2022.08.21 (Sun)
『「男役」とか『宝塚歌劇』に興味が なかったわけ』の続き。
私の母らの世代は、終戦後の、娯楽が乏しかった時代、いまのようなテレビやネット動画などは全く ない時代だから、映画館へ、あるいは、ナマの舞台を鑑賞しにいくことが大きな楽しみで、それこそ、ストリップ ショウですら、あの頃は、ヌードそのものが目的では なく、バレエなどで鍛えられているプロのダンサーの踊りにこそ見ごたえが あって、芸術的で、とにかく綺麗で、イヤラシサなんてものは なかったから、女性の友人どうしで、時々鑑賞しに行ったと言っていたのを憶えている。
祖父の猛反対で叶わなかったけれど、歌劇団という世界にスカウトされたことが あった母親は、自分の実家から近いので、『OSK』も よく観に行ってたらしいが、
私が幼い頃、
家族が寝静まった深夜に、『宝塚歌劇』のテレビ中継録画を、一人で、ひっそりと見ていたことも憶えている。
そのときの印象を、先日のエントリーで述べたとおり、
幼い私の目には、
女性では ないのですよと言わんばかりの、しかしながらキンキラキンの衣装を、しかも、お化けみたいな巨大な羽根まで付けて出てくる、やけに厚化粧の「男の人」っぽい人を見て、
はて?女性でもなければ男性でもない、なんかヘン、
という感想しか なかった、それが本音。
ほぼ、そのままで、つい最近まで来た。
でも、
学校時分、オペラの鑑賞会が あって、そのときに、生身の人間が響かせる声や動きの迫力に感動した経験が あるので、
ついぞ縁のなかった『宝塚歌劇』も、ナマで観たものなら、やっぱり大いに感動したんだろうなあとは思う。
「夢のような、妖精の世界」へ誘う。
そりゃあステキだけれど、
舞台は舞台だけの世界であって、
歌劇団の内部にいた人たち、つまりはスターさんと、そのスターさんを取り巻く、コアなファンの人たちが、「それはソレ、これはコレ!」などと、なんだか必死に言い募る以上は、舞台を降りたあとのプライベートまでも、「男役らしく」「ファンたちのイメージを壊さない」ような服装とか しぐさを引きずる必要なんか ないだろうに、とも思うんだけどね、私は。
劇団側は商売だけど、
もし、そのへんを割り切れないファンたちが いるせいで、「男役スター」引退後の新たな切り替えや進路を狭めている面が、もしも あるとしたら、それは、ファンの側にも問題が あると思える。
だいたいさ、
特に『宝塚歌劇』の、それも男役スターの熱烈なファンって、よそ者から見たら、そうとう特殊と言うか、異様に見えるもん。
なんか、
『宝塚歌劇団』の内部に所属していた人たちと、ほんとうに長年に わたる熱烈な、かつ、実際に至近距離で取巻いてきたファンの人たちとで つくりあげている「壁」みたいな印象のほうが大きく残ってるのが正直なところです。
疎い部外者にとって、そもそも、『宝塚歌劇』鑑賞を大いに趣味としている最も厚い層は、裕福な、いわゆる「有閑マダム」のイメージ。そして、「身内感」すごいよね。中心にいる人は、感覚が狂ってこないかしら。
国全体が沈滞し続けていきそうな日本の昨今、この上なくゴージャスな夢の世界を誇った『宝塚歌劇団』も、今後、厳しい面を突破するだけの力が あるかどうか。
ますます、限られた裕福な奥さまがたの「現実逃避」世界に縮小していく懸念も感じた。
いまのスターさんたちの情報も、かつてほどには見かけないようだし、
世間には、「やりがい搾取の典型」てな批判の声も以前から あるし。
そりゃ、うら若い、健康な女性が、あらゆる機会に恵まれて、心底から好きでないと、できるもんじゃないだろうとも思う。
なので、
あくまで個人的には、
汀 夏子さんに関しては、ほんとうに、いまさら、自分でも驚くほどの興味を ひかれたものの、
『宝塚』的、典型的「男役」、優等生的安定の「男役」には、全くと言っていいほど、興味を そそられないタチの私は、『宝塚歌劇』自体に対しても、興味と関心が向かっていくだろうか?と自問してみて、残念ながら、これは「イエス」には ならないようだなあ、というのが、いまのところの結論。
あとは、、、
そうね、瀬戸内 美八さんトップスター時の動画を、探して観てみたいと思ってます。