2021.05.04 (Tue)
『【続】一言二言の指摘と三言四言の憶測と』五言は小言?w
の続き。
あとはねえ、、、
「女人禁制」といった制度の もとは、男性特有の弱さに由来するのだろう。
これについても、過去エントリーで指摘済みだが、
それゆえ、
危険を伴う修行的な場や戦の場であるほど、あからさまにタブーとされることが多いのではと見受けている。
なんせ、男性一般は、眼から入る情報に影響される傾向が大きいそうだから。
アラブ方面の女性の、あの凄まじいまでの衣服(ブルカとかチャドルとか)なども、その典型的な現れなんだろうと思う。
男の弱さと暴力、女の恐怖とガマン。。。
でも まあ、
きつい陽射しや、美容に悪い紫外線を避ける実用性も あるんだろうなw
その他、
『天皇制』『皇室制度』が、まさに象徴的矛盾であるように、
『オリンピック』と『新型コロナ(covid19)』の問題についても、どうしようもなく矛盾性を曝け出しているのであり、このような矛盾は、昔から、日本の、日本人の得意とするところであり、
今般の「コロナ自粛」に あたっても、
規制されることを好み、おとなしく従順なはずだった日本の一般大衆が、もはや、これまでの国民性を なげうったかの如く、勝手気ままにやっているように見受ける近頃であるが、
この行動の底に あるものは、
国家権力が平気で押しつけてくる矛盾に対する反発やシラケというよりも、
「他の人たちも やってるから」
「ええじゃないか」
という、従来の日本人らしさもシッカリ健在しているのみならず、
特に若い層には、やっぱり「目立ちたい」という動機が窺える。
これは、やはり、メディアが盛大に話題として取りあげることが、そのまま「煽り」「嗾け」にもなっているのだろうと思しい。
この現代でさえも、退屈な生活、目立たない、平凡な自分の存在に鬱屈している若者たちも多いのだろうか。
「本日の人出も~」と、テレビや新聞などが騒ぐと、
その話題となっている人出の人波のなかに、自分自身も身を置いて、
そのことによって、
「大きな話題のなかに登場」
できた気が する者たちが少なくないのであろうか。
「がきんちょ」と言うのか、ばか(若)者の習性と言うか、
私なんかは、積極的に出席したいともサラサラ思わなかった「成人式」で騒ぎ、暴れるのと、根っこは同様と思える。
それは、たとえば「聖火リレー」にワラワラと集まってくる老若男女の姿に通じる。
まあ、この「コロナ禍」で、
とにかく「子どもや若者たちがカワイソウだ」
とまでは、私個人は思わないんだけどねw
それどころか、この程度でカワイソウだなんて、どんだけヤワなんだ?
と思っちゃうし、
あの戦時中や敗戦後の状態のことを、話にも聞いたことが なくて知らんのか?とも思う。
「コロナ禍」が齎した、人との交流の滞りにしたって、むしろ、人間関係で悩んでいる人にとっては、「一人で」が推奨される状況・情況は、ホッとする向きも、多かれ少なかれ あるのが実際の側面と思われるし、
それこそ『皇室』の人たち、特に、まだまだ、「お出まし」がストレスになるであろう雅子さまにとっては、好つごうなことじゃなかろうか。
「経済を止める」のが問題だ、なんだと言っててもね、
詰まるところは、これ全て、「医療の逼迫」が起きるからなんで。
感染数が上がり、蔓延するのはマズイ、その分どうしても、中等度以上から重症までの患者数が増えるから、それはイコール「医療の逼迫」に繋がってしまう。
だから、
欧米圏を筆頭とする各国に比べたら、ケタ違いに少なく おさまってるにも かかわらず、大騒ぎしなくちゃならないハメに陥ってるのだし、
とにかく、「逼迫」も通り過ぎて全体「崩壊」になってしまったら、それこそ、否応なく、経済は止まるわな。
しかも、
ある意味、この事態を利用しようとしている政権や、そのシンパ筋の思惑さえも窺えるのだが、
要は、これまでの「医療行政」のツケが、あからさまなまでに、白日のもとに晒されているということだろう。
そういう政治を、長らく やってきたのだということに ほかならない。
ほんとうに、バカな国と国民だ。
相変わらず、「2類がー5類がー」と喚くヤフゴミ。
いいかげんにしろよ。
誰が考えたって、
少なくとも現状では、そのへんの医院で、従来の「インフルエンザ」なみの診療なんかしたら、あっという間に蔓延するのは、火を見るより明らかなんだ。
いったい何を、たくらんでいるのかな、相変わらずの、おまえさんら「反日勢力」は?(嗤)
「日本死ね!!」
が本音かぃ?w
言っとくけど、
『オリンピック』問題にせよ、『コロナ禍』についてにせよ、当ブログが当初から述べてきたことは、概ね、はずれてない。過去エントリーを遡っていって確かめてみたらいいよ。
2021.05.04 (Tue)
『一言二言の指摘と三言四言の憶測と』五言は小言?wの続き。
太古、先住民族の列島に、それよりも先に進んでいた古代『中国』由来の技術や文化を持って、朝鮮半島から渡って来たのであろう『天皇家』の「神話」に登場する女性である『天照』なる者が、家の長女として、かつ、家を統べる存在として、男子である弟『素戔嗚(須佐之男)』よりも、ずっと重きを なしていたという伝説には、古来『朝鮮民族』の家の習わしも窺えるようだ。
そもそも、『天皇』家は、身内どうしで、お定まりの権力争いをサンザンに経て、「武家社会」になってから このかたの長きにわたり、実権はスッカリ失っており、古代『中国』由来の文化的権威、というオモテ看板だけを頼りに(日本人の「舶来」好みの源流か?w)、ほそぼそと窮乏・貧乏生活を味わっているところを、今度は、同じ「武家」のなかでも、ド田舎のとか下級のとか、やっぱり貧乏な武士などの倅らにエッサ エッサ担ぎ上げてもらって、返り咲いた。
要するに、みずから「変化」し「変容」を遂げつつ、生き延びてきたのとは違う。たいがい、いつも「外圧」だったw
そして、大失敗して、またも、実権を取りあげられた。そして、またもやの外圧によって、現憲法に縛られつつ、特別優遇されつつ、いまだに生き延び、と言うか、生き延びさせてもらっている。
どのような栄耀栄華を誇った王侯貴族も、民衆に対し、理不尽、横暴を行い、その不満を招き続けたならば、やがてのことには、暴動が起きて、根こそぎ引っ繰り返されるときが来るパターン、これも歴史上の事実で ある。
たとえば、昔日のフランスの王家なども、かのマリー・アントワネットの事例に見られるように、表向きの婚姻は、あくまで国家間の、いわゆる政略上のことであるから、本人に残された、せめてもの自由恋愛は許容されるべきと見做されたという、
このことは、現代における『イギリス王室』のエリザベス女王でさえも、故ダイアナ元妃とチャールズ王太子、カミラ夫人の三角関係問題について、王侯貴族には当然のこととして昔から許容されてきたことなのにと、不満の内容を発言されたそうな。
ところが、当然ながら、時代とともに、人心も、規範の ありようも変わってきたわけで。
『皇室』だけは一夫多妻、「側室」制度を認めるべきだと、『三笠宮』家の故 寛仁氏あたりがブチあげられたところで、そんなことでは、とうてい、「国民の手本」たるを演じることは できず、したがって、国民一般からの敬愛を得ることも できは しない。
ヨーロッパ圏の王室は、みな親戚筋と言われるだけあってか、『ドイツ』の血を ひいていて、「純イギリス人」(?)などとは到底言えないエリザベス女王ご自身、そもそも、ご自分の気に入った男性と結婚された。
だから、ご本人は満足できて、その後、いろいろ あったにせよ、基本的には大いに納得されているはず。
それは、たまたま、女王の配偶者たるに違和感ない相手(もともと親戚筋であり、『ギリシャ王室』出身)であったことに負うところが大きいし、
ひるがえって、女王の妹マーガレット王女は、まだ独身であった時代に、側近的立場であった男性との不倫が発覚し、エリザベス女王を始めとした周囲や国民たちからの猛反対により、結局は別離を余儀なくされたという出来事が あったそうで、これは、その後のマーガレット王女の人生に、陰に陽に作用したものと思われる。
『イギリス王室』も、昔からスキャンダルだらけだわな。
女王の後継者である王太子チャールズさんも、人気はイマイチ薄いそうだし。なぜなのかは、自覚しておられるんじゃないかな。
ちなみに、
例のヘンリーさんメーガンさん御夫妻が訴えていたという、内外からの「人種差別的」言動に対し、自分たち夫妻を守るような、王室からの擁護が なかった、というふうな不満の発言について少々。
これはね、イギリス王室の気風みたいなものらしくて、王室の一員である男性が、同性とパートナーとなったことについてのインタビューによると、王室メンバーたちは、それぞれのことについて、わりと無関心でいることがアタリマエなのだという、意外な内容を話しておられたのを読んだことが あるよ。
たぶん、メーガンさんたちのことも、その域を出ないようなことだったんじゃないかな。
エリザベス女王は、周囲に対して、とにかく「良い子にしてなさい!」としか おっしゃらないそうで(笑)これも、紀子さまのような「過剰適応」のうちということなのかもしれないけれど、
要は、基本的に納得しておられるからだろう、
まずは好きな男性と結婚して、一女性としての幸せは満たすことが できた、それから、自身が、国内最高の地位である『国王』であるということに。
だから、『王』である自分の役割を果たすこと、果たしていると示せることを迷いなく、第一優先にしてこられた。
そして、
やはり、「民を王となす」に至っているのは、日本の『皇室』と同様だ。
身分差どころか、女王の お孫さんたちは、かつての植民地『インド』の血も ひいており、人種の異なる妃も誕生した。良いも悪いも ないが、もう何でもアリが現実だ。
こうなると、とことん「お行儀良く」していること、「模範的」な ようすが第一の、唯一の資格条件になる。
各国のメディア、当の日本国内の政党もメディアも そうであるが、
特に「リベラル」的論調をウリにするところや、現代の良識的潮流として論じるメディア各社には、『皇室』特有の事情も、よく踏まえておいてからにしてもらいたい。
この事情というのは、もちろん、「皇室祭祀」のことが絡んでくる。
私が何度も言及してきた「皇室祭祀」の問題とは、比較的日常レベルの祭祀ではなく、代替わりのときの一大儀式のことを言っている。
和歌山県の『加太の淡島神社』も、男女が共に お参りすると、祀っている女神がヤキモチを焼くという言い伝えが あるとおりで、
性別に関わるタブー的な話は、この方面では、よくあるもののようであるが、
『天皇』の代替わりに あたり、この特別な、秘密的大儀式においては、「男系」にして男性の天皇でなければ ならないとされてきたことについて、それは本当なのかどうか、こんにちでは主権者でありながらも、われわれ国民にはサッパリ分からない。
なので、
その代替わり儀式を、身をもって体験された『天皇』さん自身が、「男系」の「男性」である必要性について言明されれば よいのにと、前の『天皇』さんの頃から、私は何度か指摘してきたわけである。
『皇室神道』の紛れもない主催者である『天皇』さんが、「男系」「男性」に拘る必要性なしと言うことも一切 しないまま、国民が主権者となっている現代であるからには、国民側で決めてくれたら よい、という おつもりなのだろうか?
そうだとしたら、
結局、大した意味も意義もない儀式なのだろうか、莫大な税金を費やすわりには。
かつて貧乏生活だった時代の『天皇家』は、こういう大きな儀式を、どうやって行なっていたのかしらん。
じつは、行なえなかったとか?
だったら、
この現代で、莫大な税金を費やしているのは、どういう理由なの??
本当に「古式ゆかしく」「伝統」に則ってるのか???
葬儀についても、前『天皇』さんは、それが大変で、『皇室』側にとっても、負担は大きいといった理由を挙げておられたようだが、
それなら、どこへも負担にならない程度まで、グッと簡素にすれば いいだけじゃん?と、私は思う。
このように、
当の日本人ですら、いや、もっと言えば、当の『皇室』『皇族』の人たちですらも、本当には分かっておられないのでは なかろうかと思しいところが ままあるのだから、
他国の人やメディアに、じゅうぶんな理解可能は困難であろうし、
それでも敢えて、この問題を取りあげ、「時代に そぐわぬ」旧弊どっぷり、男女不平等な日本を教化してやろうなどといった浅薄な姿勢で取りあげることは、厳に慎んでもらいたいものだ。
これは、「女系天皇を認めよ」と主張する連中が言うような「男系教(狂)の信奉」といった程度のものでは ない。
この問題の底にある本当の本質は、「男女平等」といった分かりやすいレベルのことでは ない。
この点は、結局のところ、いくつかの国の「王室」等が、なぜ、この現代に至っても存続しており、しかも、それを有難がる者が、『皇室』や『王室』をネタにする商売人のみならず、そのへんの「シモジモ」一般国民にさえ、少なからず存在し続けているのは何故なのかという、人類普遍の(ミーハー?w)心理と事実に踏み込んで直面しなければ なるまい。
ま、ヨーロッパ随一の王家とされているらしい『ハプスブルク』家も、また、かの『ブルボン』王家も、とうの昔に なくなったけれど、それは それで、誰も困ってないし、ということは証明されてるw
『皇室』に話を戻すと、
そもそも、愛子さんは、『天皇』になる予定は なかったからこそ、美智子さまの、愛子さんへの呼び方(呼び捨てらしい)にも、それが表れているのだろうし、いわゆる『帝王学』なんて教わっても いないだろうし、
ご本人のメンタル面も、母親である雅子さまのこともあるし、思春期の頃の「拒食症」も あったし、あまり強いほうとは思えないんだけど、
って、先日のエントリーでも言った。
だいいち、
やっぱり『天皇家』直系に限る!さっそく『皇室典範』書き直し!
では、愛子さま、どうぞー!!
と言われて、
ご本人が、
「厭ですぅ」
と おっしゃったら、どうすんのか?
無理強いするのか?と、私は問うているのだよ。
もしか、厭だということ自体、言っちゃいけないのかな?
それなら、男女平等以前の人権侵害だろ、っての。
【続く】
2021.05.03 (Mon)
五言は小言?w
さて、
『《小室圭さんと“一心同体”》「公より私を優先」がはっきりした眞子さま 問われる“皇族教育”の在り方』4/29(木) 10:36配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0461b7e3c6993c6834d783f8f4b49e3d87b80f9
日本国内どのメディアでも毎度の事だが、
『文春』の この記事も、わざとなのだろう、
本質的なピントを外して、「皇室関係者」なる者に語らせている。
当ブログでは、これまでも指摘し続けてきたとおりで、
世の『王室』とは異なる、特別な稀な価値ある「伝統」が、日本の『皇室』には備わっている、とされてきた理由の根底に、やはり宗教的なるもの、「皇室神道祭祀」というものが ある。
ところが、
『昭和天皇』は、あの激動の時代でも、尚更大切なはずの「皇室祭祀」に、あまり熱心では なかったそうで、ということは、「祈ってくださる」かたでは なかったわけだw
あるときなどは、たまたま、ご不在が続いたおりに、頭を悩ませる侍従に向かって、当時の『皇后』良子さまが、「わたしが代わりにやろうか?」と、いともアッサリ言ってのけられたというので、侍従側が、あわてて、お叱り申し上げたという出来事が あったそうな。
どっちが『皇族』なんだかww
それに比べると、『平成』の、前『天皇』は、また現『天皇』も お供したうえで、『昭和天皇』とは裏腹の熱心さで、「皇室祭祀」に勤しんでこられたという。
いったい、これは、どう判断すべきなのだろうか。
『皇室』における「神道祭祀」は、最も重要な「伝統」であり続けているのか、じつは、そうでもないのか、じつは全く、どうでもいいことなのか。
「ゴールデン ウィーク」入り口の『昭和の日』とやらに、故『昭和天皇』を話題とした記事がアップされているのを見かけて、一瞬、首を傾げた私w
もとは、かつての『天皇誕生日』だったことなど忘れていたのだが、
『昭和天皇』の名文句とされているらしい、「雑草という草は ない」云々という、いかにも御尤もな御発言よりも、
原爆投下と、その被害者について問われて、
「どうも、気の毒だとは思うが」
と、
まさに「他人事」のようにアッサリ言ってのけられたことのほうが、一国民としては、よっぽど忘れ難い。
それと、「沖縄メッセージ」のこともね。
はてさて、
ただ今もちきりの話題、相変わらずの「眞子さん騒動」についてなのだが、
今は、こうなるのが幸せになるための必要不可欠なこと、と思い込んでいても、いや、将来に、暗雲が垂れ込めてくるリスクの自覚は多少なり あったとしても、もはや「意馬心猿」に近いような状態に入っていると、
この先の不幸や危険を承知のうえでも、この今、ただ今の欲求を優先して、とにかく通してしまいたい、そういうことなのかもしれない。
これは誰しもに、けっして、めずらしいことでもないだろうし、
不本意な時間を費やした分、ましてや、
俗世間で、よくあることに、いわゆる「貢いだ」対象には、貢げば貢いだ分だけ、執着し易いという、引くに引けない心理も あろう。
ただ、眞子さんが、カレシならびに、その母親に「貢いだ」ものの源流は、「シモジモ」「貧乏人」からも容赦せずに集めた「血税」だろう。
「内定者」に過ぎない一般人の当人のみならず、その親までも、億円にのぼる護衛費からして、とうてい、納得できるものでは ないね。
それだけの金額を費やす対象は、他に、いくらでも ありそうなものだよ。
もっとも、当ブログ主である私個人の思うところは、いたってシンプルで、
正直言って、私自身、眞子さんの「幸・不幸」について、さほどの関心は ない。
『皇室』『皇族』の人たち全体が、しょせん「他人さん」であるという感覚を上回るほどの存在には なり得ないのだ。これって、ごく自然な感覚だと思いますがねえ。
尊敬や敬愛が欠けている、ケシカラン!と、怒られますかねえ?
眞子さんの「幸せ」、そして「不幸」も、眞子さん御自身が決めることなのであり、
それを、国民(国民以外の者たちも、そうとう混じってるようだけどw)が侃々諤々喧々囂々で決めたものなど無意味だろう、と。
誰しも、「幸・不幸」については、本人にしか分からないはずだもの。
ただ、
たとえ、「もやし」一袋分に過ぎない額であろうともw死活問題になり得るような底辺国民も含めて、この列島に住まいする人々の ことごとくから問答無用で奪うように集めた税金を、眞子さんのカレシやらへ、彼女の勝手な思惑で流してイイとは許されないはず、ということ。
当の御本人でなく、それ以外の、たとえ公の権力筋でも、国民の知らないところで、国民の納得を得ようともせずに、勝手に決めたことも許されないはず。
私が言いたいのは、それだけよ。
ちなみに、
うちの両親は、いわゆる「ダブル不倫」でしたが、
数年前、そのことを、親の古い友人だった人に、ふと聞いてみたら、
「(私の母親に対して)やめときなよ、って止めたんだけどねぇ」
と言ってたなあ。
私が20歳代の頃、母方の叔母の家に、彼女の病気と手術後の世話を するために滞在していたおり、
うちの親らの経緯についての話題になったとき、叔母も、それと同じこと言ってたのを憶えているんだけど、
「やめときなさいよと言っても、あんたの おかあさんは、頑として聞かなかったわよぉ」
と。そう言う叔母も、不倫の真っ最中wま、エゴイストほど、自分のことは不問だねww
それでこそ、自分の欲を最優先で追求し、他者を踏みつけにして、生き延びるもんだ。子どもたちにも、このように教育すべきだねwww
当の母親に言わせるとさ、
「ああ、もう、わたしは、この男から逃げることは できない」
と思ったんだってさ。
あほくさw
親父の先妻が妊娠中に、ちょっかい出されただけやんw
たしかに、親父もアカラサマでシツコ過ぎたらしいけどww
本気で一緒になるほどの気もないことが分かってるからこそ、
自分も妊娠したわ、この責任とれー!!って迫っただけでしょ(嗤)
私自身、ヨメが妊娠中の男に言い寄られたことの一度や二度は あったよ。巷で腐るほど よくあるパターンなのよね。
ところで、
『皇族』って言えど、各メディアでも、ふだんは滅多に登場しない、あまり話題にならない人も おられるし、
せいぜいが『天皇家』直属の人くらいまででしょう、
「お茶の間」で よく見かけるといったふうの、テレビを始め各種のメディアで見慣れた顔の一つに過ぎず、ほとんど芸能人か単なる有名人みたいな。
珍しいほど「クリーン」な お人柄で、清廉潔白で、「ご清潔で、ご立派で」といった、特異なるイメージを、おつむの上や背後に付き纏わせてウリにしている、変わり種の芸能人、といった印象しかないですわ。
逆に、
『皇室』『皇族』の人たちの立場を想像してみれば、
「シモジモ一般国民」なんて存在は、あまりに漠然として、それこそ「象徴的」で、いちいち、顔も知らない、われわれ一般国民の幸・不幸のことを、彼ら彼女らが、さほど、気にかけているわけでもないことと同様だろう。
もし本当に、一日たりとも一瞬たりとも忘れずに、「国民の幸せ」とやらを願い、「国民の不幸」に思い馳せ、祈り続けているとしたら、ふつうの人だもの、心身が持つわけなかろうよ。
とりわけ、まだ若い眞子さんや佳子さんたちの表情を見れば、
黒山の人だかりを、芋やカボチャが押し合いヘシ合いで拵えているかの如く居並ぶ前に「お出まし」したときなど、このうえなく退屈で辛気くさくて、なにもオモシロくもない「ご公務」のおりに浮かべる表情には、一種の「被害意識」さえも窺えるわな。
「男女平等」という、新たな、分かりやすいタテマエに隠れるな!
と、先日のエントリーでも指摘しておいたが、
日本人ですら、分かっていない国民が多いだろう。
まずは、
単なる「女性天皇」と、単純なこととして片づけられない「女系天皇」との違いを、すべての国民に分からせることから始める必要が ある。これは、初歩の初歩に過ぎない。
その違いを、「差別的」で、ナンセンスなことだと思うなら、
そういう「差別的でナンセンスな」もののうえに築きあげ「連綿と」続けてきたのが『皇室』なのであるということを認識しなければ ならない。
決して、現代の良識たる「男女平等」のタテマエに乗り換えて、他国の「王室」と同列に考えられるものでは ないし、
そして、
「差別的でナンセンス」それ自体が、『皇室』の「伝統」なのであり、「世界に稀なる価値」であるとしてきたことを、どう考えるか。
その「差別的でナンセンスな」「伝統的価値」を取っ払ったあとに残るものは何なのか。
国民たちが、非人間的な、無謬性を帯びた「偶像崇拝」を続けるかぎり、
『皇族』の人たちの、ある種の「被害意識」と、それを緩和するべく「特権意識」は、並び立つ両輪として回り続けるだろう。
つまり、「眞子さん騒動」は、今後とも大いに起こり続ける可能性ありと いうことだ。
【続く】
2021.04.25 (Sun)
国会を、自己つごうで愚弄した罪は、まさに万死に値する。
通常運転どおり真っ赤な嘘ついて招致した『オリンピック』問題も、もはや他人事、
そのへんは外しておいた、つごうのイイ話題と隙あらばシャシャリ出る、恥知らずとか「売国奴」というコトバが、これほど似つかわしい総理大臣は、戦後政治史のなかでも、特筆ものだ。
何やら、またぞろ「朝日ガー」を言い募っているらしいのだが、
そのアベシ自身、『民主党』政権時の菅元首相について、とんでもなデマを こいてますやんか。
こういうことを、きっちり裁いて罰しようともしない、「御用」裁判所の闇も深い。
ついでに言うと、
てか、当ブログは以前から何度も指摘してきてるけど、
例の「従軍慰安婦」問題にしてもね、
日本国内の「ウヨ」系どもがギャアギャア言うこともズレてんのよ。
国際社会は、日本の「ウヨ」系が盾にしてることとは別次元のことを問うているのだし、
私に言わせれば、そもそも、この問題を生じさせた根本原因は、他ならぬ、(当時の)日本人自身だ。
だいたい、日本だけでしょうが。
「従軍慰安婦」だの「特攻隊」だのって、バカな制度つくり出したのは。
国際的に世界を席巻するようなものやイノベーションを産み出す能力は乏しいのに(このへんまでは、「ウヨ」どもが同族憎悪を剥き出しに憚らない『朝鮮民族』と同レベルなんだろうけど嗤)、
とことん物真似するか、小賢しい狡い計算に浸るか、さもなくば、呆れるほどクレイジーなことを やらかすか、どれかしか できないんだな。
さて、
アベシが、自分にとって、つごうが悪いときの話や言い訳に際して殊更に見せる、さも困ったふうの、じつに子どもっぽい、特徴的な表情。
これにソックリな人が いる。
例の『名古屋』市において発覚した不正リコールで事務局長を つとめていた、元『愛知』県議にしてイシンの怪、あいや『日本維新の会』所属、という田中孝博氏だ。
この不正リコール発覚以前は、私は全く知らなかった人だけど。
ほんと、あべしソックリだよ。
眉毛と目尻をカタンカタンと下げまくり、顔全体で、困った困った~、どう言って誤魔化せばイイんだ?と言わんばかりの、典型的な泣き顔ね。
そして、時おり、苦笑いを混ぜて見せるという、このパターン。
現シュショーを やってるスガひでぶも、たいがいの見難さだが、
それと また違った意味で、
あべしの顔は、いつ見ても、相変わらず見難い。
ひでぶは、見るからに冷酷顔そのものだが、
あべしは、見るからにアホまる出し顔にして、しかも、悪人相でも あるという、ある意味で非常に希少な部類の人相である。
さてさて、
この人の場合、まだ若いし、人相などの点での分析は、ここでは置いておくけれど、
例の文書で示された特徴的傾向は、一部しか読まなかった私以外の、大多数の人々が指摘しているようだが、
トラブルに際しての処し方、と言うか逃げ方は、もはや その年齢にして、どこかアベシに似ていると感じさせるのが、例の小室 圭さんだ。
「いいから、取っといて」と言われた おカネであろうとも、
先方が、いまは経済的に苦しんでいると、それは知らなくても、なんとか返してほしいとの旨を要望されたら、素直に、できるかぎり応じよう、そうしなければ なるまいな、とは考える。
感情よりも、まずはスジとかリクツのほうを優先するタイプだと、自分でも思ってる私ですら、そうなのだけれど、
実際、過去に、母方の親戚のことで、似たような経緯が あって、相手は裕福な家の人でもあり、「そこまで してくれなくても いいのに」と言われたくらい、義理を返す努力を致しましたよ、私なりに。
『秋篠宮』さんもね、良くも悪くも、リクツが先走ってるようで、しかも、そのリクツの下に、やはり、特殊な お育ちから来るものなのか、『皇族』特有の感情や感覚が横たわっているものだから、失敗に繋がったのだろう。そのことは、おそらく、娘さんたちへの教育にも如実に出たと思う。
大して優秀でもないのに、海外への留学ざんまい、
しかも、遠い留学先で何を やってるのやら、どうもハメを外した生活ぶりを、自分で晒しまくってたという、『高円』だか何だかの宮家の長女さんとか。
市井の人の仕事の真似事を してみたいとて、お好みの就職先斡旋も、やっぱりコネで。
あの胡散臭い『日本会議』系の仲間にも なってみせる、もと『皇族』だの。
だからこそ、現憲法は、まぎれもない「国家権力側」として「前科アリ」な『皇室』をも縛る役割を、いの一番に宣言しているのだとも、私は思っているのだけれど、
それとは別に、
われわれ一般国民に保証・保障されている「基本的人権」や自由というものを、『秋篠宮』さんは、自分たちにも当然、保証・保障されているはずなのだというスタンスであるらしい。
むろん、「基本的人権」とは、哲学的には普遍概念であるけれども。
けれども、『皇族』は、「国民」なのですかね?
特に、「ヤフゴミ捨て場」の「ヤフゴミ」の多くは、「ウヨ」「ネトウヨ」の類と見受けるだけあって、このたびの「眞子さん騒動」について、
「血筋や血統だけでは尊敬できないんだ、プラス、人がら如何が重要なんだ」
といった主張が大勢を占めているが、
人がらが良かろうが何だろうが、
『天皇制』『皇室制度』とは、それが「優遇」であろうとなかろうと、
血統・家柄差別以外の何物でも ない。
ましてや、
「女系天皇」を認めよ、ご本人が嫌がっても、愛子さんを『天皇』に!などとは、ただただ、血統・家柄だけの崇拝に ほかならない。
しかも、内実は、とうに、「庶民」出身の血筋となって久しい。
いったい、なにが有難いのだろうか。
いつだったか、
前『天皇』さんが、退位することを、ご自分で決めて発表された頃だったか、
過去エントリーで引用したことが あった、『明治天皇』の深い恐れ。
「皇を取って民とし民を皇となさん」
…
もっと言えば、
いいか、ウヨ、ネトウヨども。
おまいさんらが最も厭だと思うことをズバリ言ってやろうか。
これも以前に言ったかもしれないが、
『皇族』のルーツは、どう考えても、朝鮮半島だろ!w
どうりで、一見の民族性、国民性の基本が裏返しのように見えては いても、実のところ、大いに共通してるがなww
あー、いやだいやだぁ!!(爆)
せいぜい怒るが よい。さめざめと泣くが よいwww
んでさ。
ここが肝心。よく考えてみなさいよ。
「人がらが良いから」といった理由で、
どこの庶民が、「億」単位の税金を支給され、すべてに置いて最高度に優遇され、終身保証され、名誉や権威ある存在と見做されるか、っての。
われわれシモジモの世界で生きていれば、
むしろ、人がらが良ければ、かえって「正直者がバカを見る」ことなんて、日常茶飯事であることくらい、すぐ分かるわな。成人して、社会に出たら、ますます、その感を深くする現実。
それでも、
あんまりなことは できまいと思うのが、平凡な市民、国民の良心的一般感覚であろう。
こうすれば、自分も、甘い汁に あずかれるだろうと思っても、そのために、ひいては他者を泣かせ、ひいては自国に、やがては世界に悪影響を与えることに繋がりかねないと思うから、自制して避ける。
これが、ほんとうの良識と矜持ある人。
はてさて、
護衛ひとつ とっても、おかしな態勢になっているようだし、
『秋篠宮』家と宮内庁は、くだんの「民間の一般人」小室氏に対する税金の流れや異様なほどのバックアップが施されていたとしか思えない事態について、きちんと説明すべきであろう。
事が、眞子さんの独断・勝手であったに過ぎないとしても、
どこまでも彼女一人の力とは思えない。
だいたい、眞子さんのカレシに貢ぐために拠出した税金では なかろうに。
結局、もらい過ぎ、与え過ぎなんじゃないのか、という印象は つよく残ることになった。
シモジモ庶民国民の権利は、なんだかんだイチャモンつけて取りあげるだけで おさまらず、弱者叩きまでも大いに繰り広げる国なのだ、この国は。
『自民党』と『日本会議』は、いずれ、国民から主権をも取りあげるつもりマンマンらしいし、
あすからの生活に絶望し、きょう、死ぬことを余儀なくされた庶民国民にとって、『皇室』とは何なのか。
いつ、「寄り添って」くれたことが あるのか。
理不尽な死へと赴かせたことは、歴史上明白に あっても。
戦後の『皇室』『皇族』の姿も、一転して「主権者」となったシモジモ国民に対する媚びとパホーマンスであったように思う。
一皮むいた、その下は、例の『竹田』某と変わるところ ありや否や。
まあ、『秋篠宮』さんは、次の『天皇』位に就かれることに対し、ご自身、何らかの お考えを持っていらっしゃるようにも見受けるのだけれど、
『秋篠宮』ご自身のみならず、次の次を予定されている御子息、悠仁さんの代にも影響するほどの、たしかに芳しくない意識を、多くの庶民国民が持つに至った騒ぎだと思う。
それにしても、『皇室』って、意外なくらい、けっこう自由にしてるみたいね?
『宮内庁』は常々、眼を光らせていて、これマズイとあらば、うるさく干渉するんだろうとばかり想像してたわ。その分、同情を禁じえない気分もあったわけなんだが。
『皇室』から『小室』w
そして「消失」?ww
じつに、じつに「象徴」的www
まっ、いいかげん、「おとな」になろうや、日本人。
ついでだが、
特に、旧『民主党』系の議員や、枝野さんにも言っておくわ。
ろくなもんじゃない、あほな「ウヨ」どもに媚びるのだけは、やめときなさいよ。クギ刺しとく。
2021.04.18 (Sun)
敗戦の日本を、どうとでも調理できたであろうアメリカは、あらゆる角度から検討して、利益効率やらコスパ計算を もとにか、『皇室』を残すことをも許した。
かたや、
悲惨な負け戦が明白となっても、なお、「そこを なんとかせよ」的に未練がましかった『昭和天皇』は、ついに決行された『特攻隊』の一報を聞いて、心痛めるよりも大いに歓んだそうだが、あえなく完膚なきまでの敗戦をもって一転、「人間宣言」を行なったあとは、日本人のなかで最も忠実な、アメリカのシンパと化してからも、なお『現人神』気分が抜け切らなかったと見えて、性懲りもなく、『沖縄メッセージ』など発していた。
過去エントリーでも紹介したが、
あの時代に、南方の戦線へ赴かされて、上官たちの夜毎の宴会を横目に、食うや食わずの死線を さまよった とある若かりし兵士は、年老いて、重い病身の声を振りしぼって叫んでいた。
「えらい人は、責任とりません!」
あの時代を知らない、経験していないアナタたち、このこと、決して忘るべからず、とて。
けじめ、潔さといった、「日本人の美徳」なるものを口先に上せつつ、
実際には、曖昧を好み、常に、責任回避、先送りに先送りを重ねて、
ついには何が何やら五里霧中となるに まかせるのみ、
この特徴たるや、「コロナ禍」の今においても、上から下までズズズィ―っと、日本の特徴としての背骨を保ち続けている。
さて、
『「アベノマスク」評価は? 全戸配布開始から1年 使用3.5%「意図伝わらず」』4/18(日) 7:36最終更新:16:18時事通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ade90d22204f752756d85d42f616d6d8db33c7b0
あれが うちにも届いた頃には、マスク自体の衛生状態の問題が指摘され始めていたから、もしやと危ぶみ、パッケージ越しに目を凝らして確認してみたら、やっぱり、何やら黒っぽい粒のようなものが付着していたので、もし使うなら、一度は洗浄してからになるなあと思いつつ、そのままになっていると、過去エントリーで述べておいたけれど、
上掲記事にコメントしてる者のなかに、
例の小室さんに税金が流れるのが嫌だとか大騒ぎするけど、政治家が、その何百倍ものカネを、出せるはずの証拠も一切出さないで、のらりくらりと誤魔化して逃げることは何故、平気なんだろう、
と投げかける者が いるのだが、
それは、ちょっと了見違いというものだ。
まず、それと これとは、単純に同列扱いにできないということも言えるのだが、
先日の当ブログ エントリーでも指摘したように、
「政治屋の悪さ」の陰には、ほぼ必ずといっていいほど、自分個人にも大なり小なりメリットが もたらされるから支持する、という個々のシンパが いるわけで。
要するに「私利私欲」なのだが、
あるいは、「地域の発展のため」等々といった大義名分を掲げて隠れる。
そういう者たちが、「コアの支持層」の一角を構成しているわけだ。
だから、
私利私欲や大義名分信奉者を代表する政治屋が、「悪いこと」を すれば するほど、「悪いこと」が大規模であるほど、
それによって、何らかのメリットを享受できる者らの、そのメリットの大きさや規模も膨れあがっていく。
そして、ますます、支持層を強固にしていくから、
「なぜか」、選挙に出たら当選する、という、「メリット」の外にいる人には、どうにも怒り心頭な結果になってしまう。
腐れ『自民党』は、この図式の最大にして典型的見本。
しかし、
小室さんの場合は、いちおう、『秋篠宮』家の眞子さんの「婚約者」として内定されていると言っても、まだ、ほぼ一般人であり、中途半端な存在に過ぎない彼に、『宮家』なり『宮内庁』なりを通して、威力あるコネのみならず、血税から出た大金を投じて、強力にバックアップしたところで、
どこに、そこからメリットを得る国民が いるのだろうか。
当事者である眞子さんと『宮』家、その関係者、
誰よりも、小室さん親子以外に。
少なくとも、われわれシモジモ一般の庶民国民にとっては、何らのメリットどころか、小室さんたちに投じられる税金のことを考えたら一目瞭然で、むしろ、損害でしかなかろうというものだ。
だから、
メリットに無関係な国民は当然、「悪い政治屋」に立腹するのだが、
悪い政治屋にも かかわらず、その肩を持ち、当選させ続けるような支持者でさえも、小室さんの件については、同様に立腹するわけ。彼を利用できるモクロミが あるなら別だが。
それにしても、
子どもたちへの説明に窮する、といった声も多い、まさに「政治屋」と言うか、「オトモダチ専用ご用聞き」に徹し、その代わりみたく、弱い者イジメに励んだ安倍晋三という、前シュショウ。
小室さんと同列に語れる面が あるとすれば、
まさに、子どもへの教育上の問題が含まれ得るのだろう。
と言うのは、「犯罪スレスレ」な生きかたを してきたのであるらしい、だからこそ、「法的には」というスタンスから一歩も出られない小室さん自身の、おかあさんから直接の影響を受けるもとで生育した彼自身にも指摘できようことだ。
要するに、
「悪いことや狡いことを したら した分、それ以上にも良い見返りが あるんだな」と。
ヘンな「努力」や「因果応報」になってしまうが、
アタマが よく回る者や要領だけで生きているような「優等生」タイプほどテキメンに、見習ったり真似せずに おらりょうかというもんだ。
ただ、
小室さんのような、激しい「自己正当化」と言うのか、自分の体面を守る言いわけのような言動の徹底ぶりは、近頃の若い男性一般にも顕著な傾向のようだと、私は見受けてきていたのだけれど、
まあ、これは、振り返って思い起こせば、私自身の若い頃でも、当時の20歳代前後の男性に、わりと、よく見かけるタイプだったようにも思う。
だとすれば、
若い男性に特徴的な「自己愛」「自己防御」傾向なのかも しれない。
若い頃には若い頃なり特有の、脆い体裁を繕うミエは あるもんでね。
その分、
小室さんにも見受けるような、俗な価値観に裏打ちされた、「見せびらかし」的行動にも励むことになる。
表面には出さなくても、実はコンプレックスが深い人ほど、そうなるようだ。
皮肉なもんだよね。「中の鳥」は出たがり、「外の鳥」は入りたがる。
たとえば、
先日も少し指摘したように、
現代の『皇室』『皇族』の構成員である女性については、昔なら、「正室」となるのは非常に難しかったであろう、本来は縁薄い層から嫁がれた、美智子さまと紀子さまの場合、どちらも、嫁いだ お相手の『皇太子』または『宮』さんに対する恋愛感情という私的動機が、始めから大いに伴っていたというところが、最も重要な基礎的共通点であるということだろう。
だから、香山リカ氏が指摘しておられたような「過剰適応」も辞さないくらいに頑張れるわけで。
辛辣な指摘だろうけれども、
ある程度は恋愛感情が伴ってこないと、いかに「名誉心」旺盛なタイプであろうとも、『皇室』のような、あまりに息苦しさが予想されるほどの家に入るとなると、やはり、お断わりされてしまう。
あとね。
いまの『天皇』さんの一人娘であり一人っ子の愛子さんを、「女系天皇」に!と、ここぞとばかりに喚き続けてる連中。
どういう組織に属してるのだか、はなはだアヤシイし、いや、個人の考えに過ぎないとしても、
世論で圧倒的だというのが事実であるなら、つくづく、日本人は愚かで ある。
それこそ、「ヤフゴミん」の誰かが言ってたように、「学級委員を選ぶ」みたいな感覚で、「向いてる」かどうかで決めようぜ、というのも、ひどく履き違えた主張だ。
第一ね、
彼女だって、まだ学生、これからの人なのであり、今後どうなるとも言いきれない。
『皇室』『天皇制』を温存してきた、表向き最大の理由である「世界に稀なる(男系の万世一系の)伝統」とやらを覆して、最初の「女系天皇」になるなんて、ぜったい厭!と おっしゃるかもしれないのだし、
私には、愛子さんも、「向いてる」ようだとは、あまり思えないし、彼女も、ストレスに強いタイプとは言えないようにも思う。
それでも、無理強いできるのかな?
それこそ、眞子さんと同様なトラブルが起きないという保証も ないのだしね。
また、
もしも、愛子さんに就いてもらうとなったなら、それは、
歴史上にも存在したという「中継ぎ」的『女性天皇』で終わらず、
ことに、変化を嫌う国民性でもあるから、なんだかんだ、このままでイイじゃん、続けていこう、という風潮になる可能性は低くないと予想する。
一から引っ繰り返して、「女系天皇」を認めるなら、『皇室祭祀』についての伝統的ツジツマを、どうするのかな?
いや、これからは、遅まきながら、「政治と宗教の分離」を実現すべく、『皇室神道祭祀』も、なくしてしまいましょう、とするのかな??
そういった、あらゆるツジツマの合わなさのことを考えるにつけても、
やはり、『令和』で終わりで よいわ、という意見に、私は軍配を上げる。
「天皇の前にあっては、人々は平等だから」などと、あたかも、「苦しみを一身に引き受けた、イエスさま」めいた、なんだか『キリスト教』みたいなリクツを付けようとしても、残念ながら、
「現人神では ありませ~ん、人間なんですぅ」と宣言済み。
では、「人間」とは、いかなるものか。
一皮むいたら、あの「皇室芸人」がオチ。
ま、だからこそ「縛っておく」わけでも あるのだが。
『秋篠宮』さんたちが、いまの日本国憲法で謳っているところの「基本的人権」の理念と適用を盾に、ご自分たちにも然るべきと望んでおられても、そりゃ無理が あるに決まっている。
誰が聞いても考えても、理由は明白。
『天皇制』『皇室制度』なるものは、どの角度から見ても、必ずや、矛盾と無理が生じる。
それを承知で、どうにか こうにか、アクロバット的に押し込んだのが、
「象徴である」「国民統合の象徴」
という、ケッタイなヘリクツだ。
けじめを つけなかった『昭和天皇』の代わりに、「贖罪」的色彩を帯びた活動を続けておられた、前『天皇』ご夫妻、そして、最後の「正統」的「男系」として、『令和』の『天皇』位に就かれた、現『天皇』。
ある意味、ここいらでキリの良いところ、とも言えそうだ。
もう、解放してあげましょうよ、とも思うのである。
この『天皇制』だの『皇室制度』などを戴き続けているかぎり、
日本の、日本人の曖昧好み、五里霧中の、あとはオボロ好みは直らない。
「中空の空白」なる便利な乱れ箱のなかへ、とりあえずポイポイ放り込んだままにする癖が直らない。
政治も民衆も。
無責任は続くよ、どこまでも。