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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.12.02 (Thu)

伝統、技術、工芸そして和服――モノの価値とは。の続き。

 

敢えての「侘び寂び」精神ってやつだろうか、これって、実は、むしろ裕福者の道楽なのである。

いわゆる「玄人うけ」「通好み」な『大島紬』は、「泥染め」とも言うだけ あって、ほんとうに地味。

本来は労働着みたいなもので、言わば「ジーパン」に相当するかな。
「Tシャツ」も、もとは下着だったという。

日本の浴衣、古くは「小袖」も、そんなところだったらしいが、
やはり、結局は、よりラクで動きやすいものが勝ったということだろうか。

そういう実用性を放棄しても残るとしたら、
それとは全く異なるところに価値を見い出され、残しているわけだろうが、
ただ、よほどの機会が なければ、出番も ない。もしかしたら永久に。

こうなると、一切の日常からは切り離し、博物館入りしかないね。

 

 

たしかに、こんにちでは、あらゆる装いのルールもタブーさえも変化している面は多いだろう。

けれど、和服ならではの約束事やマナーも、まさに「伝統」の うちなのである。

 

 

昔は、たとえば「遊郭」(いまも一部地域で残ってるそうだが)とか「遊女」「女郎」って存在が あったそうだけれども、どんなに売れっ妓であろうと、なかでも「太夫」とか「花魁」っての?豪華絢爛な着物や簪やらで埋もれるほど着飾っていても、足は素足だ。

これには「粋」とかいう理由も あったそうだけど、
凍える真冬だろうが、どこまでも裸足なのだと。

 

もし、「粋」が本当の理由なら、18世紀頃のフランスの『エンパイア(帝政)様式』とかいう、シュミーズみたいなドレスを真冬になっても無理して着ていた、そのために、肺炎に かかって亡くなる女性が相次いだ、みたいな話を連想させるが、

私が若い頃、一緒にテレビの時代劇を見ていたとき、
母親が、ふと、私に向かって、

「おまえ、気が ついたか?」と言った。

 

赤貧洗うが如きビンボボ武士の妻女ですら、身なりは粗末でも、足袋は堂々と履くだろう。

だが、しょせんは「苦界」、「娼婦」、どんなに格式が高いとされる「太夫」や「花魁」でさえも、足は素足なんやで、足袋を履くことは許されん身分、そこが、武家などと違う、厳しい掟なんや、と。

うちの母親の解説が本当に正しいか否かは知らないけど、ちょっと似ているようでは ある。

 

 

要は、かけた金額それ自体なんかは二の次なのだ。

厳然と先んずる「ケジメ」がある、ってことらしい。

 

日本は昔から、特に「形式」を重んじる気風が、いまも濃い。

 

「ヤフコメ」投稿の一部に見られるように、

本来は労働着であったものを、値段が高額なんだからと、それに免じて、いわゆる「フォーマルな」場にも着ていけるということになれば、
すなわち、金額最優先になった、ということにも受け取れる。

ある意味、「成金趣味」とも言えよう。

 

すれば、

判断基準は飽くまでも金額の多寡、

「TPO」といった判断は、いっさい構うことなく、仕来りや約束事、マナー、それらの由来も何もかも無視、無知でも済むよね。

 

良いか悪いかは置いておいても、

そこで確実に消滅する、目に見えない「伝統」も あるわけで。

 

だから、

たとえば「『大島紬』を、フォーマルの場で着用して、なにが悪い?なんたって、値段が高いのだよ」

と主張していながら、

『大島紬』などの他にも、あらゆる「伝統」的物事を、税金を大いに投じてでも温存すべき!と論じるのは、根本的にヘンなのよ。わかるかな?w

 

なんか、『天皇制』『皇室制度』にも重なってくるねw

 

ついでにだけど、

最近、「ヤフゴミん」v.s「ヤフゴミん」でモメてる光景が増えてきてるがw
こういうとこでも、もはや『皇室』は、国民を分断している明白な現実、

まずは各メディア・マスコミ界が煽りまくって、自分たちの「飯のタネ」で あり、国家権力筋からの要請も あるのだろうから、陰に陽に、われわれ庶民国民をコントロールしようと画策しているのが鼻につくほど酷いのが分かる。

これは、週刊誌などの「お約束」、あからさまなゴシップ以上に、いちおう「信憑性が高い」「お堅い」とされる大手紙全体のほうが、むしろ、タチが悪いと思える。

 

そんなわけで、いまでは、ますます、おげれつネタの宝庫と化している『皇室』。

 

近頃、眞子さんの「エゴサーチ」も指摘されていたようだが、

加えて、何かと主導権を握りたがる御性格なのか、「お育ち」ゆえにか、ついつい、そんな姿勢になってしまうのか、こういったところは、ほんとうに、おばあさまの美智子さま譲りって感じね(苦笑)

 

でさ、

ある『ヤフゴミん』の、よく見かける内容では あるのだが、小室さん夫妻の、要は、今後の『皇室』への「喰い込み」を危惧するコメントに対して、

なぜか、ガシガシ反論・擁護しようとガンバる「ヤフゴミん小室派」側がw

「いったん『降嫁』した以上は、二度と『皇統譜』に戻ることは あり得ないのだ。『皇統譜』とは、常に一方向、一方通行のカタチでしか あり得ないルールだ」といった趣旨の反論を していて、
末尾で、「不勉強」だぞと、大いに嘲笑の ていだったのを見かけたが、

いや、ちょっと待った。

この問題については、むしろ、不勉強なのは、嘲笑した側の「ヤフゴミん」、オマエさんのほうだよ。

 

なぜかと言うと、

いわゆる『皇統譜』への復活は、単に結婚による「降嫁」などとは関係ない、『旧皇族』再帰をと、他ならぬ、現『宮』家のなかの人たち自身も支持しているからだ。

だから、
けっして、「荒唐無稽な妄想」と、一刀両断には言い切れまいわけ。

 

現代だからこそ、危うい所で留まっているのかもしれないが、
何度か指摘したように、大昔なら、権力争いの材料になりかねなかった「小室・眞子さん騒動」。

ましてや、ひとたび権力の座に就いた者の つごうや思惑による采配で、いくらでも「勝ち組」にすることが可能だった、そういう歴史だ。

 

いまのところ、一般国民の あいだでは、『旧皇族』復帰については嫌悪や反感が強い傾向らしいのだが、

ウカウカしていると、今後も、ますます『皇室』に投入される税金は増加する方向へ向かいかねない。

と言うのも、

最大にして最高の既得権益集団、まず『宮内庁』の官僚根性が腐っとるだけでなく、結局のところは、『皇室』『皇族』の人々だって、ご自分たちの都合が最優先なのだなということは、これまでの流れを見ていたら、察しは つく。

 

私は、『上皇』位を、あっさりと設けたのを見て、『皇室典範』なんて、意外なほど簡単に変えることが できるんだなと、けっこう驚いたものだ。

 

今回、『秋篠宮』さんも明言されたように、
「『皇室』の儀式というものの軽さ」という印象も、単なる印象では ないってことだろう。

『昭和天皇』も『香淳皇后』も、祭祀関係の儀式には、熱心でなく、かなり軽く考えていたようだし。

 

 

『秋篠宮』家へ、いわゆる「皇統」が移ることについて、危惧されているのも理解できるなあと思う、最近の記者会見の内容を少々聞いただけでもね。

 

かと言って、
またぞろ『皇室典範』を変更して、晴れて、愛子さんに「女性『天皇』」を、といっても、それは それで、あれや これや深い懸念は ある。

まず、愛子さんにだって、そんな重圧を背負いきれるのだろうか、という危惧。

 

彼女も、けっして、メンタル系が強いほうでは ないように思えるし。

環境が安定して提供されているかぎりに おいては ともかく、
ひとたび難題が起きて、内外に乱れを生じると、非常に苦しまれることと思う。

 

これからの『皇室』『皇族』は、ますます縮んでいくのであろうから、
愛子さんにとって、ご両親以外に、心底から安心、信用してアドバイスを得られる身内や側近の確保も困難になってくることは予想できよう。

 

 

第一、『皇室』ならではの最優先事項たる「伝統」であるところの「男系」。

「男系」で ひたすら遡って辿れば、最終的に『神武天皇』だっけ?
私はウロ覚えだけど、最終的な祖先に あたる特定の『天皇』に行きつけなくなるわけだよね。

 

【続く】

 

 

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