2021.12.07 (Tue)
それらは、少なくとも今、さしたる辛苦には晒されずにいて、これから先も そうだろうと単純に信じていられる軽薄短小のための消費的娯楽の一つでしかない。
先が暗い、救われない苦しみのなかで、じっと俯いて縮こまっている人にとって、
『キリスト教』が、『皇室』が、いったい何の意味あるものか。
彼我の断絶は甚だ深い。
国内外とも深刻な問題を抱えたままの国でも、巨大なクリスマス ツリーに点灯され、集まった群衆が歓声を あげた、などというニュースを眺めていて思った しだい。
かく言う私も、自宅すぐ近くのカトリック教会のクリスマス ツリーがイルミネーションで輝くのを楽しみにしては いる、本来単純なノンキ者なのだけれど。
医者の誤診で、手遅れとなった結果、2歳頃に「ウイルス性脳炎」による重度の知的障碍者となった17歳の息子を、「心中」するつもりで殺めたものの、母親自身は、あれや これやと、死ぬ方法を試したにも かかわらず、とうとう死にきれなかったという、そんな母親の裁判の記事を読んだ。
一読して、
ここでも、ああやっぱりな、自分以外を殺すのはカンタンに殺せても、
自分自身を殺すのは、自分の子を殺すよりも、もっともっと困難で、死にきれないものなんだな、
それくらい、人間は、自分が最も可愛いものなんだ、誰よりも。
と、
まして、自国と言えども、身内と言えども、親身になど なるものか、
いざとなれば、わが子を殺すよりも、自分自身の命を絶つほうが恐ろしく困難なのだ、
しょせんは他者が、冷淡でも冷酷でも当然なのだろうと、
あらためて思ったことだ。
さて、
この母親自身、長年に わたる苦労と疲弊のために、心身の治療を要しているらしいのだが、くだんの一人息子を出産した年齢が、当時、すでに30歳代も後半だったようで、息子の後天的障碍が切っ掛けになったのか どうかは、記事ではハッキリしなかったが、そもそもから、結婚相手との出会いや夫婦仲も、スムーズなものとは言えなかったように受け取れた。
日常生活の あらゆる面で、他者の配慮と助力に大きく頼らなければならない重度障碍を背負っている場合、とりわけ、知的障碍の場合は当然のこと、障碍児・者自身の自力で生きのびることは不可能なはずだから、
これは もう、当の障碍児本人以上に、その親のほうこそが直視し、現実を認識して、適切な対処を早急に迫られる。
まずは、対応可能な施設に入所できるよう動くことなどは、障碍児本人で なく、親なのだが、
くだんの事件の親子のように、ただでさえ周囲のフォローが乏しいうえ、障碍児の粗暴性如何によっては、どこからも入所を断られたまま、という事態も現実として あるわけだ。
私自身、重度の知的障碍児の母子グループと接触した経験が あるのだが、
重度知的障碍と言っても、やはり、皆が皆、同じパターンや傾向を示すわけでは ないのである。
これについても過去エントリーで述べたことが あるが、
ことばを発することすら一切不可能で、自分の感情や意思を示すには、まるで、あかんぼうや動物の鳴き声のような発声を もって表現するしかないような重度障碍児でも、
「この子は、ほんとうは、もの事や人の本質のところを見抜いているのでは ないか?」
と思えるほど、独特の鋭敏さを示す子も いた。
自分自身はコトバを話せなくても、他者の発言や態度の意味するところ、醸し出すものは、むしろ、「健常児」以上の鋭さと繊細さで理解する能力を備えているように感じさせられるほどなのだが、
また別の障碍児は、
本人は、自分が、衝動的に、または継続的に興味を惹かれた対象の事物を、まさに憑かれたように見詰めて飽きず、長時間を、ちょっとも動かない。
その場所に おいての公的ルールや禁止事項となっていることを、ハナから一切無視、自分の衝動的欲求を通しきることだけに徹して やまない子も いる。
こういう子の場合、しては いけないことなのだと、根気づよく説明しようとも、まさに「馬耳東風」。
このパターンを示す障碍児だと、たしかに、全く手の施しようもないほど、言うことを聞かない。
口答えするでもなく、反感を態度に出すでもない。
視線は、さっきから興味を感じているもののほうへ釘付けになっており、その眼だけが異様に輝きを見せて、ひたすら自分の関心対象だけを黙って見詰めたままだ。
横に立って、いっしょうけんめい話しかけている者など存在していないと言わんばかりに、完全に、徹底的に無視しきっている。
専門筋の指導者なら、こういう障碍児であっても、何らかのコツのようなものを会得しているのだろうかと思ったりするのだが、なんと言っても、親は大変だよなと思う。
くだんの「心中未遂」事件を起こした母親の実母も、老人性認知症ということで、これと二重の介護負担になっていたらしいが、
なまじ、同じ集合住宅の上と下で生活していたのも、皮肉な結果を招いたのでは ないだろうか。
私自身、
それでなくても、ほかの兄弟姉妹全員が片親違いゆえ、特に母親から すれば、いちばん遠慮会釈なくコキ使い易い存在の娘だったうえ、近場に住んでいようものなら、ほんの30分ほどの買物中にも、電話がジャンジャンかかってきて、すぐさま出て、用向きを伺ってやらないと、受話器を取るなり激しい怒声が飛んで来た。
あの頃は、ほんとうに、死んでしまいたくなったものだ。
「親が原因で障碍を負った私の、親らの召使みたいな人生って、なに?」と。
もちろん、ほかの兄弟姉妹は、それこそ、存在していないに等しいほど、なんの役に立つどころか、相談できる相手ですら なかったし、ヘタすると、彼ら自身の問題を持ち込んでくる恐れも高かったので、私から近づくのも躊躇われるほどリスクのある対象だった。
そして、皆それぞれに、親に対する複雑な恨みを抱えていた。
なぜか、私は、ここでも、彼らのネタミの対象だった。
少なくとも、父母ともに私の実親であったからなのだろうが、そのために、他の兄弟姉妹からは、私一人が背負って当然、という正当化の理由にもなっていた。
くだんの事件の母親の実母とて、もちろん、心身しっかりしているうちは、孫のことを心配し、手助けも してもらったのだろうけれど、
それだけでなく、もし、金銭面でも多少の援助を受けていたのであれば、どうしても「負い目」は抱え込みがちになるだろう。
これは、私自身の経験でも、そうだった。
この母親には、実の兄も いるそうなのだが、主として経済的な面での「負い目」を背負い込んでいると、どうしても、親族一同からさえも、全てを押しつけられがちになるし、自他ともに、「そんなの仕方ないだろう」で かたづけてしまいがちになるものだ。
だから、若くて余力が あるうちに、さっさと見限ってでも逃げ出しておくに越したことはないわけだが、障碍を持っている身となると、現実は厳しい。
概ね、障碍者には世間も冷たいものだが、
親のほうも つけこむし、最後は帰ってくるのを待ち構えている。
ここで、一つ重要なことは、
「障碍者」と一口に言っても、重度であるのか、
そこまでは行かない、中途半端な程度だと、障碍児の親も、子に対する態度が大きく分かれることになるようだ。
もちろん、保護者としての責任を自覚している親が普通のはずであろうけれども、
そうでない親も少なくないかもしれない。実際、うちの親は そうだった。
なまじ中途半端だから、「健常者」と ほぼ変わらない「自己責任」を要求される。
私は、職場でも、陰に陽に障碍を大いに利用されることが少なくなかったが、
最も利用し続けたのは、ほかならぬ実の親だった。
息子殺しの事件の話に戻ると、
しんどさを こらえて、母親が動いた おかげで、ここならと思える施設が、せっかく見つかったのに、ただ「送迎サービス」の有無で左右されてしまうのであれば、その部分を、なんとかできないものなのか?
個々のケースによって、融通を利かせる余地も くふうも皆無なのか?と思うのだが、
他人は勿論、行政も役立たず、結局みなが「他人事」だった結果、起きてしまった「障碍児殺し」。
まずは、
ここの融通が利けば、あとは、なんとかなると思えるケースを見逃さないことだと思う。
たとえば、こういった面での調整を図る「コーディネイター」的役割の人や組織は無理な話なのだろうか。
例の『相模原』に おける重度障碍者施設での虐殺事件の下手人をば「英雄視」して信奉する「ヤフゴミん」が圧倒的に多い「ヤフゴミ捨て場」なのだから、またぞろソレッと飛びついて、
「病人、障碍者は殺せ殺せ」
「貧乏人や『生活保護』や『障害年金』受給者は死ね死ね死ね」
の大合唱が沸き起こっているのだろうなと思っていたら、
毎度の「重度障碍児・者を生かしておいても しょうが なかろう、やっぱり『安楽死』制度が必要だ」と、飽き飽きするほど見かけてきた定番の主張を大っぴらにしている「ヤフゴミん」は、今回、意外に、あまり いなかったようで、思わず拍子抜けだったw
その代わり、
そういった主張を、あからさまにでは なく、「奥歯に物が」挟まった ていの、遠回しな言いかたで済ませている手合いが少なくなかったみたいww結局、言いたいことの本音、本質は変わらないのだな(嗤)
以前にも指摘したのだが、
障碍を持っていたら、「死刑」宣告されにゃいけないわけか。
本人が、これ以上は苦しみたくない、生きていても仕方がない、『安楽死』で結構だと、自分で意思を示せるのなら まだしも、
くだんの『心中未遂』事件に おける息子は重度知的障碍なのだから、『安楽死』だろうが何だろうが、本人自身の意思を確かめることも できない。
まさに、問答無用の死刑。
罪状は、「重度障碍につき」ってわけだ。
【続く】
2021.12.02 (Thu)
『【続】伝統、技術、工芸そして和服――モノの価値とは。』の続き。
そもそも、古代の「女性『天皇』」だって、次代の男子への中継ぎ的存在でしかなかったというし。
愛子さんまでは、単に「女性天皇」で済むかもしれないが、
そのあとの代からは、そうは いかなくなる。
なんだかんだと、いったん始めてしまえば、
ま いっか、このままで、となるのが、俗世と人の習いである。
「万世一系」こそを誇ってきた『天皇』家を支える、たぐい稀なる伝説wファンタジーwwは、そこでプツンと切れる。
つまり、「やんごとある」wわれわれ庶民と、なにも変わらなくなるわけねwww
以前も言ったように、
「やんごとある」でも良い、ということなら、それは、われわれ庶民と同じ地平に立っているわけだから、特別優遇するには全く当たらないし、それでも なお特別扱いと(多少の犠牲は伴うにせよ、破格の)優遇を続けるのであれば、
残るは、より純然たる血筋や家柄差別でしか なくなるのよ。
考えてごらんなさい、
もしも、伝染病なり大災害なりで、「トリアージ」を迫られたときに、『皇族』と一般人となら、断然、『皇族』が優先されるだろう。その『皇族』が、どれだけ、治療の効果が なさそうな状態だったとしても。
自分自身が人事不省状態に陥っていたなら、抗議する自力もないだろうけど、
もし、自分の家族とか大切な人が、同じく救命が困難であることに大差は ないどころか、こっち側の可能性の高さは無視して、問答無用で『皇族』のために、命を遠慮しなければならないとなったら、私は「怒髪天」になるわよw
「男系・女系」の別なく、とにかく連綿と続いてきたのだ、そこに価値あり、ということとするのなら、われわれシモジモだって、「やんごとなき」人々ということになるはずよ?(笑)
『天皇制』『皇室』、
やっぱり、この制度は、こんにちでは無理と矛盾の体現でしかない。
「なかの人」たちも国民も共に、ダブル バインド、矛盾の坩堝に投げ入れて、混乱させ、思考力、論理力を奪い、無気力、無関心、低劣な精神へと押し遣っている、それが現実だ。
悦んでいるのは、「『皇室』ポルノ」に浸っているヘンタイ連中だけ(嗤)
…
私事の余談だが、
数年前に、『龍村』の刺繍帯を、近場の呉服屋へ持っていって、どれほどの値段が付くものか、見てもらったところ、
店の人は、あきらかに目を瞠りつつも、なんとまあ「1万円で」と来た。
しかも、他に、この帯と合う和服もセットで売ってもらえたら、、、と、
いかにも、舌なめずりするような眼つきで言う。
『龍村』ですよ?正真正銘の『龍村平蔵』。
初代さんのか二代目さんのかまでは、私には分からないけど、制作者名と共に『龍村』製であることを示す特有のラインと、一点物だからなのか、この帯の「銘」と言うのだろうか、重々しい固有名が付けられている。
売らずに持って帰ることにした『龍村』を、店の人は、いつまでも未練たらしく、何度も確かめるように めくってみたり引っ繰り返したりして、思案し続けていた。
おそらく、『龍村平蔵』の本物を目の当たりにした経験が なく、目利きの自信が乏しいのだろうか。
私は、内心の呆れを隠しつつ、その店の人と少し話を していて、
「宝石も そうだし、和服も、買ったときは数十万も払ったのに、売るとなったら、ねえ。ものの値段って、何だろうと思いますよね」
と言ったら、店の人も、思わず しみじみと頷いたものだ。
そりゃあ、子どもの頃から、わざわざ京都の老舗の呉服屋さんが、うちへ訪問して来て、いろんな反物を次々広げてくれるのをウットリ眺めつつ、ここで また母親のウンチクを聞かされた私の眼でも、「お、これは?」と思える生地に、5百円といった値札が ぶら下がってるんだものな。
この ずっと以前にも、かなり大ぶりのダイヤモンドや高価な宝石付きの指輪、海外の有名老舗ブランドの腕時計などを、なかば好奇心で、近所のショッピング モールへ来ていた買取業者に見てもらったら、
やはり、信じられないほどの安値を告げてきて、そこでも、あ、そうですかとアッサリ退散することにした その とたんに未練タラタラで、
待ってください、ご相談によっては、、、などと引き止めてきたのを断り、さっさと帰ってきたことが ある。
てなわけで、
買うときは「清水の舞台」だったかもしれないが、売るとなったら、あっけないものなのである。
『龍村』は、いまも、うちの箪笥で眠っているが、
この帯には、ちょっとした来歴がある。というのは、私の叔母は、若い頃、誘われて、ある写真家の専属モデルを やっていたのだが、
名前を聞けば、高齢の人なら、すぐに、「ああ、あの」と思い当たる、かつて、首相も務めた高名な政治家の、その夫人が出していた冊子の表紙モデルとして登場し、撮影されたときに着用したのが、くだんの帯だったそうな。
その帯を気に入り、買い取った叔母は、
朱赤色の地に、古典的にして大胆な趣向でデザインされた金糸銀糸の色も鮮やかな牡丹の、盛り上がらんばかり立体的に刺繍された帯が、
叔母にはハデになってしまった頃、毎度のパターンで、私への「お下がり」として寄こした以後、たまに私が和服を着るとなると、その帯の出番となっていた。
黒地の『京友禅』に朱赤の帯は、よく映えてくれた。
けれども、哀しいことに、私自身にも、もはやハデになってしまって久しく、それで、いったい、いくらで売れるのだろうかと、「買取します」看板を出している呉服屋に持ち込んでみたというわけ。
ちなみに、
『世界無形文化遺産』に輝く『文楽』の本拠地、わが大阪には、このように立派な伝統芸能も あるのだが、
こういった活動に対する補助金を、当時、『大阪維新』の橋下氏が、知事時代に続いて市長時代にも、「稼げない」「既得権益」とて激しく糾弾し、カットするぞと脅しを かけるような攻撃的主張を繰り広げ、それが また、橋下氏には毎度のパターンと言って過言でないほどにwあちこち誤謬と認識・知識不足だらけ、しかも、ひらきなおってホッカムリというwwこれを是正すべく各界から向けられた指摘と批判が巻き起こったのを憶えては いるのだが、その後、このことも、どうにか解決したのだろうか。
あの当時、橋下氏に対して、大阪らしくユーモラスに切り返していたらしい、すでに高齢の『住大夫』丈は、いっぺんで、健康を損なったそうだが。
いまは「コロナ禍」に伴った深刻な問題の あれこれが、
さすがに頭の なかには、まだドッカリ残っているはずなのだが、
先頃の「衆院選挙」結果を見るに、
どう考えても、大阪人は完全「鳥アタマ」かつ「どМ」化してしまったのかと思えてならないのだけれども。
~
「文化には、"もうかる文化"と"もうからない文化"がある。文楽は1体の人形を3人で操る。太夫も三味線もさらには裏方も、何人も必要な集団芸術。オーケストラやオペラなどと同じで、人件費や制作経費などをすべて入場料にかぶせれば、普通の庶民の所得では行くことはできなくなる」~
https://www.jcp.or.jp/akahata/web_daily/html/5bu-ishin/06-ishin1.html
2021.12.02 (Thu)
『伝統、技術、工芸そして和服――モノの価値とは。』の続き。
敢えての「侘び寂び」精神ってやつだろうか、これって、実は、むしろ裕福者の道楽なのである。
いわゆる「玄人うけ」「通好み」な『大島紬』は、「泥染め」とも言うだけ あって、ほんとうに地味。
本来は労働着みたいなもので、言わば「ジーパン」に相当するかな。
「Tシャツ」も、もとは下着だったという。
日本の浴衣、古くは「小袖」も、そんなところだったらしいが、
やはり、結局は、よりラクで動きやすいものが勝ったということだろうか。
そういう実用性を放棄しても残るとしたら、
それとは全く異なるところに価値を見い出され、残しているわけだろうが、
ただ、よほどの機会が なければ、出番も ない。もしかしたら永久に。
こうなると、一切の日常からは切り離し、博物館入りしかないね。
たしかに、こんにちでは、あらゆる装いのルールもタブーさえも変化している面は多いだろう。
けれど、和服ならではの約束事やマナーも、まさに「伝統」の うちなのである。
昔は、たとえば「遊郭」(いまも一部地域で残ってるそうだが)とか「遊女」「女郎」って存在が あったそうだけれども、どんなに売れっ妓であろうと、なかでも「太夫」とか「花魁」っての?豪華絢爛な着物や簪やらで埋もれるほど着飾っていても、足は素足だ。
これには「粋」とかいう理由も あったそうだけど、
凍える真冬だろうが、どこまでも裸足なのだと。
もし、「粋」が本当の理由なら、18世紀頃のフランスの『エンパイア(帝政)様式』とかいう、シュミーズみたいなドレスを真冬になっても無理して着ていた、そのために、肺炎に かかって亡くなる女性が相次いだ、みたいな話を連想させるが、
私が若い頃、一緒にテレビの時代劇を見ていたとき、
母親が、ふと、私に向かって、
「おまえ、気が ついたか?」と言った。
赤貧洗うが如きビンボボ武士の妻女ですら、身なりは粗末でも、足袋は堂々と履くだろう。
だが、しょせんは「苦界」、「娼婦」、どんなに格式が高いとされる「太夫」や「花魁」でさえも、足は素足なんやで、足袋を履くことは許されん身分、そこが、武家などと違う、厳しい掟なんや、と。
うちの母親の解説が本当に正しいか否かは知らないけど、ちょっと似ているようでは ある。
要は、かけた金額それ自体なんかは二の次なのだ。
厳然と先んずる「ケジメ」がある、ってことらしい。
日本は昔から、特に「形式」を重んじる気風が、いまも濃い。
「ヤフコメ」投稿の一部に見られるように、
本来は労働着であったものを、値段が高額なんだからと、それに免じて、いわゆる「フォーマルな」場にも着ていけるということになれば、
すなわち、金額最優先になった、ということにも受け取れる。
ある意味、「成金趣味」とも言えよう。
すれば、
判断基準は飽くまでも金額の多寡、
「TPO」といった判断は、いっさい構うことなく、仕来りや約束事、マナー、それらの由来も何もかも無視、無知でも済むよね。
良いか悪いかは置いておいても、
そこで確実に消滅する、目に見えない「伝統」も あるわけで。
だから、
たとえば「『大島紬』を、フォーマルの場で着用して、なにが悪い?なんたって、値段が高いのだよ」
と主張していながら、
『大島紬』などの他にも、あらゆる「伝統」的物事を、税金を大いに投じてでも温存すべき!と論じるのは、根本的にヘンなのよ。わかるかな?w
なんか、『天皇制』『皇室制度』にも重なってくるねw
ついでにだけど、
最近、「ヤフゴミん」v.s「ヤフゴミん」でモメてる光景が増えてきてるがw
こういうとこでも、もはや『皇室』は、国民を分断している明白な現実、
まずは各メディア・マスコミ界が煽りまくって、自分たちの「飯のタネ」で あり、国家権力筋からの要請も あるのだろうから、陰に陽に、われわれ庶民国民をコントロールしようと画策しているのが鼻につくほど酷いのが分かる。
これは、週刊誌などの「お約束」、あからさまなゴシップ以上に、いちおう「信憑性が高い」「お堅い」とされる大手紙全体のほうが、むしろ、タチが悪いと思える。
そんなわけで、いまでは、ますます、おげれつネタの宝庫と化している『皇室』。
近頃、眞子さんの「エゴサーチ」も指摘されていたようだが、
加えて、何かと主導権を握りたがる御性格なのか、「お育ち」ゆえにか、ついつい、そんな姿勢になってしまうのか、こういったところは、ほんとうに、おばあさまの美智子さま譲りって感じね(苦笑)
でさ、
ある『ヤフゴミん』の、よく見かける内容では あるのだが、小室さん夫妻の、要は、今後の『皇室』への「喰い込み」を危惧するコメントに対して、
なぜか、ガシガシ反論・擁護しようとガンバる「ヤフゴミん小室派」側がw
「いったん『降嫁』した以上は、二度と『皇統譜』に戻ることは あり得ないのだ。『皇統譜』とは、常に一方向、一方通行のカタチでしか あり得ないルールだ」といった趣旨の反論を していて、
末尾で、「不勉強」だぞと、大いに嘲笑の ていだったのを見かけたが、
いや、ちょっと待った。
この問題については、むしろ、不勉強なのは、嘲笑した側の「ヤフゴミん」、オマエさんのほうだよ。
なぜかと言うと、
いわゆる『皇統譜』への復活は、単に結婚による「降嫁」などとは関係ない、『旧皇族』再帰をと、他ならぬ、現『宮』家のなかの人たち自身も支持しているからだ。
だから、
けっして、「荒唐無稽な妄想」と、一刀両断には言い切れまいわけ。
現代だからこそ、危うい所で留まっているのかもしれないが、
何度か指摘したように、大昔なら、権力争いの材料になりかねなかった「小室・眞子さん騒動」。
ましてや、ひとたび権力の座に就いた者の つごうや思惑による采配で、いくらでも「勝ち組」にすることが可能だった、そういう歴史だ。
いまのところ、一般国民の あいだでは、『旧皇族』復帰については嫌悪や反感が強い傾向らしいのだが、
ウカウカしていると、今後も、ますます『皇室』に投入される税金は増加する方向へ向かいかねない。
と言うのも、
最大にして最高の既得権益集団、まず『宮内庁』の官僚根性が腐っとるだけでなく、結局のところは、『皇室』『皇族』の人々だって、ご自分たちの都合が最優先なのだなということは、これまでの流れを見ていたら、察しは つく。
私は、『上皇』位を、あっさりと設けたのを見て、『皇室典範』なんて、意外なほど簡単に変えることが できるんだなと、けっこう驚いたものだ。
今回、『秋篠宮』さんも明言されたように、
「『皇室』の儀式というものの軽さ」という印象も、単なる印象では ないってことだろう。
『昭和天皇』も『香淳皇后』も、祭祀関係の儀式には、熱心でなく、かなり軽く考えていたようだし。
『秋篠宮』家へ、いわゆる「皇統」が移ることについて、危惧されているのも理解できるなあと思う、最近の記者会見の内容を少々聞いただけでもね。
かと言って、
またぞろ『皇室典範』を変更して、晴れて、愛子さんに「女性『天皇』」を、といっても、それは それで、あれや これや深い懸念は ある。
まず、愛子さんにだって、そんな重圧を背負いきれるのだろうか、という危惧。
彼女も、けっして、メンタル系が強いほうでは ないように思えるし。
環境が安定して提供されているかぎりに おいては ともかく、
ひとたび難題が起きて、内外に乱れを生じると、非常に苦しまれることと思う。
これからの『皇室』『皇族』は、ますます縮んでいくのであろうから、
愛子さんにとって、ご両親以外に、心底から安心、信用してアドバイスを得られる身内や側近の確保も困難になってくることは予想できよう。
第一、『皇室』ならではの最優先事項たる「伝統」であるところの「男系」。
「男系」で ひたすら遡って辿れば、最終的に『神武天皇』だっけ?
私はウロ覚えだけど、最終的な祖先に あたる特定の『天皇』に行きつけなくなるわけだよね。
【続く】
2021.11.29 (Mon)
えー、最初に宣言いたします。
あたくし、『自民党』のことは、今後、
『自由だっぴ党』
と呼ばせてもらいますよってにw
まずね、
いつに変わらぬ軽薄短小老政治屋アソウさんまでがトクトクと、ここぞのネガ キャンに利用して得意になってた、そのキャッチ フレーズは、
パクられたり、自分の意図や結論とは全く異なるほうへ歪めて利用されたことの何度か ある私が最初に、『立憲共産党』と言ったわけだけどさ(爆)
まるで、『日本共産党』と組んだせいだ!と言わんばかりの論調が、どこも かしこでも、幅を利かせているようだが、
ここは『立憲民主党』に、敢えて大きく譲歩し、盛り立ててやる側へ回った『日本共産党』が、今回の『衆院選挙』で最も損したな、
『立憲民主党』は『日本共産党』に謝ったか?というようなことを、私は言っておいたけど、
単に選挙だけのことなら、従来どおり、『日本共産党』は、自分とこだけで戦うほうが、よっぽどラクなくらいだろうと思う。
『(貴族)連合』と切れずに、『国民民主党』と、よりを戻すみたいなことに なろうものなら、
『日本共産党』は、もう、『立憲民主党』のキゲンを伺ってやることは ないのよ。もっと自己主張したら いい。
それよりも、今後も、『自分に伝票を切る怪』を除いた「野党共闘」を続ける方針ならば、『立憲民主党』を盛り立てることよりも、他の協同関係にある野党それぞれの盛り立て合いに、力を入れるほうが良い。
なにしろ、あっちゃこっちゃフラフラとブレるのが、何事も、いちばん、始末わるいわね。。。
そもそも、旧『民主党』からしてが、そうだった。
それとね、
『自分に伝票を切る怪』の代表選を やるの やらないの、『自分に伝票を切る怪』創立者、つまり、この怪の最高老害たる、もとが『自民党』構成員たる松井はんは、なんだかんだと翻して居座りが決定とか、
そこを指摘されると、「共産党は どうなんだー!志位ガー」と喚き散らすバカモノども。
あのね。『日本共産党』は、その名が示すとおりに、『共産党』ですからのw
あの党には、あの党ならではの流儀や理念や思考方向が あるのよ。
あたしゃ、よくは知らんけどw
室井佑月さんの夫君である、ええと、最近、トシのせいか、忘れっぽくてw、何と言ったっけかな?(苦笑)ああ、そうだ、米山隆一氏からの批判に対して、
やれ「『共産党』の代表は!?志位は!?!あれこそ、民主主義ちゃうやんか!!」という指摘には当たらないわけよw
オマエさんらが、お門違いを喚いているだけなの、わかったかい?(嗤)
そもそも、根本が噛み合わないまま ひっついて、単に選挙戦のために共依存しているだけの「腐れ縁夫婦」みたいな、まぎれもない「野合」たる「自・公連立」に比べて、
実際の政策・施策方針が概ね一致している「野党共闘」は、庶民国民にとって、なにも矛盾など していない。
あっという間に、『ダッピ』騒ぎも下火にしてやり、
あとは、ひたすら『自由だっぴ党』の代表選ばかりを大々的に報じていたテレビ、新聞業界で あった。
「『自民党』あやうし!」キャンペーンで、『自由だっぴ党』支持者らの危機感を煽り、「期日前投票」へと誘った、『読売』と『産経』コンビw
逆に、
「消極的支持層」だか「浮遊層」だか「無党派層」だかを、安心させるためか、無気力の惰眠のなかに眠らせるためにか、
「『自民党』だいじょぶだよ!!ゼッタイ!」と、子守歌よろしく言い聞かせていた『朝日』ww
『朝日』だって同罪なわけでしょ。ま、わかってるよ(嗤)
この国は、「『天皇』を中心とした」腐敗集権の国であることは。
一般の有権者国民は、相変わらず無自覚にして不勉強だから。
『野党共闘、当落を分けたものは? 出口調査でみえた「勝ちパターン」』朝日新聞社 2021/11/28 18:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/politics/%e9%87%8e%e5%85%9a%e5%85%b1%e9%97%98%e3%80%81%e5%bd%93%e8%90%bd%e3%82%92%e5%88%86%e3%81%91%e3%81%9f%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%af%ef%bc%9f-%e5%87%ba%e5%8f%a3%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e3%81%a7%e3%81%bf%e3%81%88%e3%81%9f%e3%80%8c%e5%8b%9d%e3%81%a1%e3%83%91%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%80%8d/ar-AARdATb?ocid=FUJITSUDHP
『立憲民主党』の小川淳也氏が、『自由だっぴ党』の、もと「デジタルなんちゃら大臣」だった平井卓也氏に圧勝って。
それは、本質的に「敵失」みたいなもんでしょう。
あの平井氏じゃあね(嗤)勝って自慢にするには当たらんわ。
そりゃ、これで負けてたら、目も当てられんけど、実際あり得ることやからなあw
ふだんは威勢のイイ辻元さんもね、『自由だっぴ党』の重鎮らに縋る前に、本来やるべきことが あったんちゃうの?
私なんか、
「二階さんとこへ詣でて行った」と聞いて、あれ以来、何してはるんかな?と怪訝に思ってたくらいだもの。
しかし、あれだね、
『自・公』支持者のみならず、『維新』の支持者のなかにも、少なからぬ、「野党連立候補者」への投票が見られたというのであれば、これは意外なことだった。
幸先良いじゃないですかね?(笑)
いずれにせよ、来夏の「参院選」を迎える頃には、現首相である岸田さんたちの手腕もハッキリしてきているだろうし、
なにしろ、「野党連立」「共闘」を甚だ恐れていて、
いまのうちに、芽を摘んで、潰してしまいたいとの思惑はヒシヒシと感じるね(嗤)
『日本維新の会(=自分で自分に伝票を切る怪)』に投票するのは、
やっぱり、勉強不足の「無党派」が多いからなんだろうと思う。
あとは、やはり、
従来の野党では、どう やっても、しょせん力弱いものにしか なれまい、という思い込みと諦念。これには、マスコミ・メディア界の思惑と操作も絡んでいると思しい。
「歌を忘れたカナリア」と呼んでいいのかどうかは知らないけど、「公器」たるを忘れた、と言うのか、
ほんとうはネタで食ってる商売人でーす!という本音が あらわになっても恥じない、日本のマスコミ・メディア界。
あれやソレや、あっちでもコッチでも、まるで、単に物量だけで圧倒されてしまった戦勝国『アメリカ』v.s戦前・戦中の日本さながら。
「阿修羅と帝釈天」さながらの、
この世は「正義じゃないんだ、力そのものなんだよ」の摂理かいな?w
それと、やはり、
『自民党』こと『自由だっぴ党』の腐敗ぶり、特に、税金の用い方、カネの汚さは、どうしようもないところまで堕落しているのは分かりきっている、それでも、飽くまで自分自身が、『自由だっぴ党』の利権関係などに所属している者は、そのまま!そのまま!で済むと思ってるんだろうけども、
そうでもなくて、
わかりやすい不満を持っている者は、
『自由だっぴ党』が、税金の用い方やカネの汚さを改めてくれさえ したらなあ、それだけでもイイよ、
という程度の、わかりやすい不満ゆえに、
ただ、わかりやすい「身を切る」というプロパガンダやスローガンを掲げている、それ以外は、まるっと『自由だっぴ党』の分身に過ぎない『維新の会(=自分で自分に伝票を切る怪)』に、やすやすと靡いてしまって投票、という単純な図式だろうと思う。
要するに、ここでも、不勉強で、表面だけを見て判断する、「ふわぁ~」っとした有権者が多いということだ。
こういう、知性の低い手合いは、まさに「金持ちネタムな!僻むな!!」と罵倒されても、しかたないとすら思う。
とか、「ベーシック インカム」を やってくれるなら!!と、その一点だけで縋りつき、『自分に伝票を切る怪』のブチあげた「なんちゃってベーシック インカム」byケケ中に騙されてる自覚が ないのかもな(嗤)
さすがの『自由だっぴ党』政権も最近になって言い始めた「中間層を大事に」という主張と言うか、タテマエ。
「中間層を痩せさせるとマズイ」ということを、私は、かれこれ10年以上も前から警告してきたんだけれど、いまでは、それでは追いつかないだろうと思っている。
つまり、先日も言ったように、
「今すぐに、最も可処分所得を必要としている層とは?」「貯金に回せる層とは?」を考え、
「身を切る」以上に、「全体の底からアップ」しないと、どうにも ならないところまで来てしまっている、と。
全体の底からアップして、文句を唱える層は いないよ。
誰も損しないからだ。
往々にして、「底辺」ほど、ささやかな小さな幸せで満足するからね。
問題は、ここまで落ち込んでしまったまま、あらゆる各層間の断絶そして憎悪、くだらない争いにばかりエネルギーを費やしてしまった国で、どうやって、これから、全体の底をアップできるんだろうか、ということ。
ま、しかし、これとて、『自由だっぴ党』が言い始めるのは、またぞろ10年以上先になるんだろうな(嗤)
私は、その頃には、もう とっくに、この世の人では ないかもしれないので、子も孫も ない身、日本が消滅しようと、痛くも痒くもない。
不勉強のまま、弱い者いじめを して、全く反省も しない風潮の国など、どうなろうが、残念にも思えないし、同情も できない。沈没すりゃええ。
2021.11.23 (Tue)
『【再度】『聖』と『俗』。演出と犠牲。』の続き。
それと、
私は全くと言っていいほど知らない人で、そうとう高齢の女性のようだが、若い頃はアナウンサーだったとかいう、、、ああ、そう、下重暁子さんと おっしゃる、すでに文筆業に専念しておられて久しいのだろうか、例の眞子さんの結婚に伴った騒動について何度か繰り返し主張されていたみたいで、
要は、
「眞子さんたちだけに『家制度』を押しつけるのは愚か!彼女の自由で良いのだから、黙ってなさい!」という論調に終始していたようだ。
私は、この女性のコラムも、見出しだけじゃなあ?と思い、
試しに一度だけ、本文を読んでみたのだが、あ、やっぱり、もうエエわ、という感想しか持てなかった。
だってね、
『天皇制』『皇室』制度、それ自体が、もろに「家制度」そのものを全肯定してるじゃないの。
そして、「家制度」こそが、この国の「連綿たる」「伝統」なんでしょ?
われわれが「押しつけ」?
だ・か・ら、
私は、押しつけてませんよ、ってw
「家制度」そのものを体現している『天皇制』や『皇室』制度を無自覚にか?支持しながら、同時に、
一般へ向けては、「家制度を押しつけるな!」ww
けれども、
「一般人と全く同じくらい自由にしたら よい」とは、とうてい、思えませんな。
「なかの人、おかわいそう」?
だったら、
特別扱いするための、ケッタイな制度は、やめるしかないわなあ、
それだけのことだ。
さて、先日も取りあげた内田 樹氏の、「アンタにとって、『天皇制』『皇室』制度を なくすリスク以上に、これらの制度が存在するデメリットを言ってみろ?」という主張については、そのエントリー内で述べたとおり。
『とにかく汚い『自民党』はダッピッピw(←誹謗中傷?ww)』
要は、一人当たり換算で、たったの1円だろうと10円だろうと、召し上げられるものは召し上げられたうえに、なぜに、「つらい、苦しい、悲しい、籠の鳥」などと、逆恨みめいて嘆かれなきゃならんの?ってこと。
私の疑問と見解に近いらしい、法学の専門家さんも、
「かわいそうと思うのなら、廃止するしかない」
と、ズバリ指摘していたようだが、要するに、そういうことに帰結するほかは ないと思う。
ダブスタや甚だしく無理な矛盾を常に抱えさせられていると、気がヘンになってくる。しまいにゃ、感情鈍麻だよ。
ただ、
本質は商売人であるマスコミ、メディア界が、大衆を大いに煽り、ノセまくって儲ける話題づくりのために、殊更『皇族』の人たちを、尽きせぬ芸能ネタ扱いするのは、すぐに止め、必要で妥当な報道に徹するよう、各社、自戒してもらわなくては ならない。
滾滾と湧き続けるかのように見える「ネタの泉」も、寄ってたかって汲み尽くせば、早晩、涸れる日を招く。
われわれ一般大衆に向かって、「やめなさい!」「黙れ!!」と、
ヒステリックに説教する前に、最もマスコミやメディアに近い言論人たちも、まず、先に言うべき相手が あるだろに、と思う。
その矩を超えるところから、
「ミギ」にとっても「ヒダリ」にとっても、なぜか同様に忌まわしく思えてならないらしい、「『天皇制』『皇室』廃止」という主張や動きが起き始めるのだから。
で、内田氏ご自身は、
「『天皇制』『皇室』制度を廃止するリスク」
とは、どのように重大なことを想定しておられるのかが不明なのだけれど、
ただ、「リスク」面と言うなら、私も以前から言っているように、『天皇』や『皇族』を、民間へ「野放し」にするリスクは あるだろうなと考える。要するに、「悪い虫」「ヘンな虫」が寄りつきやすいというリスクねw
だからこそ、敗戦後の憲法のイの一番で縛ってあるのだろうと思うし。
ああいう、特別扱いと慇懃無礼、崇拝と軽侮が常に同時並行で向けられるような存在の人たちは、意外にも、けっこう鬱屈しているのを隠しつつ、気を遣い過ぎたり、媚びたりも する、その分も、プライドや自尊心とか自負心に縋るあまり、逆に、尊大な、心底ではウヌボレていて、見下す態度がチラチラ見え隠れしていることに自覚が薄い。そうやって、どうにかシャンとして折れるまい!とガンバっているゆえに、かえって脆い。
その意外な脆弱さに つけ込まれ易い。
と、まあ、そんな感じが していた。
ヨーロッパあたりの先進各国では、とうの昔に、「王室」や「帝室」を廃し、共和制に移行した あとになってから、かつての君主と一族が巻き返しを望み、これを担ぎ上げる郎党や王党派みたいな集団が走り回り暴れまくり、というような話はトンと聞かないのだし、
『教皇』なる宗教的地位の世界最高権威も、中世の頃の腐敗と反道徳性は凄まじきに至り、そのことを、やりたかほうだい謳歌する『教皇』本人・一族・係累・関係者一同、いっこうに恥じも せず、気にもしなかったらしいが、
こんにちでは、それでは通らなくなっており、いちおうは、いかにも道徳的な『教皇』のイメージが定着している。
さて、わが国の『天皇』も、多分に宗教がかっているが、いくら何でも、戦前・戦中の頃のような「現人神」の「絶対君主」時代に戻ろうなどと欲する国民は、さすがの日本に おいても、こんにち、ごく限られた方面の、狂気じみた連中くらいだろうと思うが、しかし、それだけに、現代では、『日本会議』を筆頭とした極右的主張の組織構成員が、狡猾さをフルに発揮して、陰に陽に、正体をボヤかしつつ、平凡・凡庸な民衆に喰い込もうとて画策し続けている。
「特権階級」と一般民衆。
どこか心底からウヌボレている人々と、ぼんやりノホホンとしている人々とは深く共通性が あって、どちらも、担がれたり、踊らされるのが好きだw
だから、
何を「国民投票」に かけるとしても、先に、この国の上から下まで、全体の知性レベルを上げていって おかないとならない、そう言ってきた。
ただに自由を、一般の国民、大衆なみに与えたら、「聖性」を備えているゆえに、誤謬や誘惑などに倒されはしないのか、特別な人たちであるのか否かは、すぐにバレるだろう。
「違法なことは、何も ないじゃないか」「証拠は あるのか」と、頻りに擁護する者たちへ。
そのセリフを、アベシなどの政治屋に ついても言うのか?(嗤)
法律なんて、凡俗の世界の最低限でしかないのだ。
ほとんどの国民大衆が、おのれを棚上げして、『天皇』と『皇室』に対し、飽きもせず要請し続けているのは、
単なる法律の基準クリア、などでは ないでしょ?
「聖性」とは、政治屋どものように、「法的には問題ないので」という苦しい言い訳が効くステージじゃないよ。
あなたがたは、まさか、「徳」ってコトバを知らないかな?
もちろん、私は、そんな難しい要請は しないけどw
(旧)『民主党』政権時に、「ハマグリ」という仇名で呼ばれていた議員が、国会開設の記念式典だったかで、『天皇』ご登場を待っていたとき、
居並ぶ議員たちとともに待機しておられた『秋篠宮』が、じっと立たれたまま お待ちになっているのを尻目に、詳細は曖昧ながら、たしか、なぜ立っているんだ、とか、さっさと座ろうぜ、みたいなことを言い放ち、問題視されたことが あったようなと憶えている。
それと、
『れいわ新選組』の山本太郎氏の、例の「『園遊会』おてまみ事件」ね。
当時、旧ブログでのエントリーに、この話題を取りあげ、いくつかの角度から、批判的見解を述べた私は、特に、あのときの侍従長だか『宮内庁』長官だかの態度を非難した。
仰々しくもwわざわざのオリジナル巻き手紙をば、山本議員から差し出された『天皇』さんが、驚きを あらわにも されず、いつもどおりの落ち着きある ごようすのまま、山本氏と少々の遣り取りを かわされつつ、ちょっとだけ開いてみるような しぐさも されたあと、すみやかに、侍従長だか『宮内庁』長官(風岡氏だったかな)のほうに向きなおられ、ほとんど「うやうやしい」ほどの しぐさで、今しがた受け取った巻き手紙を手渡された。
そこで、ニュース映像撮影のカメラが、まともに映し出した場面によって、それまでの一部始終を、さっきから仁王立ちの ていで睨んでいたと思しき侍従長だか『宮内庁』長官が、思いっきし、むくれ顔して、この事態への怒りを憚ることなく大っぴらに表現していたのが見えた。
そして、小柄な『天皇』さんが、ご自身よりも大柄な侍従長だか『宮内庁』長官に預けるべく差し出した手紙を、「当然だ!!」と言わんばかりに、山本氏のほうを終始、睨めつけながら片手で受け取って即、自分の羽織の袂に捻じ込むように突っ込んだのを見た私は、
「どっちが『天皇』で『侍従』なんだか!」
と、嘲笑しつつ非難したので あった。
そういう場面の記憶とか、怪訝に思うことも いろいろ あって、近頃では、どうも、一般の国民よりも、じつは、国会議員や『宮内庁』の関係者など、『皇族』がたに近い人たちのほうが、よっぽど、『皇室』『皇族』に対する軽視や見下しみたいな風潮が進んでいるのかな?と思うようになった。
まあ、案外と、大昔から、こんな傾向は多少あったのかもしれないけど。なにしろ、現代の政治屋と大差なく、互いに利用し合う世界だから。
…
虚ろな空間に、何かが あるように思って、ただ幻影を見詰め、
根本や本質からは、眼を逸らす癖が抜けない。
それでいて、細かいところはネチネチと気にする(嗤)
「哲学」というコトバも概念も持ち得なかった この国は、いまでも、他国からの借り受け暮らし、
真似事で表面だけ撫でて、わかったつもりになって、もっともらしく演じているのみ。
権力層もメディアも民衆も。
「上級」だろうが「シモジモ」だろうが、極端から極端へ持ち上げてみたり落としたりトコトン叩きまくったり。
いつ、餓えたケダモノみたいに牙を剥こうか剥かれるか、
虎視眈々と、怯え。
それにしても、『令和』という元号が発表されたとき、『昭和』も そうだったし、『平成』も特に そうだったと、「名前負け」を危惧した私。
また当たったみたいだなぁ(;^ ^A