2022.05.19 (Thu)
最近、「ヤフゴミん」のうちの誰かが、何やら、
「値上げしたら、『われわれ庶民』と言い張る者たちに限って、政府と企業の批判する」のだとか、
「そのシワ寄せは、中小・零細企業に いくので、賃金は上がらないし、非正規が増える」とかも言ってたけど。
べつにサ、「われわれ庶民」と言い張る者(!w)たちに限って、政府と企業を批判するってことでもないだろう。
ただ、この現状では、生活が ますます圧迫されるという事実は事実なのだし、そこには、政府と企業が根本的に大いに関係してるわな。批判されても しょうがないだろうよ。
まさか、
こないだ、うちのブログ エントリーで、ちょっとだけ指摘しておいたけど、どこかの雑誌の記事あたりが、
「値上げヘイト」する消費者ガー、
みたいなこと言ってたらしい、これに賛同してのことなのかな?(嗤)
しかし、だいたいね、なぜか、とにかく「値上げしたら批判されて、そのシワ寄せは中小・零細企業に いくから賃金が、非正規が」ってのは、根本的な順序からして間違ってる。
ほぼ虚偽に等しいことを主張していると、運営にも通報したぜ。こういうコメントも有害だと。まあ、ムダだろうけど。
この投稿者、ケッタイなことに、どうやら、いわゆる「左巻き」とか「サヨク」とか呼ばわれそうなコメントが多いようなのだが、
「ミギ」や「ホシュ」に、エセがウヨウヨしていることと同様、「ヒダリ」にも、やはり、こういうエセが いるってことかいなと思った。ややこしいのうw
さて、
以前のエントリー『ズレを感じるとき。』でも指摘した、
「いわゆるデフレが、日本で長引き過ぎていること、この原因について、とうてい読む気もしないので、見出しか冒頭部分のみチラッと見ただけなのだが、どうやら、たぶん、われわれ一般の消費者を指して、『物価上昇をヘイトしている』と呼ぶ、どこぞの雑誌社の記事も あるようなのだが、しかし、ここで「ヘイト」という言いかたを するのも、おかしいと思う」
「『物価上昇をヘイト』しているのが、一般消費者の傾向として あると言いたいのなら、その根本には、やはり、一般労働者の賃金や可処分所得の低迷が続いていることから論じていなければ嘘だと思う」。
大企業の正社員や、エリートと目される、一部の層は除く、一般的または、そこにさえも届かないクラスも含めた、つまり、ほとんどの労働者の賃金や可処分所得が増えない(それどころか減少してさえいる)状態が、じつに数十年にも わたって、ずーっと続いてきたなかで、少なくとも日常生活に直結しているものの値上げラッシュが受け入れ難いのは、そんなの当然である。
先日、いつも購入していたキッチン ペーパーの愛用品が、いつの間にか、見かけなくなったので、行きつけのスーパーマーケットやドラッグ ストアでも探し続けていたのだが、すっかり、店頭から消えた。
しかたが ないので、『アマゾン』あたりには あるのだろうか?と思って、サイトを見てみたら、品そのものは あるようだが、レビューには、不満の声が並んでいた。
実際、私も、その製品は、一つ100円くらいで入手できていたのだが、なんといきなり500円に値上げされていた。こちらもイッキに、買う気が失せた。
それでも、ここへ来て、他国事情など別様の情況も加わり、いよいよ、あらゆる方面で次々に値上がりが続いている現実を、われわれ庶民(!w)、一般消費者には、どうしようもない。。。
問題は、どうして、こんな状態にまで至ったのか、ってことだ。
ここで、
上に挙げた、同じエントリー中の、「少子・高齢化」問題」の くだり、
「現状、最も搾取されている存在であろうのは、子どもどころか、結婚する余裕もないほど低収入のまま、しかも劣悪な労働環境のなかで働いている人たちのはずだ」というところへ加えるのを忘れたことを、ここに あらためて述べよう。
出産・子育ては置いておくとして、
まず、結婚しない、できない人が多くなったという、言わば前代未聞級と言えそうな、こんにちの世相の ありさまには、じつは、隠れてる理由が、もう二つほども指摘できそうなのだ。
と言うのは、
いつぞやの過去エントリーでも、うちの実家の親父が、生前に述懐していたことを紹介したように、
少なくとも彼らの世代までは、結婚しないで いるという状態は、ことに田舎に おいて、ほとんど身内に近い人々によって構成される村じゅうから、断じて許容されないことなので あったという。
本人以上に、その親が、
「おまえのとこの息子(娘)を、結婚も させず、いつまで一人で置いておくつもりだ?」
と詰め寄られ、厳しく責められるそうな。
で、
村の連中に世話された相手を、たとえ、本人が気に入らなかろうとも、無理やりにでも結婚させられる。
そうして、次には、
子どもを儲けるのも当たり前のこと、これについても、うるさく干渉される。
なぜなら、
田舎では、「家」の継承、とりわけ「墓の守り」は、否応を言える余地もない義務であり、責務そのものだったから。
と、このように、親父は言っていたわけだが、
おそらく、昔の田舎ともなると、結婚や出産の問題は、すなわち、自分たちの「村の維持と存続」如何にまで直結し、左右する要件でも あったからなのだろうと察する。
子どもだけじゃなく、墓も いらない、という時代にまで なった。
ところで、
婚礼というイベントが あれば、自分が営んでいる商売のほうにも大いにメリットが齎される、そういう目的を秘めつつ、しかし、周囲には、その秘めた目的がバレバレになってしまっている、そんな人が、うちの母親の知人のなかに一人おられて、
当時、私も若い頃だったので、その人から、顔を見れば、お見合いをと勧められるものだから、いささか困惑の苦笑を浮かべつつ、やんわりと断っていたというような時期が あった。
そんな私に、その人は、
「なぜですの、お嬢ちゃん、じゃあ、この お人なら どうです?」
という感じで、写真を持参してきて、熱心に掻き口説きつつ、他の人の縁談も まとまりそうで まとまらない、焦れてイライラしてくるほどだったけど、やっと、本当に、まとまってくれましたわ等々とブッチャケたりで、それは もう、自身の商売にダイレクトに結びつく勢いでもって、日々、数々の縁談の お世話という名の、営業に励んでいるという具合。
それでも、
私自身が、いちおう「適齢期」と呼ばれる時期だったン十年前、すでに当時から、昔ながらの「お世話する人」が いなくなってきている、ということはハッキリ指摘され始めていた。
なので、営業を兼ねている「お世話」でも、親切心で やってますのよ、という装いも、じゅうぶん通っていたようだ。
生活が苦しいからという理由が、結婚しない、できない理由に挙げられているのは、昨今、わりと頻繁に見かけるようになってしまったけれど、
これに関しても、昔から言われることに、
「一人口は食えない、二人口は食える」
という、私も初耳だった当時に、この意味を聞かされたことが あるのだが、
要は、独身でいるほうが、むしろ、生活費などは嵩みがちなので あり、意外と、夫婦で生活しているほうが合理的で安あがりに済む、
というほどの意味らしい。
それならば、こんにちに おいても、生活が苦しいからこそ、思いきって同棲なり結婚なりして、「二人口」になってしまえば いいのじゃないかと思えるけれど、
昔なら、近所に一人や二人は いたという、いわゆる世話焼きオバサンなどは、絶滅危惧種となって久しく、もう、そこいらで見当たらない。
あとに残るは、業者の「結婚相談所」等だろうが、これは、しっかり有料だ。しかも、けっこうリスクが ある。
へたにネットなんかで探すと、もっとリスクが伴うしね。
これも昔から言われるところの「貧乏、ひまナシ」というわけなのか、
いや、ヒマだけじゃなく、なんと言っても資金に乏しければ、遊びに出る余裕もないだろう。
それは、つまるところ、
交際や結婚の相手を探す、見つける機会にも乏しくなるということへと繋がってくる。
結果、「ブラック」な職場と、自宅との往復に明け暮れる、味気ない日々の繰り返しを重ねつつ、年齢も重ねていく。。。
ほんとうに、なんか凄まじい時代になってしまったな。
【続く】