2021.03.09 (Tue)
『【最終】「ママ友」殺人事件を考察(&不倫について。)』に追加。
今回の、「ママ友」事件の場合、私を含めた多くの人が、
なんで ここまで無防備、、、と、
餓死させられた5歳児の母親にも、呆然とするんだけれど、
「考えられない、理解できない」
と言う人ほど、騙されるんだと説く人がチラホラ。
まあ、そういうことも言えるのだろう。
いわゆる「オレオレ詐欺」なんかに、あっさり引っ掛かる人は、ふだん、「自分だけは」「自分に限って」とか、そういうふうに信じ込んでいる典型なのかなとも思えるし。
ただ、
やっぱり、特に経済的に余裕のある人、概ねは、そこまで、いちおう平穏無事な人生を送ってこれたんだろうなと思う。
それゆえに、ウヌボレていることに無自覚だから、いざ、突発的トラブルが舞い込むと、慌てて走るんだろうと。
昨日あたり見かけたニュースだが、
またも、騙されて大金を渡してしまった被害者は、
他の被害者たちに共通して多いパターンとは少し異なっていて、
疎遠になっている家族や身内のトラブルと聞かされて、すわ!というのでは なく、同居している家族なのだという。
だったら、ほぼ毎日、顔見て話すなり、何らかの接触しているはずだろうにと、私は怪訝に思えたんだけど、これまた粗忽にも、当の家族自身に連絡して確認することもなく、右から左へ渡してしまったらしいのね。
疎遠になっている家族や身内だと、「ここぞ!」と、ある意味ハリキッて、助けを与えてやらねば、みたいな心理が はたらくそうなのだけれど、
同居している家族なのに、これはねえ。どういうことなの?って思った。
顔も合わさず、口も利かず、いま、どんな情況なのか知らない、食事も別の、家庭内別居なの??って。
私自身もね、生来、素直な気質ですよ、ええw
私を小バカにしてやまない親や叔母なんかでさえも、幼い頃、子どもの頃のアンタは、ほんとうに素直な良い子だったと、
毎日のように何かと罵ってくる母親ですら、
おまえは小さい頃、手のかからない、ラクな子だった、と言ってたくらいだよ。
もっとも、同時に、
長じるにつれ、可愛げ なくなった!優しくない!!
とクサすんだけどねw
私はね、相対する人をハナから疑いの心で見たりは しないし、基本的には好意的に、善意の側として対等な存在であろうという前提で向き合います。
なので、
どっちかと言えば、それこそ、今回の「ママ友」事件の、被害児の母親側に、わりと近いタイプなのかもしれない。
もちろん、情況や場合によるし、
すでに厭な思いを してきていたなら、その度合いに応じて、以後は警戒するし、信用する気は持たないよ。
それに、誰でも彼でも全面的に信用するわけじゃない。
女性は特に若い頃は、警戒する必要に迫られる場面が多いしね。
私も、性犯罪を含めた危険に、たびたび遭遇してきてるので、たとえば、いまどきの若い女の子たちが、ネットで漁った初対面のオジサンなんかとホイホイ待ち合わせてホテルへ なんて、生理的嫌悪感とかないの?微塵も警戒心ないの??とフシギなくらい不可解と思うけどね。
私の少女時代や若い頃は、オッサンなんて不潔!触るな!!って感覚だったしw
ただ、
私の場合、ある程度の期間や回数、接触してきた相手の言動や、私に向けてくる態度、発言などで、ヘンだなと気づく瞬間が、どこかで来る。
それが早ければ早いほどに、深刻な事態は避けられる。
もし、なかなか気づけない場合だったときは、どういうわけか、ほんとに危うい一歩手前で、ひょんなことから、思わぬ真相を垣間見せられるようなフシギな瞬間が ある。
その おかげで、
あの「ママ友」被害児の母親や、『結愛ちゃん』『心愛ちゃん』の母親らのように、最後の最後まで振り回されたりするといった大きな失敗は、したことが ない。
やはり、いかに早く気づいて、立ち上がり、動き始められるかに かかっていると思う。
大切なものを次から次へと失っていくたびに、そんなバカな、こんなはずない、と、現実から目を背けて、意地になってしまうだろうし。
私が、ほんとうに大失敗したと言えるのは、自分自身についてだ。
つまりは、母親からの被害。
なぜかと言うと、
母親だけは、なかなか、その本性を見抜くことは困難だったから。
やっと、その全貌と心底とを、だいたいのところ見抜けるようになったのは、母親の死後。
つまり、もう遅かったわけよ(苦笑)
母親こそは、親父なんか以上に「ペテン師」だった。
しかも、やっぱり、ちょっとも自覚しようとしなかった。
そんなわけで、
うちの母親はね、今回の「ママ友」事件で言うならば、支配していたという加害者のほうに近いタイプだ。
あるいは、他の事件でも、
被害者側が、その家族ごと、不可解なほど牛耳られていたというパターンでは、やけに押しの強い、その場の女王みたいな立場で支配していたという女が登場するよね。
まあ、そういうのに似てると言えなくもない。
母親本人が聞いたら激怒するだろうけどw
たとえばね、
母親の言いなりで、よりによって、聴力が必要な専門職養成校に通っていたものの、いずれ近づく就活で行き詰まることになるだろうと危惧した私は、『障害手帳』を、初めて申請しようとし始めた。
あの当時は、まだ、パソコンやインターネットは、少なくとも、一般に普及していない時代だったから、メール問い合わせや、検索して情報収集なんて、できない。
『手帳』申請するにも、定められている手続きの順序を踏んでいかないとならないんだけど、電話で聞いても聞き取れず、じゅうぶんな情報が乏しいから、ほとんど出たとこ勝負で動き始めるしかないと覚悟し、まずは、とにかく、きちんと検査してもらわなければと、母親に付き添ってもらい、ある大学病院へ出向いた。
私の聴覚障碍は、かなり異質で複雑な面が伴うので、検査も大変な思いを するハメになって、まじで涙を流しながら(強烈な痛みが伴うから)、やっと終えたんだけど、
その検査のときの数値を見た看護婦さんが、
「こんな状態で、いままで、よくガマンしてきたねえ」
と、驚きながら感心していた。
重度の貧血状態だったときも、
自覚していなかった私は、何か分かるかなあ?くらいの軽い気持ちで、献血しようとしたことが あったのだが、そのときも、看護婦さんに、
「しんどくないんですかあ?」
と、驚いて言われ、献血してるどころじゃないです、すぐ病院へ、と断られたことが あった。
でさ、
その聴力検査のあと、
担当医師に向かって、うちの母親、どうしたと思う?
私には『手帳』不要なはずだと、
それを医者自身の口から言わせようと、
凄まじい勢いで、まくしたて始めたのだ。
医者は、びびったように気圧されていた。
私自身が、『手帳』取得の手続きについて、よく知らないままだったから、卒業後の就活に差しかかって、なんとか少しでもマトモな就職をと願っての最初の計画は、この時点で、母親によってペッチャンコに潰されてしまった。
お稽古ごと教室を運営していた母親には、ボランティア活動や福祉関係の知己も多かったので、その一人が、『手帳』を申請させておかないと、娘さん、今後たいへんだと思うよ、と忠告してくれていたと、このことは、母親が亡くなったあと、別の知人から聞いた。
母親は、不快そうな、複雑な表情で、ただ無言だったそうな。
ひとたび、自分の思いどおり狙いどおりに仕向けるためとあらば、即、「立て板に水」とばかり、まくしたてる、
その特徴的な、もの凄い勢いは、
過去エントリーでも触れておいたとおり、
専門家によれば、ある種の「精神異常」から来ているものらしい。
これも、母親関係の知人が、母が亡くなったあとに、ポロッと言ったことだが、
「(あなたの)おかあさんって、思い込んだら命がけ!って性格だったもんねえ」
と。
生前の母親は、親父の先妻との長女である義理の娘が『自己愛性人格障害』と診断されたことについて、
いかにも、あの性格だもの、そりゃ、あの子は そうだろう、
と、呆れ果てた口調で呟いていたが、
その母親自身も、間違いなく『自己愛性人格障害』あるいは『演技性人格障害』、また、『発達障害』も、「脳内異常」も備えていたわけでw
ずばり言うけど、
こういう親では、子どもは災難だ。
もっとも、親父と、その連れ子らにとっては大いにラッキーだったわけだけどさ。
自分の子よりも、自己承認欲求とミエを満たすほうが大事だから、親父らには、文字どおりの命がけと、意地で尽くしたんだと思う。
ただ、それも、私が辛うじて生まれ落ちたからこそであって、
ダブル不倫の母親自身には、当時、まだ他人の亭主だった親父と一緒になれる保証なんか なかったのだから、自分の腹のなかで死にかけている胎児だった私を理由にして詰め寄るしかなかった。
要するに、おなかの子をダシにしたわけ(嗤)
その話のときも、「父親の いない子にしては ならんと、あんたのために」と言い張ってたw
(誰も頼んでない!!w産んでくれるな、おっかさんww)
で、
当時の親父の女房も、もうすぐ、あかんぼ生まれますわ~てな腹ぼてを突き出してる最中だったとな(嗤)ダブル不倫のダブル妊娠(嗤(嗤)
【続く】