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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.03.13 (Sat)

季節はずれのクリスマス ソングの続き。

 

だいたい、もとの自然界に任せていたなら、どういうわけか、「種の混合」などの問題が起きにくく、「種の保存」も保たれやすいのだとしたら、それは何故なのかを考えなければ ならないだろう。

 

今回の子猿についても、父親が誰なのか、徹底的に調べあげるらしいが、その際には、DNA鑑定などの実施に あたり、男性飼育員たちにも、、、

って、当初は疑われていたみたいだよね()

 

もしも、人間のオスが、モモちゃんの子の父親だったことが発覚したら、、、

「おまえは。箱入り娘のモモちゃんを孕ませたなあ?」

と、園を解雇され、逮捕され、裁判に、、、

んなわけは ないがw

 

ま、われわれヒトの祖先の場合でも、かの『ネアンデルタール』との混合は、意外なほど進行しなかったらしいけど。それくらい、本来、「種が異なる」ということの壁は大きいのだろう。

 

 

 

そりゃあね、例の『 アンコール トム』の猿たちだって、特にメス猿の一生は、オス以上に過酷だ。

オスは、「ハーレム」状態のグループのなかで、対外へ勢力拡大のためにも、「ヤリまくり」可能では あるだろう。しかも、基本的に、子育てには直接の責任を負わない。

しかし、メス猿のほうは、子の父親に対してすら、警戒心を失わないくらいで、好奇心のカタマリみたいな幼い子を、オス猿には近づけないように用心していることが多い。

 

猿の世界にも、「バカ母」というのは存在していて、
まだ小さい子猿を放置したままホッツキ歩いているうちに、他所から侵入したオス猿に襲われてしまった子を無残に死なせてしまったりしている。

 

基本的に、ひとりで子育てするメス猿は、子を産んだときから、たいへんだ。

ひとりで苦しんで産み、ひとりで、産後の あとしまつを してからは、自身の血の変化物である母乳を、すなわち栄養をトコトン吸い取られ、一日じゅう、子猿に強く しがみつかれる、それらの痛みに耐え、ほどなくして、またぞろ、オス猿の性欲に応じなければ ならない。

 

そのせいか、メスどうしで互いに助け合っている場面も多々窺える。

もちろん、そこにも争いや危険は少なくないのだけれど。

 

それに、自分の子を持っていることは、猿の世界においても、基本的な社会貢献というのか、一種の誇りとしている価値観の片鱗が窺え、
むろん、それが正しいのか否かは別として、
こういうところにも、人間社会との古い共通性が窺える。

 

まだ、子を産んだことのない若いメス猿は特にだが、時々、子猿を誘拐する風習めいたものが ある。

極端な場合には、人家で飼われている子犬や子猫までも誘拐してきて、ついには餓死させてしまう。乳を与えることが できないのだから、当然だ。

 

ただ、この奇妙な風習めいたものは、子育てで疲弊している母猿を休息させたり、また、子猿の、母親への執着や忠誠心の強さのようなものを確かめる意味合いも あるのだろうか、子猿の姉に当たる若い雌によって実行されることも多いらしく、子育て予行演習を兼ねているようでも あり、同時に、子を持ち、育てることへの憧憬めいたものも感じる。

 

母猿にとっては、子の存在は、一種の「ステイタス」でもあるから、「誘拐」その実は休息であり、上の娘の「練習台」にさせているようでもあるものの、連れ去られてしまうと、いちおう、近くでウロウロしながら、それとなく見張っては いる。

そして、幼い子猿が、自発的に、自分のほうへ戻りたがるのを待っているふうでも あるし、

やはり、一つには、子どもは「母の勲章」、所属グループに貢献している存在であることと、自分の所有物であるという感覚ゆえにだろうか、
結局は、タイミングを見て、もの凄い素早さで取り返すのだが(失敗した例も ある)。

こういうところも、人間との古い共通感覚が窺えるように思う。

 

 

いっぽう、幼い子猿のほうも、過酷だ。

ほとんどの母猿は、自分自身が栄養不足であることも多く、
殊のほかに「ヒエラルキー社会」であることをも如実に示して、
生まれ落ちてから僅か数日も経てば、たちまち、母乳をシャット アウトされ、おぼつかない足どりで、ヨチヨチと、口の まわりを砂や泥まみれにしながら、自分の食べ物を探しに徘徊を始める。

 

それでも、ほとんどの子猿にとって、母猿は、いざというとき、いちばん、自分を守ってくれる存在として、その信頼感は絶大だ。

生まれ落ちて すぐのあいだは、母親の足のあいだに柔らかく挟まれ、腕や手に支えられ、母親の頭と顎は屋根庇となって、あたかも、カプセル ベッドの如くに包んでくれる。温かい胸にはミルク バーが二つ備え付けられており、母猿の身体そのものが、子猿にとって、最も安心できる「家」そのものだ。

 

しかしながら、早ければ数日後に、この、居心地の良い お布団から叩き出されるわけだが。

 

そして、母親は また、オスたちの要求に応えて、次の子を妊娠し、それが生まれたら、もはや、めったなことでは、自分の存在を、気にかけては もらえない。

 

けれど、これも人間の世界と似て、

上の子をサンザン邪険に扱っていた母猿も、下の子の世話を心がけて、母親を労わろうとしてくれる上の子を頼りにし、時おりは思い出したように、上の子の世話を焼き、幼い頃のような甘えも受け入れてやるときが ある。

 

『アンコール トム』の周辺で暮らす猿たちは、全くの野生とは言えまいだろうが、いつも周辺でウロウロする人間たちは、「仏」と「悪魔」の両面を持つ存在だ。

厳しい、過酷な生活で あり、
残酷なトラブルやアクシデントに直面する恐れは常につきまとう。

 

「ネトウヨ」や「ビジウヨ」連中は、よくもまあ、こんな世界に先祖返りさせろと主張するもんだなあと、ここでも呆れかえるのみだ。

 

 

さて、

動物園の ありかた、特に日本における動物園の環境は、なるべく早く、改善に取り組まなければ いけないのではと思う。

わが大阪の『天王寺動物園』も、ますます、経営が苦しくなってしまっていると言っていた。それが影響してか、管理環境も余裕が失われ、どんどん、お粗末になっているとも聞いた。

飼育・管理側としては、精いっぱいに くふうし、心尽くししているつもりだろうけれど、

あの「シャバーニ」も、動画で見たかぎりでは、やはり狭いスペースにて管理され、変化に乏しく、退屈の あまりなのか、かなりイライラしてノイローゼ状態みたいな ようすだった。

 

 

たとえば、希少な、あるいは「絶滅危惧種」でさえある場合、個体の数が限られ、特に、日本国内における数は、ますます限られるゆえ、ふつうの繁殖ですら困難になってくるのに、そのうえ、同じ個体のオスによる生殖が繰り返されて蔓延してくると、それ自体も「近親交接」に近くなり、遠からずアタマ打ちの事態に直面するはずだろう。

 

あくまで自然界の、自然の摂理によって、生物の繁殖や「種」の淘汰が起きるのは、なにも問題とするには当たらないのだろうが、

ことが人間によるもの、つまりは不自然である場合に、知恵を絞り、どのような手段を とってみても、いずれは行き詰まる恐れが高いようだ。

根本的な理念からして問い直さなければ ならないところに さしかかっているのでは なかろうか。
それと、動物実験についても、すみやかに改善を進めてほしい。
できれば全廃まで。

 

 

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