2021.03.17 (Wed)
思考力を摘み取り、選択能力を刈り取る国。
それが、日本。
もっと言えば、それは、
『自民党』=『日本会議』(←ウヨ・アキンド・宗教の、いずれも在日や反社組織をも含む団体ゴッタ煮みたいな鵺のパレードの如き百鬼夜行状態というシロモノ)
に とっての「理想」なのだ。
このことを、大手紙や各メディアがハッキリ言えないまま、言わないままだと、日本は、このまま変われない。
これまでのエントリーでも示唆してきたように、
昨今、家庭内虐待事件で目立つ、親の狂気的支配欲を満たしたいという動機が窺えることからも分かるように、
家庭内の虐待でも、学校などの、あるいは職場でも、細かな、無意味な、邪魔ですら あるルールや習慣といったものは、その根底の動機に、場の「権力」を握っている者が、自分よりも「下」、「弱い」はず、そうでなければ許せないと見做している側の統一規制を図り、もって統率・管理を、よりいっそう容易にしておきたいという、そのような意図が ある。
要は、「ハミダシ」を容易に見つけ、
見つけしだい、刈り取り、
そして、以降、二度とハミ出させないためだ。
いまだにモメてる戸籍の問題なんかも しかり。
じつは日本特有のものという あれは、
国家権力が、シモジモを支配し易く、役所においては、その管理作業のラクさを最優先する目的。
だいたい、自分が名乗る姓・名を、自分自身では、ただの一度も決めることを許されないという理不尽さは、最も甚だしいものの一つと言うべきことだ。
うちなんか、名字のほうは旧字体が本来、本当なんだが、
いつから そうなったのか知らないけど、役所のほうで勝手に、全然違う字体に変えられちゃってる。
たしかに、お役所系とかガッコのセンセイって、ちょっと独特な硬さと言うか、融通利かなさみたいなものを往々にして感じるけど、
だからと言って、一般民間企業なら、問題が ないわけじゃない、どころか、こっちも問題だらけですやんw
ハッキリ言って、国全体、問題だらけでしょww
日本特製の、歪んだ「精神論」的なものが、いまだに通用するんだからな。
さて、
『体育で「肌着の着用禁止」。川崎市立の小学校の指導に批判が殺到。市教委の対応は?』
3/15(月) 12:29配信 最終更新:3/15(月) 19:02 ハフポスト日本版
https://news.yahoo.co.jp/articles/55605a9c0ba312c60b655fa864e3b1b6bfee890d
「これが民間の企業なら」云々と、
定番パターンなコメントしてるヤフゴミんも いるけど、えてして、こういうのほど、連続投稿してたりするので、投稿すれば するほどに、
「あ、こやつ、実際には、会社勤めなんか したことも ないな?」
とバレちゃうw
知ったかで、くだらんゴタク並べてるヒマが あるんなら、さっさと働けば?ほんものの会社で、と言ってやりたくなる(嗤)
誰か言ってやんなよw
それとも、
「ヤフゴミ捨て場」には、やっぱり、ひきこもりネトウヨとか、世間知らずの有閑主婦とか、時代錯誤な知識しかない田舎老人とか、
あとは、せいぜい、株や投資で儲けようと血眼になってるか、
不労所得で毎日がノホホンしてる、
いずれも『自民党』『日本(ビジウヨ)会議』シンパくらいしか いないから、何も言ってやれないのだろうかな(嗤(嗤)
「忙し過ぎて」変えられないとは、つまり「フリーズ」状態なんだよね?
こうした理由は、一般企業においても往々ありがちなことは、会社勤めの経験を持つ人なら、少なからぬ人が実感していることだろう。
なにも、ガッコのセンセイだけの問題でもないと思う。
非効率、ニッポン!
虚空の精神論、ニッポン!
忙し過ぎて、そのまんま、の次には、
改善できてないから、忙しいまんま、という現実が来る。
忙しいから改善できないから忙しいからという永久ぐるぐるの悪循環だ。
こんな日本に、誰が した?
ところで、
「胸の成長」だって、プププw
現代日本女性の平均からしても、かなり大柄な私が、『昭和』の小学生だった頃、
私自身は、成人女性と見紛う体格のわりに、なかみはのほうは、見かけによらず、まだまだ子どもっぽかったのか、
ブラジャーについては、むしろ、シビレを切らした学校側から注意勧告されたように憶えている。
いわく、男の子たちが、目のやり場に困っているという理由でw
私自身は、ブラジャーなんて鬱陶しいから、まだまだ厭だったんだけどww
でも、
体育の授業前後の着替えが、5、6年生になっても、男女混合で一斉に、だったので、私自身が どうこう思う以前に、男子らが(そして女子も)、私が服を脱ぎ始めたら、好奇心まる出しの眼つきで見詰めてくるのでw厭だなあと思い、
ある日などは、脱ぐのを躊躇って、グズグズしていると、
席順で、いつも隣りに座っている、クラス一の優等生で、普段は無口で おとなしい、小柄な男子が、なんとも言えない、妙な笑顔を向けてきて、一言。
「はやく脱げよw」
その着替えの状態のことを、母親に訴えたところ、
母親は、懇意にしていた担任の先生に伝えてくれたのだけれど、
ほどなくして、放課後前の学級会だったかで、先生は、いちおう、このことを提議してくれたものの、
結局は、私が気にし過ぎ、という結論で かたづけられてしまった。
ま、いずれにせよ、もう「お年頃」「思春期」として扱わなければ ならない年齢だわね。
小学低学年頃までの実家には、まだ、内風呂が なかったので、近所の銭湯へ親父と二人で一緒に行ったときは、そのまま平気で男湯に入っていた。
背中を流し、シャンプーしてくれたあとは、髪をタオルで巻いてくれて、
あとは、髭剃り用安全カミソリを使って顔剃りするのも、親父のほうから促してきて、懇切丁寧に やってくれたもんです。
先日は、今後の公共浴場での混浴を、6歳までとする方針となったそうだし、
いま振り返って、親父は ともかくとしても、他の男性客の存在を考えると、そうとうキワドイことを やってたんだなあ自分、と、ヒヤヒヤもんだが、
これに予想外の終止符を打ったのは、ちょうど9歳当時、
同じクラスの男子と遭遇したのが切っ掛けとなった。
そのときは、少し厭な思いを したし、親父と男湯に入るのを やめるべき時が来たらしいと気づいたこと自体も些か不本意だったが、
しかし、あれで正解だったんだなあと、今にして思う。
中学時代には、髪の留め具にも、あれこれ細かく注文が つき、
と言っても、
私自身は、洋菓子の包装に使われていた濃紺の洒落たリボンを、長めの髪を部分的に束ねた根元で結んでいて、登校時に、それを見た校長先生ですら、「ほらほら、雨が降ってきた、綺麗なリボンが濡れちゃうよ」と笑って見逃してくださったけど、
そもそも、髪の長さ自体、校則では、肩の あたりまで、それを超えたら、振り分けにして くくるか、三つ編みにするとか決めてあったようだけど、完全に無視していたw
3年生になってからの、ある日、ソックスの柄についてのルールが新たに決まったことを告げられ、
それまでは、ほぼ全員が、ふくらはぎの下部まで届く丈のソックスを穿いているのが普通だったのだが、これの柄が、ワンポイントまでは許容するが、ソックス上端のみのストライプでもダメ、基本的に白の無地という、意味不明な話だったので、ホームルームの あと、多くのクラスメイトらと共に、担任の男性教師を囲むように詰め寄ったことも ある。
担任の先生も、明確な理由を言いあぐねてか、困り顔でモゴモゴ言ってたがw
また、ソックス上端を留めるための『ソックタッチ』という商品を、私たちの頃は、学生生活上の必需品としていたんだけど、これも、使っては いけない、ということが、急に決められたという記憶も ある。
まあ、3年生だったので、じきに卒業だったから、そこはハッキリと憶えていないのだが。
だったら、ゴチャゴチャ言わずに、昔ながらの「三つ折りソックス」を履くように言えば?とも思うけど、中学生や高校生男子の場合は、制服に三つ折りソックスって、ちとヘンだもんね。
もっと深刻な問題が あった。
体育の授業では、女子だけが「ブルマー」と呼ばれるものを穿くわけだけど、必要以上にピタッと密着する これを着て出ると、男子らがニヤニヤして、見詰めてくるんだよw
それだけでも、いかにヤラシイ感じのものを穿かされているのか、わかりそうなもんだと思う。
そもそも、昔は、ブルマーはブルマーでも、「ちょうちんブルマ」と呼ばれていた時代のものは、その名のとおり、ゆったりした形状のものだったらしいよね。
いつから、あんなピタピタに密着するものを穿けという決まりになったんだろうかね。
当ブログでも、過去から幾つか、ヘンな校則等に対する疑問提示のエントリーをアップしてある。
2021.03.09 (Tue)
『『「ママ友」殺人事件を考察』に追加。(勢いの激しさと精神異常のこと、その他)』の続き。
向こう隣りに住んでいた、幼なじみにしてクラスメートだった男の子のとこの おばさんが、うちの親父の田舎にて数日間、法事のため、千葉県に滞在するので、両親とも家を留守にしているあいだ、一人きりで居る私を心配し、惣菜や お菓子を手に、何度も何度も、ようすを覗きに来てくれていた。
そのおりに、ふと、当時の私が通っていた専門学校と、そこを卒業しても、障碍のため、就職の目途が立たないだろうことで困惑しているという私の悩みを聞いてくれたことが あった。
後日、親らが帰宅してきたあと、おりを見はからって、おばさんは、
「奥さん、※※ちゃん(←私)が可哀そうよ」
と、わざわざ、うちの母親に忠告しに来てくれたらしい。
なんだか不機嫌そうな表情で、口を少し歪めるようにしながら、そのことを話す母親から、私は、聞いて知ったのだが、
プライドが高い母親へ苦言をも辞さず、端的に伝えてくださっていたことに、思いがけない嬉しさ、有難さを感じた。
幼なじみの男子は、私と違って、非常な優等生だったが、気立ても優しく、やっぱり、おばさんに似たんだろうなと思う。
あの おばさんだけだったなあ。うちの親の言い訳とミエ混じりの主張では なく、私の悩みのほうを第一に真っ直ぐ重視し、私の気持ちに寄り添って、真剣に受けとめてくれたのは。
母親の、私に向けてくる、ほとんど呪いのようなコトバの数々や嘲笑は、幼い頃の私には不可解ながらも惨めな気分を感じさせられるものだったけれど、いまでは、あれは、母親自身が持ちたくても持ち得ない、ある種の「力」を、娘である私が生まれ持っていることに対する嫉妬だったのかなと察している。
なかなか、その意味が分からなかった。
だって、母親に呪われてるなんてねえ。。。
いかに、本人自身が無自覚だったとは言え。
けれど、もし、もっと早く、自分が、まだ若い頃に気づいていたなら、
やはり、そうとうにショックだったかもなとは思う。
もともと、母親を信頼していたし、それに値すると信じきっていたし、
私は、母親を哀れみ、彼女の味方だったから。
そんなわけで、
「ママ友」事件の場合も、加害者は、何かとベッタリ貼り付いて、あれこれ指図や命令していたらしいので、恐らく、この加害者が、あたかも「貧困ビジネス」よろしく、デッチアゲで離婚を唆したことも併せて計画的に、『生活保護』を申請させるよう、仕向けていったのだろうし、
その後は、役所の担当者と面談するときなども、被害児側の母親本人は殆ど黙っていて、加害側の女ばかりが、ああだ こうだと口出しし、自分に つごう良く、思いどおりにするための要求を、役所の担当者にゴリ押ししていたんだろうと想像する。たぶん、うちの母親みたく凄まじい勢いで。
だいたい、『生活保護』に関して、いちいち、他人が同席して出しゃばり、あれこれ要求するのを認めておりながら、
親族が、子どもたちのことを心配して相談しようとするのを、「個人情報」云々を理由にシャットアウトなんて、本末転倒的に、おかしい。
『心愛ちゃん事件』のときも、あの父親が凄みまくって、役所の担当者がビビッた結果、子どもは酷いことになった。
だいたいのところ、ああいう感じなんだろうね、役所の事なかれ、公務員の小心さってのは。
おとなしい市民には、むやみと威丈高だったりする公務員も いるみたいだけどね。
だから、うちの過去エントリーでも指摘してきたように、昔から「暴力団」関係者の申請には言いなりで甘いというし、
もちろん、「高級外車に乗ってる!不正受給だ!!」なんて、そりゃ、そういうヤカラが乗ってるんでしょうよwさっさと通報しろよww
殆どは高齢、病身、(重度等級からは外れた)障碍で、普通には働けない場合の『生活保護』なのであるから、
自分だけは永遠に若く、病気にも障碍者にも、なるはずは ない!と固く信じているのか、
「働けるのに、、、!けしからん!不正受給だ!!」と決めつけるのは、あまりにもバカげたコメント代表の一つだよ。
または、年金にせよ給与にせよ、いちおう「ナショナル ミニマム」(←意味も知らんかヤフゴミんは 嗤)としての最低生活レベルにも届かないのであれば、届く程度までの補填も できる、それだけのこと。
でも、安倍政権時に、でたらめ方式でググーッと削減したのだから、年金だけでは足りない分を補填してもらおうかなあ、、、と思っても、せいぜい1万や2万円程度しか足してもらえないのであれば、その1万や2万円のために、「ナマポ!「ナマポ!」「怠け者!!」という罵りに耐え続けるのも、なんかアホらしいような。。。
だったら、苦しいけど、このまま死ぬまでガマンしとくかぁ、となる。でも、やっぱり、いつも苦しい。
ギスギスした気分になっていく。
病気や障碍のケースだと、まあ、精神方面の それが、たぶん、最も多いのだろうから、年齢や身体的には申し分なさそうなのに、なぜ働けないのだ?と勘繰られてしまう人も多いんだろう。
内部障碍全般に、誤解されやすいわよね、どうしても、これは。
で、通院や服薬とかが必要なケースも多いのだろうから、それ一つとっても、「ヤフゴミん」が毎度がなりたてるみたいな、「食物とか現物支給で!!」つったって、難しいのでしょ現実には。
何でも食べられるわけにいかない人も少なくないだろうからね。
それに、役所と業者との権益・癒着問題やらも起きてくるだろうな。
家も借りあげて?一ヵ所に集めて?集団生活させる?
無理。
かえって効率悪いでしょう。
それに、たとえば精神系の障碍の人だったら、誰とでも一つ屋根の下で穏かに仲良く生活していけるのか、ちと難しいんじゃないのかな?そのへん、私は よく知らないけども。
ましてや、ここへ、「暴力団」構成員の、ガラ悪い受給者が加わったとなったら、いったい どーなるんだろ??w
で。
病気や障碍を抱えている者は、罪人なの?
人権を奪われ、死ぬまで罵倒され続けなければ ならないほどの、重罪人なんですか??
答えてみろ、ヤフゴミ。
あ、そうか、
おまいらは、例の相模原『やまゆり事件』の虐殺犯人が崇拝対象なんだもんな(嗤)
ま、「ヤフゴミん」はヤフゴミんのアタマでしかない。
あさはかな思いつきや下劣なバッシング、「ネトウヨの主張」を叫びまくっても、
ケチな役所の視点で見てさえ、やるだけの意味や価値が ないから、やらない。それだけよ。
ところで、
私なんかは、そもそもから言ってきたとおりで、世間一般よりも10年近くは、インターネットに親しむのが遅れていたので、自分個人用のパソコンを手に入れてからも、しばらくのあいだは、『2ちゃんねる』などのサイトの存在も全く知らず、
ただ、インターネットには、私が想像もしていなかったほど深刻な問題点や情況が あることを、遅れに遅ればせながらも少しずつ気づき始めた。
やがて、
まさに、「ウヨ」「ネトウヨ」「ビジウヨ」の類が蔓延させた(差別・排除・拝金主義などを是とする)悪質な思想モドキのせいで、異様な風潮、雰囲気が、ネットから溢れ出て、いまや一般社会にまで蔓延し始めている、その発生地が、いったい、どこあたりなのかと、それは、たとえば、『2ちゃんねる』などが代表格なのだということを、だんだんと知るに至った。
私は、なぜか、インターネットに親しみ始めた初期の頃、『汚気・愚(OK・グー)』においては、とある俗物根性の会員からケンカをフッかけられて、「2ちゃんへ帰れ!」などと罵られ、面喰ったことが ある。
その頃は、業務上以外に、自分のプライベートで、パソコンやインターネットを使うことが なかったので、仕事で必要としないサイトなどについては一切、全くと言っていいほど無知で、『2ちゃんねる』?なにソレ??状態だったので。
さて、
どうも、愚かな中年女二人の「ママ友」コンビが繰り広げた醜悪きわまる特異事件が、またぞろ発覚したことに乗じて、これまたまたぞろ、『生活保護』バッシングを盛り返そうとて、「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんどもが這い出してきたようだ。
しかも、まだまだ「コロナ禍」が続いていくであろう状況下で。
これだからね、
直接の被害者だけでなく、社会全体へ幾重にも広がっていく被害の輪を生じさせる、まことに罪深い存在、これは、犯罪者だけでは なく、失言、妄言などの短慮・軽率な過ちを犯した者も、この範疇に属する。
ものごとの道理も理解していない、民主主義国家としての制度や行政の基本的理念、ありかたの鉄則というものが、まったく分かっていないし、分かろうともしない、分かる努力を しないヤフゴミんども。
こんな連中に、たむろする場を提供して、ほんとうに、『ヤフージャパン』は、日本社会の劣化と荒みを促進しようとしているのか?との疑いを持ってしまうのは、
あの『2ちゃんねる(5ちゃんねる)』よりも、もっと程度が低く、下劣で、タチが悪い有害廃棄物捨て場、公害の みなもとになってしまっているからだよ。
まあ『2ちゃんねる』なんどは、魑魅魍魎の雑多な吐物が、うずたかくグロテスクに、びっしり積みあがって固まり、そこからタラタラと漏れ出ている汚水と悪臭ぷんぷんの、スラム街の廃棄物集積場みたいなものだから、言ってしまえば、わざわざ見に行く興味や、通い詰めて参加するほどの情熱もなければ、基本的には、あくまでも「われは関せず」のままでいられる。
実際、私も、かつて罵られてキョトンとしたように、『2ちゃん』などのサイトは利用したことが なく、どんな所なのかと試しに覗きに行ってみたものの、とくに関心も湧かなかったし、なんだか いやらしく淀んだ空気が充満しているような雰囲気で、見苦しさにゲンナリ気分しか残らなかった。
その点、
個人的に「勝手にヤットレや」で済まし切れないのが、『ヤフーコメント』、私に言わせれば「ヤフゴミ捨て場」だ。
なぜなら、
ここは、より多くの、幅広い層が閲覧しに来るであろう一般的なニュース記事に くっつけてあるから。
『ヤフコメ』はタチが悪いことの最大原因。
なんせ、一般ニュース記事に目を通すたび、『ヤフーコメント』もチラチラと視野に入ってくる。
腐れ政党(と言うより、もはや、本質は反社団体)や日本ビジウヨ会議の回し者であるヤフゴミどもが、つごうのいい記事に乗っかって煽りたて、つごうの悪い記事を叩きまくり、同時に、独りよがりな妄想やデマも垂れ流していく。
せめて、一般ニュース記事と くっつけてなければ、その分、ちょっとマシだったんじゃないかと。
きのうも、何件か、運営に通報した。ほとんどムダなんだろうけど。
ひたすら悪意と偏見に満ちたデマ投稿や、一般のあいだに誤解を招くようにと企まれた投稿は、社会的に有害なのだから、悪質ユーザーは追放するなり、繰り返す者にはペナルティを与えるなりしなければ いけない、もっと改善努力!
『ヤフージャパン』の社長や運営は、はたして、社会的責任というものを自覚してるのか?!と。
ほんと、汚いショウバイだわー。
おまけに、広告スペースばっか、どんどん大きくしてさ。
2021.03.02 (Tue)
良心は?矜持は?哲学は?
「政治家」となると、とにかく、遠大な規模の目標・目的というものが あるはずなので、ある種の支配欲や野望めいたものは、その良心の ありようや思想、哲学の有無と関係なく、多かれ少なかれ有しているものなのかもしれないが、
それこそ「自己保身」第一に「自己愛」を貫き、どこまでも、これを放出することが「正義」、自分一個にとっての、という、あたかも食欲や性欲などの低次元な欲求に突き動かされてしまうことを、「信念」とカン違いしているのか、または、ひらきなおっているような「政治屋」となると、可愛いのは、あくまでも自分、あとは、せいぜい、自分にとって つごう良く役立つ仲間のみである。
もちろん、そこに、本来の主役であり、仕えるべき主人である国民や市民の存在は、ない。
あっても、いかに騙しておくか、黙らせておくか、という、「こんな人たち」なる「敵」認識でしかない。
そんな下劣な「政治屋」に権力を与えない、握らせないための、言わば「セキュリティ」を担う役目を持つのが、最も一般国民や市民に近いはずの報道マスコミや各メディアであるはずで、そこに問題が潜んでいると、たちまちにして政治家ならぬ「政治屋」が、国家最高権力を手に入れたが最後、握り込んで離さない事態になる。
そうなると、
あとは、政治権力の中枢で仕事を する官僚という存在の「セキュリティ」力だ。
この「セキュリティ」力が歪められると、こんにちの わが国のような、
また、『トランプ時代』のアメリカような体たらくに陥る。
さて、
『辞任した山田真貴子広報官 菅首相会見で本誌記者に「週刊朝日はちょっと……」と難色示した過去』2021/03/01 20:53
『週刊朝日』だったら何なの?山田さんよ(嗤)
恐いもの知らずでいられる一庶民国民である私が、もし、そこに居たものなら、すかさずツッコムけどなw
『アエラ』なんかも、時々、なにコレ?と言いたくなるような軽薄短小なコウモリ記事を出すけど、ま、商売かw
でも、
与党や政権側にとって、多少は苦みのある内容の記事も、いちおうは、出してることもあるよねww
そういった、つごうの良くない記事を読んで、どう感じたり、考えたりしているんだろうかと、ほとんどフシギに思うのよ、山田さんのようなタイプの人を見てると。
それにしても、
ガッコの勉強だけ得意、要領だけで上手く やれてきた、結果、ウヌボレの沼にドップリだ。
彼らに、哲学などは皆無だから、根本の判断力は、どこまでも、浅薄な「要領」のみとなる。
要領だけで生きている。ほかはカラッポ。
それも、うぬぼれの権化になっているから、「政治屋」に負けないくらいの自己愛のカタマリになってしまっている。
悪いことを やれば やるほど、良いめを見れる。
そうなんだぁと思えば、ただでさえ要領の良い者が、真似を しないはずもない。
しかも、「道徳」を説いてやまない者こそは、実際には悪事まみれでありながら、ニコニコと良い思いを している現実じゃないかとなれば、
悪人どもが説く「道徳」なんどは、一皮めくれば非道徳・不道徳、つごうのいいマヤカシに過ぎないのであり、笑止千万と唾棄すべきなのだという、まっとうな判断も消し飛ぶのであろう。
現に、あれほどの良い立場に回れているのだからと、こういうところで、なまじに「素直」な優等生気質が はたらいて、われもわれもと、率先して真似し始める。
まさに、猿真似というべきか、なかみのない木偶が踊っていると言うべきか。
例の前「首相」という肩書の「御用聞き」が繰り広げた『桜を見る会』問題でも、その催しの当日に、どこの新聞社かメディアの記者だったか、ある官僚と話しているときに、
その官僚は、催し会場の夥しい人出を眺めつつ、ぽつりと、「これで良いはずは ないんだけれど。。。」という旨のことを洩らしたのだという。
もちろん、ただの一官僚であり、職場においては無力に等しい存在であり、葛藤を抑え込んで、より上のほうから降ってくる意向で動くしかない立場なのだろう。
けれども、辛うじて、一個の人間としての良心や、公僕としての疑問を、完全に失っては いなかったわけだ。
こういう人は、政界でも役人界でも、いまだ皆無というわけでは ない、ということが辛うじて示された。
ところで、
『記者クラブ』の問題は、私が若い頃、もう数十年も前から指摘されていたことで、当時は、そのことを、どこの放送局だったかは憶えていないが、テレビのドキュメンタリー番組で正面から取りあげていたのである。当時は、まだ、ね。
フリーランスのジャーナリストが、会場に入ろうとガンバっていて、たしか『朝日新聞』だったかな、違うかもだが、とにかく、大手の新聞社の記者で、えらそうな髭を盛大に生やした男が、木で鼻を括ったごとき あしらいかたでもって、フリージャーナリストを頑強に突っ撥ね、追い払う場面を見ていた私は、
「このやろう、、、」
と、猛烈な反感を覚えたことだけは、いまでも鮮やかに憶えている。
あれから、事態は、ますます悪くなった。
ここでも、「既得権益」というものが、報道界の記者たちの あいだにすら横たわっている。
彼らも、良心、矜持、哲学というものを備えておらず、あるいは、とっくに投げ捨ててきて、わが身の利益と思えることだけに従っており、言わば「サラリーマン記者」ふぜいが跋扈しているわけだ。
首相会見の場で、このたび大問題が発覚し、スガさんと共に醜態を晒した山田ウヌボレ真貴子氏のような「広報官」なる者が、一般国民のほうでは なく、私利私欲のために就いた権力者の代わりを任じて、その意向のとおりに動くロボットの如くに指名する、といったクダラナイ習慣は、これを機に、さっさと廃止するが よい。
どう転んでも、アンフェアでしかなく、公正な報道と情報公開を、主権者国民に もたらす妨げにしかなっていない。
政・官・財は手を携えて腐敗し、それに呼応してか、
国民一般も ますます浅慮・軽薄になっているように感じる。
ほんとうに、目に見えて醜悪な、いやな国になってしまった。
なんと言うか、ほんとうには機能できていない国になっている感じが するのだ。
2021.03.01 (Mon)
『障碍者もイロイロなのだ。』の続き。
「知的障碍」の場合とは異なるけれど、それでも、少しだけ共通した傾向が あるだろうと思うのは、ある種の「迎合的」な態度になりがちなところで、しかも、事情を知らない人に、「知的障碍」かと誤解されやすいところでもある。
これは、
第一には、聞き取れてやしないのに、何度も尋ね返すのが憚られ、ついつい、分かったような顔を してしまったり、
あるいは、見るからに困惑した、曖昧な態度に終始していたり、
聞き取れていないことで失敗や迷惑を かけてしまったり、
それを また繰り返してしまうのでは ないかという恐怖に、常に苛まれているからということが大きい。
だから、ストレスが大きく、少しのことでも疲労し易い。
私なんか、ただでさえ、生まれつきの虚弱だし。
「健常者」でも誰しもが同じことで、そうそう いつも、気をピンと張り詰めている状態が長時間、長期間にわたって続けられるわけが ないのだから、
疲労度が高まってくると、無意識に、思わず、気を抜いてしまっていたところで、思わぬミスを してしまい、
あるいは、緊張し過ぎで、
主に、事情を知らない人からは、こっぴどく怒られたり、不満を持たれてしまうわけ。
「人の話を聞いてないのか!!勝手なことしやがって」とかってね。
けれど、事情を知らない相手を逆恨みしたって しょうがないもんね。
それどころか、
事情を最も知っているはずの、ましてや、親ですら、私が聞こえていないのを、
「わざと聞こえないフリしてるんだろ!おまえは」
「勝手つんぼ」
「性格が悪いから、聞こえないんだよ」
と言い放つ しまつだったもの。
私は、子ども時分、ずーっと、こういうことを言われ続けてきた。
いまだったら、100倍くらい言い返せるけど、
それは それで、狂った如くにブチ切れるだろう親らw
幼いから、何も言い返せない。
なぜ、自分は こうなのかを知ることも できない。
なので、ただ泣くか、泣くのも厭なら、黙って自分を責めるしかない。
というわけで、
私の「等級」の場合は、当時、年1回だけ、5000円だったか現金が振り込まれるという制度が あったんだけども、ほどなくして廃止された。
それ以外に、障碍者として、国なり自治体から、これといった「手当」的なものや「厚い保護」など、全く、受けたことは ないのよ。
わかったか?ヤフゴミ。
何度でも言うたる。
きったない商売の『ヤフージャパン』、恥ずかしくないのか?
社会的に有害な『ヤフーコメント』欄を、さっさと廃止しなさい!!
で、
しかも、私自身、その制度のことを知らなかった当初は、実家の親父の口座に振り込まれていて、横取りされてたらしいw
ほら、なぜか、いまだに財務大臣やってることも不審な麻生さんが、二言目には盾にしてやまないところの、麻生政権時「一律給付金は大失敗」(←少な過ぎが原因だっての!w)のときも、そうだったし、
母親死亡後の保険金も、親父がマイマイ。
子のうちである私の最低限の権利も無視して、すべての遺産を、先妻の娘へ生前贈与。これも、税金とか逃れてるんだろうなと思う。なんせ親父の職業は、「その道のプロ」ってやつだったしねw
ちなみに、この親父の言ってたことには、
中小零細規模の会社経営者でも、公私混同が甚だしくて、家庭や個人的なことに、会社の資金を流用なんてことは、いくらでも あったという。
そのために、税務署とケンカも辞さなければ ならない、こっちの身にもなってくれ!っていう怒り。
まあ、あの時代は、いまと大きく違ってたからでも あるだろう。ほんとうに青息吐息の経営状態だったら、あまり脳天気なこともできないだろうし。
アル中の暴力親父にしてみれば、生活費や入院費を、親に頼らざるを得なかったこともある「出来損ない」の私からは、その「損害」分を、できるだけ取りあげて、自分の老後の世話も、このバカ娘ひとりが一身に責任もって引き受けるのが当然!
俺が死んだあと、何も残してくれていなかったことを知って、せいぜいガッカリしろ!
などと思ってたみたいだ。
軽からぬ障碍を知りながら、しかも、原因を つくった親が、子の不利で あろう将来を考えて、何らの対策も立てず、
社会に出なければ ならない年齢が近づくにつれて焦る私の必死の訴えにも、一切、耳を貸さず、いらぬ苦労ばかりを強いた。
もしも「来世」なんてなものが あっても、「袖振り合うも」ゴメンこうむる。
ただの他人として出会うのもマッピラ。
じゅうぶん過ぎるくらい、役に立ってやったんだから。
「今世」かぎりにしてよね。
どこの世界に、(親の自分が原因で背負わせた)子の障碍に つけ込む親が いるかよ。
だから、私にとって、親は、あかの他人以下の存在。
2021.03.01 (Mon)
いろいろなのは、「健常者」もイロイロであることと同じ。
それに、内部的なことならば、診察や診断を受けたこともなく、自他とも認識がないままの「カクレ障碍者」なんて、世のなか、意外と大勢いるだろう。
かつての私も、その一人だったわけで。
さて、相変わらず、障碍者を含めた「社会的弱者」という立場の層への、無関心どころか憎悪と侮蔑に溢れた投稿の一大集積場である「ヤフゴミ捨て場」に、こんなことを投稿しているヤフゴミんも いましたわ。
いわく、
「透析で一級障害者」になったという前置きしてるんだけど(←ホンマかいな?ヤフゴミんの自己申告は、まず信用できないからなw)、
やれ、「差別して貰う為に手帳を得たようなものだ」とか「情けないけど、健常者と同じ活動が出来ないから、申し訳ないけど、差別して貰わなきゃ生きていけない」だとか「平等なんて言われたら、地獄」だとか、
あれこれ のたまってるんだけどさ。
だったら、聞きたいんだけど、
「健常者」以上の働きをと、職場からも親からも要求され続けてきた私の場合は、どうなるのよ?w
おまけに、
「障害者は手帳で手当てやら税制で健常者以上に厚い保護がある」
だって?
だ・か・ら、
少なくとも、「手帳」を取得できないまま働いていた時期が長かった、障碍者である私の場合は、「手当」やら「厚い保護」、そんなもん一切なかった、つうの。
よしんば、「手帳」を取得したってね、
以前にも触れたことが あるけど、
なぜか日本の場合は、諸外国に比べて、聴覚障碍の等級分けが、殊のほか厳しいんだとさ。
なるほど!そうだろうなという、このことを、最近まで知らないでいた私も、実感は従来から あった。
つまり、生活上の実感としては、認められた等級では軽過ぎるじゃないかと。
で、
そのハンパな等級に当てはめられてからは、年1回5000円支給という「手当」も あったんだけど、私が「手帳」を受け取ってから、ほどなくして全廃されてます。
私個人は、乗車賃なども、いちいち「手帳」を見せることなく、「健常者」と同じく支払ってます。
他に、これといってパッと思いつける「特典」みたいなものは ないよ。
このブログで何度か言及してきたように、
母親の強制によって、「健常者」のフリを しながら就活も して、どうにかこうにか社会に出たから、
もし、「健常者」でないと知られた場合は、怒られてクビか、自分から潔くw辞めるかというパターンは、覚悟しておかなければ ならなかった。
ただし、入社して、まだ、日が浅い場合ならね。
比較的長期に継続勤務できた場合は、「健常者」では ないことがバレずに済んでいたか、と言っても、隠しおおせるほど軽い障碍では ないのだから、遅かれ早かれバレる。
そこから あとは、
「健常者」らの、いや、もっと言うと、主として「発達障害」とか精神面での病気を抱えている「カクレ障碍者」の人たちの尻拭いを引き受けさせられ続けて、先輩である彼ら彼女らよりも低い給与と、新入りに押しつけられる雑用に甘んじつつ、不満に思わず、文句も言わず、おとなしく勤めていられた場合に限る。
それもあって、私は、世のなかに「カクレ障碍者」が多いことに気づいたの。
そして、
障碍者どうしの あいだでも、共感とか連帯よりは、いやらしく利用したり、蹴落とそうとしたり、その後ろめたさを誤魔化すために、殊更、立場の弱い こっちを罵ってみせるんだ、さも、「健常者」ぶって。
そういう、性根の悪い「カクレ」が多いんだ、ってこと。
いまも、自分は「健常者」だと、なんとなく信じてる、そこのアナタだって、同様かもしれないのよ?w
上司なんかには、
「あんたは、人並みのカラダじゃないんだから、ふだんから、皆に、すみません、ありがとうございます、と、あたま下げて謝りながら、他の社員の3倍は働きなさい」
と、こう申し渡されたもんですわ。
自分自身だけでは なく、周囲の人々にも困惑することが多過ぎたために、自分なりに知識を求め、あらゆる情報を蓄積させてきたから分かるようになったが、
そう言えば、と、見渡してみれば、
近所のオバちゃんとか同僚といった、他人さんどころじゃない、何よりも、うちの親や義理の姉・兄たちだ。
脳の異常も あったわけだが、まぎれもなく「発達障害」の特徴が あったし。
先日の過去エントリーでも述べたように、
最近、やっと思い当たったのが、
どうやら母親の病気(伝染性)が原因で、リスクが あり得る薬剤の副作用による障碍を、乳児期から抱えてきた、そんな私自身、かつては「カクレ障碍者」に近かったわけだ。
いわゆる「ダブル不倫」で、双方の家庭や家族、親族らとスッタモンダしていた両親は、事情が事情を呼んで泥沼化し、すぐには一緒になれなかったので、私が あかんぼだった頃は、まだ同居しておらず、言わば「通い婚」みたいな状態だった親父のほうは、乳児である私の身の上に起きた事情とか疎かったんだろう、
「出生届」すらも、何年も経ってバレるまで出さなかったくらいに、単なる無関心だったようなので、
私の負った障碍についての積極的妨害は、これは、ほとんど母親によるものだったわけだけど、「手帳」を申請することも、徹底的に邪魔されていた。
したがって、
母親が死んでからでした。
そうとうトシくってしまってるけど、やっと、「手帳」を受け取ることが できたのは。
はっきり言わせてもらうと、
特に身体障碍のなかでも、聴覚障碍者は、ダントツで、舐められやすい、弱みに つけ込まれやすいといった傾向が あるように思う。
そりゃあね、私の障碍に、最も「つけ込んだ」のは、あかの他人さんよりも、親だったんだから。
しいて言えば「部分的」にせよ、ある意味で「ネグレクト」だった親ら、と言っても、
それも、うちの親にとっては好都合なことに、「1級」とかの重度とまでは いかなかったから。
だからこそ、全くホッタラカシだったくせに、自分たちのメンドウを押しつけてくることが できたわけ。
というのも、
私自身、仕事が安定しにくかったから、自活し始めた年齢も、30歳代になってからだったし、何か あったら、結局は実家に頼るしかなかったことが多かった。
子の障碍を無視して、親の気の済むような学校選び(←基本的聴力必須の技術者養成校)や、つごうの良い就職先を押しつけてばかり せずに、「手帳」を取得させてくれていただけでも、もう少しスムーズで穏かな人生になっていたんじゃないかと、つくづく思うんだけどね。
【続く】