2021.03.08 (Mon)
『【続・続】「ママ友」殺人事件を考察(&不倫について。)』の続き。
たしかに、多少、意地の悪い面も、あった。
非常に、気が強い性格だっただけに、どちらかと言えば、うちの母親は、「いじめっ子」タイプに近かったと、娘の私でも思う。
これまた、当の母親自身は自覚していなかったのだろうけれど。
しかし、もちろん、良い面も あったわけよ。
たいがいは、ほとんどの人が、比率の違いは あれど、両面を持っているだろう。
だからこそ、事態が縺れ、膠着していきがちになる原因なのだ。
要は、どちらのほうが大きいのかってことです。
極端な言いかたを すれば、
どうでもいいような、こまかいところに長所を持っていたとしても、
それ以上の欠点や悪いところが大き過ぎたら、そんなもん、ガマンならんでしょw
たとえば、カネの計算には敏くて正確な、良く回るアタマでも、
誰かの人生を狡猾に利用し、妨害して潰して悦ぶような者を受け入れられますか?ってことよ。
うちの母親は、幼い私に向かって、いつも、
「おまえまでが言うことを聞かなかったら、おかあさんは、隠してある毒を飲んで死ぬからね」
「おまえなんか放って、この家から出ていくよ」
と脅してきた。
親父と諍いするたびに、私を横目に、
「この子には、あんたしか おらんのやからね」
と、おのれの亭主に向かって凄んでいた。
幼かった私には、その意味が理解しにくかったのだけれど、
要するに、いざとなったら、私をサッサと捨てて、親父に押し付けることだって辞さないぞ、という恫喝よねw
暴力親父と、意地の悪い腹違いの姉や兄らと、この家に置いてきぼりにされてしまったら、、、
と思っただけで、怖ろしくて泣けたもんです、あの頃の私は。
どうやったら、他の人たちと同じように、正しく発音できるのだろうかと、鏡に向かって一人、練習していた、子どもの頃の私。
小学生時分、授業か何かのときに、担任教師から、「尊敬する人」を挙げなさいということで、そのときの自分が、誰を挙げたかは忘れてしまったが、そのことを、帰宅してから、母親に話したことが あった。
すると、母親は、
「おまえは、どうして、『尊敬する人は、おかあさんです』と言わなかったのか!」
と、
恐い顔して言ってきたので、ただ困惑し、自分が悪かったような気持ちになって黙ってしまったことを、いまでも憶えている。
うちの親らは、子の障碍についての責任や、それに伴う悪影響が あり得る子の将来を真剣に考えようとは一切しなかったが、まず、その点が、私にとっては致命的だったし、
また、年がら年じゅう争いごとの多い家で、凄まじい暴力や暴言、怒号が飛び交う状態だったし、
何よりも、母親が、父親に殺されるのでは ないかという恐怖に苛まれながらという状態が、幼児期から、成人して、家を出る頃まで、いや、もっと言うと、家を出たあとも続いていたということは、いまだに、思い出すと、フラッシュバックを起こしそうになるくらい、忌まわしい記憶だ。
それでもね、
基本的な食事や睡眠を妨害されるということまでは なかったよ。
むしろ、夏場になると、食欲を なくしがちだった子ども時代は、食べないと不審がって、しつこいくらい勧めてきたし、
夜更かししてると、早く寝ろ!と煩かった。
だが、
親父のほうは、
こまかい(細か過ぎる)ルールを設定したがるという性質が、隙あらば、のさばろうとしていた。
これは、あの『結愛ちゃん事件』や『心愛ちゃん事件』なども含めた、虐待する父親と同じ傾向だ。
一歩でも違っていたら、たちまち噴出して歯止めが かからなかったかも しれない。特に、親父のほうは。
実際には、
うちは、新聞沙汰になるところまでは辛うじて、いかなかった。
要は、程度問題なのだ。
程度如何に過ぎない。
犯罪を起こさずに済んだということは、まことに、自他共にとって、幸いなことだ。
しかし、
うちの母親も父親も、世間を騒がせた虐待親らと共通した基本的性質を、まぎれもなく持っていたのである。
日本では、最近も指摘されている「夫婦別姓選択問題」でも現れているように、とにかく、政治権力と役所は、統一と管理が大好きだ。
まあ、こんにちでは、腐れた『自民党』と、そのシンパ勢力(『日本会議』等)が中心になっているわけだが。
校則などのルールも、不必要で無意味なまでに細かい傾向が あるよね。
これらは、日本の公共や国民性全体に、「虐待親」的性質を持っているということかもしれない。
そして、子どもや若者は、伸びにくい。
がんばって伸びようとする姿にも、どこか悲愴で痛々しさが滲み出る。
やたら口が上手い。
みょうに押しが強い。
何かと恩着せがましい。
むなしいプライド、しょうもないミエ。
これも、少なからぬ人が経験しているようだが、
「(誰それ)が、あんたのことを、こう(悪口)言ってたよ」
と、コッソリ告げてくる者は、たしかに、性格が よろしくないという指摘は、ほぼ間違いなく当たっていると、私も思う。
私の家族内や幼なじみといった周囲にも、このとおりの者が一人ならず居たから。
そして、
そういう人は、「誰それ」ではなく、ご注進しに来た当の、まさに本人自身が、とんでもない悪口を、陰で言いふらしていたりするのである。
なおかつ、
たいがいは、裏で引っ掻き回し・根回し工作にも励んでいたりする。
「『あんたのために』というコトバは、いついかなるときも美しくない」
(by大島弓子氏)
思えば、
「あんたのため」というコトバも、うちの母親の口癖の一つだった。
そして、
「『悪いようには せんから』と言う人は、必ず、悪いようにするものだ」
(bySchneewittchen)