2019.11.06 (Wed)
『埼玉・杉戸町で図書館宿泊 秋の夜長に「読書をしながら図書館で寝落ち」』11/3(日) 9:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000002-minkei-l11
ステキだけど。
ただ、もしも、地震が起きたときのことは、考慮してるのかな?と、少々、気にかかる。。。
あの『阪神・淡路 大震災』のとき、大阪のなかでも、一部では大きな被害を こうむったが、
その頃、私の同僚が、就寝中に、揺れと共に落ちてきた大量の本に埋もれて亡くなったので。
次に、
『美術展に出展の書「滅び行く町相生」 市教委「不適切」と撤去要請 兵庫・相生市』11/5(火) 12:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00000020-ytv-l28
この記事を読み、真っ先に、なぜか、
「つけ火して煙り喜ぶ」
ナントヤラつう書道作品(?)を思い出してしまった。。。
さて置き、
私も、「滅び行く町 相生」という見出しを見て、『相生市』のことは、地名くらいしか知らなかったけれど、たしかに、
「えっ?なんで そんなこと言うの??」とは思ったよ。
記事中にある、問題になったという書道家の主張を読んで、
ああ、そういうことを言いたいわけね、と分かったけど、
やっぱり、その作品自体を見せてもらいたかったな。
もう数年前になるか、故 金子兜太氏が揮毫された
「アベ政治を許さない」
という、その主張以上に、
眼を瞠らされたのは、内面から迸り出たような筆跡の力強さ。
書かれた文字が、声を出している。
「ヤフゴミん」は相変わらずで、そもそも「表現」とは何であるか、芸術と思想との関わりは、といったことについて、根本的カン違いしたまま、それこそ、自分たち側が、「偏った」見解を開陳し、浅薄さ、教養のなさを曝け出してることに気づいてないようだが、
ウヨだかネトウヨだかの連中の解釈は、まさに、「当たってない」し、よっぽど、偏った「思想」からの感情むき出しでしかない。
例の『表現の不自由展――その後』だっけ、
あそこに出品した作者さんたち個々に持っている考えだとか思想だとかは、私は、とりたてて批判する気は ない。
要するにだな、
根底にある何らかの思想だのを主張したくて、それを出品しているのか、などは、二の次三の次なの。
それが思いっきり偏っていようが、どうでも いい。
要は、どのように表現しているか、なのだと思う。
そこに、ある種の、幾ばくかの「美」が感じられるか否か。
少々付け加えると、
いわゆる軍隊的な序列と行進・規律の厳しさであるとか、自国や主君に対する徹底した忠誠の態度であるとか、そういった、昔ながらの「美意識的」な面は、もしも、それを要求されたら、仮にも現代人である一般市民として、断固拒絶したくなるし、あくまで私個人として、まっぴらゴメンなんだけどw
それでも、独特に洗練された制服や所作の様式美みたいなものは感じないでもない。
たとえば『ナチス』時代のリーフェンシュタールの『オリンピア』は、背景思想が、いかに怪しからぬ、許し難いといっても、やはり、その表現には、端正な美を感じさせられる。
また、
どう見ても、こりゃ「児童ポルノ」だろ?と言わざるを得ない、非道徳的作品、あるいは また、怖ろしく禍々しい人物や光景を描写したにも かかわらず、
どこか抗い難い品格と魅力を感じさせる力を持つ作品も ある。
ただ、私にとって、そういう、「抗い難い魅力」や一種の「美」を感じるところが ない作品は、いっこうに響かない。
どこかの講義に参加した、とある絵画モデルさんの訴えのように、耐え難いほど、ひたすら醜悪、羞恥を もよおすしかないようなものも あるのだろう。
内容のことは詳しく知らないが、あの講師ってのは、そうとうに癖のあることで有名な男性なんでしょ?
まず一般的な感覚の女性なら、あんなに極端なとこまで いかないだろうね。
しかし、女性のアーティストでも、非常に いかがわしい内容のものを実施したという奇怪な事件も あった。
「芸術」って、しょせん、時代によって変化したりする「正しさ」やら「道徳」やら、そういうものを軽々と超えているからこそ、「良識」とか「こうあるべき!思想」とかに縛られないわけなんだろうけど、
もちろん、どのような感じかたを するかは、その人によるわけで、
感じかたを強制して、皆一律に統制なんて、ナンセンスでしかないもんね。
【続く】