2023.03.06 (Mon)
最近ハマっている『山田五郎 オトナの教養講座』、
今回は、ウィリアム・ブレイクでした。
ブレイクは、てっきり、詩人が本職だと思っていたけれど、その詩作品にしても、かなり難解だし、絵はグロテスクでバッチイ感じのが多いようで、
ぶっちゃけ、私は、ブレイクの どこが、そんなにもイイんだ?と思っていた。
ピカソ大キライだった親父なんかは、ウィリアム・ブレイクだと、どのような反応を示しただろうか、それは、ルソーに対する反応を予測するよりも難しいw
ただ、どちらにせよ、少なくとも、好きでは なかっただろうなとは思う。
ブレイクなどに比べたら、よっぽど悪いやつを実行してたクチだったけどね、親父はw
ブレイクと同時代人で、共に『ロマン主義』の先駆者にして、実際に親しかったというフュースリ、
私個人的には、フュースリのほうが、だんぜん好みなのだが、
特に、妖精を題材にしたブレイクの作品は、一見してフュースリを連想した。
しかし、ブレイクの場合、実は、ばりばりアカデミックな絵画教育を受けたという経歴のわりに、それを感じさせないね。むしろ、ある種の軽妙さすら漂っている。
この前の先日、視聴したのは、ゲリシトルじゃなくて、、、ゲルストルさんだっけ、
この人の場合も、若死に(自殺だったか)で非常に短命だったそうで、
作品数も限られているせいか、私も初めて知った画家さんでしたが、
ブレイクにしてもフュースリにしても、あるいはゲルストルにしても、ある面、現代的な、イラストチックなセンスが共通してると思う。
つまり、ブレイクでさえ、いわゆるアカデミック臭が ないわけ。
ゲルストルの、わははと笑ってる顔の自画像、
あれなんかは、それこそ、Tシャツにプリントしたらウケるんじゃないかしら(笑)
で、ここから、少し真面目な考察に入るんだけど、
ブレイクの巻を視聴していて、あらためて、つくづく思うには、
一般的に宗教という、多かれ少なかれ体系的に築きあげられるヒエラルキー世界は、やはり、男性が好むところのものだなあと。
そうして、
宗教は、古今東西、これも特に男性の多くが好むところの戦争の、一大要因で あり続けている。
さて、
このテの話、うちのブログで、どこまで述べたことが あったか、自分でもハッキリとは憶えてないんだけど、
興味深いことに、うちの母親は、脳に異常性が あったこと、私の観察に おいても、おそらく『癲癇』などの潜在的遺伝が あったように思うこと、母方の叔母も、晩年に入る頃から、精神疾患を抱えるようになっていたこと、これらのことは、うちのブログの読者さんのなかには、すでに読んでいて、知ってる人も いらっしゃるかもしれない。
とりわけ、うちの母親が、幼少時から、ご近所でも有名な「霊感少女」として知られていたということ、本人自身も、そういう方面の経験・体験を重ねてきていて、
なかには、私自身も、長じてのち、身近でリアルタイムに見たり聞かされたりした出来事も あるので、私自身のことも含め、ふしぎな、奇々怪々な出来事の経験・体験を、そのうちには披露しようかなとは思っているのだけれど、
ただし、
うちの母親は、ここの自覚アリなのかナシなのか不明なままなのだが、時々、平気で嘘を言ったり、作話を述べたり、他からのパクりも やる人だったのよ。
それらも また、私自身がトシくってから、いろいろと、少しずつ気づいていったことなんだけどね。
もちろん、もともとマザコンで、単純な気質の私は、20歳代くらいのうちまでは、ほぼ盲目的に、母親の話を真に受けていたわけ。
とりあえず、
『山田五郎 オトナの教養講座』で言及された「見えちゃう人」っていうのが、いわゆるオカルトとか霊感とか、そういう方面の能力を備えているという話であれば、ブレイクの場合、そっちのほうでは ないように思う、たぶん。
もっとも、山田五郎さん御自身は、薄々にせよ、わかっておられるように思うんだけれど、コメント欄を眺めていると、やはり、わかってなさそうな一般人たちも多いようなのでね。そのくせ、わかったような尤もらしいことを言うw
むしろ、ブレイクは、私のほうと少し近いのでは なかろうかというのは、
殊のほか「ビジュアル イメージ」が豊かで鮮明なのね。それも、確信的なまでに。
やはり、さすがに画家だけあって、この事物は、こうに違いない!こうでなければ ならない!というくらいの強さで。
どこか他の所で、たまたま目にしただけの、他者によるイメージでも、
それが、自己の内部でシックリきたものであれば、そのまんま、自分の吐き出すイメージとして用いてしまう。
ブレイクの、いわく「見えちゃう」というのも、そういうことなんだと思う。
小説とかを読んでも、つまらない、楽しめないというタイプの人が時には いるもんだけど、
そういう人は、文章を読んでも、ただ、文字の羅列でしかなく、そこからイメージが広がっていかないというのね。
私なんかは、そのシーンごとに、全体の情景は勿論、登場人物の風貌から身なりから声や しゃべりかたの感じまで、ありありと思い浮かべてしまうんだけど、だからこそ、小説のなかへ没頭できる楽しみ、醍醐味も あるわけよ。それがカラッキシないのなら、そりゃツマランわよね。
この人の存在も、私は知らないままでいたんだけど、なんと、日本でも、すでに明治時代から知られていたらしい。
そんな昔の感じの作風じゃないわよね、この画家も。こちらも、軽妙なイラストチックなセンスを感じさせる。
時間が なくて、ざっと流しつつの視聴なので、こまかいところは端折るけど、
この人の場合も、親の代から大変な お金持ちで、おとうさんが、思いがけず早く亡くなったゆえ、ロップス氏は、ごく若いうちの莫大な遺産相続によって、自分自身も大金持ちになれたそうなんだけど、その おかげで、女性関係も やりたいほうだい、という、典型的な男性の夢を叶える放蕩的、デカダン的な人生だったらしい。
たとえば、
本妻と、その子が ありながら、とある姉妹の両方とも性的関係を結び、そのあいだの子も儲けたりしていたそうなんだけど、
まあ、カネあればこそ、だわな。
私が、「露悪」を奨励してやまなかったというロップス氏を前にしたら、
このように言い放つだろう。
「ぺんぺん草とて1本だに生えない、赤貧洗うが如しの生活だったら、こうは できなかったのじゃない?」
「あなたは自分勝手に好きほうだいで大満足できたわけだけど、奥さんや愛人たちも、あなたに負けず劣らずな身勝手、放蕩、デカダンぶりで あったなら、太っ腹に受け入れられましたかねえ?」
と。
加えて、
彼の作品の一つを見て、もよおした不快感とともに、
「悪いタネ撒きちらかして悦ぶのは やめい!!」
と怒鳴っちゃうかもw
だって私はね、
幼い頃から、おとなたちのドロドロした汚いものを、いやというほど見せつけられて育ってるから、もう、おなかいっぱいなの。
ただね、
このロップス氏、正妻さんたちは本宅(←お城なんだって!)に ほったらかしだったとしても、唸るほどの大金持ちだから、愛人である姉妹たちも同じく、生活は しごく豊かに、最後まで、めんどうみてあげてたらしい。
画家として自分の仕事にも励み、熱心に取り組み、それが また、大いに稼ぎを呼んだという。
決して、根は不真面目というタイプじゃなかったんでは なかろうか。
だいたい、貧しい姉妹を両方とも引き取って、捨てることなく養ったというのは、さしづめ、『イスラム教』あたりでは、お手本とするところじゃないの?w
ただ、作品そのものについては、あくまでも私個人的に、好みの作風では ない。
私は、グロテスクとか陰気とかバッチイ系が苦手なので。
それでも、フランシス・ベーコンなどの作品を初めて見たときは、つい、まじまじと見つめてしまったし、いまでも、そういう傾向は あるんだけどね。
陰惨な作風でも、どこかしら美的なものを少しでも見受けられたなら、けっして心底からキライでは ない。
あるいは、
もしかしたら、
「自分にないものだからこそ、求めたり憧れたりするもの」
という説が妥当だとするならば、
根が真面目で、おとなしく平凡なタイプほど、いわゆる「危険な男」やら「悪女」タイプに魅かれるのとは真逆で、
それこそ、自分自身が不真面目でデカダンなタイプだからこそ嫌うのである、と言えるのかもしれないw
たしかに、私は不真面目かもしれないが
ww
はて??どうでしょうか?(苦笑)
2023.02.26 (Sun)
太宰 治:
「死ぬ気で恋愛してみないかい?」(キラ~ン)
私:
「やーよ。あたしゃ まだ死にたくないわ。死にたいなら、あなた一人で死ねばエエやん」
…冷酷な女です(苦笑)
私の場合はね、好きな人、愛する人が傍にいるのならば、
「何が あっても蹴散らかして、あたしたちだけは二人で生きていこうね!!」
って感じになると思うの(笑)
なので、
ハレタ ホレタでスッタモンダの果て、深刻至極に陥っちゃってさ、
〽世間に負けたぁ~
二人で死のうか、なんてイジイジ言われようもんなら、
「おらおらぁ~!!なに湿っぽいこと言うてけつかる!!」
って喝を入れちゃうと思うw
ほんと、色気なしやなww
自分でも認めざるを得んわ(苦笑)
従兄にも、つき合った男らにも言われたことを思い出します。
「おまえは強いからなあ」
「一人で生きていけるやろ」
…それは違う!違う!!ちゃうねん!!!
いくら否定しても、とりあってくれなかった男たち。。。
ちっ!!w
さてと、
『鎌倉文学館の展示で「文豪の愛」堪能を 4年間の改修休館前に企画』朝日新聞デジタル(地域)
この記事を目にしまして、
旧ブログ当時、太宰と、彼との恋愛関係にあった女性たちについての記事を読んだとき、いろいろと感想を述べたことが あったのを思い出したわけだけど、
近頃も、太宰を めぐっての恋愛の鞘当ての如き経緯に おいて、
「戦闘開始!!」
とて、
女性たちのうちの一人が、闘志も あらわに、日記に書き綴っていたというエピソードを読み、
あらゆる面で、こんにちの私らよりも不自由な、厳しい境遇に置かれていた、はずの、『明治』や『昭和』始め頃の女性たちの大胆不敵さ、剛毅さ、
やりたいように自由にやってるように見えながらも、みずからの選んだとおり、好きなようにやってるように見えながらも、その実、いろいろの不満や文句が多いようであり、それでも思考は浅く、フニャフニャと迎合して、弱っちいだけのような、カネか男かに搦め捕られ、自分の子一人すら守れない、だらしない体たらくが目立つような、現代日本の女たちとは異なった、はるかに激しい気性ぶりを垣間見て圧倒される感を覚えた しだい。
…
鎌倉は、すてきな所でした。また、『江ノ電』乗って、行きたいなあ。
ところで、
山田五郎氏の『オトナの教養講座』を視聴していて、つくづく思うのは、
やっぱり、「歌は世に連れ」と同じく、芸術・芸術家も また、そうなのであり、時代と俗世間から無関係では いられないのであるということ、
それと、女性関係に問題が多かった画家がチラホラいるんだなあってこと。
やっぱり、えぐい人、もとい、エゴイスト タイプが多いのかしら?
振り返ると、フシギなことに、私は、そういう、女性との あいだで大きな問題を起こしていた画家の作品には、どういうものか、あまり、食指が動かなかった傾向。
もちろん、その画家個人の人間関係のことなどを知っていたわけでは ないのだが、
いつかも述べたことが あるように、
シーレとか(私は聴覚障碍なので、字幕機能を利用することが多いんだけど、日本語の字幕では、「仕入れ」と出てくるよw)、ムンクとか、その他も、いずれ、たいへん有名な代表的作品で あっても、なんとなく俗な計算っぽさと、その裏に漂っているナルシスト臭みたいなものを感じたりもして、もちろん、そもそもから、たぐいまれな描写力とセンスを備えているのは よく分かるので、けっして、きらいというわけでは ないけれども、敢えて どちらかと言えば、それほどには興味を持てないままで いた。
うちの親父もさ、家庭環境や時代が許してたら、画家の道へ進んでたかもしれないんだけど、
実の生家は非常に裕福だったのに、わざわざ、貧乏な伯母夫婦の養子にさせられたとは言え、親父の場合も、損したと同じくらいには、ヘンなところでトクしてたと言うのか、命拾いしていて。
家柄の おかげで、戦地には行かずに済んだエリートだったので、あの時代は、ごく若かったことも あり、女性たちに特にモテモテで、
終戦後は、進駐軍とモメ事を起こしたり(←アメさんとの「掛け算事件」、ご存じのかたも いらっしゃるかもねw
『衣替えしただけの「新・自由主義」?』
『【続】なんだかんだ言って『自民党』を擁護(嗤)』)、
21や22歳の若造の身で、帰郷した地元の議員になったり、
育った千葉から生家のある大阪へ出てきて、全く畑違いの方面で仕事に就いたりと、
それなりに苦労して、アップ ダウン激しい人生では あったものの、
総じて、な~ぜ~か、女性たちに好かれていた。
同性にも好かれやすい傾向だったようだがw
ま、いわゆる「外ヅラ」が良かったというか、チョーシが よかったのよねww
そのくせ、突然ブチ切れて凶悪化したりするから、なんか、よくワカラン性質だったけどwww
なんだかんだ言って、うちの親父も、本人自身は、
損ばかりしてきた俺カワイソ―!!
とか思ってたんだろうけど、なんのなんの、
けっこう、やりたいほうだい やれてたわけさ。
私は、子ども時分から、
「ブ男、ケチ、酒癖わるい、こんなDV野郎の、どこがイイんだよ?」
と思うばかりだったが、どっこい、娘の私ただ一人を除いてw、母や姉らも含めた女性たちにモテていた。
父母は年がら年じゅう、殺し合いが始まるんじゃないかと、子らが怯えるほどの激烈な夫婦ゲンカを繰り返していたが、それでも。
アッチのほうは離れられないんだよねえ、執着し合ってるんだわねえ(嗤)
さすが、デキちゃったド修羅場のダブル不倫ですわねえw
けっ鬱陶しいったら ありゃしねえわ。
んで、話を戻すと、
『歴史を騒がせた女たち』という本を、高校時代に読んでいたことを思い出し、先日のエントリー『最近の私の日常の一部と、各所感。』で、そのことを述べてから少しあとに、著者である永井路子氏が亡くなられたという記事が出た。
それで思い出していたのが、海音寺潮五郎先生の おコトバ。
「わし、あの二人(←永井路子氏と杉本苑子氏のこと)、どっちが誰だかサッパリ分からんのぢゃ」
このように言われたことが あったと、当の永井氏が おっしゃっていて、
この話を聞かせたら、くっくっくっと、こらえきれないようすで笑いを洩らしていた うちの母親。
ちなみに、
旧『国鉄』が民営化されたあと分かれた『JR』各社のうち、西だか東海だったか それぞれの社長さんどうしが、すごく仲わるいんだってよ、という話を したときも、けっこう意地悪な面が あった母親は、何やら嬉しそうにクックックと、しのび笑っていたものだ。
他には、、、と、
そうそう、「火葬後の御骨」に関する話題で、「のどぼとけ」が どうたらいうのが あった。
私も、親や叔母らで何度か経験済みだから、また思い出したんだけど、
うちの母親のときもね、「のどぼとけ」が、たいそうリッパだ!っていうんで、皆が感心してた。
私は、母親のが初体験だったから、へえ~としか思わなかったけど、
ただ、
「生前の行いが立派だったから、のどぼとけもリッパ」というのは、全然ちがうと思うよw
あのとき、「こんなキレイな のどぼとけ、俺も初めて見た」と驚いていた父親も、
「あれだけの持病持ちの薬漬けだったわりに、骨は じょうぶだったんだなあ」
からだが弱かったなんて、嘘だったんじゃないかぁ?
とまで言ってたけどw
たしかに、生まれつき病弱だったと言うわりには、暑苦しいくらいエネルギッシュな性格だったし、何よりも、健啖家だったからね、やっぱり、骨なんかが じょうぶだったというのは あるのかも。
それと、声が良く通るし、歌唱力も優れていたのよね。
そして、これだけは断言できるぞw
生前の行いと、「のどぼとけ」のリッパさには、何の関係も ない、ということを。
うちの母親は、すごく頑張り屋なところは あったし、なかなか正義感も あり、逆境や苦労のなかで良いことも してきたと思う。
しかしながら、
ほんとうにエゴイストで、だらしない面も あったし、
人としても親としても、許されないこと、悪いことも やってきてたのは、虐待児である娘の私が、よーく知ってるからねww
【続く】
2023.02.05 (Sun)
『教育も敗北した日本。』の続き。
まあ、隣が女性でも、同棲を始めた男のほうの行儀が悪くて、たちまち騒音に悩まされる日々となり、たまりかねて苦情を言ったら、あべこべに、こっちを酷く罵ってきたということも あったので、たとえ、女性側は、せっかく おとなしくしていても、やっぱり、連れの男が大迷惑だったりする。
うちの母親は、
「そもそも、自分の城に、男に自由に入り込ませるような女はダメ」
と、言い切っていたものだが。
自分の子を、男が虐待する生贄の対象に捧げるような、いわゆる「シンママ」の目立つ世情も あり、世の「シンママ」さんたちも、重々、心すべきところだろう。
さてと、
私は、学校時分に、
世のなかの男性が全員、ホモ(男性同性愛)になってくれたら、私ら女性は、その分、平和に安心して暮らせるんじゃなかろうか、などとまで思っていたものだw
ただ、
私自身も、子どもの頃、同性からの性的被害も一度ならず経験している。
しかも、「ふつうに異性愛」指向・志向の女性だ。
当時としても、やや早めの20歳代前半で結婚し、子どもも年子で、早く できた。
そうした出来事から考察するに、
女性であっても、性欲が殊のほか激しいタイプの者は いる。
どういうものか、ものごとの考えかたや思考が、みょうに俗悪で、心理面にも、殊更な被害意識など、偏り傾向が見受けられ、専門医からも、脳や性格に異常レベルという診断が下されていたりする。
そして、女性でありながら、性欲、その方面の とらわれや拘りが、一般的な女性以上に激しい傾向の者は、そこのところで、男性一般と近いようでも ある。
先日のエントリーでも指摘しておいたように、そもそも、一口に同性愛と言っても、男性と、女性の それとは、どこかで多少、異なっているのだろうと、私は思っている。
なので、
男性どうしでは、基本的に、瞬発力や腕力などが互角になるわけなので、多くの女性が、男性一般に対して持つ警戒心と似たような構えに なってしまうのか、そのために、女性の同性愛に対するよりも、男性の同性愛に対しては、「異性愛指向・志向」の男性側の嫌悪や反発が、格段に激しい傾向になるのかな、とも思う。
単なる視覚からの刺激でも、女性以上に興奮し易い傾向である男性の場合、恋愛感情は全く持っていないからといっても、同性愛指向の男性が、たとえば、同性の裸体を目の当たりにするような場に おいても、何らの性的興奮も起こさないのかといったことは、正直言って、女性である私には分からない。
そのへんは、学問的、臨床的にも分析が必要なのかもしれない。
女性であろうが男性であろうが、等しく同性愛や同性婚の権利を認めていくためには、
特に、異性愛指向・志向側の男性たちの警戒と反発が激しくて、それが根強い妨げとなっているのであれば。
障碍者という少数存在も そうだが、
大多数の者とは異なる者は、やはり、みずからの側にも、慎重さと配慮は必要にならざるを得ない。それは現実だ。自分を守るために。
まあ、私自身は、無理やりというのが、何によらずキライなので、どんな立場に立つ者であろうが、他者に無理強いするのが大好きな、エゴのカタマリの如き者には一切、くみしない。
どんな立場に立つ者であろうが、だ!
なお、付け加えておくが、
近頃の性犯罪に おいて伴う、盗撮の事案の夥しさよ。
これは、そういった盗撮の投稿サイトが大いに絡んでいるのでは ないのかね。
そういうところに投稿することで、多少なりカネになったりするらしいし。
とんだ「趣味と実益」だわな。
当局は、そのあたりの検証や摘発も しているのだろうか?
それとね。
女性に、「ハゲ」とか「おっさん、キモチ悪い」とかと、容姿や年齢のことに絡めて罵られるのは許せないと思うのなら、女性の それを嘲笑するのは やめなさい。
女性の年齢や容姿のことを殊更に言いたがるのは、むしろ男性のほうでしょ。
昔から そんなだから、経済や生活力が上がってきたら、女性側もズケズケ言い返すようになるんだわ。
全体に見渡してごらん。
どんだけブサイクな、そうとうトシいった男とでも、結婚し、子を産む女性はアタリマエに多かった。
男性は どうか?
自分よりも少し年上というだけでも拒絶する男は多いでしょ。
許容度が高いというのか、まあ、しかたなく受け入れてきたのは、圧倒的に、女性側でしょうが。
昔はね、女性の経済自立力が概ね乏しかったから尚更だ。
私なんか、こと男性に関しては、受け入れ範囲が狭いほうなのでwうちの身内でも他人さまのカップルでも、見ていて、
「まあ、ああいうのとでも ひっつくことが平気なんて、すごく大らかなんだわなあー」
と、感心さえ することが多いよ?w
ま、「迷惑」がー「実害」がーというのであれば、それこそ「異性愛指向・志向」の男が最多に もたらしているのだし、
また、
「不倫」のほうが よっぽど、婚姻制度に逆らっており、傍迷惑そのものだし、ほぼ確実に、身近の誰かを悲しませるでしょ。
特に、否応なく巻き込まれる子どもは不愉快な思いを させられることが多いし、
結局、誰も幸せにならないまま、最後までエゴとエゴの ぶつかり合いで終わったりするのは、「不倫」の当事者である身内を一人ならず持った私自身から見た実感ですわ。悪しからず。
2023.01.31 (Tue)
『最近のニュースから――猿と虚無とチョコレート』より続く。
それと、
そもそも猿の一種である人間も、そういう価値観を継続して持っていることが、この現代になっても見られるけれど、
お猿さんにとっても、子どもを持つということは、一種のミエやステイタスみたいなもんで、さしづめ、「子を持って一人前」というふうな価値観を持ってる感じは するのよね(苦笑)
だから、生殖可能な年頃になっても、まだ出産・育児経験が ないとか、せっかく産んだばかりの子を亡くしたなどの場合に、隙あらば、他の猿が産んだ子を奪い去ったり、それどころか、周辺の民家から、ペットの子犬や子猫を さらってきて、自分で母乳を与えられやしないのだから、だんだん弱らせて死なせたり、抱きかかえたまま高い所へヒョイヒョイと上って落っことして死なせてしまうといったことも頻々と起きる。
猿という動物も、基本的に集団で生活しているので、人間も そうであるように、子孫の継続如何は、自分自身も一員として所属する集団・組織の存続と直結してるからね。
そして、「ボス猿」という存在が ある。
縄張り争いや敵対対象である他集団のオス猿と交尾する機会が意外に乏しいのも、それなりの理由が あるわけ。
ヒトの場合も、近親交配は、先天性障碍や病弱傾向の問題を引き起こしやすいことが知られているように、広く遺伝子の多様性が、生き残りを有利にする。
だが、ま、原初や太古の昔には、単体生殖・単為生殖・無性生殖アタリマエで、自分の遺伝子のみの次世代を産んでいたらしい。
でも、やがてのことに、そこへ異性、オスという存在が発生。
これは突然変異、言わば特化されている存在であり、だから、人間の男性に おいても顕著であるように、もとの脆弱さとは裏腹の、ばら撒く性欲や性衝動の激しさは、ほとんどの女性とは比べものにならない。
ことに性犯罪と暴力事件の割合が突出していることが事実として明らかなように、大概の世の男ってのは常に、性犯罪やらかしてるか、戦争してるか、または同時進行だ。
でも、欠点だけでは ないよねw
もちろん、いいことだけでは ないのだがww
もともと、脳みそが偏ってるだけあって、ある種の鋭敏さを備え、一般に、女性以上の業績も数多い。
というのは、男性の暴力性のもとで、多くの女性が、いろいろ不利な、抑圧された状況に置かれがちだった側面という歴史上の長きにわたる経緯も考慮すべきなのでは あろうが、
脳の偏り、異常が、ある種の「天才」的業績を もたらす事例も見受けられるように、
男性によって もたらされた、幾多の悲惨きわまる破壊と同時に、あらゆる文明の利器も もたらしている。
そこを どう考え、受けとめるかが難しいw
そもそも、それら一切合切、なくてイイような気もするんだけどさ。
しかしながら、生かさぬよう殺さぬよう、自然界は厳しいからね。
けっして、生きやすい世界では ないからこそだ。
私なんかは、
宇宙自体が醜悪で不要なのに、なんでワザワザ発生しちまったよ、
くらいの考えだからねww
どう?すごい虚無を抱えてるでしょ(苦笑)
ついでに、
板チョコレート特有の形状について、その理由が解説されている記事を読んで思い出したことを。
昔の『明治製菓』かな?『明治ホールディングス』さんにインタビューしたそうなんだけど、私も、いつだったか、あの溝などの形状は、消費者が食べるときに割りやすくするためなどのものでは ないという話、どこかで読んだ記憶が あったんだけど、製造上の理由が あることは分かっていても、詳しい内容は忘れてしまって、表面積を増やすことで均一に早く冷やし固めるためと(それによって、口溶けも良くなる)かつ、その後、型から外しやすくするためだったと、あらためて知り、そうだったよなあと思ったのだが、
今回の記事には、また どういうわけか、同じようなヘリクツいちゃもんを つけている「ヤフゴミん」が何人も並んでいて、なぜか、揃って同じ傾向なもんだから、またぞろ同一人が やってるのかいなとすら感じた。
あの「カルト連」と似てるんだよw
こんなクダランことを「仕事」で やってるとは信じ難いけど、例の『汚気・愚』なんかでは、とにかくスレッドを伸ばしてくれみたいな要請でも あるんかい?と思ったことも多かったのでね(嗤)
ところで、
うちの兄が大学生の頃の あるときに、小学生だった私を連れて、電車に乗り、降りた駅にて、売店のチョコレートを買ってやろうかと言ったことが あって、
ただし、それは、『明治』の板チョコなら買ってやるぞという、ヘンな条件付きなので、なんでや?と、ふしぎに思ったのだが、
兄の言うには、『明治』の板チョコこそは、ほんもののチョコレートの味だからだとかナントカと力説していて、それも また、なんでや?とフシギに思ったものだが、
ここは素直に従って、まずは買ってもらったw
あとで、その疑問を、うちの母親に話したところ、
かつて、中学生になったばかりの兄たちの継母となった、まだ若かった母親が、ある日、義理の息子に買い与えたチョコレートが、たまたま、『明治』の板チョコだったのだそうで、兄は、こんな美味しい、ほんもののチョコレートは初めて食べた!と大喜びし、それ以来、「チョコレートは明治♪」というコマーシャル ソングを地で行くようになったのだそうなw
兄は、いろいろとヘンな拘りが激しい性格だった。
ちなみに、
母が、兄たちと同居し始めた頃、バナナを与えたときは、
「おばちゃん(←私の母親のこと)、これどこから皮むいたらエエの?」
と、尋ねたそうな(苦笑)
母親は、よく、その話を笑いながら繰り返していたものだが、
私の母親と同居するまでは、あの だらしない酒乱親父のせいで、ろくなものを食べさせてもらってなかったらしい。
以後、たちまち教育ママゴンと化した母親は、塾に行かせる余裕もないかわりに、みずからが、兄の お尻を、鬼のように叩きまくって、地元の進学校へ入学させ、次いで、国立大にストレート合格させて、途中に、想定外の紆余曲折も あったものの、母親が計画した最終目的どおりに、教職公務員に就けさせたわけよ。
母親は、それが最大の自慢のタネ、同時に、エネルギーの殆どを費やし終えた。
そして、結局、兄は自殺した。
。。。
これも私が幼い頃のこと、
来客が手みやげに持って来てくれた高級チョコレートのなかには、いろいろな種類を詰め合わせたものが あって、それは、こんにちでも、そういう詰め合わせは あるけれども、あの当時のものは、とにかく大きな箱いっぱいに数多くズラリぎっしりと並んでいるので、箱を開けた瞬間の豪華さと迫力が すごかった。
他にも、スイスだったか外国製のチョコレートの想い出。
特に『白雪姫と7人の小人』の、小ぶりの箱ごとに異なる絵柄が色鮮やかにパッケージに描かれ、それらがワン セットになったものが大箱に納まっている製品。
ほんの子どもだったので、メーカーも確認していないが、いまだに忘れられず、ネットで探してみたことも あるのだけれど、どうしても見つからなかった。
誰か、ご存じないかしら。
(画像:『写真部』さんより お借りしました)
2023.01.26 (Thu)
思い出したので、ちょっと言っとくのは、
「結婚して、子どもも いるのに、今さらの『カミング アウト』」したっちゅう夫婦の事例について。
本当は、自分は男性では なくて、女性なんだと主張している男性が、じゃあ、なぜ、女性相手に恋愛感情を持って、結婚して、子どもを拵えたのか??と。
女性のはずなのに、男性の肉体を持つ自分なんて、
ずばり言うけど、「勃起」してる自分なんて、認めたくないはずなんじゃないの?と。
そりゃ、一見して、すごく ごつごうに思われても仕方ないだろうよ。
この私ですらも、ですねw
なんか近頃、あちこちで見かけるようになった こういうケースは、どう考えたら いいのかいなあと、ちょっと困惑の気分では あった。
なので、実際の事例というのを、それほどの関心も なかったままに
(だいたいの察しは ついてたから)、
いささかの好奇心と、より深い考察の参考にしようかなぁという、あまり感心できないと思われそうな動機で、実在の御夫婦のケースを覗いてみたんだけど。
ま、あれか、
肉体だけが男性、なかみは女性だと言うからには、
つまりは「レズビアン」の相手に愛されていたのと同様なのか!という、いわゆる「ノンケ」の妻にとっては大ショックってことかな?
でも、「遅過ぎカミング アウト」に至った、もと夫にしてみれば、もと妻が、いまでも大好きなんだなとは窺えるわよね。
私に言わせれば、
好き過ぎるくらいに大好きだからこそ、
自分も女性になりたいのと違うんかな?と思えた。
これ、いろんな事例で、わりと多いじゃないだろうか、
女性そのものを好き過ぎて、という心底の動機は。
べつにフシギとは思わないよ。
私の過去エントリーでも、何回か述べてます。
「なんせ女性は、男性の故郷(ふるさと)だからよ」ってことを(笑)
むろん、科学的な見解に おいてもだ。
日常レベルでも よくあることでしょ、特に若いうちほど顕著な傾向だけど、
男性でも女性でも、
ある人に対して、好き、リスペクトを感じるほど大好きになったら、その対象の真似を したい、自分も、そんなふうになってみたいし、同じように ふるまいたい、という、素朴な欲求。
わかりやすく、一言で言えば、
キライ、あるいは無関心の対象なのに、自分でワザワザ真似したいと思うか?
ってことだ。
これは、たとえば「男役」を演じる女性についても言えるはずだろう。
だから、手始めに、その対象が持っているもの、使っているものと同じものを、自分も入手して、使いたい、っていう、ちょっと子どもっぽいような傾向。
もと妻の下着と同じものを隠し持ってたという、それを発見した奥さんの告白を聞いて、そういうことだなあと思った。
もっとも、
まさか、よそから盗んで持ってきたのか?あるいは、他の女の?と、
血の気が ひく思いになってしまうわよね、その意味でも、奥さんの当初のショックは大きかったろうなと察する。
さて、本当の同性愛者は、異性っぽいタイプが好きとは限らない。
それどころか、
むしろ、いかにも同性の特徴がハッキリしている相手をこそ好む、というのは、私自身にも思い当たることなんだけど、
だから、男性の同性愛者なら、俗に言う「マッチョ」タイプとか、あるいは、自分に似た男性とか。
必ず限れることでは ないが、
ただ、私の場合、気が多いのかしらんけどw異性でも同性でも、わりと、いろんなタイプを好きになったし、しかしながら、男性と女性とを比べたら、女性のほうが、間口が広い。許容範囲が圧倒的に広い。
あえてコアを言えば、すでに述べてあるとおり、女っぽい、色っぽいくらいの女性が好みです。だからと言って、そんな極端なことは しないよ、世の男性に多く見受けられるようなイヤラシイことは ありません。
ほんとよ。これでも、いちおうは女性ですので。
ただ、
私が恋愛感情を向けた女性の殆どは、断固拒否ることが なかったし、けっこう受け入れてくれたというだけ。
むしろ、私のほうが、同性たちに「セクハラ」されたようなことが多かったぞ。
友人との旅行先で、一緒に おふろに入ったら、いやらしいムフフ笑いと、ねっちりした眼つきで見られたり、就寝したら抱きつかれたりw
まあ、友人だから、腹は立ってないけども。
友情は友情。
恋愛は恋愛。
これが、好きでもない男性相手だと、立腹どころか、一歩まちがえたら陥る危険性に敏感にならないとだからね。メンドクサくなる理由ですわ。
言い替えれば、
男性に対しては、気に入る人が圧倒的に少なめの傾向で、それだけに、本気で好きになるかわり、気に入らない場合の男性に対する嫌悪感は、女性に対する場合よりも、だんぜん激しくなる。
女性が相手の場合は、概ね逆。
受け入れられる人は多め。嫌悪することは少なめ。
これは、
多くの場合、人生最初に傾倒する母親という存在が女性で あるし、
とくに女性にとって、多くの場合に、「同性の親しみ」というものは大きいだろうけど、
それでも、
私自身、男性を本気で好きになった、恋愛感情を持った場合と、同性である女性に対する それとは、やはり、基本的には同じであると同時に、根本的には異なる感覚も伴うことを知っている。そこには やはり、生殖に関わる本能的なものが絡んでいるからなのかなとも思うけど。
女性の多くが、優しい男性とか、外見的に女性的な印象の男性を好みがちなのは、そのへんとも無関係では ないだろう。
ひょっとしたら、
似合いもせんのに、わざわざ女装して、女性に対する性犯罪に及ぶ男がチョイチョイいるのも、それを知ってるからなのか?(嗤)
だいたい、女性どうしの同性愛と、男性どうしの同性愛が全く同じかどうなのか、私は、ちょっと異なっているんじゃないかなと思っている。
からだの造りが違うからね。
多くの女性の場合、相手が男性であれ同性であれ、自分側が母親的態度になりがちだという指摘も あり、それは、一般的な異性のカップルに おいても、よく見受けられること。
年齢が、かなり年下の女性でも、年上の夫の母親的存在になるのは、多々見受ける現象だ。
女性どうしの場合にも、やはり、母子のような関係に なりやすいと聞いたことが ある。
あるいは、まあ、どちらかが、男役と言うか、父親的になるのかもしらんけど。
さて、
残る問題が あるとしたら、愛しているのか否かということだろう。
それは、
くだんの御夫婦の場合、たとえ辛うじてにせよ、いちおうにせよ、存続しているようには見受けられるし、
もと奥さんのほうが、本質は「レズビアン」の人に、自分は愛されていたわけか!?愛されているのかということを、嫌悪なく受容できるか どうか、というところかなあ??
もと夫のほうは、だからと言って、男性を好きになりましたので、というわけでも なさそうだし。
でもね、
くだんの御夫婦の、もと夫さんの場合も、同様のケースの他の人たちに対しても多く感じることで、私には、やっぱり、ふつうに男性じゃんと思える。
それは、ただ肉体面でしかないことだと言われても、そもそも、肉体と精神は一体だし、全くスパッと切り離せるものじゃないだろう。もし、そういう事態であれば、そりゃあ、まともな精神状態では いられないはずだろうし。
あす、起床して見たら、男になってた、、、アワワ~
という場合を想定してみたという話を、去年の過去エントリーで述べておいたけど、
結論としては、それは それで、、、てなwイイカゲンな私が思うに。
性別どうこうって、けっこう曖昧なもの。
科学的な見地に おいても、いろんな意味に おいても。
で、
あなたは、相手が男だから愛しているんですか?
女だから、誰でもイイわけですか?
違うよねってこと。
たしかに、
性別の違いも、本人が意識しきれないくらい様々に影響を及ぼしていないはずは ない。
それでも。
性別によって、愛せるのか愛せないのか、
それって、「条件付きの」ナントヤラじゃ、、、
存在まるごとでないのなら、それって、、、
それ、ほんとうに愛なのか?
ということに尽きると思うの。