2023.02.26 (Sun)
太宰 治:
「死ぬ気で恋愛してみないかい?」(キラ~ン)
私:
「やーよ。あたしゃ まだ死にたくないわ。死にたいなら、あなた一人で死ねばエエやん」
…冷酷な女です(苦笑)
私の場合はね、好きな人、愛する人が傍にいるのならば、
「何が あっても蹴散らかして、あたしたちだけは二人で生きていこうね!!」
って感じになると思うの(笑)
なので、
ハレタ ホレタでスッタモンダの果て、深刻至極に陥っちゃってさ、
〽世間に負けたぁ~
二人で死のうか、なんてイジイジ言われようもんなら、
「おらおらぁ~!!なに湿っぽいこと言うてけつかる!!」
って喝を入れちゃうと思うw
ほんと、色気なしやなww
自分でも認めざるを得んわ(苦笑)
従兄にも、つき合った男らにも言われたことを思い出します。
「おまえは強いからなあ」
「一人で生きていけるやろ」
…それは違う!違う!!ちゃうねん!!!
いくら否定しても、とりあってくれなかった男たち。。。
ちっ!!w
さてと、
『鎌倉文学館の展示で「文豪の愛」堪能を 4年間の改修休館前に企画』朝日新聞デジタル(地域)
この記事を目にしまして、
旧ブログ当時、太宰と、彼との恋愛関係にあった女性たちについての記事を読んだとき、いろいろと感想を述べたことが あったのを思い出したわけだけど、
近頃も、太宰を めぐっての恋愛の鞘当ての如き経緯に おいて、
「戦闘開始!!」
とて、
女性たちのうちの一人が、闘志も あらわに、日記に書き綴っていたというエピソードを読み、
あらゆる面で、こんにちの私らよりも不自由な、厳しい境遇に置かれていた、はずの、『明治』や『昭和』始め頃の女性たちの大胆不敵さ、剛毅さ、
やりたいように自由にやってるように見えながらも、みずからの選んだとおり、好きなようにやってるように見えながらも、その実、いろいろの不満や文句が多いようであり、それでも思考は浅く、フニャフニャと迎合して、弱っちいだけのような、カネか男かに搦め捕られ、自分の子一人すら守れない、だらしない体たらくが目立つような、現代日本の女たちとは異なった、はるかに激しい気性ぶりを垣間見て圧倒される感を覚えた しだい。
…
鎌倉は、すてきな所でした。また、『江ノ電』乗って、行きたいなあ。
ところで、
山田五郎氏の『オトナの教養講座』を視聴していて、つくづく思うのは、
やっぱり、「歌は世に連れ」と同じく、芸術・芸術家も また、そうなのであり、時代と俗世間から無関係では いられないのであるということ、
それと、女性関係に問題が多かった画家がチラホラいるんだなあってこと。
やっぱり、えぐい人、もとい、エゴイスト タイプが多いのかしら?
振り返ると、フシギなことに、私は、そういう、女性との あいだで大きな問題を起こしていた画家の作品には、どういうものか、あまり、食指が動かなかった傾向。
もちろん、その画家個人の人間関係のことなどを知っていたわけでは ないのだが、
いつかも述べたことが あるように、
シーレとか(私は聴覚障碍なので、字幕機能を利用することが多いんだけど、日本語の字幕では、「仕入れ」と出てくるよw)、ムンクとか、その他も、いずれ、たいへん有名な代表的作品で あっても、なんとなく俗な計算っぽさと、その裏に漂っているナルシスト臭みたいなものを感じたりもして、もちろん、そもそもから、たぐいまれな描写力とセンスを備えているのは よく分かるので、けっして、きらいというわけでは ないけれども、敢えて どちらかと言えば、それほどには興味を持てないままで いた。
うちの親父もさ、家庭環境や時代が許してたら、画家の道へ進んでたかもしれないんだけど、
実の生家は非常に裕福だったのに、わざわざ、貧乏な伯母夫婦の養子にさせられたとは言え、親父の場合も、損したと同じくらいには、ヘンなところでトクしてたと言うのか、命拾いしていて。
家柄の おかげで、戦地には行かずに済んだエリートだったので、あの時代は、ごく若かったことも あり、女性たちに特にモテモテで、
終戦後は、進駐軍とモメ事を起こしたり(←アメさんとの「掛け算事件」、ご存じのかたも いらっしゃるかもねw
『衣替えしただけの「新・自由主義」?』
『【続】なんだかんだ言って『自民党』を擁護(嗤)』)、
21や22歳の若造の身で、帰郷した地元の議員になったり、
育った千葉から生家のある大阪へ出てきて、全く畑違いの方面で仕事に就いたりと、
それなりに苦労して、アップ ダウン激しい人生では あったものの、
総じて、な~ぜ~か、女性たちに好かれていた。
同性にも好かれやすい傾向だったようだがw
ま、いわゆる「外ヅラ」が良かったというか、チョーシが よかったのよねww
そのくせ、突然ブチ切れて凶悪化したりするから、なんか、よくワカラン性質だったけどwww
なんだかんだ言って、うちの親父も、本人自身は、
損ばかりしてきた俺カワイソ―!!
とか思ってたんだろうけど、なんのなんの、
けっこう、やりたいほうだい やれてたわけさ。
私は、子ども時分から、
「ブ男、ケチ、酒癖わるい、こんなDV野郎の、どこがイイんだよ?」
と思うばかりだったが、どっこい、娘の私ただ一人を除いてw、母や姉らも含めた女性たちにモテていた。
父母は年がら年じゅう、殺し合いが始まるんじゃないかと、子らが怯えるほどの激烈な夫婦ゲンカを繰り返していたが、それでも。
アッチのほうは離れられないんだよねえ、執着し合ってるんだわねえ(嗤)
さすが、デキちゃったド修羅場のダブル不倫ですわねえw
けっ鬱陶しいったら ありゃしねえわ。
んで、話を戻すと、
『歴史を騒がせた女たち』という本を、高校時代に読んでいたことを思い出し、先日のエントリー『最近の私の日常の一部と、各所感。』で、そのことを述べてから少しあとに、著者である永井路子氏が亡くなられたという記事が出た。
それで思い出していたのが、海音寺潮五郎先生の おコトバ。
「わし、あの二人(←永井路子氏と杉本苑子氏のこと)、どっちが誰だかサッパリ分からんのぢゃ」
このように言われたことが あったと、当の永井氏が おっしゃっていて、
この話を聞かせたら、くっくっくっと、こらえきれないようすで笑いを洩らしていた うちの母親。
ちなみに、
旧『国鉄』が民営化されたあと分かれた『JR』各社のうち、西だか東海だったか それぞれの社長さんどうしが、すごく仲わるいんだってよ、という話を したときも、けっこう意地悪な面が あった母親は、何やら嬉しそうにクックックと、しのび笑っていたものだ。
他には、、、と、
そうそう、「火葬後の御骨」に関する話題で、「のどぼとけ」が どうたらいうのが あった。
私も、親や叔母らで何度か経験済みだから、また思い出したんだけど、
うちの母親のときもね、「のどぼとけ」が、たいそうリッパだ!っていうんで、皆が感心してた。
私は、母親のが初体験だったから、へえ~としか思わなかったけど、
ただ、
「生前の行いが立派だったから、のどぼとけもリッパ」というのは、全然ちがうと思うよw
あのとき、「こんなキレイな のどぼとけ、俺も初めて見た」と驚いていた父親も、
「あれだけの持病持ちの薬漬けだったわりに、骨は じょうぶだったんだなあ」
からだが弱かったなんて、嘘だったんじゃないかぁ?
とまで言ってたけどw
たしかに、生まれつき病弱だったと言うわりには、暑苦しいくらいエネルギッシュな性格だったし、何よりも、健啖家だったからね、やっぱり、骨なんかが じょうぶだったというのは あるのかも。
それと、声が良く通るし、歌唱力も優れていたのよね。
そして、これだけは断言できるぞw
生前の行いと、「のどぼとけ」のリッパさには、何の関係も ない、ということを。
うちの母親は、すごく頑張り屋なところは あったし、なかなか正義感も あり、逆境や苦労のなかで良いことも してきたと思う。
しかしながら、
ほんとうにエゴイストで、だらしない面も あったし、
人としても親としても、許されないこと、悪いことも やってきてたのは、虐待児である娘の私が、よーく知ってるからねww
【続く】