相手の心証を計算、慮ったつもり、といったところなのだろう。

まあ、かえって逆効果みたいなんだけどねw

幼なじみも、おとなたちには、「なに?あの子、唐突な」と、嗤われていたと思う。

あれこれ、無理もないのだろうが、

だからこそ、「どこまでもシツコイな、俺らの悪口を言いふらすマスコミがよ。前みたいに、誰がヘコヘコお辞儀なんか してやるもんか、ケッ」と、なってもフシギは ないわな。

 

いずれにせよ、お辞儀なんかは、一般的には、その人の心理や性格がモロに出やすい しぐさの一つだろうなと、以前から思っていた。

 

 

ところで、

黙れ平民!!」

とある『宮』家の『女王』さまが、ネット上で のたまっていたんだそうなw

 

それ、美智子さまの前で言ったら どうよ?とも思っちゃったけどw

 

そんなセリフを吐いた経緯とか前後の文脈とか、ちょっと検索してみても不明だったので、事実なのかどうかも知らないが、

もしも、わらわの眼の前で 口走ったとあらば、

お黙り!!このドぶ◆■く女!

「そなたは、最高級生活保護が なかったら、あきらかに底辺でしかない能力の分際で!!」

と怒鳴りつつ往復ビンタ喰らわしちゃうかも しれないアタクシww

 

あ、でも、とたんに、国家権力に雇われた何人もの護衛がスッ飛んでくるのかw

こっちがタイホされちゃうのねww

 

一人では何も できない、戦うことも、わが身を守る能力もないまま、
とことん「お膳立て」してもらって、自負心とウヌボレに無自覚な、あの人たち。

 

近く、数十億円もの御殿の新築が成って、めでたく入居するときの、次代の『天皇』家の表情が見ものですなあw

さっそく、『宮内庁』は、報道規制を命令するかな()

 

 

ところで、

ただでさえ、いろいろと『北京 冬季オリンピック』のことが懸念されていたうえに、しかも、「新型コロナ ウィルス」の、これまでと全く別系統に変化し、感染力も増大していると見られるものが登場しており、すでに、世界各国で広がりつつあるという。日本も、これから、冬本番だもんねemoji

 

だいたいさぁ、『武漢』で発生した、その原因が、いまもって不明なままだもんな。。。原因不明のままで、どうするってんだよ?

 

治療用の飲み薬の効果も、大幅に下落したそうで。

 

 

最近、ふと耳にした、懐かしの『レターメン』の『ラヴ』。

「これ、フィギュア スケートのBGMにしたらステキじゃない?さしづめ、王子さまな羽生クンあたり、どうかしら?中国の女性ファンたちが、またもや「アイヤー!!!」と、いっせいに叫び、泣いて悦んでくれるわよ()」と思っていたのに。

 

 


 

 

Updated   
2021.07.17 (Sat)

空に顔が あったってイイじゃないか?wの続き。

 

(前掲記事文中から)

――「見る人に現実の不確かさを突き付けてきた」――

――「当たり前すぎて気づきにくいもの」。――

まさに、「当たり前」と思い込んで、些かも疑問を持たない者に、およそ「哲学」は無縁なのだが、

しかし、自分が良いと思い、有意義と考え、「快」を感じるからとて、他者に対し、問答無用に押し付け、強制して いいのかどうかということも、「哲学」としての追究に足り得る。

 

 

税金を費やす価値が あるのか否かについては さて置くが、

世のなか、「粒粒」形状が耐え難く、たとえばビーズで拵えた財布や人形などの小物とか、極端になると、盛られた御飯の粒粒を見るのも不快という人も いるらしい。

 

 

その場に いる人たちを否応なく巻き込むというパフォーマンスも、アートのうち、っていう考えかたも あるらしいよね。

 

子どもが泣くから、とか、トラウマが、との主張も多いようだが、だったら、秋田県だったか東北地方の『なまはげ』にも文句を言わないとなw

私なんか、子どもの頃に、『なまはげ』の話を知って、そういう風習のある地域に生まれなくて よかったぁと、心から思ったもんだww

それと、

『ねぶた』とか『ねぷた』とかいうのも あるよね。
あれだって、題材とか見ようによっては、おどろおどろしくて恐い感じするけどな。

 

 

ひとつクギを刺すようなことも言っておこうか。

先行エントリー冒頭に掲げた記事にて紹介されている「アート チーム」の人たちは、もともと、今回の『東京五輪』に関わる一環でのプロジェクトということらしいのか(違うのか、どうもハッキリしないのだけどw)、

相反する見方の どっちとも取れる、じつに「玉虫色」みたいなw尤もらしく、かつ難解なww彼らの発言にも、どうやら、そのあたりの事情と葛藤、思惑が透けて見えるような気は するw

つまりは、このインタビュー記事を掲載した『毎日新聞』のスタンスも透けて見えるわけだがww

「ヤフゴミ捨て場」に並ぶコメントの一見して大多数が、かなり激しい反感を示している傾向なのも、そのへんから来ているのかもしれない。

 

 

良いものは良い。

悪いものは悪い。

単純に、わかりやすいものも また、「当たり前すぎて気づきにくい」。

 

 

(自分にとって)心地良く入っていける作品も ある。もちろん、こういうのは、私も好きだ。

疲れて暗い気分だからこそ、ホッと癒され、明るい気分にさせてほしいという要望は理解し易いが、真逆も ある。

(自分が)どうにも辛くて、暗い気分のときに、ことさらパアッと明るいものなんて、見るのも むなしくて厭だ、という場合も ある。

 

圧倒的な「美」、また、迫力に抗い難く感じる作品も ある。

 

一目見て、吐き気を もよおすほどの醜悪を感じさせるものも ある。

 

思わず、眼を そむけるほど恐ろしくて醜悪なはずなのに、ジッと見入ってしまうことも ある。

 

一見、穏かな、ごく「当たり前」と思えるものに、しまつの悪い醜さが潜んでいることも ある。

 

 

 

昔、独特の作風で知られた、ある高名な画家に、子ども時分から懇意にしていたという、こちらも、のちに有名となった写真家が青年時代の頃、好きな絵を、どれでも持ち帰って いいですよ、と言われたので、それじゃ、これをと所望したところ、その画家に叱られた、と述懐していた話を読んだことを思い出した。

くだんの画家は、

「ぼくが若かった頃の、そんな綺麗な絵を欲しがるなんて!」

と、大いに怒ったのだそうな。

 

 

 

なぜか、ある詩人の作品も連想した。

萩原朔太郎の、『蛙の死』っていうやつ。

 

蛙が殺された、

 

子供がまるくなつて手をあげた、


みんないつしよに、


かわゆらしい、


血だらけの手をあげた、


月が出た、


丘の上に人が立つてゐる。


帽子の下に顔がある。

 

 

 

Updated   
2021.05.22 (Sat)

田村正和氏が、先月に亡くなっておられたそうだ。

生来の弱点も あり、すでに、長く ご病気だったらしい。

近しい人たちの話では、ほんの数ヵ月前まで、まあ普通に元気だったということだから、急激に悪化したのは、症状からして、もしや、「コロナ」だったのか?と思ったのだが、そうでは ないということだ。

 

今回、私も初めて、田村家は4人兄弟だったこと、高廣さんと正和さんの あいだに次男さんが おられることを知った。

なるほど、ご兄弟一堂に会したおりの写真を見ると、明らかに、雰囲気が異なるかたが一人。

やっぱり、ばりばりビジネスマンの風貌で いらっしゃる。

 

仕事が、その人の風貌や雰囲気を如実に つくっていくみたいだなと、
男性は特に そのような感じが する。

 

そう言えば、高廣さんも、すぐ下の弟さんと同じく、もとは企業に お勤めだったとか、お元気だった頃の御本人のインタビュー記事で読んだ記憶が あるのだが、それを思うと、エリート サラリーマン的な雰囲気も、どこか残っている感じは たしかに あった。

 

高廣さんの述懐によれば、往年の大スター『阪東 妻三郎』氏は50歳代で亡くなられて、その御長男である、若き高廣氏に、生前の「阪妻」さんの、ごく身近に いた関係者たちから、是非とも、おとうさんの名跡を継ぐようにと迫られて(阪妻さんの借金も残っていたらしいので)、拒みきれず、しぶしぶ、会社勤めを辞め、芸能界入りしたものの、そのあとも何かにつけて、亡き御父上のことを持ち出され、ご容貌が似ているせいも あってか、いちいち比べられるものだから、しまいに、

「わたしは誰でしょう???」

という気分に陥ったりして、
かなり悩んだと おっしゃってたように憶えている。

 

こうして、4人が並んでおられるところを見ると、

やはり、阪妻さんの面影に 特に よく似ている高廣さんと正和さんとは、顔立ちや雰囲気などが共通していて、優しげな感じだが、

いちばん末の弟さんである亮氏は、むかしから、キリッとした雰囲気が、むしろ、2番目の お兄さんと似ている感じ。

 

 

若い頃に見た夢のなかで、なぜか、正和さんが、私の夫になっていたという場面を思い出したんだけど()

じつは私ね、正和さん以上に、お兄さんの高廣氏のほうが、もっと好きだったんですわ。

こんな男性が、私の おとうさんだったら良かったのになあ、と思っていたもので。

それだけに、
高廣さんが亡くなられたということを知ったときは、正直、今回以上のショックだった。

もともと、テレビを、あまり見なかったほうだし、正和さん主演のドラマも、それぞれ好評を博しているのは知っていたが、見てなかったままのせいもあるんだろうけど。

 

それにしても、

正和さんは、高廣氏が亡くなったときと同じ享年の77歳だったそうで、
季節が近いのも偶然に違いないだろうけれど、ちょっとビックリした。

 

 

ところで、えーっと、この際、言ってしまうかなぁemoji

先に述べたように、高廣さんは、特に好きなタイプの俳優さんだったのだけれど、

好きなタイプの、と言えばです、同じく俳優さんのなかでは、

平田 満さんが大好きemoji()

 

はっきり言って、まず、容貌からしてが、大いにタイプ♪emoji()

もしも、身近にいるなら、ふだんは、そんなことを しようとは露ほども思わない私ですが(ホントよ、信じて!w)
たぶん、ユ~ワクしちゃったかも~!ww

 

で、

40歳代の頃の職場で、お昼休みに、同僚の若い女の子たちと、好きなタイプの芸能人は?とか話題になったときに、私も聞かれたから、

「平田 満さん

と、思いつくままに、軽く答えたら、

女の子たち、一斉に大きな声を揃えて、

「えええ~っ??emoji平田 満て!emoji俳優の平田マ、、、ミツルて読むんやったっけ?emojiあの人は、もうオッサンやん!!」

と、まじでビックリしてるのよ。

どこがイイの???とまで言うのよ。

失礼よねえ()emoji

 

たしかに、平田氏は、私よりも年上だけど、

「おっさんオッサンて、わたしもオバサンやしw」

と言い返しつつ、

思えば中学時代、

ほら、『アニマルズ』のアの字も知らないクラスメートたちに、

「オッサンやんか、じきにオジイサンやんか、やめときーや!!」

と、寄ってたかって、エリック・バードンへの熱い恋心を止められたことが、脳裏に浮かぶ。

 

 

まあ、たしかに、デヴィッド・シルヴィアンの熱烈なファンだったことも あるのだし、われながら意外にも、「好みの幅が広い」とは言えそう?w

でも、男性一般に対する好き嫌いは、基本的には、わりと激しいほうなんですけどねえ、あたくしww

 

まじで立腹したら、ソッコー切り捨て、あとは振り返りもせず遁走、
「ほだされる」ということが ない性分なので、許すことも ない!w

こと、男性に対しての許容度は、かくのごとく、かなーり低いようだということも確かに言えそうなのは、自分でも認めざるを得ないww

それだけに、

この私にですよ、この私に好かれる男性と あらば、それだけキビシーい審査を くぐり抜けたemojiWinneremojiに等しいのですよ、ええ!()www

 

 

ほとんどの男性にとって、「悪女」は さて置き、一般的には、自分の母親の如くに温かく受け入れてくれる、許容度の高く広い女性こそが、最高に有難い存在でしょうね、知ってるわよw

知ってるけど、私には、その切ない需要を満たしてあげられない。。。
スマンね、どこまでも冷たい女でww

 

ま、かなりガンバってリハビリも してみたんだけどなあ(苦笑)

なんせ、父親で苦労した影響は大きいわ。。。(_)

 

ぶっちゃけ言って、
「伴侶」にするなら、ヒト族
よりも、犬emojiemoji猫ののほうが。。。
(苦笑)

どうしてもヒト族で、というなら、女性のほうが。。。ww

 

あ、平田 満さんとかは、数少ない例外だけどねemoji

 

 

いいかげんにして、真面目な話に戻ると。

近頃は、こういう驚きが増えたなあと、しみじみ思うのは、

特に、芸能界の人で、私が子どもの頃から、お茶の間のテレビで親しんでいた記憶のなかに、いつも若々しく、綺麗で、あるいはカッコよくて、という姿のままだったのが、

ある日、訃報を聞けば、その実年齢に驚くこと。

 

幼かった子どもが、すっかり大きくなったのを見れば、それだけ、自分がトシとったってことだ、というのは、昔から言いならわされているが、

親が亡くなったときと共通したものが あり、自分が子どもの頃から、よく見かけていた俳優さんなどが亡くなり、その年齢を知ったときも、やはり、自分もトシとったんだなあ。。。と思う。

 

 

『眠 狂四郎』の美男ぶり、まさに、「水も滴る」でしたねえ。

田村 正和さん、どうぞ安らかに。。。

 

 

最後に、話題がガラッと変わるのを お許しください。

ふと思い出したんだけど。

昔の時代劇で大スターの一人だったアラカンさん(嵐 寛寿郎氏)あたりの話では、場合によっては、撮影のとき、「真剣」を用いることも あったと、特に「大河内 傳次郎」さんは近眼だったから、よけいに恐かったとか言ってたらしいんだけど(苦笑)、それって本当なのかなぁと。

と言うのも、

私が中学時分の担任の先生が大学生の頃だったか若い頃に、何かの特別な機会が あって、「真剣」すなわち、ほんものの日本刀を手に持てるチャンスが あって、なにごとも経験とばかり、試しに持ってみたらば、手がブルッブル震えだしたと。

 

自分の眼の、すぐ真ん前に立てるように持ち上げた、本物の日本刀の刃から、ギラリと発してくる「妖気」みたいなものが漂って、

手に持ってるだけで、思わずブルブルブルブルと、
震えが止まらなくなっちゃったんだって。

 

 

私が子どもの頃、テレビ番組でのインタビューに大きな声で答えておられるのを見た記憶がハッキリ残ってるアラカンさんは、
えらく変わったオジイチャンやなあという印象が強烈だった()

 

そうそう、左卜全さんとかもねw

 

こんな感じの役者さんって、いまどきは、まずゼッタイに見当たらないよなあ。

いつの間にか、どこにも いなくなった。。。

 

片岡 千恵蔵さんあたりなら、見るからに「御大」「大御所」ってな雰囲気の堂々たる存在感は さすがの貫禄ながらも、アラカンさんたちに比べたら、まだ「普通の人」という感じだった()

 

往年の時代劇スターたちの描写がケッサクの、

林家木久蔵『彦六伝』

 
 

Updated   
2021.04.09 (Fri)

私が子ども時分に愛読していた『なぜだろう?なぜかしら?』的に()

 

学生の頃だったか、何かで読んだ説には、一種の「空気感染」みたいな、要するに、その場で共有している空気の状態が原因、とかいうことだったと憶えているのだが、たとえば、室温が高めであるとか、換気不足で、よどんでいるとか。

つまりは、生理的な反応ということだが、

先日、『ユーチュウブ』にて継続的に視聴していた『アンコール トム』周辺や、個人宅でペットとして飼われている猿の動画で、登場する猿たちがアクビすると、私も無意識的にアクビしていたという事実が あった。

自分でも、「ありゃ?今、わたし、アクビしたなあ」と、少し驚いた。

これを考察するに、

空気の状態とかでは なくて、この場合、私自身の眠気や疲労感も下地とした一種の「共感」といったことに近いのでは ないかなと思っていたら、同じような推論が載っていた。

ライオンでもあくびは伝染する、「集団の強化」がその理由 最新研究4/7() 18:11配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/9f44574365c0bb826eb89be0b4985641a00d1b99

 

そういえば、

何年か前に、とある役者の男性が、生まれて間もない お子さんを抱いているとき、その あかちゃんがアクビしたのに つられるように、おとうさんのほうも、自然とアクビしておられる写真を見かけたことが ある。

これと全く同じ光景で、
あかんぼうだった頃の私を抱いている うちの母親が、私と一緒にアクビしているところを とらえた写真が あるのを思い出した。

これは、親側自身がアクビしたくて したのでは なく、言わば、あかんぼうの表情の動きそのものを真似るような しぐさだった。
「おや、あくびしたね、おお、よしよしemoji
という感じ。

 

心理学的には、基本的に好意を持っている相手の しぐさなどを、なんとなく真似る傾向が あるらしいのだが、これを意識的に行なうことで、相手にアピールすることが できるとかいう説も あった。