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とりあえず、ひかりのくに
     
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2021.12.01 (Wed)

大島紬製造現場に暗雲 染料材シャリンバイの採取者が不足奄美の南海日日新聞11/28() 13:02

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ce67aefdda6e074c204f3b668c8db7ccf0536da

 

ほんとうに、女性でも、和服を着ている人ってのが、お正月にさえ見かけなくなって久しい。

かく言う私も、実家を出てからは年々、季節行事の類も疎かになる一方で、

幼い時分から、(父親違いの姉の「お下がり」だった)振り袖に「コッポリ」履いて、ティーンに さしかかった頃からは『京友禅』に「桃割れ」結って、日本の お正月情緒に浸っていたものであったはずが、それも、母親が元気だった頃まで。

 

なんせ、自分一人で着られない、これが最大のネック。

そのうえ、和服特有の決まり事とか、着たあとの始末等々を考えただけで、着る気が失せる。

振り返れば、母親の葬儀以来、はや、かれこれ数十年近くに わたって、和服を着ていないのだ。

もちろん、ちっとも困らん。むしろ、ただ保管中にも注意を怠っては いけないのがメンドクサい。

 

元気な頃の母親が、時おり、虫干しを兼ねた和箪笥総ざらえとばかり、一枚ずつ、畳(たとう)紙から取り出しては、それぞれの着物や帯を確認し始めると、私も自然と近づいていって、職人や材の不足による希少性だとか手入れ方法とか、母親による解説を、あらためて、ひとくさり聞かされ、それから、母娘ならんでの、しばしウットリ鑑賞タイム。

あの頃は、虫干しやシミ、汚れのチェックなどを、めんどくさいものと考えたことすら なかったのに。

母親にとって、なかには思いきって買った高価なものも あるので、それらの細かい作業をメンドウに思っている感じを微塵も出さなかったというか、むしろ、「至福の ひととき」だったからだろう。

 

思うに、

自分の好きなもの、価値あると信じられるものを引き継がせたい相手を持つことは、幸せなことなのだろう。

 

 

ン十年前、私が二十歳代の頃までは、さすがに、お正月となれば、男性の和服姿も、そんなにまで珍しいものでなかったし、

うちの親父なんかは、私の母親が、自分のものを新調するついでだったのだろうか、懇意にしていた京都の老舗の呉服屋さんで誂えた、多分「総裏」だか「胴裏」ってやつを、殊のほか気に入っていたらしい。

カルタか何かをモチーフにした古典柄で、男性用に ふさわしい渋い色調だった。けっこう、お値段も張ったそうな。

それが、結婚に関連しての行事だったか、あるときに、兄が、和服を着ることになったからと、親父に無断で、母親が兄に貸したままになっていた。

 

さあ、新年を迎え、久しぶりに和服で外出をと、ウキウキ張りきった親父は、お気に入りの「胴裏」が見当たらないので、たちまち おかんむり。

この話も、旧ブログで披露した記憶が あるのだが、

自分の知らない間に、大事な「胴裏」が、倅のところへ取り込まれたままになっていたと知った親父は、

「俺の胴裏を返せー!!」と激怒w

 

あんまり騒ぐもんだから、私も呆気に取られて眺めていたのを憶えているが、

貸した母親も同じく呆れはてて、

「アンタな、自分の息子に取られた取られた、返せ返せって、胴裏ごときで大騒ぎするようなことかいな、あほらしい」

と、諌めていた。

結局、親父は、その大事な、お気に入りの胴裏を、息子から取り返して、やっと、気が済んだらしい。

二度と、貸すこともなかったようだww

 

 

さて、

まず第一には、『大島紬』だろうが、なんなら化繊の「二部式・ワンタッチ・簡易式着物」であろうと、そもそも、およそ和服を着る気になるか?ってこと。

 

現代人のライフ スタイルでは、和服は、とかく、活動しにくいのが現実だ。

和服を着て、帯を締め、草履や下駄を履いて、あの満員の通勤電車に乗れるか?

 

そもそも、一人でチャチャッと着られない、

着たら着たで、事後、いろいろなメンテナンスに注力を要する。

 

草履もね、普段から履き慣れてないと、かなり痛いよ。

 

うちの母親なんかは、若い頃から好きで着慣れてるから、和服や草履のほうがラクなくらいだと言ってたけど。たしかに、和食店を営んでいた頃も、民謡の教室運営や行事のときも、和服姿が多かった。

それでも、いよいよ病身となった晩年は、和服を着ることは皆無となっていった。

 

和服って、現代では、「道楽」とか「好事家」「趣味人」のものという印象が つよくなっている。珍しく和服の人を見たら、何かの お稽古事を やってるのかなと思うことも多い。

叔母も、お茶席に出たりで、和服を着る機会が多く、うちの身内のなかでは「おバカ」で通っていたのにw意外なことには、自分でも着付けの免状を持っていたようだ。

 

 

いまでも圧倒的に絹地が多いだろうから、雨に濡れたり、汗かいたからって、洗濯ジャブジャブは不可、かと言って、下手なクリーニングには出せないし、昔ながらの「洗い張り」だの「丸洗い」だの仕立て直しも必要になってくるし、自宅で保管するにも、箪笥の材質やら防虫やら虫干しやらと、何かと手間が かかり、気も遣う。

 

 

ちなみに、

どこかの福祉系サイトで見かけたことが あるのだが、

とある大手クリーニング工場では、作業所から出向の かたちにした障碍者を、最賃以下の時給で長時間コキ使っていると、怒っている親御さんも いるようだ。

 

じつは私、
娘の障碍を無視したくてしょうがない母親の言いなりに入った専門学校(少なくとも平均的聴力が必須な学校w)を卒業する頃、障碍が あるので、事務職にしろ営業にしろ普通の会社に就職するには難しいかも、と考え、絵を描いたりするのは好きなので、和服の生地の図案を描く職人になろうかと考えたりもした。実際に、つて(懇意にしていた呉服屋さん)を頼って、現場の人の話を伺ってみたら、この仕事は、当時でも、地方の田舎から出て来ている若い人が殆どで、集団で寮生活していて、お給料は少ないということだった。

他にも、

本当の志望の一つはジャーナリストだったので、とりあえず、スポーツ系などの新聞記者として始めてみる気が あれば、紹介してあげるよという話もあったけれど、
喫茶店ウェイトレスのアルバイトですら、お客の注文を聞き取るのに難儀したことを考えて、無理だろうなあと諦めたことも ある。

 

 

さて置き、

うちでも、着物道楽だった母親や叔母が遺した和服を何枚も保管しているのだが、これでも、ぐぐぐーっと減らしたのだ。

華やかさ満点の「総絞り」やら、涼し気で綺麗な色合いの「夏大島」やら、洋服にでもリフォームしてもらうしかないかなぁと当初は考えていたものの、その費用の余裕もないわ。

正直、金のインゴットとかを遺してくれたほうが、よっぽど助かるってもんだぜw

 

叔母の分は、家が一軒建つだろうと言われたくらい、高価なものが夥しく遺されていたのだけれど、

あいにく、私には、和服を着る趣味も習慣もないし、

そのうえ、おデブだった母親のものは、丈は、なんとか調節できても、幅がブカブカ。

おチビだった叔母のは、幅は、まあ なんとかでも、丈が全然、無理。

わたしゃ、もともと、日本女性としては高身長で、スマート体型だからね。

 

いまでは、生前の母親や叔母なんかよりも、よっぽど、ものを知ってると言えるようになった私だが、

あの当時は、まだ、こういった方面の世事に疎かった私は、

ネットでテキトーに探して、和服買取業者に来てもらい、どさどさ取り出して、ほぼ片っ端から売ろうとしたら、さすがに言われた。

「買ったら、なかなか高価なものばかりですよ?少しは残しておかれたら」と。

でも、ほんとにテキトーな値段で持って帰ってもらった。

あの業者さん、さぞ、ほくほくだったろう。

 

 

母親に次いで叔母が亡くなったとき、新幹線や飛行機に乗らなきゃいけない遠方まで、仕事を辞めて、叔母の家を かたづけに行き、特に大量に残された和服に仰天し、まずは、本人が住んでいた地域の福祉バザーに、親しくしていた人のツテを頼んで、ミンクのコートや何かも一緒に運んでいってもらったのだが(完全に、ただで譲り渡し)、それでも なお大量に残り、そのなかから、私自身の好みとか、母親を通して持っていた知識によって選り分けたものだけを、私の実家に運び込んで、自分の生活や体調とか仕事もあるので、つい、そのままになっていたら、

いつまで置いとくつもりだ?と、当時は、まだ元気だった親父にブーブー言われたので、実家に通って、整理したというわけ。

もちろん、親父は、値打ちなんぞには全くの無知だった。

 

そこから、やがて親父も亡くなり、その直後、近所の人もフシギがるような不可解な現象が起きたりしたあげく(この話も、いつか詳しく書くかもね、お楽しみにw)
やっとの思いで、私んちの狭い自宅へ運び込んで以来、

亡母の生前、私のは いらないよ!と言ってるのに、勝手に拵えた「紋付色無地」なども保管している和箪笥のなかには、母親の友人、知人らが頻りに欲しがっていた『大島紬』も含まれている。

 

いかにも南国のものらしいと言うか、一見して、ちょっと、蛇のウロコ模様を連想させる『大島紬』。

地味ながら、その特筆すべきは、感触、肌触りの素晴らしさだ。

肌に沿う特有の柔らかさ、それでいて、サラッとしている感触も独特で、私個人的には、ぶっちゃけ、ねまきとか肌着だったらな、と思うくらい。

でも、和服だからねえ。

 

【続く】

 

 

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