2022.06.04 (Sat)
いわゆる「バブル」が崩壊したとは言え、少しは余韻も残っている感じが していた程度には、いまよりはマシだったはずのような時代の一時期、私が勤務していた、そこそこの規模の企業が、後年になって倒産した、ということが あった。ただし、私自身は、とっくに、そこを辞め、他の会社へ転職していたので、あとから、たまたまニュースを見かけて知ったのだが、驚く以上に、さも ありなん、という感想のほうが大きかった。
と言うのも、
その会社は、いわゆる「同族会社」ってやつで、まあ、日本の同族会社なら ありがちなことなのかとは思うんだけれど、真っ先に思い浮かぶのは、「公私混同」「男尊女卑」の社風がアカラサマだったこと。
どのように公私混同、男尊女卑だったかというのは、大きな例を挙げると、
私が所属していた部署と他部署が同居する階のフロア全体に加えて、面談室から応接室、社長室も含めた広範囲に わたる掃除。
これのためだけでも、出勤時間を2時間ほど早めるべしと、先輩社員から申し渡されたときはビックリした。
いちおう、早出した分の手当ては支払われると言ってたとは思うものの、そんなの いらないから、とにかく、ふつうに出勤させてほしいわぁと、のっけからゲンナリしたことはハッキリ憶えている。
わたしゃ、その理不尽な早出のために、寝過ごして慌てて出勤途中、飛ばし過ぎた自転車で思わぬアクシデントを起こしてしまい、かなりのケガを したことも あった。
当時は、会社が間借りしているビルなので、空調を作動させる時間帯も、ビルの管理側によるので、夏季は、早出した日の午前7時とか8時とかでも、もはや朝からキツイ日射し、まだ冷房が入っていない職場のフロア全体がムンムンの暑さ。
この暑さのなかを、掃除機かけて、拭き掃除して回らにゃならん。冷房が入ってないから、もう汗だくだく。
そうして、始業時間が近づいてきたら、ぼつぼつ出勤してきた社員たち一人ひとりの、飲み物の希望を確認する。そのための、たしか、一覧表を貼りだしてあったと思う。
フロア全員の「お茶くみ」と言っても、単に、お茶だけ入れるのと違うよ。
もちろん、お茶も、水を いっぱいに満たした大きなヤカンを、給湯室のガス コンロに据えて沸かしておいて作る。
そのうえで なお、同じフロアの社員たちが、費用を出し合って購入してあるコーヒーを所望する人には、お砂糖は いるか いらないか、いるのなら、角砂糖を幾つ、クリーミング パウダーの類は、入れてと所望している人には、スプーン何杯か、いちいち確認する。
各自が要望する飲み物が入ったら、各自のマグ カップを、各自の机に運んであげる。
ますます汗だくだく。
自分が飲むコーヒーやら お茶なんぞ、飲みたいときに自分で用意して入れるルールに しとけば済むことだろがよと、私は心底いまいましく思ってたけどね。
とある女性社員なんかは(先輩の一人なんだけど、私より年下で、女性というよりも、まだ女子中学生みたいだった)、いささかヌケたオツムと、「天然」過ぎる性格だというので、本名を もじって、皮肉と嘲笑を込めた仇名で呼ばれていた。
もちろん、仕事もトロく、それでいてアッケラカンと、後輩の私なんかに対しては、自分を棚上げにして、なかなかエラソーな説教してみせるというメデタサなもんだから、社員じゅうから小バカにされていたのだが、
でも、根が単純で、性格が悪いというほどじゃないと思っていた私は、他の人たちのように、彼女をバカにしたりする気には ならなかったけれど、ただ、一回、メンドクサい思いを したことが あった。
ほとんど忘れていたことなので、詳細は思い出せないが、
あるとき、その人が、私にとっては不快な思いを して当然だろうというほどの、何か迂闊というか軽率なことを してしまったことが あった。
私は、立腹したわけでは ないけれど、軽く苦情は言ったかもしれない。
そのあとで、
いちおう『秘書課』所属(実際は、使い走りなど雑用係の扱い)の彼女が、『制作部』の私の所まで来て、背後から話しかけたらしいのだが、あいにく、聴覚障碍者である私には よくあることで、まったく聞こえていなかった。なので、振り向きも せず、仕事に没頭していた。
隣りの席の先輩女性社員が(仕事は、まあまあデキるけど、かなり意地の悪いところが ある性格)、この一部始終を見ていて、
これも あとから、
「あんた、さっき、□△が来て、ゴメンとか言って謝ってたけど、無視してたやろ。やっぱり、怒ってるんやなあと思ったわ」
などと、小声で囁いたので、私はギョッとして、聞こえてなかった、、、と言ったけれども、その先輩社員には、言い訳にしか聞こえなかっただろう。なんせ、私は、障碍のことを伏せて入社していたから。
それ以来、他の社員たちの、私に対する視線も、どことなく冷たい感じが漂うようになった。
さて置き、
その、「いちおう秘書課」に所属している、くだんの女子、いや、女性社員が「当番」の日。
朝の「お茶くみ」やコーヒーを入れている最中に、彼女は盛大なクシャミを した。
すると、、同じ部署の先輩男性社員が、
「あーあ、口もとを押さえも せんと」
と、ロコツに顔を顰めたので、先述の、隣りの先輩女性が、これも小声で教えてくれたには、
「あの子な、若いのに、進行中の『歯周病』やねんて。『歯周病菌』て、知ってるやろ?せやから、みんなのマグ カップに向かって、今、もろにクシャミしてたわ言うて、※□さん(←顔を顰めた、先輩の男性社員)が怒ってるねん」
くだんの女子じゃなかった女性社員は、自分が飲むコーヒーを入れてる最中にも、私の直属上司が、突然、意を決した ようすで立ち上がり、
ふだんは、いたって優しい紳士タイプの青年なのに、いつになく険しい表情で、つかつかと、彼女の傍らに行き、何やら注意されているようすなので、どうしたんだろ?と思っていると、これまた、隣りの先輩女性がヒソヒソと教えてくれたのは、
「あの子な、黙ってたら、何杯でもコーヒー入れて飲むねん。みんなから集金して買ってるコーヒーやん。せやから、□△さん(←直属上司)が、『コーヒー飲むのは、3杯までに しとき』って、注意してるねんw」
ということだった(苦笑)
私の高校時代のクラスメートは、小学生時分に、どちらも教師で あった御両親が別居し、しばらくして、ともに家を出ていた おかあさんが病死してしまった。
おにいさんが一人いるけれど、おかあさんのほうに付いて出た子どもは彼女だけで、しかたなく、母娘二人で暮らした家を出て、父親の もとへ帰った。
亡き母親と険悪な仲だったゆえ、別居の原因でもある祖母の居る実家に戻ってからは、おとうさんの後妻さんが嫁いでくるまで、食事の用意や家事全般を担い、今度は、祖母の看病も しなければ ならなくなったりで、これも「ヤング ケアラー」、良家の育ちであるわりに、かなり苦労したらしい。
やがて、当時は国内1、2位を争う大手の化粧品会社に就職し、海外との取引や折衝業務が多く、あたりまえに英語が飛び交うようなエリート部署に配属されたのだけど、
仕事中、自分が、お茶を飲みたいときに、よく気の回る、利発な彼女は、つい考え込んでしまい、新入りの女性社員として、気を遣い過ぎ、敢えて、上司の分の お茶も運んだら、ヘンな目で見られてしまったとか、いろいろ悩んでいたことが あった。
社内に おいては、上司であれ誰であれ、自分の飲み物は自分で、と いう暗黙的ルールになっていたからなのだそうだが、その話を聞いた私は、さすがに大企業だなあと、単純に感心したものだ。
彼女が配属された部署は、先述したように、海外との連絡業務が多いので、外国の法律・法規関係や語学に堪能なエリートばかりが所属し、東大卒もゴロゴロしている部署なので、単に学歴などだけを見たなら、なぜ、社内一のエリート部署に、珍しくも女性社員の一人として配属されたのか、彼女自身も予想外だったらしいのだが、入社試験の成績が、錚々たる名門大学卒の才媛たちをも上回っていたのだろうと、私は推察している。
高校時代に、私らの担任から、何かの ひょうしで、ふと聞かされたことが あったのは、学年でもトップ クラスの優等生だった彼女は、わが校「三羽からす」の一人と呼ばれている、ということだった。
それはフシギでも何でもない。彼女は、総じて成績優秀だったのだから。
不可解なのは、私だ。
私も、その「三羽からす」のうちの一人と言われたので、どういうこと?と甚だ怪訝に思い、意味を知らなかったので、じつは「三ばか・ラス」とバカにされているのでは あるまいか?とまで疑ったw
しかし、だとすれば、まぎれもなく優等生の彼女が、そのうちの一人で あるというのは どうにも不可解なので、帰宅してから、うちの親らに、「三羽からす」とかいうのは、本当は悪い意味なん?と尋ねると、親らは苦笑しながら、いや、それは確かに褒めコトバなんだよ、と言った。
ますます不可解だと思った私だったが、
ただ、彼女と、もう一人の「カラス」のように、まんべんなくデキる典型的優等生では ないけれど、ある分野に限っては、毎度まったく勉強せずに、真面目で勤勉な彼女たちを上回る成績の科目も あったことは事実なので、まあ、そのあたりの おかげなのかな?と、とりあえず納得しておいた。
私なんどまでも含めて、「わが校の三羽からす」と呼んでくださった恩師たちを思うと、なんとも申し訳なさを感じてしまう しだいで ある。
他の「カラス」とも、はなはだバランスが とれないしねw
センセェ~ごめんなさい。。。
【続く】
2022.05.30 (Mon)
『【続・続】再び、「ズレを感じるとき」』の続き。
うちの両親は互いに、最初の結婚相手と別れるとき、そこまで漕ぎつけるまでに、実は親父のほうは、それほど本気でなかったようなのだが(私の この推察を、母親は、決して認めたくないだろう)、
特に母親のほうは、先夫が、まあ、うちの親父に、「ヨメさんを寝取られた」立場だからねwそりゃ怒るし。
でも、母親に言わせると、先方のほうに、いろいろ原因が あって、そもそも親が勝手に決めた結婚だったから、性格も合わないしで、いろいろ苦労させられたんだ、と言ってたんだけど。
家出して、すでに、私を妊娠していた母親の先夫は、もはや、寝取った男との関係を切らせることは不可能と悟った代わりに、自分の娘(私と同腹の姉)を返せ、今後は自分が引き取って育てるからと主張した。
まあ、無理もない、理解できると思うわなあ。
しかし、母親も、姉娘を手離すのを渋り続けた。
そこから どう膠着していったのやら、
ついに、うちの母親は、こう言い放ったのだという。
「あくまでも、娘を手離してほしいのなら」
10万円、寄こせ、と。
…
それを、姉は心底、恨んでたわけ。
そりゃそうでしょ。
しかも、姉の実父も、ほどなくして再婚したにも かかわらず、よその女を何人も連れ込み始め、言わば「妻妾同居」状態のなかで子どもも産ませるという、すっかりタガが外れたような生活に溺れた。
そんななかで、
「あんたは、10万円で売られた子」
と、
後妻である継母や愛人の女たちから、イヤミたっぷりに聞かされつつ、
しかも、義理の弟妹のメンドウみさせられながら生育したんですわ。
そりゃグレるわな。
でね、
うちの極度に饒舌な母親の言い訳ね。
これが また、めずらしくも、たったの一言よ。
「あの子の父親が、ほんとうに10万円を、持ってくるとは思わんかったから」
…
あの時代の10万円の価値は、いまよりも、ずっと高かっただろう。
それにしてもだ。
自分の母親やけどね、
せめて、言って いいことと悪いことの区別もサッパリつかんのか!?!おのれはぁ、、、
と、烈火のごとく怒鳴りつけますよ、いまの私ならね。
どうりで、私に対しても、理不尽で凶悪な罵倒を、年がら年じゅう、繰り返してくれたわなと。
私の障碍もね、親が死んでからですよ、やっと、『障害手帳』を取得、
それから、やっと、パソコンで検索しつつ、よくよく調べていったら、
なんのこっちゃない、
そもそも、原因は母親だった。
それを、何も知らないで、ひどく困っている、若い頃の私に対して、
「そういう星のもとに生まれたんだ!(だから、悪いのはオマエ)」
はいはい、
「ヤフゴミん」も、よく言いふらすでしょ、「前世」だの「来世」だのとw
「来世」が あるのなら、次は、あんたら夫婦の番だわねえ、と。
私は、腹のなかで せせら嗤っております。
私らの母親は、自分を正当化するために、まともな努力や頑張りで足りない分は、まあ実際、頑張ってたのやけどね、それは、本人の強硬な主張とは違って、あくまでも、自分のメンツから来る欲求を通すためです。
で、その努力や頑張りでも足りなければ、
小賢しさや狡猾さを陰に陽に用い、なおも、それだけでは足りないなら、めちゃくちゃなヘリクツでも平気で言い放ち、ゴリ押しする人だった。いったい、誰に似たんだか。。。
こういう点では、一般的に、男性のほうが、比較的単純なのだろうか、
親父のほうの場合、自分が悪いこと自体は、少なくとも、腹のなかでは多少、認めているようで(と言うか、あきらかに、認めざるを得ないような悪事を はたらいたのだからw)、口達者な母親のようなヘリクツで正当化までは しないのだけれども、親父本人は、「おれは口下手だから」とww
ただ、結局のところは、「ああ、俺が悪いだろうよ、それが どうした?」と、ひらきなおるタイプだったのは同様ですわ。
あのさ、こないだ、ある記事を読んでいたら、プーチン大統領の人となりを分析していて、指摘の中心となっていたのは、『ソ連』時代、パッとしないスパイ稼業を やっていた頃に培われたと思しい、
「人たらし」
の特徴が ある、というふうなことが述べられていた。
これね、実は親父も、戦況が逼迫してきた弱冠20歳代の頃、エリート士官として、スパイ養成の速成教育を施されていた時期が あって。
なぜ、男前でもないのに、あんなのが、ごっつ美人で人妻だった、私の母親だけでなく、ほかの女の人たちにもモテてるみたいなのか、
私ひとりを除き、ほかの姉妹たちは、父親違いの、それこそ「10万円で売られた」姉ですらも、親父には懐いてたし、先妻のほうの、精神病の長女なんかは、おとうさ~ん、おとうさんと、そりゃもう甘えるし媚びるし。優しい父親なんかじゃないんですよ、不可解だよ
高齢になってからは、ヘルパーさんにまでモテてたからね。
実の娘の一人である私だけが、ひとり孤独にw
「なんで、あの親父が。。。」
と、首を捻っていたわけで。
で、親父も親父で、
「あいつは男」(←私のことよw)
と。
あ、でもさ、
これも、長男である兄を除けばだけど、同性にもモテてるほうだった。
「親分」とか呼ばれててねw
で、私と兄だけが、
「けっ!なんで、あんなクソ親父がぁ
」
って感じww
そっか、スパイ教育の賜物で、「人たらし」だったってこと??
でも、私には通用しなかったねwww
世間の人々はね、こんな男女を、評価するんだわなあ。
まあ、親父が酒乱なのは知られていても、私のボンクラぐあいのほうが、よほど大問題視されてw「親不孝よ」だの「人の道よ」だの何だのと説教してくる。けっ!!
不貞だろうが酒乱だろうがDVだろうが虐待だろうが、
とても頭が良くて優秀で、りっぱな人、というふうに評価されてましたわ。少なくとも、表向きはね。
そうして、最後の最後まで逃げおおせたのだから、まあ、大したものだが、
結局のところ、
あかの他人からは、「大物」とか「太っ腹」などと、イヤミを込めて揶揄されたりすることも あったような、計算しない、ボケッとした性格の私こそが、大したアホなんだろうけどw
私自身は、当初はノホホンとしているようでもね、深入りしたあげくに、自分だけじゃなく、周囲の人たち、特に、弱い立場の人までも巻き込んでしまい、深刻な問題になったとか、そんな事態を引き起こしたことは、親らと違って、実際には一度だって ないのである。
むしろ、間違いなく最も私に助けられたのは、うちの親、きょうだいたちだ。
ただ、親らは、決して、決して認めないw
と言うか、
自覚に甚だ乏しいから、気づいても いなかったのかもしれないが。
いや、分かっていたとしても。
やっぱり、ぜったいに認めないだろうwそういう性分だからww
先述した、もと同級生だった彼女のことに戻ると。
その話を思い出すたびに、これに限らず、何らの「人生ストック」を持ち合わせぬ子ども時分から、人並み外れてボ~ッとしていながらも、何かしらの異様さや違和感というものにだけは敏感だった自分に思い当たる。
こういうことって、ほとんど個人に生まれつきの「直感」に近いものなんだろうかと考えたりも する。
あのあと、彼女は、まだ ずいぶん若いうちに、同じ「宗教」仲間の一人と結婚したと聞いたが、
子どもの頃は何の影も宿していなかった彼女の明るい瞳に生じていた不気味な「底光り」が、私は、いまだに忘れられず、残念に思えてならない。
2022.05.25 (Wed)
まずは、例の誤送金について、もう少し。
あくまで「法的には確保」したと、もとの公金の殆どの金額を回収できるとか、役場の口座に復することが できることになったとか、
そういうニュースが あったようだが、
けっして「よかった」んじゃなくてデスね!
まあ、全く取り戻せないという事態よりは、ずっとマシ、だろうにせよ、
あんなケッタイな伝票で通るとは、ふつうは思わんだろうに、シッカリと確認も しなかったのか、トンチンカンなんてものじゃないデキの新人、
それ以上に(以下か;)
無責任な「メクラ判」突いてたのかい?と思える役場の上司ら、
「これは何です?以前は、こんな伝票は使わなかったですけど?」
とか言ってあげなかったのか、
事後になってから「だいじょうぶデスか?」と言ってきた不親切な銀行、
特に、氏名も顔も全国一斉に晒されちゃったネコババ野郎は、ちっとや そっとの軽い刑罰を受けるよりも、もっと重い罰を、すでに受けさせられたようなものだろうな、はははいやはや。
くだんのネコババ男の面相を見るにつけても、「どこが『男前』やねん?(嗤)」という感想は正直、禁じ得ないwそれどころか、どう見ても、こりゃ「よた者」「チンピラ」や ないのかい?!と言いたくなるほどの、ガラの悪い風貌だったな。。。やっぱりか。
特に、カネに汚い県民性なのかという印象は、アベシと、その地元の おかげで、私のなかでは、すでにシッカリ確定していたものの、そこへ加えて、美意識やセンスも皆目、備わっていないようだと思えたわww
役場の失敗の、呆れるほどの愚かさについては さて置き、
ネコババ田口の場合、なにが「罪」と言ったら、それは、悪意、悪質性、ひとえに、すべて分かっていたうえで、まだ全然、何の決着も ついていない、どう扱うべきか分からないままの、そもそもが自分のものでは全くない金員それも公金をばサッサと右から左へ、自分の勝手で動かしたことだ。
すべて知っていて、(カジノ関係の業者に)ほとんど、または全部を振り込んだことと、
単にカン違いして振り込んでしまったこととは、悪意と悪質性に おける大きな差異が ある。
大いに悪意あった田口某、ならびに、役場の職員を庇い立てするような向きにも言っておく。
「ミスや間違いは、誰でも、どこかで やってしまう恐れは あるのだから、あまり責めるのは、、、あすは我が身」
などという、それに真っ向から反して、
職員らのミスや間違いに、徹底して つけ込んだのは誰なのかってことだ。
そう、あきらかに、当の田口自身だろが。
こやつこそは、他者のミスや間違いを最も容赦しなかったのだから、今後、おのれが生きていくうえで、自分自身のミスや間違いや迂闊さは、断じて許されないよなあ。
完璧な姿勢で処していくのがスジというものだろう。
すでに、どデカい間違いを犯した こやつこそがだ(嗤)
それから、
これも「ヤフゴミん」の主張を見かけたのだが、毎度のように、こやつらのアタマと精神の程度を せせら嗤いたくなったこと。というのは、
なにやら、地方から都会へ出てきた学生とか、まだ入社して日の浅い会社員などをターゲットに、これと同様、地方出身の、同世代の者が、二人一組などになって、街角で、奇妙な勧誘を執拗に繰り返しているという現象を、『関西テレビ』だったかが報じていて、その記事の内容に よれば、くだんの勧誘する二人組から取材を始め、確認を進めていったところ、
結局、もとは「マルチ商法」とか「ねずみ講」とか呼ばれるようなことを やって、おそらくは前科者か、それの寸前まで行ったようなヤカラが、社会に戻って来て、またぞろ似たことを やろうと画策し、しかし、さすがに今度は、司法分野の専門筋の協力を得たとかで、「コンプライアンスが」云々と小賢しいことを並べ立て、その「商法」や「講」組織のテッペンおよび直接の配下らを、「カリスマ」だの「師匠」などと呼ばせており、
要は、
まさに「法の抜け穴」を利用して、
実質は以前と同じ「マルチ商法」「ねずみ講」の類を繰り返しているものらしい。
さすがの「ヤフゴミん」と言えど、精いっぱいに「法の不備」ということを指摘し、これについての「議員の怠慢」ということをも あげつらっていたが、
ここに、はなはだ余計で、やっぱり浅はかだなと、私が思ったのは、
「ネトウヨ」と呼ばれるような論調でもって投稿したがる者の大きな特徴の一つで あるところの、
「何でも かんでも、政治や政府のせいにするのは、好きでは ないが」云々
てな、しょうもない前置きだ。
もっとも、こういうセリフを常用する者の本音は知れている。
あくまでも、『自民だっぴ党』のせいにだけは するな!
って牽制と願望なのよw
それだけだわね(嗤)
で、まあ、あえて厳しいことを言うとだね。
ああいった勧誘の類に、やすやすと引っ掛かってしまうのは、若い世代に多いというのも事実なのだろうが、これは、いわゆる「世間知らず」と呼ばれるような、「世間知」の低い、人生経験の乏しいことから来る面が最大であろう。
しかし、
こういった面での「ストックの乏しさ」を抱えたままであるゆえなら、それが「いいトシ」の中高年だろうと高齢だろうと、同じく易々と引っ掛かっている現実が あるわけで。
特に、高齢者の場合、自分が若かった頃や現役時代とは多かれ少なかれ変化しており、様々な変遷が あったのだということについて甚だ疎くなっており、ある時期からは、ほんとうに全く不勉強となったまま、のんびりマイペースで生きてきて、そのうえ、もはや、おつむの働きも鈍ってきている場合は少なくないだろう。
そこに加え、
そんなレベルでも、現役時代には、かつての景気などが手伝い、なまじな大金を持ち得ていれば、のほほんと生きてこれた分だけ、そうとうにウヌボレても おり、実際的には、すでに不相応な自負心ばかりを維持し続けて、本人だけが現役の延長気分で いることも多いのだろうと見受ける。
ウヌボレや自負心は、えてして脆い。
頭脳や身体が弱ってくると、「防御本能」的に、反比例するかのように、なおさらウヌボレや自負心を つよく保とうとする傾向が出てくる。
なので、
なかには、コンビニの店員さんなどが、いっしょうけんめい忠告しても、警察に駆けつけてもらおうとも、頑なに拒絶し通して、何らかの「反社会的」組織や存在に、うかうかと大金を渡してしまう、これ自体が実質的に反社会的行為になってしまうようなことを犯してしまう。
私なんかは、懇切丁寧な注意や啓蒙では効かないのならば、いっそのこと、反社会的組織に加担した!ということで、これは もう、ずばり犯罪行為であると指定してしまったらイイのにとすら思うくらいだ。
さて、くだんのヤフゴミんが言うように、「法の不備」は「議員の怠慢」といった指摘は、これ自体は尤もだけれども、それは置いといて、
ここでも、あえて厳しいことを言えば、
なにも子どもや知的障碍などじゃないのだから、
いかに世間知らずで あろうと、大学生にもなって、やすやすと引っ掛かるのは、それこそ「自己責任」と言われても しょうがないことだ。
極端なことを言えば、
引っ掛かるカモさえ いなければ、詐欺を はたらこうと、手ぐすね引いてる者が いても、どうにも はたらきようが ないわけでね。
だいたい、ごく普通レベルの常識に照らして、おかしいと思わないほうが、おかしいようなことだ。
人並みのアタマを持って、大学まで進学して おきながら、
何が悲しくって、
特定の店で、毎月15万から30万もの買物を続けなきゃならんの??
その時点で、おかしいと思わないのが、おかしい。
そりゃ唸るほど金持ちなら、本人の好き勝手かもしれないけど、
「これは自己投資である」などと、まるめ込まれて、
大枚の借金してまで言いなりになる若造も、そうとう、おつむがヘンだし、思考回路が狂ってるよ。
こんな若造が、選挙に行っても、狡猾で悪辣な政治屋にこそ、良かれと投票するに決まっとるわねw迷惑だわ!ww
それでも、
あくまで守るべき存在の子どもでもなければ知的障碍者というわけでもない、
いちおう、大のオトナの本人がだ、
こんなものを信用して、これからも継続する、それで満足であると思うのなら、誰にも止められや しないわね。
そこらへんと比べれば、
「何でも かんでも、政治や政治家のせいにするのは」
という「ヤフゴミん」の前置きセリフは、じつに余計で浅薄。
「自己責任」や「自己判断」だけでは逃れようも ない、どうしようもない社会制度の不備・不足こそが、真っ先に問われるべき、政治家や政治の責任だよ。
まあ、それとて、有権者・国民が、最終責任者なのだけれど。
【続く】
2022.05.22 (Sun)
『【続】なぜ こうなった、日本経済』の続き。
この現代に おいてさえも、戦争となれば、やはり、堅実な「兵站」というものは欠かせない重要事で、実際の働きを各方面で大いに担う存在である兵士たちの処遇に関することも特に大切だ。
企業トップらは、「安売り」も「差別化」という方向で、目先の利益を得るために、一般社員・従業員の人件費から削減していくという、最も安易で危険な方向に走り出した。以来、そのまま、止まることが できないというか、するつもりも なさそうだった。
校閲業務に携わっていた当時の私の視点からは、むやみとIT導入を すれば いいというものでない分野には真っ先に、あくまでも、その分の人員・人件費削減をセットにした目論みから、いきなりITに頼るわけにいかないはずのことから拙速にも進めた。
結果、障碍を殆ど気にせずに就けるだろうからと思って、やっと、現場で、ほぼ自力の蓄積で身に付けてきた仕事を失ったことも あった。
その反面で、
ほんとうにIT化を逸早く促進すべき方面はチンタラと鈍く、昔から象徴的とされていた「ムダな会議」などの旧弊も捨てることなく引きずり続けて、
結局は、中途半端なIT化と旧態依然とが同居しているという、甚だ奇妙な状態のまま、こんにちに至っている。
だいたい、企業トップも政界トップも、ITにトンと疎いままのジジイという存在が、いまの日本の、取り残された状態の理由を体現するシンボルのようなものだ。
思えば私個人的にも、何らかの組織・団体、特定政党を支持する有権者と政治屋連中の混じり合い絡み合う、政争と言う名の既得権益争いの ごつごう「政治」に振り回されて、いらぬ苦労を味わうハメになっていたのだなということを、今さらにして、つくづく自覚する しだい。
そうして、
「自己責任!!」
の叫び声が谺し続けている、この国が残したものは、
周辺の他国に対する疑心暗鬼、
マイノリティや弱者への蔑みの心、
いつ何時、襲い来るかしれない大災害への不安と怯え。
それでも、目を逸らし続けている。
恐らく、終わりが来る その日まで。
そりゃ、子ども産みたくもねえわ、こんな国で。
われわれ底辺庶民は、いじめ殺されるか、いずれは被災して死ぬかだもんね。
さて、
いわゆる「バブル」崩壊については、真っ先に不良債権処理の大失敗、『日銀』の不良債権問題対策の失敗も挙げられているが、(宮澤政権時に、金融機関への公的資金導入を提案するも、マスコミを含めた各界から猛反対が巻き起こり、首相自身も、あまりヤル気も なさげな腰砕けになって終わったという。)
90年代に入ったあたりからは、もう すでに、当時の私が勤務していた職場でも、「終わったなあ。。。」というふうなセリフが飛び交い始めていたのを憶えている。
そうして、90年代後半からは、企業や、特に金融機関の大型倒産が相次いでいった。
もともと日本は、大昔からの『皇室』行事全般にも代表され、近・現代の先端産業に至るまでも明らかなように、自分で一から産み出す能力には乏しいので、ほぼ常に、他国や他民族が考案・開発したものを土台に、それより いっそう使いやすくするための観察・分析を行なったうえで、大概は細々した付加価値をも添えて、あとから乗り込むパターンを とってきた国民性だ。
要するに、図抜けた「天才」というよりも、真面目にコツコツな「優等生」気質なんだろう。
近年は、国家の施策などでも、他国が やって失敗したことを、わざわざマネしているのか?と訝りたくなるような しまつで、しかも、周回遅れと きている。
なぜか、あさはかな「ウヨク」連中が有難がってる中曽根氏の政権は、1982年11月~87年11月にかけて続いたが、
あたかも麻薬のような、いわゆる「バブル」の発生を、次いで、その悲惨な崩壊以降、ずっと続くこととなった日本経済低迷の時代の糸口を招いたのが中曽根政権だという指摘も ある。
ところで、
『中曽根政権』直前の1982年6月に『IBM産業スパイ』事件というのが起きている。これなんか、もろに、入れる箱、すなわち「ハード」は真似しやすいけど、なかみ、「ソフト」を発案し、実現させるのは苦手、という日本人の特徴が出てしまった感じの事件だな。
で、
当時は『G5』としての「協調介入」で あった、例の『プラザ合意』のときに、出席した大蔵大臣が、竹下さんだ。
のちの首相時代、いまだに揉めるタネであり続ける『消費税』を導入し、
あのクッダラナイ『ふるさと創生』とかで、日本列島の津々浦々に1億円バラ撒いたことも あった竹下さん。
田舎者の能力やセンスを見極めて、それで、何なの?という感想しか ないわ(呆)
ついでやけど、
「アベノマスク」で嘘臭い媚びを披露し、社会的弱者を侮辱する発言を行なった、この人の孫だとかいう芸能人のナントヤラ、わたしゃ、アベシと同様に大キライですわ。
当時の『アメリカ』大統領レーガン氏が来日した おりは、日本のマスコミも熱烈歓迎の ようすだったが、
若かった私なんかは、政治・経済の難しいことまでは考えていなかったものの、ただ、やたらとアメリカ大統領に媚びまくる日本の首相に、
なんかキモチ悪いな、、、
という印象が残っている。
「不沈空母」云々と言うセリフにも、素朴な不快感が あった。
こうした、
アメリカに思いっきり媚び媚びの日本の首相、という定番スタイルは、以後も代々ずっと続いていった。
それは、ウヨらが言う「媚中」なんてレベルのものじゃない。
主として、商売人の思惑が大きかったであろう「媚中」も問題だが、
「媚米」は、もっと年季が入っていて、もっと複雑怪奇だ。
アメリカ、アメリカ、アメリカ、
すべてはアメリカが絡む、日本の命運よ。
つい最近も、ガス田か何かの掘削施設を、『東シナ海』の中国側ラインすれすれに新設し始めたというので、中国に対して、日本政府が抗議したらしいのだが、
まあ、いまでは、あちらさんの技術力や経済力のほうが上まわってきてるわけだし、真逆に、ビンボボ化が進行中の日本は、以前からモタモタ モタモタしてるっつう話も あったからね、
中国側も、グズを待ってられっかよ!てなもんなのだろうか。
そういった海底資源を取り出すことの特異なまでの熱心さは、大喰らい中国としては、エネルギー供給問題の喫緊性が殊のほか高いからだろうとは思っていたけれど、
最近の『ロシア』との事情展開も あることだし、
「あんたとこは、仲良し(?)プーチンのロシアから融通をタップリ増やしてもらったらエエやんかい」
と、私ですら、ちと、ピキッとしたものを感じは したがw
だいたい、何事も腰が重いんだろうね、日本側の姿勢も。
ひるがえって、
どうやら、『フランス』の極右政党党首と同様に、おカネのことで弱みを握られていたらしいトランプ前大統領でさえ(←こういうのって、「国賊」とか「売国奴」とか言うんちゃうの?)、個人的に「恩義あるプーチン」に倣ってか、しまいには、子分のアベシに対する疑念すら もよおしているということを隠さなかったくらいだ。
すべて言いなりに従い、
お相伴したゴルフ場では、おなかを見せて媚びるかのように、ひっくり返って横たわり、誘うように、手足バタバタさせてた、涙ぐましいアベシにすらもw
一方で、
お見かけしたとたん、小犬のように喜色満面の小走りに駆け寄り、懇願してまで来てもらった温泉では、さぁー!裸の つきあい つきあい♪とばかり、背中まで流してあげようとしたらしいプーチン大統領が、結局、どういう態度に終始したことか、
さすがの「鳥アタマ」日本人と言えど、少しは、国民としての羞恥と共に屈辱の記憶の片鱗くらい残っているはずだがな。
あまりに媚びすぎたもんだから、国家の威厳なんてものはカケラもないよなあ、日本って。
このうえ、いよいよビンボボ国家になっていけば、ただ憐憫の対象として、世界じゅうから持て余されてしまいそうだぜ(怒)
ウヨどもに言っとくけどな、
ビンボボ国家にゃ、オマエさんらが大好きな軍事関係に注ぎ込むカネなんか ねえし、
無理に注ぎ込んだら、即で国民全体の生活を逼迫させることになる。
それは、即で、国力を落とすことになる。
戦前・戦中の『大日本帝国』を真似してるとしか思えない、けど、
それすら実現できてない(嗤)滑稽な「金王朝共和国」まっしぐらだぞw
ただし、
いまでは、「王朝」も「英雄」も「ヒーロー」に値する存在も、この日本には、もう ないのだ。これからもな。
だったら、いまこそ、一般の有権者・国民は、どうするしかないのか。
「力なき正義や理念」は、たしかに、しまつの悪い、役立たずでしかないだろう。
しかし、「理念と正義なき力」は、阿鼻叫喚の破壊と暗黒を齎す。
「力」こそは、正義や理念を備えていなければ ならないのだ。
ならば、その「力」とは何であるのかを考えなければ ならない。
要領の良さや狡猾さばかりを官民挙げて磨くのでは なく、
真の知性と論理力と哲学精神を養わないとね。まじで消滅するよ。
何年も前から私は言ってきたように、
典型的な「大国間に挟まれて右往左往、難儀する小国」の姿、
それが年々あらわになってきている日本。
2022.05.21 (Sat)
『なぜ こうなった、日本経済』の続き。
しんどいのが ぶり返してしまって、先行エントリーの続きをアップするのが遅くなりましたわ。。。
さてですね、
日本は「生産性が低い」「成長できない」、
そりゃまた、いつから、どうして?と、首を傾げるばかりだった私。
いちおう、戦後の「高度経済成長」期、やがて公共事業や不動産投資中心に大いに注力した『中曽根政権』から、ドル高に苦しんでいた『アメリカ』を救うための『プラザ合意』のみならず、今度はドル安だからと、『ルーブル合意』にも至り、で、
わが国のほうは「円高ドル安」によって発生した「バブル」の時代それ以降から、こんにちまでの日本を生きてきた私なのだけれど、そこまでの流れを、しっかりと理解し、詳細に記憶しているかというと、そんなことは ないのである。動きが激しいうえに、けっこう ややこしいのよねえ。
とにかく、どんなに「景気が良い」とて、世間が浮かれ、沸き返っていようと、私個人は、そんなことからは遠く、およそ人並みの人生とは言い難く、
子ども心にも、「この親のとこへ生まれてきてしまったからには、、、」と、
どうしても、なんか暗い将来の予感が もたげてきて不安で、
もう、生きてるだけで精いっぱいだわ、てな感覚だったよ。
外見は、おっとりノホホンに見えてたらしいけどね。
『私の苦悩は、誰も知らない』。
だって、人並みの身体条件でないうえ、家庭環境劣悪だったんだからさ。
せめても、どっちか一つにしてもらいたかったわよ、まったく。
そして、やはり若い頃は、政治や経済の世界についての関心は、それほどには なかった。
それでも、のちの職業では、新聞などからの情報をマメに得ておかなければ ならなかったので、同世代と比べて、かなりの関心が あるほうだったろうとは思う。
ただ、「バブル」の頃には、うちの近所周辺でも、まさに「土地成金」が、けっこう発生していたようだったことはウッスラ憶えている。
うちの実家は、もともと、この地域とは全く無関係な遠方から引っ越してきたので、「よそ者」と見做されてきた部類だったし、もちろんのこと、「土地持ち」なんぞでは ないのだが、私が幼稚園・小学生時分あたりから、住宅などがドンドンと増えていったので、それだけ、うちと同様の「よそ者」が大勢、流入していたわけだろう。
それまでは、ほんとうに田畑だらけの、大多数は先祖代々からの中小規模農家が多かった地味な地域だったようだが、せいぜい、市の中心部にでも出向かないかぎり、日常の買物を する店舗ですらも、近辺ではロクに見当たらないほどだった ここいらも、あの頃、田畑を手離し、農家、少なくとも専業は やめて、マンションやアパート経営に乗り出した「土地成金」が続出していたようだ。
そんな「土地成金」が闊歩している姿を指して、うちの母親なんかは、
「きょう、駅で電車を待ってたらな、まあ、いかにも成金まる出しの、センスも何も あったもんやない品のない金ピカ趣味のカッコして、得意そうに歩いてるオバちゃん見かけたけど、ほんま、ここいらの土地持ち百姓まる出しやった」
と、思いっきり嘲笑していた。
あの当時、たしか『NHK』でも、
「さああ!好景気日本の皆さん、ハリキッて まいりましょー!!」
みたいな盛り上げ調子のドキュメンタリー番組やってたのも憶えてるよ。
そして、うちの親父も何を浮かれたのか、どこぞの株に投資して、完全に失敗していたw
もともとケチで小心な性分だったせいか、辛うじて、「お試し」程度から始め、アッと言う間にビビりまくり、ほうほうの体で撤退したから、大きな損害にまでは至らずに済んだらしいが。
私自身は、病気しながら働いた頃は特にだが、なぜ、こんなにシンドイのか、報われぬ思いを しなけりゃならないんだか?と、派遣や非正規の身分で働いていたときの辛い記憶ばかりが重たく残っていて、
あとから気づいた小泉政権やケケ中らの やっていたことについても、憤りは消えない。
日本だけが取り残されている状態の発端には、まず、「バブル崩壊」の後始末に失敗したこと。そして、その後の「IT(情報技術)導入」が、あまり うまく いかなかったからだという2大指摘が あるようだ。
この指摘は何ゆえというと、これも あとになって思い当たったのは、私自身も若い頃から、盛んに言われ始めた「リストラの嵐」ってやつ。この毒が、すでに回っていたこと。
つまりは、すでに人手不足が始まっていたのであり、しかも、企業組織に おける「育成」ということを かなぐり捨て始めていて、私自身も、この網に絡め取られていたところの、やみくもな「即戦力」なるものをば求め始めた企業は、当然、深刻な人材不足の道へと、まっしぐらに足を踏み入れていた。
そのため、怒涛の如く押し寄せてきていた世界規模の大波、「IT」化への準備や移行に注力する体力が、もはや、殆ど残っていなかったのであるらしい。
日本だけ取り残され、浮上できないままでいるという、
世界じゅうから、その不可解さは特異レベルとまで見做されている状態に陥ったままであることは、これらが直接的にして大きな原因だったのだというわけらしい。
それでも、短命だった旧『民主党』政権の後半からは、景気は明らかに上向き始めていたというのに、
多くの国民、有権者たちは、よりによって、胡散臭い「バイ!マイ!アベノミクス!!」と歌い、「官製相場」を繰り広げて、ますます格差の拡大を定着させようと企んだだけの安倍政権をアッサリ返り咲かせ、
あまつさえ、歴代最長にしてしまった。
これも運命とか宿命なのかな??
加えて、日本には、経営者、企業トップを「甘やかす」ような特徴的気風が あるという。
そこには、日本においては、ごく限られた存在である大企業を中心とする経済界と、『自民党』政治との底知れぬ癒着も悪影響を及ぼしているはず。
経営者の甘え、エゴ、政権との癒着、これらのことは、専門筋の指摘が なくても、私自身の勤務経験などのなかで、幾つかの企業に おいて、如実に感じられてきたことだった。
実家の親父だが、身内の会計事務所に、いちおうの重役として所属しつつ、やがてはフリーとして、自分自身の顧客の企業を幾つか持っていたのだが、それら、主として中小・零細規模の経理を見たり、経営顧問を引き受けていた頃の親父が、税務署と渡り合って、連日、神経を擦り減らしてヘトヘトになる時期は特にだが、
自宅で晩酌中などの おり、相手を する母親にコボす話の内容を、私は食事しながら横で聞いていたりした。
たとえば、
経営者一族の身内に、勤務実態というものが一切ないのに、けっこうな高額の「給料」を与え続けるための名目だとか、彼らの家庭内のプライベートな支出のために、会社のカネを流用する方法をと、ためらいもなく要請してきたりする、そんなことのために、税務署の執拗で細かい追及を上手く かわさねば ならず、大いにストレスのタネにも なっているらしくて、顧客企業の社長のみならず、そのワガママな家族や、あつかましい親戚ともども含め、舌打ちしながら罵っていたことも よく あったようだ。
『日産・ゴーン』事件が発覚した おりの過去エントリーでも少し述べたように、
顧客の一人で あった社長とは、税務署の追及を、どうにか こうにか、かわし切った「ねぎらい」だったのか、社長とっておきの自慢の お酒を注がれて、仲良く二人、差し向かいで話しながら飲んでいるうちに、
何かの ひょうしで、親父の不満が飛び出してきたのを、社長のほうも応酬し、もともと、両人とも酒癖が悪いもんだから、殴り合いの大ゲンカになって、親父は、おでこにタン瘤こしらえて、よろよろと帰宅したことも あった。
ちなみに、ここの社長さん、フランス人の血を引いておられますw
愛人の女性も おられましたww
で、
せっかく、どこかの資産家の令嬢を おヨメさんにしていたものの、すでに長年、家庭内別居とか冷戦状態だったらしく、
その日も、朝からスキッ腹かかえたまま、急な案件のアドバイスと帳面をチェックしてもらうため、うちの親父を訪ねて来られた。
それで、
私の母親が気を利かせ、急いでサンドイッチを拵えて、コーヒーなどと共に、テーブルに並べたら、
社長さんは、おなかを押さえつつ、おずおずと、
「あの、、、奥さん、それは、ご主人の朝ご飯で?
」
と、弱々しく尋ねるので、
「いーえ!社長さんに召しあがってもらおうと思って」
と、うちの母親が答えると、
「え、、、ワタシの?そ、そうですか!それは それは
」
と、感激の面持ちで言うが早いか、サンドイッチを つまみあげ、
以降、
すべて食べ終わるまで、ただの一言も発することなく、
ひたすら、むしゃむしゃゴックンと、ガッついていたそうな。
その姿を見て、うちの両親は、社長さんが帰られたあと、
「かわいそうになあ。ありゃあ、お嬢さま育ちの奥さんに、食事も一切、作ってもらえないらしいからなあ」
と、しきりに哀れんでいたw
【続く】