2021.07.17 (Sat)
『空に顔が あったってイイじゃないか?w』の続き。
(前掲記事文中から)
――「見る人に現実の不確かさを突き付けてきた」――
――「当たり前すぎて気づきにくいもの」。――
まさに、「当たり前」と思い込んで、些かも疑問を持たない者に、およそ「哲学」は無縁なのだが、
しかし、自分が良いと思い、有意義と考え、「快」を感じるからとて、他者に対し、問答無用に押し付け、強制して いいのかどうかということも、「哲学」としての追究に足り得る。
税金を費やす価値が あるのか否かについては さて置くが、
世のなか、「粒粒」形状が耐え難く、たとえばビーズで拵えた財布や人形などの小物とか、極端になると、盛られた御飯の粒粒を見るのも不快という人も いるらしい。
その場に いる人たちを否応なく巻き込むというパフォーマンスも、アートのうち、っていう考えかたも あるらしいよね。
子どもが泣くから、とか、トラウマが、との主張も多いようだが、だったら、秋田県だったか東北地方の『なまはげ』にも文句を言わないとなw
私なんか、子どもの頃に、『なまはげ』の話を知って、そういう風習のある地域に生まれなくて よかったぁと、心から思ったもんだww
それと、
『ねぶた』とか『ねぷた』とかいうのも あるよね。
あれだって、題材とか見ようによっては、おどろおどろしくて恐い感じするけどな。
ひとつクギを刺すようなことも言っておこうか。
先行エントリー冒頭に掲げた記事にて紹介されている「アート チーム」の人たちは、もともと、今回の『東京五輪』に関わる一環でのプロジェクトということらしいのか(違うのか、どうもハッキリしないのだけどw)、
相反する見方の どっちとも取れる、じつに「玉虫色」みたいなw尤もらしく、かつ難解なww彼らの発言にも、どうやら、そのあたりの事情と葛藤、思惑が透けて見えるような気は するw
つまりは、このインタビュー記事を掲載した『毎日新聞』のスタンスも透けて見えるわけだがww
「ヤフゴミ捨て場」に並ぶコメントの一見して大多数が、かなり激しい反感を示している傾向なのも、そのへんから来ているのかもしれない。
…
良いものは良い。
悪いものは悪い。
単純に、わかりやすいものも また、「当たり前すぎて気づきにくい」。
(自分にとって)心地良く入っていける作品も ある。もちろん、こういうのは、私も好きだ。
疲れて暗い気分だからこそ、ホッと癒され、明るい気分にさせてほしいという要望は理解し易いが、真逆も ある。
(自分が)どうにも辛くて、暗い気分のときに、ことさらパアッと明るいものなんて、見るのも むなしくて厭だ、という場合も ある。
圧倒的な「美」、また、迫力に抗い難く感じる作品も ある。
一目見て、吐き気を もよおすほどの醜悪を感じさせるものも ある。
思わず、眼を そむけるほど恐ろしくて醜悪なはずなのに、ジッと見入ってしまうことも ある。
一見、穏かな、ごく「当たり前」と思えるものに、しまつの悪い醜さが潜んでいることも ある。
昔、独特の作風で知られた、ある高名な画家に、子ども時分から懇意にしていたという、こちらも、のちに有名となった写真家が青年時代の頃、好きな絵を、どれでも持ち帰って いいですよ、と言われたので、それじゃ、これをと所望したところ、その画家に叱られた、と述懐していた話を読んだことを思い出した。
くだんの画家は、
「ぼくが若かった頃の、そんな綺麗な絵を欲しがるなんて!」
と、大いに怒ったのだそうな。
なぜか、ある詩人の作品も連想した。
…
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。