2021.03.11 (Thu)
『『「ママ友」殺人事件』の考察オマケ~「悪人の心理」』の続き。
「浮気調査」してやったよと言われたら、当時、夫婦仲が破綻に瀕していたわけでもないのに、そのまま信じる妻が いるもんかねえ?
裏切られたら、いちばん厭な、認めたくない相手でしょう?夫とか伴侶の存在って。
まずは、証拠を掴んだとするものを見せてほしいと言わないかね?浮気相手と密会している写真とかさ。
裁判してるにしても、当の訴えを起こした本人が終始、引っ込んでるままで通るのかいな??
この被害児の母親も異常としか思えないほど、とことん言いなりになっていた、その底に何が あったのか。
もしや、ある面では、「裁判して慰謝料とかで高額を得られるんだ」ということに、ひたすら賭けていたのでは あるまいな?
だから、ここを耐えれば、いずれは おカネが、、、というふうに、意地になっていった面も あるのかもしれない。
もし、もしも、そうであったら、しょせんは、おカネだったということになってしまうなあ。わが子の命よりも。
不自然で、おかしな登場人物だらけだ、この事件。
最後に、ひとつ言っておきましょう。
悪人は反省なんぞ一切、しやしないんだ、ということの理由。
それはね、
「悪こそは価値」
と思ってるから。
「悪行こそは価値あること」
つまり、そういう価値観なのだろう。
要するに、
「狡猾、悪辣、およそ悪いこと、しかも、とことんまで悪いことを しおおせるのも、あたまが良い証拠」
「しかもバレない、捕まらないときたら、非常に強運だということ」
てな価値観を持っているのじゃないですか?w
まあ、バレてしまったら、そこまで。
そこまでのオツムであり、運だったということ。
バレなかったら、類稀なる強運の持ち主だし、
たとえバレても、そのたびに何度でも復活してこれるまでになったら、
これは もう、大した傑物なのだ。ね、トランプさん?ww
そんな典型は、特に『自民党』を軸とする政界、財界に溢れかえってるわな。
「悪いやつ」ほど、「悪いやつ」をリスペクトしてるよねw
お互い、信用は しないのだが、自分よりも悪人だったら、かえって、一目も二目も置く。
「善人」とか「善良」であることは、軽蔑しきっている。
悪人は、自分たちのあいだで、何らかの競争や利害争いが起きていないかぎりは、むしろ、がっちり手を組んで庇い合い、ましてや、利害合致しているうちは、積極的に協力し合いさえする。
「軽蔑の対象である善人」は、あくまで自分の満足に資する存在で あるならば、単なる「猫可愛がり」の対象とする。
常に怠りなく警戒しなければ ならない悪人だらけの世界では、裏切りを疑う必要もなく安心していられる「善人」は、ひとときの息抜きを提供してくれる貴重な存在でもあるから。
それでも、ひとたび、自分を脅かしかねないと思ったら、即座に、徹底的に潰しておこうとする。
自分の子でもだ。
「ママ友」事件の「洗脳」女も、被害児の母親を、「あのバカ」と呼ばわっていたそうな。
(そう言えば、うちの親父と先妻のあいだの長女が、私の母親と同居するまでは、家庭内イジメの対象に仕向けていた弟、すなわち私にとって腹違いの兄のことを、親父に告げ口するとき、必ず、
「おとうさん、おとうさん、あのバカがね」
と言っていたそうな。
チック症だった亡兄は、子どもの頃、ご飯をボロボロこぼしてしまう癖が あったので、タオルを、あかんぼうのヨダレ掛けのように掛けさせられ、玄関の冷たいタタキの上に正座させられて、親父と姉に見下ろされながら食事していたのだという。
晩年には『パーキンソン病』に罹患した親父のほうが、かつての息子のように、ボロボロと、食事を こぼすようになった。)
「騙されるのはバカだから」
「騙されるほうが悪い、バカなんだから」
そこのアナタだって、全く認められない考えかただとは思ってないんじゃないの?ww
「ネトウヨ」「ビジウヨ」『自民党』支持者の「ヤフゴミん」なら、
実際、こうした考えに全く違和感を持たず、毎日、大々々賛同してるでしょうが(嗤)
「善人であること さても まことに 成ること難し」(シモニデス)
――プラトン『プロタゴラス』