忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[1945]  [1944]  [1943]  [1942]  [1941]  [1940]  [1939]  [1938]  [1937]  [1936]  [1935
Updated   
2023.02.08 (Wed)

最近のニュースから幾つか~同性婚と性犯罪の続き。

ただ、いまどきの女性、とりわけ、まだ、児童・生徒の年頃である女の子が、お小遣い欲しさに、ほいほいと、知らないオッサンなんかと待ち合わせ、ホテルに出向くという昨今の事件の多さには、呆れを通り越して、子ども いなくてヨカッタ~と、へんな安堵を もよおすほどなのだが、なんか、理解しにくい感じは、どうしても残る。

性的に大いに乱れムードな社会の世代、しかも、「ダブル不倫」家庭のなかで生育した、かなりオマセなほうだった私なんかですらも、さすがに10代20代の頃は、オッサンやら男性のイヤラシサには脅威と危険が伴い、ほんとうに、へどが出そうなほどの嫌悪だったから、その点がね。

 

いまの女の子たちだって、その心理面での分析は可能だろうし、社会が「拝金」ムードなのも大いに影響しているようには思えるけれど。

ただでさえ、少なくとも若いうちは、女性は、まさに「商品」扱いそのものだから、女の子や女性みずから、自分自身を「商品」扱いしてしまってる面は、昔から あったと思う。

 

 

さて、

これは、先日のエントリーでも示唆しておいたように、

私ら女性の多くが、うかうかしてたら、男性の性衝動の餌食に利用されるやもという、漠然とながら、日常レベルで、ひそかに抱いている、男性一般に対する脅威感、警戒心。

それは、まずは腕力の圧倒的な差や、異様なまでの しつこさなどから来るものが いちばん大きいわけだけど、

その脅威感や警戒心を、今度は、男たちが、すなわち、
女性を大好きで、同性である男が、恋愛や性の対象になんて、マッピラごめんだ!!という「ふつうの」男性たちが、自分と互角の力を持っている同性に襲われたら、、、
と、

同性愛のと言えども、基本的に、同程度の腕力を持ち、かつ、性欲や性衝動の激しさを同様に持っていることは理解している同性たちから、自分自身に、脅威や危険が降りかかってきそうだという心配を してるのと ちゃうかなあwと。

おまけに、

女性の同性愛が、もしも増えたら、それも困っちゃうわよねw

ただでさえ、カネなし、カノジョやヨメにも不自由してるのに、それこそ、無理やり触ったり襲うしか、ナニできなくなったら、毎日が性犯罪の日々しかないww

 

まあ、冷たいこと言うようだけど、

これを機に、少しは、われわれ女性が、大昔から こんにちまで、あなたがた「ふつうの」、女性好きな男性によって もたらされてきた幾多の性被害の悩みを、わがこととして向き合ってみればイイと思いますわw

 

 

ただね、男性の同性愛者の側にも、キツイこと言うけど、

かつて、『エイズ(AIDS)』の問題が蔓延したでしょ。

主として男性同性愛者どうし、不特定多数との性行為が、これの顕著な拡大原因になっていると聞いていたが、それを聞いて、私は、同性愛と言えども、男性のバラマキ性欲や性衝動の激しさは そのまま、異性愛の男性の場合と変わらないのだなあと思った。

なので、
同性婚の あかつきには、どなたも、やはり、みずから選んだパートナーに対して、心身ともに誠実で あってほしいですな。

 

 

もちろん、男性だろうが女性だろうが、一般レベルからは外れたような傾向を持つ人も いるものだし、やはり、いろいろな個人差は ある。

そして、

男性だろうが女性だろうが相手の同意なく無理やりにというのはただの性犯罪です。それだけよ。

 

 

あとね、

最近、『教皇』が、声明を出されたそうなんだけど、それに関して少々。

『教皇』としては、その独特の地位と立場で、言えることの限界も あろうし、そんななかでも、いまのフランシスコ教皇は、比較的サバケた かたなんだろうとは思う。

『カトリック』は勿論、『キリスト教』の立場としては、あくまでも「秘跡」としての婚姻を、男女のカップル以外に認めて、祝福を与えるわけにいかないという基本は、教義として、しかたないのだろうと察する。

それでも、「神の前には等しく神の子」であるから、教義を離れた「民間結婚」は認め、親は、同性愛の子を捨てたり、家庭から排斥しては ならないと おっしゃったそうな。

 

実在すら疑わしいとされている歴史上の一人である『イエス・キリスト』彼自身が、もし、その口で答えることが可能であるなら、

自身が亡き後も、営々と積み上げられてきた諸教義について、どこまで「良し。そのとおりだ」と認めるのだろうかを、私個人的には、多少なり疑わしく思っている。これは、『釈迦』と『仏教』についても同様だ。

そもそも、釈迦は、特に、宗教的と言うよりは、現代にも通用する科学的な態度を重視していたようだから、およそ「葬式仏教」やら、ましてや、恫喝的なものなどは、彼自身は決して認めないだろう。

 

まあ、私はクリスチャンでも ないので、詳しくは知らないけれど、

生殖に結び付かない、少なくとも、それを目的にしない性交は、不純な快楽のみが目的であるから、堕落の極みであり、甚だケシカラン、
したがって、同性愛も同性婚も、一切、認めないのだというふうに、キリスト教では主張しているということを、若い頃から聞いていた。

結局、「ウヨ」らが言い張ってることと同じみたいよね、
子どもが できないからケシカラン!!てのと。

だから、

ははん、こやつらは、やっぱり、エセ『キリスト教』の「壺」信者か、エセ保守またはビジうよ部族の『日本会議』シンパだなw
と察しちゃうんだけどww

 

ただね、

子どもが できないからダメ、という主張は、要するに、組織存続、「家」どうしの婚姻、という立場にとっては、大いに都合が よいわけよね。

ヨーロッパの、また、日本でもと言うか いまだに『皇室』は、典型の見本に近いままであるわけだが、身分階級制度が厳格だった大昔は、現代のような個人の恋愛のみによる結婚は、ほぼ あり得なかった。

 

たまたま、両人の相性が良かったなら、もっけの幸いだけれど、婚姻の目的は、ひとえに「家」の、同時に、得ている権力の維持のための子孫づくりでしか なかった。

もちろん、男女としての相性は良いほうが、なんせ、子づくりのうえでも つごうは大いに良いのだから、仲睦まじい夫婦であるなら、それに越したことは ない。

 

でもさ、

「家」の、組織や権力維持のために、個人の感情は無関係で、とにかく子づくりだ!ということならば、それって、キリスト教が忌み嫌う、不純な性交と違わないじゃんかと、私は思うの。

そこには、キリスト教が唱えまくってきた「愛」なんてものは、関係ないわけだから。

 

実際、『王侯貴族』の場合、権力維持と拡大のための婚姻と背中合わせに、「不倫」も淫行も大っぴらだったという。

 

中世の頃の『教皇』の不道徳ぶりも、絵画などに描かれてもいるように、有名だもんねw

 

また、このことも、過去から何度も指摘しているが、

宗教によるものであれ、それ以外のものによるのであれ、
心身の「縛り」というものを、殊のほか激しく必要としなければ ならない理由や原因は何なのか?という根本を考察すべきだろう。

なぜか、男性に多いよね。ことさら厳しい戒律を欲するのは。

そして、それにも かかわらず、なぜか、淫行などの問題を多々起こしてきた。

 

 

ある宗教の信者が、自分たちの教義に従うのは、それは構わないよ。

「恋愛や結婚は男女間のみしか許されない」という教義ゆえ、あくまで異性のみを恋愛や結婚相手にするのは、こっちも、何ら構わないですよ。

 

ネット上のコメント欄では、アベコベに、「ふつうの」自分たちに押しつけてくれるな!!と、喚き散らすような投稿が溢れてるけど、逆ですがな。真逆。

 

同性愛や同性婚や別姓が厭ならば、自分は異性のみを相手にすれば いいし、同じ姓にすれば いい。誰も強制してない。

 

宗教一般を攻撃する気もないし、すでに述べてきたとおり、無理やりというのを厭うタチなので、むしろ、他者が大事に思っているものごとは、可能なかぎり尊重するスタンスだけれど、

私は、これと言った特定の宗教の信者では ないので、
「同性婚」などについても、何らかの宗教の教義を振りかざされたって、

「そんなもん、こちとらは信者と ちゃうわ!」

で、一蹴する。

 

むろん、私自身に同性愛や同性婚を強制されたって、お断わりよ。

 

私の視点は、あくまでも、
民主主義国家の国民として考える制度について

 

 

あとは、、、

刑務所の問題が またぞろ。

私は全く知らなかったバンドの全く知らなかったボーカリスト、だっけ?
すでに高齢の男性だけど、
覚醒剤か何か やってたために服役中の ところ、突然、苦痛を訴えて、なんとか地元の病院にて受診したものの、田舎のヤブ医者さながらの誤診後に、何度も倒れたにも かかわらず、ホッタラカシされて急死したそうなんだけど、奥さんの執念の訴えで、なんと、数千万円もの賠償金を支払う判決が出たという。

ありゃりゃ、めずらしいね、原告側の、ほぼ言い値を払えってのは。

刑務所も、きちんと仕事しなきゃならん意味、わかったかな?

イイカゲンなことやってると、結局、よけいな税金を費やすことになるんだよ。

「犯罪者に人権いらんから!」とか言ってる場合じゃないのよ。

 

それから、、、

そうだ、『日本共産党』の、党首選を やらないのは どうなんだ こうなんだという騒ぎ。

基本、無党派の私は、これも よく知らないけど、以前、『日本共産党』内の方針として、間違いは おかしていないものと認められるかぎりに おいて、党首の変更は なし、とか、そういう考えかたに立っているゆえという 大まかな話は、どこかで目にしたことを憶えている。

つまり、これまでのところ、志位委員長に、党首たる者として間違いを おかしたと認めるべき点は見当たらないから継続、という理由なんだろう。ならば、
今回の騒ぎで追放処分みたくなったというジャーナリストさんは、まさに「なかの人」だったのに、ご自分が所属している党の、確立されている方針と見解を理解できてなかったの?と思ったよ、最初は。

そして また、

理解できてない、納得していない党員が いるのなら、なぜ、理解できるように説得したり、納得できるまで議論を重ねなかったのかな?と、党側に対しても疑問に思っている。

 

私、先日(1月)のエントリーで、内部の問題がと指摘しておいたところだけど、【続】愚者列島の冬

『日本共産党』は、一般国民のあいだで、いまだに、よくないイメージを払拭しきれていない現実を、重々、肝に銘じておかないとね。


ま、「ゆ党」は知らず、野党各党は、本気でガンバってちょうだいよね。

私は、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』なんざ、とうに腐り果てて、どんならんのは分かってるから、もはや、何の望みも ないよ。

いつまで のさばっとるんだ、弱い者苛め大好きなド腐れが!emoji

と、ただ苦々しい思いだけだ。

 

どんなに稚拙とて罵倒されていようと、『民主党』政権時には、弱者叩きだけは しなかったからね。

 

それだけに、野党側の隙や甘さや、有権者国民の浅慮を見せられると、ほんとうに、もう、この国、終わるんじゃないかと思ってしまうのよ。

 

この国の庶民、国民たちは、どこへ向いて流されていくのだろうか。

 

 

PR