2022.09.10 (Sat)
『たんぱく質』の続き。
かく言う私なんか、母親から、いつも、
「あんたは、たんぱく質が足りないよぉ~♪ってやつやな」
と、なかば揶揄するように言われていたものだが、
たしかに、肉や魚介類に対してだけは、友人や知人に驚き呆れられるほど、食べない、食べられないものが多い。これの理由は、まあ、いろいろなんだけど、
焼き魚の身を「せせって」食べるのもメンドくさくて、「自分の分の魚は要らない」などと言うもんだから、これだけは、親が、代わりに せせっては、私の御飯の上に、強制的に載せてくれたものだった。
さいわい、牛乳やチーズ、乳製品一般は大いに好きなのだが、子どもの頃は、牛乳を飲むと、おなかが、、、って傾向だったし、生クリームで、気分が悪くなったことも あるし、成人後に、レア チーズ で吐き気が起きたり、『ティラミス』で蕁麻疹が出たことも ある。それで、自分って、じつはアレルギー持ちだったのかぁ!と、やっと自覚した。
単純に言ってしまえば、
お肉類に対しては、なんとなく抵抗感が つきまとう傾向が、子ども時分から あるのは自覚していて、その代わりにとばかり、植物性のものについては、まず、好き嫌いは ないと言って過言でない。
要するに、
肉類に代表される直接的な動物性の食品に対して、許容範囲が非常に狭いのを、どうすることも できない代わりの、あたかも「罪ほろぼし」のような感覚で、植物性食品に対してだけは、みずから、「好き嫌いを許さないぞ!」的な感覚すら あるわけ。
したがって、
少なくとも自分自身で、食べるつもりで注文したり用意して並べている以上は、まず、ぜったいと言っていいほど、食べ残しは しない。
限られた種類しか食べない食べられない肉類・魚介類も、自分なりに許容範囲のものなら、食べている最中は、おいしく食せるのだが、それでも、連日のように、お肉が食卓に並ぶとなると、敢えて、口に運んでみても、食べているあいだ、一種の不快感や吐き気を もよおすことも あり、やっぱり、毎日ではゲンナリしてしまう。生来、消化機能に大きな弱点が ある体質とも関係しているのだろう。
これは間違いなく大好きで、まあ安心して食べおおせることが できる!と、こんな私が、珍しく自信を持って宣言するに憚らないのは、
ずばり、『精進料理』(笑)
とは言え、
いくら野菜類が好きと言っても、食べられないものも、なかには ある。
味は本当に好きなので、積極的に食べたいのだが、体質に合わないのか、体調を崩してしまうから。
それも、
世間で、「精が付く」とか「滋養強壮」になると定評あるものに限って、せっかく食べた、他の食品の栄養までがゴッソリ台無しになるくらいに、おなかを壊したりする。若い頃までは、こういうことが多かった。
同僚たちと入ったレストランで、皆で同じメニューの お肉料理を食べ、同僚が、「元気モリモリになってきたやん!」と言ってる横で、私一人がグッタリしてたり。
でも、年齢と共に、かなり耐性がと言うか、要はニブくなったのだろうか、
ホンの一口でも食べると大変なことになっていたはずが、
いまでは、二口、三口くらいなら平気になったものも ある。
おかげで、ホイホイ喜んで食べてますが、本当に、これで問題は ないのかな?と、疑問に思ったりも する。
というわけで、
単なる好き嫌いではなくて、体調を崩すから食べられないものも あるわけですね。
それから、
何が許せないって、
わざわざ購入し、または調理して、保存しておいたものを、消費期限が過ぎるまでウッカリ忘れてしまったり、傷みが出てしまっていて、廃棄を余儀なくされたひにゃ、もう、もう、自分自身に腹が立って、なさけなくて、自分を思いっきり罵倒したくなるほどである。
「この!この!バチ当たり者が~~~!!」と。
旧ブログでも述べたことが あるのだが、
うちの母親は、味覚が発達していて、いわゆる「口が肥え」「食い意地が張っている」タイプだったのだが、
これが、どういうわけか、しょっちゅう、食べ物を廃棄せざるを得なくなる だらしなさ。
そのうえ、大喰らいときてるのに、
食べ物を粗末に扱うことに、さしたる罪悪感は希薄なようだった。
母らの世代は、戦中・戦後の、いわゆる「欠食児童」とも呼ばれたりした「昭和ヒトケタ」層なので、
なぜ、こうも、食べ物に対する執着心とウラハラな、粗末に扱うことへの罪悪感が薄いのか?と、怪訝に思っていた娘の私は、母親本人に聞いてみたことが ある。
その答えは、まさに「欠食児童」世代だったからだ、という返事だった。
ただ、
祖父は裕福だったし、母自身が「欠食児童」になったことは ない。
生来「病気の問屋」みたいな体質にも かかわらず、「健啖家」だった母親は、60歳代で命が尽きる頃には、食べること自体が できなくなっていった。
…
ま、そんな こんなで、
先月、思いきって、ちょっとだけ厚めのヨガ マットを買いました。
まだ試してないけど、ずばり、寝たきりバアサンにならないための投資ですよ、チクショーw
私の おサイフにとっては、けっこう痛い出費でした。
以前はねぇ、せいぜい、バスタオルとか敷いて、なんとか やってたんだけど、さすがに、それだけでは、まじで痛いからね、足腰が!w
しかも、齢を重ねて、いよいよ、どんくさくなっとるんでw
それこそ、滑ったりすると いけないからね。
そりゃもう、切実だす。
若い頃みたいに、やれ、綺麗になりたいだの、プロポーションを保つだのって、そんな欲も得もないっての。
むかし、仕事の疲れを押して、無理して通ってみたバレエ教室は、幼児と呼ぶような年齢の子どもたちが多くて、付き添いの おかあさんたちが、フロアの端っこで、厳かに正座して見守っておられたわ。
それ以外は、やっぱり、幼い頃から習っていて、一時中断し、また再開したという、若いけれど、じゅうぶん経験してきた人ばかり。
バーレッスンのとき、フロアの真ん中に並べたバーが、私のとこだけ、激しく位置がズレまくっていってさ、
「はーい、もっと軽く握ってくださいね~」
と、先生に、笑いを堪えながら注意されたw
【続く】
2022.09.10 (Sat)
『夏の終わりのハァ~妄想』の続き。
さて、
先々月あたりのエントリーで述べたとおり、
「自分史上最悪」級の腰痛に見舞われてしまったのに驚愕し、その間、ほぼ何も できない状態に陥り、
まさか、このまま、寝たきりバアサン路線まっしぐらになってしまうのか?という恐怖に慄きながらも、ようやっとのこと、ある程度おさまった頃合を見て、ソロソロと、軽いストレッチを試み、それ以来、各界の専門家がアドバイスしている動画などを漁ってみたり、自分が若い頃には、就寝前や入浴後などに実践していたバレエ式ストレッチなども再開したら、かなり負担が かかるような作業や動きを しても、以前ほどはキツイ痛みに襲われることなく、痛みを感じたとしても軽く、それ以上の悪化は せずに済んでいるのを実感できた。おかげさまで、いまのところ、この気まぐれで飽きっぽい私が、一日も欠かさず、大なり小なり続けることが できております。
カラダって、正直だなあ。。。と、あらためて認識した。
そりゃ私だって、若い頃は、まずは、とにかく綺麗になりたい、せめて、いまのスタイルを崩さないようにしなくちゃというのが第一の目的だったけど、
思いがけず、苦しい病気になってしまってからは、ふだんのルーティン、翌日の下準備すらも、心身とも負担感が あり、ごく短時間のストレッチも おっくうになり、「また今度でイイや」と、あとまわしにし続ける日々の繰り返しが長年に わたった あげく、
いつしか、全くと言っていいほど何も しなくなっていき、ハッと気づくと、からだのサビつきみたいな状態は喉の奥にまで及んでいて、
すっかり、以前のような声が出なくなってしまっても いた。
それで、こっちのほうも、学生時代の恩師に教わった方法を思い出したりなど しつつ、のどの「ストレッチ」も再開したのだけれど、
なんてったって、いまじゃ、ちょっと数分ていど、発声練習しただけで、頭のなか真っ白、クラクラするんだよ~;
もともと、気管支とか喉(あるいは粘膜全般)も弱点で、肺活量なんかも低いようだということは自覚してたけど、
ほんとうに、これで、合唱部に入ったり、ギター弾きながら歌っていた、かつての自分が、信じられない。なんだかんだ言ってても、若かったんだなあ。
筋力、加齢の影響も あるだろうし、睡眠不足や疲労はテキメンに影響するのが当然だし、原因は一つじゃなさそう。
なるほど、
「発声や歌うってのも、トータルの体力が必要なんだな」と、これまた、あらためて実感。
高校時代、『誰も いない海』などを、友人のピアノ伴奏で歌ったりしたことを思い出したのが、このエントリーだけど、
これも、いまごろになって気づいたのが、私のヘンな癖の一つかもしれないんだけど、
本来のメロディから、かなりズレて歌っていたということ。
いや、いわゆる音痴というのでは なくて、
もとのメロディを、言わば、一種、デフォルメしたような、自分で勝手に、部分的にメロディそのものの流れや節回しを変えて歌っていたようだと、ほんとに今さら、気づいた。。。
最近、軌道修正して、覚え直したwww
私、幼い頃から、ちょっと耳にしただけのメロディを、自分で、このように聴いたと思うとおりに再現して、歌ったり、オルガンで弾いたりしてたんだけど、ところどころアヤフヤな部分が あれば、そこは自分でテキトーに「作曲」して、変えちゃうんだよw
で、その、自作した間違いのままなメロディだという自覚もなく、平気で、気持ち良く歌ってたわけさww
ピアノを習っていて、人に教える立場になるのも可能なレベルまで達していた友人は、私のケッタイな自作自演に、さぞや、おかしいのを堪えつつ、こんな やりにくい歌い手に合わせて、上手いこと伴奏してくれてたんだ(苦笑)
そんな友人も、『リウマチ』か何か指が思うように動きにくい症状が出てくるようになってしまい、子どもの頃から長年レッスンを受けていた先生の誤解と無理解に耐えきれなくて、袂を分かってしまったと、悩んだ話を聞いたことも あった。
ところで、先ほどの、腰痛に まつわる話。
汀 夏子さんの過去の様々な動画のなかでは、『宝塚歌劇団トップスター』時代の舞台記録映像も、可能なかぎり視聴させていただき、どれも良かったなかでも、私個人的に、特に気に入ったのは、『夢人』。
とりわけ『白い鳥』だっけ、あの振付、すばらしいね。『加奈 霞』さんに、目を奪われました。
あとは、
彼女が50歳代の頃のショウに おける体形、特に「二の腕」に注目していたのだけど、タルミらしきものが ないことに驚きました。
自分自身も通ってきた加齢の道だから分かるけど、この年齢になっても、特に二の腕を、たるませないのは至難のワザでしょ。
やっぱり、退団後も、日々、そうとうの鍛錬を続けてこられたんだなあと、つくづく感心いたしました。
その前々から、ウエストの細さなどにもビックリしていたのだけれど、
汀さん御本人は、『宝塚歌劇団』在籍当時から、肉類は一切、食べないとか言っておられたようだ。ほんとに驚いた。
だって、「たんぱく質」って、一般レベルの運動量の人でも、特に大切な栄養素で、ましてや、連日、激しいダンス レッスンとか してきたわけだからね。
お肉の類は全く食べないとなると、代わりに魚介類や乳製品などを多く摂取してきたのかな?
もう数十年も前の話だけど、
うちの母親が生前に罹患していた病気の主治医が言ってたというのは、
やはり、最も優れて効率的に、たんぱく質を摂取できるのは、肉類なんだよとのことだった。
ただし、効率よくスピード感を もって働いてくれる動物性たんぱく質は、逆転して、老化を促進する作用も持っているらしいね。
なので、
ある程度、年齢を重ねたら、若い頃のように、お肉たくさん食べるのも、ちょっと考え直したほうが良さそうだ。
うちの親や身内を始め、私の身近で見てきた人のなかで、特に肉類を中心とする動物性の食品が好物だったタイプの者は、若い頃から、総じてエネルギッシュな性質で、そういうところが、私にとっては、暑苦しくて、押しつけがましくて、エゴ剥き出しで、振り回されてウンザリさせられることが多かったんだけど、
もともと、お肉が大好物、野菜類が好きでなかったという叔母が代表格だったように、60歳代で、腸の癌になったりした者も いるが、
たしかに、そんな彼らは、高齢になってからも、若い頃のような性質と行動パターンを、かなりの程度、保ち続けていたと思う。
【続く】
2022.09.10 (Sat)
皆しゃん、お元気でつか?またもやの、お久と なりました~。
今回のエントリー、
まずは、三角関係の妄想シナリオぶっ放しで開始だぜ~!!w
このところ、あたくしの脳裏には、なぜか、芥川の『奉教人の死』という作品が浮かんでおります。
幼い頃や学校時分に読んだとき、なんとも言えない衝撃を受け、年齢を重ねた後も、つよい印象を残し続けて、時おり思い出す物語は幾つも ありますが、これも、その一つです。
さて、妄想スタートw
突如として『タカラヅカ』づいていたアタクシですが、
非常に都合良く「娘役」になったと思いなせえww
(やれやれ、人生って、最後まで、想像も してなかった意外なことが、起き得るものなんだなと思う最近。。。だって、ほんの2ヵ月前までは、こんな妄想に ひたる日が来るなんて、夢にも思ってなかったもん┐(^_^;)┌)
えっとね、
片や瀬戸内 美八さん、片や汀 夏子さん、
この両人から求愛されちゃうの!
もちろん、ヒロインのアタシがwウフフ~
熱く、頼りガイある二人の あいだに挟まって、
あたしは、深く苦悩するの。ウフフフ~
美八さんは、どこまでもスカッと明るいの。
そんな美八さんは、あたしに向かって、力強く呼びかけるの。
「さあ行こう!ボクに ついておいで!!」と。
あたしは、
「いや~ん、ついていくわ!アナタに ついていくわ!!
」
と、思わず、子犬のようにコロコロと、ついて行きたくなるの
〽あなたに会った その日からウフン恋の奴隷になりました~♪
〽あなたの膝に絡みつくぅウフン小犬のよぉにぃ~♪
(いまどきの若い人は知らんやろなあ、奥村チヨとか。当時の私は小学生だったけどねw)
でも、でもね。
夏子さんには、なぜか、どこかしら、屈折感のような影が あって。
「ああ、行けばイイ。どうせオレは一人ぽっちなんだ。。。」
と、ニヒルに口を歪めて、無理に笑いながら呟くの。
思わず、後ろ髪を引かれてしまうアタシ。
「ああっ、この人を置いていくなんて、、、できない、できないわ!」
「美八さん!あたしを許して~!!」
と、ついていきたい気持ちと、残していけない気持ちとに引き裂かれるように苦しんで叫ぶの。ああん、ウヒヒ
すると、
どこまでも「男気」に満ち溢れた美八さんは、
「キミが苦しむ姿は見たくないんだ!ボクのことは だいじょうぶだから」
と、最後に、あたしの肩を抱きしめてから、、雄々しく去って行くの。
瀬戸内海の向こうに渡っていく船の汽笛が、ボォ~ボォ~と、せつなく響く。
胸掻きむしられるアタシが振り向いた先には、
「なぜ、あいつに ついて行かないんだ。オレなんかより、あいつのほうが、、、」
と、
一部始終を見詰めていた汀さんが、一粒の涙を頬に光らせ、あたしに問いかけるの。
あたしは、ただ黙って寄り添い、ふたりは、ヒシと抱き合うのよ。。。
ぎゃっはっはー!
さすがに照れちゃうw
なんか陳腐だし、いかにもな古めかしいストーリーよねえ?
でも、
もしも、自分が娘役だったら、やってみたいのよお、こういうシーンをね。むふふふ。。。
んで、
並行して思い出していたのは、高校生時代のこと。
校内あげての、ある行事で、二人の上級生と知り合う機会が あった。
それぞれ、全く異なるタイプでね、
一人は、テニスか何か、体育系クラブの主将だと聞いたけど、
なるほど、小麦色の肌の、一言で言えばボーイッシュ。
髪もショート カットだし、それより何より、身なりに無頓着。
もちろん、制服は着てるよ。
だけど、ちょっと軽薄な不良っぽい生徒なんかだと、いろいろ加工するでしょ。スカート丈やら上着の丈とかを極端に短くしてみたり、通学鞄を、教科書も入らんくらいペチャンコにして、いろいろ余計な物ぶら下げまくったり、私も そのクチだったけどw
放課後、センセイたちの眼を逃れて、禁止されてた裏門から脱出しようとしても、
「□※さん!!(←私)唇が赤いですよ!」
と、目ざとく見つかって、毎日ダメ出しされてた。
「下校時の色付きリップくらい、いいじゃんよぉ。
フル メイクで登校してきて、授業中に化粧直ししてる他の子らを もっと注意しろよお」
と、反発を込めて、
「センセ、唇が赤いのはアタリマエですぅ」なんて、言い返していた私でしたww
閑話休題。
で、
そうは言ってても、うちの高校は、地元では伝統ある「お嬢さま」校として知られていて、制服も、由緒の名残を残し、なかなか上品、清楚ながら、可愛いデザインであることも知られていた。
良くも悪くもね、流行に敏感で、オシャレに夢中な女の子が多かったのだけど、
先述の上級生は、単にボーイッシュという以上に、わが校では珍しく、身なりに無頓着だったというのは、制服のネクタイは歪んでユルユルのまま、ソックスはズルズルで、左右の長さが合ってないまま。髪もボサボサ。
ほんとうに、気にしてないみたいだったと言うか、歪んでようがズリ下がってようが、本人は気づいてない。
気づいたとしても、たぶん、そのまま、かまわない。
でも、体育系の主将らしく、ぶっきらぼうと言うか、硬派と言うか、素朴で、ふつうに真面目。
でも、顔立ちは ととのってたし、どちらかと言うと、可愛い系。
もう一人の上級生は正反対でね、
これまた絵に描いたような、模範的、端正な優等生。髪の長い、色白美人で、見るからに、お嬢さま。女らしい、しとやかな、私らの世代でも、もはや絶滅危惧種だったタイプw
もちろん、制服も、清く正しく美しく着こなしていた。
そして、とにかく優しい優しい。
知り合って以来、顔を覚えていてくれて、
校内で すれ違うときなんか、私に目を留めては、
なんとも言えない柔らかな風情で、ニッコリほほ笑んでくれるの。
ああ、このトシになって思い出しても、胸がトキメキまするw
私は、二人とも同時に好きになったんだけどww
敢えて、どっちか選べというならば、すごく女らしいタイプの先輩のほうを、より いっそう、好きになっていった。
いまでもね、「おねえさま」と呼ばせていただきたいのでございまする(笑)
そんな私も、最上級生となったばかりの ある日のこと、
新1年生の女の子たちが、不慣れな校舎内で、休憩時間中に迷子に なり、戻るべき教室が分からなくなったらしく、たまたま通りかかった私に すがってきたので、道順を教えてあげたら、それ以来、私を見かけるたびにキャーキャー言うのよw可愛いなあと思いましたわ(笑)
じつはね、先日も、『ユーチューブ』で、もと「娘役」を実際に されていたという かたの、とある動画を見かけたときに、もっと、娘役に光を当ててほしい、今後の歌劇団の発展のためにも、男性一般のファンを開拓すべきでは?といった内容のことを訴えておられて、
そこから、冒頭のような妄想ドップリを展開してしまったのでしたw
もちろん、苦悩するヒロインたる娘役を中心に展開できるでしょ、同時に、脇役であっても、それぞれタイプの異なる男役さんたちのカッコイイ~場面も、たっぷり挿入できるや おまへん?どうかしら??
たしか、『エリザベート』なんか、そんな感じに近いのと ちゃうかったかな?詳しくは知らんけど。
まあサ、
昔から言われてきたらしいけど、
「うちの娘が夢中になっていても、宝塚歌劇なんだから安心だろう」
というのは、
いーやいや、実際のところ、かなり危ういのでは?と、私なんかは辛辣に推察しておりますがね。
特に汀さんの「熱狂的」ファンのオバサマがたを眺めてるとね(苦笑)
この人たち、結婚してるのか?ダンナさん、いても、おおかた、劇場に通い詰めて、「ごヒイキ」に貢ぎまくるためのATM的存在かいな??とw
ま、しかしながら、もと娘役さんが御提案のように、
大概は、まず身内や友人・知人などの近しい関係からツテが ある紳士とか、
母親がファンだったので、子ども時分に連れて行かれてたオボッチャマ育ちとかいった、ごく限られた層やタイプが中心だろうから、それに とどまらない男性一般の熱烈なファンを開拓となると、女性の場合の熱狂的ファン以上の危険も増える恐れは あるんじゃないかと思うけどなあ。
いちおう、現在のところまでは、『宝塚歌劇』鑑賞を趣味とする男性なんて珍しいほうでしょ、バレエ界と同様で。
たしかに、もう いいかげん、ある意味「男尊女卑」的な、古典的陳腐なパターンの演目も、変えるべきなんだろうな。
私個人的に提案したいのは、たとえば『ファントム オブ ザ パラダイス』『ロッキーホラーショウ』なんかオモシロいんじゃないかと(笑)
あ、「清く正しく美しく」から外れてしまうかねえ?w
学校時分、英語担当の先生が、まだ若い独身女性だったから、『タッチ ミー』の歌詞を、日本語に訳させようと画策したことが あった私ww
イケナイ生徒だったwww
【続く】
2022.08.21 (Sun)
『「男役」とか『宝塚歌劇』に興味が なかったわけ』の続き。
私の母らの世代は、終戦後の、娯楽が乏しかった時代、いまのようなテレビやネット動画などは全く ない時代だから、映画館へ、あるいは、ナマの舞台を鑑賞しにいくことが大きな楽しみで、それこそ、ストリップ ショウですら、あの頃は、ヌードそのものが目的では なく、バレエなどで鍛えられているプロのダンサーの踊りにこそ見ごたえが あって、芸術的で、とにかく綺麗で、イヤラシサなんてものは なかったから、女性の友人どうしで、時々鑑賞しに行ったと言っていたのを憶えている。
祖父の猛反対で叶わなかったけれど、歌劇団という世界にスカウトされたことが あった母親は、自分の実家から近いので、『OSK』も よく観に行ってたらしいが、
私が幼い頃、
家族が寝静まった深夜に、『宝塚歌劇』のテレビ中継録画を、一人で、ひっそりと見ていたことも憶えている。
そのときの印象を、先日のエントリーで述べたとおり、
幼い私の目には、
女性では ないのですよと言わんばかりの、しかしながらキンキラキンの衣装を、しかも、お化けみたいな巨大な羽根まで付けて出てくる、やけに厚化粧の「男の人」っぽい人を見て、
はて?女性でもなければ男性でもない、なんかヘン、
という感想しか なかった、それが本音。
ほぼ、そのままで、つい最近まで来た。
でも、
学校時分、オペラの鑑賞会が あって、そのときに、生身の人間が響かせる声や動きの迫力に感動した経験が あるので、
ついぞ縁のなかった『宝塚歌劇』も、ナマで観たものなら、やっぱり大いに感動したんだろうなあとは思う。
「夢のような、妖精の世界」へ誘う。
そりゃあステキだけれど、
舞台は舞台だけの世界であって、
歌劇団の内部にいた人たち、つまりはスターさんと、そのスターさんを取り巻く、コアなファンの人たちが、「それはソレ、これはコレ!」などと、なんだか必死に言い募る以上は、舞台を降りたあとのプライベートまでも、「男役らしく」「ファンたちのイメージを壊さない」ような服装とか しぐさを引きずる必要なんか ないだろうに、とも思うんだけどね、私は。
劇団側は商売だけど、
もし、そのへんを割り切れないファンたちが いるせいで、「男役スター」引退後の新たな切り替えや進路を狭めている面が、もしも あるとしたら、それは、ファンの側にも問題が あると思える。
だいたいさ、
特に『宝塚歌劇』の、それも男役スターの熱烈なファンって、よそ者から見たら、そうとう特殊と言うか、異様に見えるもん。
なんか、
『宝塚歌劇団』の内部に所属していた人たちと、ほんとうに長年に わたる熱烈な、かつ、実際に至近距離で取巻いてきたファンの人たちとで つくりあげている「壁」みたいな印象のほうが大きく残ってるのが正直なところです。
疎い部外者にとって、そもそも、『宝塚歌劇』鑑賞を大いに趣味としている最も厚い層は、裕福な、いわゆる「有閑マダム」のイメージ。そして、「身内感」すごいよね。中心にいる人は、感覚が狂ってこないかしら。
国全体が沈滞し続けていきそうな日本の昨今、この上なくゴージャスな夢の世界を誇った『宝塚歌劇団』も、今後、厳しい面を突破するだけの力が あるかどうか。
ますます、限られた裕福な奥さまがたの「現実逃避」世界に縮小していく懸念も感じた。
いまのスターさんたちの情報も、かつてほどには見かけないようだし、
世間には、「やりがい搾取の典型」てな批判の声も以前から あるし。
そりゃ、うら若い、健康な女性が、あらゆる機会に恵まれて、心底から好きでないと、できるもんじゃないだろうとも思う。
なので、
あくまで個人的には、
汀 夏子さんに関しては、ほんとうに、いまさら、自分でも驚くほどの興味を ひかれたものの、
『宝塚』的、典型的「男役」、優等生的安定の「男役」には、全くと言っていいほど、興味を そそられないタチの私は、『宝塚歌劇』自体に対しても、興味と関心が向かっていくだろうか?と自問してみて、残念ながら、これは「イエス」には ならないようだなあ、というのが、いまのところの結論。
あとは、、、
そうね、瀬戸内 美八さんトップスター時の動画を、探して観てみたいと思ってます。
2022.08.14 (Sun)
『その心理を聞いてみたい』の続き。
…
一人で眠るのは寂しい。。。
寄り添って、夜毎いっしょに眠りたい。。。
そんな、愛しい人の願いに応えてあげたいけれど
一人にならないと眠れないタチなのをガマンし続けて
慢性の睡眠不足に陥り、ついに自分が倒れてしまうジレンマ
寂しがりやは、ほんとうの孤独じゃない
寂しくないから孤独
…
さて、
近頃、私個人的にフシギに思っていることが、まだ あります。
それは、
世のなかには、このような人たちが少なからず存在しているらしい、ということ。
どういうことかと言うと、
『宝塚歌劇』などについて、ほぼ全くの無関心だった私が、ごく最近になって、特に汀 夏子さんや『宝塚歌劇団』を めぐる情報に触れてみれば みるほどに、
親子ほども年長の高齢女性、まあ、高齢であるといったことなどは さて置き、
自分に夫と子どもが ありながら、
その、親子ほども年齢差のある、間違いなく高齢となった女性(かつての男役スター)に対して、まさに恋い焦がれるほどの心理とは如何なるものであるか、ということ。
もっとも、若い頃から、その存在を知っていて、
そこから ずーっと、きょうまで熱心なファンを続けてきたのだという事情ならば、まあ、そんなものなのかなと、私にも理解できなくは ないのだけれど、
そういう人たちにとって、現実に伴侶たる御夫君は、どのような存在なのだろうかと、ファンの人たちのコメントなどを見るにつけても、いよいよフシギな印象を受ける。
一言で言えば、「それはソレ、これはコレ」ってことなのかね??
でも、
単なる憧憬ゆえの「崇拝」レベルにまで嵩じているのかと思いきや、
そうとばかりも言えないようで、
まさに男女間と同様の「恋情」であり、「色欲・情欲」すらも仄めかすような事実が あるのでは あ~りませんか?
ならば、
それこそ、現実に、大好きな、いや、愛してる!と言って憚らないほど、シビレさせられている男役スターさんから、
「二人で、いっしょに生きていこう」
とか、甘く囁かれたら、、、
このさい、トウチャンと別れようー!!
って、鼻息を荒くするのかいな??
このへんの心情、心理について、誰か、おせーてほしいのよ。
熱烈なファンの誰かに聞いてみようかな。
そりゃ、私のように、結局のところ、結婚や出産とは異なる道を余儀なく歩いてきて、しかも、私の場合、性別なんぞは拘泥するほどのもんではないと、あっさり割り切れているような感覚の者にとっては、同性に対する情欲すらも混じる恋愛感情が向かったからといって、べつだんの奇異も感じるところでは ないのだけれど、
現実として、夫と、一人ならずの子どもを儲けている女性については、いっぺん、インタビューしてみたいもんだ、と思うほどの不可解さが拭えないでいるのである。
ダンナさんよりも、ごひいきの男役スターさんへの思いのほうが上まわると、実際、そうだと、はっきり断言している人も いるんだもん。
それにしても、汀 夏子さんのファンたちは、とても真面目に、真剣に、全面的に、汀さんのことを思い、考え、愛しているようだと見受けます。だからこそ、汀さんも、それに大いに応えてあげたいと思ってきたのでしょうね。
さて、
汀 夏子さんは、『宝塚歌劇団』在籍当時から、このようなことを言っておられたようだ。すなわち、「わたしは一人だ」というふうなセリフなのだけれど、それだけなら、「あくまでも『男役』演出上のセリフやろ」程度に理解していたものの、
とある熱心なファンの かたによると、
近頃のショウで、汀さんは、私も好んで歌ってきた歌の一つである『誰も いない海』を歌われた、という話を目にし、、、
なんだか、涙がコボレそうになって、かなり困惑してしまったの。
これまで、自覚に乏しかったのか、あまり深刻には考えてこなかったのか、
もしかして、この困惑の涙には、
「汀 夏子」さん、あるいは「ジュンコ」さんという、往々にして、豊かなるスター性が伴う演技者のうえに招きがちな、心理的「投影」という作用が引き起こされているゆえなのだろうかと、
自分で自分に対して「困ったなあ」と思いつつ、それらしいところまで分析してみようと試みた しだいなのです。
とにかく、
「わたしは一人」などというセリフを言われると、
「そんなこと おまへんでしょ」と、冷静に受け止めるアタマの半面で、
「つらくても、死にはしない」などと、汀さんに歌われると、こぼれくる涙を押しとどめることが、、、という、われながらの珍現象に、驚愕してしまいました。
こんなことで泣くワタシやったかしら?。。。
学生時代にね、
夏の『軽井沢』に向かう夜行バスのなかで、
窓から、ふと、夜空を見上げてみたら、
山間部を走行するにつれ、空気が澄んで、大阪では見られないほどの、たくさんの星が見えてきて、
その星々が瞬く光もクッキリしてきて、私は、隣席の友人を突っつき、
「ねえ、ほら、見てみ、星が綺麗やで~」
と、話しかけ、しばし、顔を並べて、いっしょに眺めたあと、
気温が下がってきたせいで、鼻水が出てきたので、ハンカチで押さえているうちに、友人の ようすがヘンになってきて、急に黙りこくっていることに気づいた。
眠くなったのかな?とも思ったが、
「ゆうべ、急に、しゃべるの やめたね」
と、翌朝、理由を聞いてみた。
すると、
友人は、いつになく小声で、
「星を見ながら、泣いてたやろ?」
と、きまりわるそうに答えた。(ちなみに、例の、汀さんのファンですよw)
…
「はあ?わたしが??このワタシが!?」(唖然呆然)
星を、星を眺めて、涙を流すってかあ??(爆)
そんな「おセンチ」なタマかよ!?
このワタシが!!
流れ星に願掛けしようと、
「カネカネおカネ~!!」と叫ぶことは あってもw、
何年も友人づきあいしてきて、この私の どこを見て、そんな お門違いなこと言うてるのや???
と、
呆れを通り越して、怒りに近いものすら覚えたのでした。
そんな、メンタルがらっぱちの私がですよ?
「『わたしは一人』とか、寂しいこと言わないでくださいネ」
と、もはや高齢となられた夏子さん(ジュンコさん)の背中を さすってあげたくなってしまうので、やめてほしいわ。。。(涙)
なんか、最近の私、ヘンだな。
やっぱ、トシのせいで、涙腺が緩んできたのか?
…
月や あらぬ
春や昔の春ならぬ
わが身ひとつは もとの身にして
…
ものすごく久しぶりに(20代以来?)、小説でも書いちゃおうかなあ。
正直を言えば、けっして、あまり好きな作業じゃないけれど、なんか書きでも しないと、やりきれない気持ちになることも あるよね。
いま、なんとなく、私の脳裏に浮かんでいるのは、
たとえば『カイロの紫の薔薇』。
“Cheek to Cheek - The Purple Rose of Cairo”(1985)
a-ha-“Take On Me”
“Mes Mains Sur Tes Hanches” 夢の中に君がいる
(かなり音量が大きいようなので、ヴォリュームしぼってから、お聴きください)