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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.03.23 (Tue)

「天才」と呼ばれたいチミに。の続き。

 

さて置き、

私は、もう何年前になるか、例の「汚気・愚(オーケーグー)」の回答でも、当時から指摘しておいたことが あるのだけれど、

もちろん、
あそこの連中に、私の指摘や示唆を理解する者は皆無だった。

 

まずは、
「狂気」あるいは精神病の類と、「天才」と呼ぶべき能力とのあいだには必ずや、イコールに等しいほどの結びつきが あるとは限らないのでないか、ということをだ。

 

これは、私自身の身近に、精神病であった者や、脳に異常性が あった者が幾人か(と言うか、ほぼ全員w)存在していたことから明らかに察せられたのだが、

 

(ここで、ちょっと、おことわりを。

先日のエントリーでも、うちの母親の脳が先天性異常、ということに触れたけれど、あらためて思い返すと、
母親は、交通事故のおりに、頭を打って、長期入院してたことが あるんでした。

そう言えば、夜中に寝ている最中、それも、フシギと、親父が留守にしている夜間が特に多かったんだが、
発作と言うのか、痙攣に近いような激しい震えを急に起こすことが たびたび あったので、

近年になって、私は、母方の叔母に当たる人の症状を聞いていた記憶から、遺伝的に『てんかん』の素質も あったはずということを考えていたんだけれど、

それだけでなく、よく思い起こしたら、交通事故に遭って、入院し、帰って来て以降だったのだな、あの奇妙な発作が起きるようになったのは。

どうりで、母親本人自身、

「交通事故が直接の原因らしいが、医者から『脳波が乱れている』と告げられた」

と、何度か言っていたのだった)

 

たしかに、平均的なレベルに比べたら、何らかの分野で、目立つ能力やセンスが見受けられたという事実は ある。

しかし、そのこと自体をもって、では、広く世のなかに打って出て、当人の存在が「天才」として知れ渡った、などということは ないわけで。

 

 

世のなか、狂気じみた、とんだ凶悪事件を起こす者も いるけれど、それらの者が、じつは芸術的才能を持っているという保証は必ずしも ないのだし、

逆に、

豊かな才能を知られている人が、他者を困らせたりする迷惑者や犯罪者になると決まったわけでも ない。現実は、いたって普通に生活し続けている人が殆どだろう。

 

と言うよりも、

いちおう「平凡」な人でも、どこか何かしら、幾分かは問題ある面を持っているものだろう。

 

全き健全とか「健常者」のほうが、よっぽどマイノリティなのが実態では なかろうか?()

 

 

言ってしまえば、「美男」「美女」という存在、これも「天与の才」という指摘も あるし、そうも言えそうだなと、私も思う。

なぜなら、本来は、当人の努力と全く関係なしに、生まれつきのもので あるわけだから、これが際立っていれば、それを武器に、世に出たりなどの切っ掛けやチャンスを齎すのは同じことだ。女性なら「玉の輿」というパターンは、古今東西共通。

うちの母親も、若い頃には、文字どおりの「玉の輿」や芸能界デビューのチャンスは あったし(ただし、祖父が猛反対したらしい)、叔母や叔父などは、モデル業など、容姿のみで稼いでいた。

 

(逆に、実際、顔面など容姿上の様々な障碍を持つ人たちも存在するよね。)

 

そして、ここでも、時代の向きも影響してくるわけで。

 

あるいは、「生まれたときが」なんとやら、

やはり、「運」の強弱と言えば いいのか、もたらされたチャンスを ものにできたかどうかであるとか、

自分で選んだ覚えもないのに、これが「親」これが「養育者」として与えられた その者たちの姿勢や生育環境の違いが断然、大きく左右したということのほうが、私の目にも明らかと思えた。

 

だいたい、世のなかで、何らかの分野に おいて、華々しい才能や能力を示し得た人は、そもそもの生育環境も、それに見合う程度に用意されていたケースが多いようだ。

音楽やスポーツなどの方面は特に、多くの資金も必要だと聞くし、

最近の調査では、単に高学歴であることにも、生育家庭の経済力が大きく関わっているということが明らかとなった。

 

ということは、

市井の一般人、これと言った得手や才もない者として平凡に生きている人々にだって、何らかの天分と言える才は多かれ少なかれ備わっていても、

周囲の環境や状況が、それを伸ばすまでには至らなかったケースのほうが大多数なだけである、

とも言えそうだ。

 

 

一般レベルよりは、少し大きめの資質が与えられ、環境も与えられて、本人も、その気を心身ともに維持でき、努力を続けるだけの情熱が ありさえすれば、

誰かのコトバを借りれば、

キングには なれなくてもプリンスには なれる」ものだ。

 

 

ただ、もし、環境に恵まれてとは、おせじにも言い難い状況であっても、その不利を凌駕して余るほどの天分が あれば、やはり、幼くして抜きん出た傾向を隠しようもなく示すのだろう。

 

これも、「汚気・愚」などで回答したことが あるのだが、
かの田中一村画伯の幼少時の出来事。

一村画伯の父上も、その道の人だから、幼い息子が描いたものに関心を払って、ここは、という箇所の手直しを施し、跡継ぎの指導をと思われたのだろうが、

幼い画伯は、プロである親の手直しを断じて許さず、その場で、激怒しながら、たちまち引き裂いてしまったという。

これは こうでなければ ならぬ、
という確固とした内なるビジュアルが あるのだろうか。

 

他にも、一村画伯の幼い頃に描いたものを、私も、テレビ番組か何かで見た記憶が あるのだが、テーマと言い、表現技術と言い、とてもとても、子どもが描いたものとは到底、思えなかった。

 

もう一つのエピソードは、

うちの母親が述懐していた話だが、

戦後のドサクサと、民衆の生活の苦しさが、なおまだ続いていた頃、
母親らが住んでいたアパートの一室か近所に、貧しい親子が入居していて、そこの、まだ幼くして寡黙な長男は、いわゆる「モク拾い」とか言うのだろうか?貧乏で買えない父親の ささやかな楽しみであるタバコにするため、そこらで捨てられている吸い殻を熱心に拾い集めていたそうだが、この男の子が、あの「山下 清」ばりの絵を描くというので、
近所の人々から「キヨシ」と、あだ名で呼ばれていたという。

もちろん、誰に教わったでもない。

そして、知能に軽く障碍を持っていたということだった。

 

 

ちなみに、これも、『汚気・愚』の回答とか旧ブログのエントリーで述べた話なんだけど、

若い頃は、ハモニカを吹くのと、絵を描くのが好きだった、うちの親父。

親父は、絵に関しては、いわゆる正統的なというか、端正な描きかたの具象画が基本の好みだったようだが(たとえば黒田清輝とか浅井 忠とかいったあたりね。あとは、日本画全般には、まず文句も出ない)

ただ、東山魁夷を知ってからは、他の どんな画家に対しても見られなかったほどの絶賛ぶりで、魁夷画伯の作品にゾッコンだった。

(たまたま何かのおりに、戦時中の軍隊に おける、東山氏の階級を知り、

「おやぁ?意外だなあ~。俺のほうが ずーっと身分が上だったんだぁ!ウッヒッヒ」

とヘンな悦びかたを していた。画家になれなかったコンプレックスかね?w)

その反面で、

ピカソは大ッきらいだ!!

と苦々し気に吐き捨てていたw

(私の母方の叔父なんかは、ピカソばりの絵を描いてたそうだが)

でもさ、

あの有名なデフォルメされたやつじゃなくて、ごく普通の描きかたしてる作品も あるでしょ、ピカソと言えども。

そっちの作品だけ見てた分には、親父だって、それほど嫌わなかったんじゃないかなと思う。

 

ピカソも、一般的な描きかたを しようと思えば、いくらでも そうできたし、そういう作品を見たら、
もともとから実力、技術が際立っているので あって、
有無を言わせず上手いんだということは、ピカソのファンでもない私にも分かる。

もっとも、私自身、デフォルメされたほうのにも好きな作品は幾つか あるけど。

ドラ・マールの肖像なんか、すごい描きかたされてるけど、
実際、この女性は美人だったんだろうなあと、すんなり想像できたし。

 

しっかりした基礎の土台、実力が あるから、その上で自由自在に飛び、跳んで遊ぶ。遊びかたが分かっている。

「お茶の子さいさい」な余裕を見せつけられてる感じ。

 

あるいは、

やはり、まあ、「こうでなければ」、どーにもキモチわるいんだわな。

 

これは こうなの!ぜったいに!!って。

幼い一村画伯のように、「こうでなければ ならぬのだ!」という、自覚なき確信みたいな。

 

最近の話題の記事から

 

青年時代に精神の異常を来し、父親を発作的に殺害してしまったという悲劇の画家として知られるリチャード・ダッド。

親を殺した、その同じ手で描いたなんて信じられないほど、「ティターニア」に夜具を掛けるフェアリーたちの手の、なんと嫋嫋と優しげなこと。

テーマが「妖精」の世界でもあるせいか、独特の色調が禍々しいほどに美しい。かつ、禍々しいほどの緻密さ。

 
 

  Richard Dadd1817-1886Titania Sleeping(1841)

 

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