2022.05.22 (Sun)
『【続】なぜ こうなった、日本経済』の続き。
この現代に おいてさえも、戦争となれば、やはり、堅実な「兵站」というものは欠かせない重要事で、実際の働きを各方面で大いに担う存在である兵士たちの処遇に関することも特に大切だ。
企業トップらは、「安売り」も「差別化」という方向で、目先の利益を得るために、一般社員・従業員の人件費から削減していくという、最も安易で危険な方向に走り出した。以来、そのまま、止まることが できないというか、するつもりも なさそうだった。
校閲業務に携わっていた当時の私の視点からは、むやみとIT導入を すれば いいというものでない分野には真っ先に、あくまでも、その分の人員・人件費削減をセットにした目論みから、いきなりITに頼るわけにいかないはずのことから拙速にも進めた。
結果、障碍を殆ど気にせずに就けるだろうからと思って、やっと、現場で、ほぼ自力の蓄積で身に付けてきた仕事を失ったことも あった。
その反面で、
ほんとうにIT化を逸早く促進すべき方面はチンタラと鈍く、昔から象徴的とされていた「ムダな会議」などの旧弊も捨てることなく引きずり続けて、
結局は、中途半端なIT化と旧態依然とが同居しているという、甚だ奇妙な状態のまま、こんにちに至っている。
だいたい、企業トップも政界トップも、ITにトンと疎いままのジジイという存在が、いまの日本の、取り残された状態の理由を体現するシンボルのようなものだ。
思えば私個人的にも、何らかの組織・団体、特定政党を支持する有権者と政治屋連中の混じり合い絡み合う、政争と言う名の既得権益争いの ごつごう「政治」に振り回されて、いらぬ苦労を味わうハメになっていたのだなということを、今さらにして、つくづく自覚する しだい。
そうして、
「自己責任!!」
の叫び声が谺し続けている、この国が残したものは、
周辺の他国に対する疑心暗鬼、
マイノリティや弱者への蔑みの心、
いつ何時、襲い来るかしれない大災害への不安と怯え。
それでも、目を逸らし続けている。
恐らく、終わりが来る その日まで。
そりゃ、子ども産みたくもねえわ、こんな国で。
われわれ底辺庶民は、いじめ殺されるか、いずれは被災して死ぬかだもんね。
さて、
いわゆる「バブル」崩壊については、真っ先に不良債権処理の大失敗、『日銀』の不良債権問題対策の失敗も挙げられているが、(宮澤政権時に、金融機関への公的資金導入を提案するも、マスコミを含めた各界から猛反対が巻き起こり、首相自身も、あまりヤル気も なさげな腰砕けになって終わったという。)
90年代に入ったあたりからは、もう すでに、当時の私が勤務していた職場でも、「終わったなあ。。。」というふうなセリフが飛び交い始めていたのを憶えている。
そうして、90年代後半からは、企業や、特に金融機関の大型倒産が相次いでいった。
もともと日本は、大昔からの『皇室』行事全般にも代表され、近・現代の先端産業に至るまでも明らかなように、自分で一から産み出す能力には乏しいので、ほぼ常に、他国や他民族が考案・開発したものを土台に、それより いっそう使いやすくするための観察・分析を行なったうえで、大概は細々した付加価値をも添えて、あとから乗り込むパターンを とってきた国民性だ。
要するに、図抜けた「天才」というよりも、真面目にコツコツな「優等生」気質なんだろう。
近年は、国家の施策などでも、他国が やって失敗したことを、わざわざマネしているのか?と訝りたくなるような しまつで、しかも、周回遅れと きている。
なぜか、あさはかな「ウヨク」連中が有難がってる中曽根氏の政権は、1982年11月~87年11月にかけて続いたが、
あたかも麻薬のような、いわゆる「バブル」の発生を、次いで、その悲惨な崩壊以降、ずっと続くこととなった日本経済低迷の時代の糸口を招いたのが中曽根政権だという指摘も ある。
ところで、
『中曽根政権』直前の1982年6月に『IBM産業スパイ』事件というのが起きている。これなんか、もろに、入れる箱、すなわち「ハード」は真似しやすいけど、なかみ、「ソフト」を発案し、実現させるのは苦手、という日本人の特徴が出てしまった感じの事件だな。
で、
当時は『G5』としての「協調介入」で あった、例の『プラザ合意』のときに、出席した大蔵大臣が、竹下さんだ。
のちの首相時代、いまだに揉めるタネであり続ける『消費税』を導入し、
あのクッダラナイ『ふるさと創生』とかで、日本列島の津々浦々に1億円バラ撒いたことも あった竹下さん。
田舎者の能力やセンスを見極めて、それで、何なの?という感想しか ないわ(呆)
ついでやけど、
「アベノマスク」で嘘臭い媚びを披露し、社会的弱者を侮辱する発言を行なった、この人の孫だとかいう芸能人のナントヤラ、わたしゃ、アベシと同様に大キライですわ。
当時の『アメリカ』大統領レーガン氏が来日した おりは、日本のマスコミも熱烈歓迎の ようすだったが、
若かった私なんかは、政治・経済の難しいことまでは考えていなかったものの、ただ、やたらとアメリカ大統領に媚びまくる日本の首相に、
なんかキモチ悪いな、、、
という印象が残っている。
「不沈空母」云々と言うセリフにも、素朴な不快感が あった。
こうした、
アメリカに思いっきり媚び媚びの日本の首相、という定番スタイルは、以後も代々ずっと続いていった。
それは、ウヨらが言う「媚中」なんてレベルのものじゃない。
主として、商売人の思惑が大きかったであろう「媚中」も問題だが、
「媚米」は、もっと年季が入っていて、もっと複雑怪奇だ。
アメリカ、アメリカ、アメリカ、
すべてはアメリカが絡む、日本の命運よ。
つい最近も、ガス田か何かの掘削施設を、『東シナ海』の中国側ラインすれすれに新設し始めたというので、中国に対して、日本政府が抗議したらしいのだが、
まあ、いまでは、あちらさんの技術力や経済力のほうが上まわってきてるわけだし、真逆に、ビンボボ化が進行中の日本は、以前からモタモタ モタモタしてるっつう話も あったからね、
中国側も、グズを待ってられっかよ!てなもんなのだろうか。
そういった海底資源を取り出すことの特異なまでの熱心さは、大喰らい中国としては、エネルギー供給問題の喫緊性が殊のほか高いからだろうとは思っていたけれど、
最近の『ロシア』との事情展開も あることだし、
「あんたとこは、仲良し(?)プーチンのロシアから融通をタップリ増やしてもらったらエエやんかい」
と、私ですら、ちと、ピキッとしたものを感じは したがw
だいたい、何事も腰が重いんだろうね、日本側の姿勢も。
ひるがえって、
どうやら、『フランス』の極右政党党首と同様に、おカネのことで弱みを握られていたらしいトランプ前大統領でさえ(←こういうのって、「国賊」とか「売国奴」とか言うんちゃうの?)、個人的に「恩義あるプーチン」に倣ってか、しまいには、子分のアベシに対する疑念すら もよおしているということを隠さなかったくらいだ。
すべて言いなりに従い、
お相伴したゴルフ場では、おなかを見せて媚びるかのように、ひっくり返って横たわり、誘うように、手足バタバタさせてた、涙ぐましいアベシにすらもw
一方で、
お見かけしたとたん、小犬のように喜色満面の小走りに駆け寄り、懇願してまで来てもらった温泉では、さぁー!裸の つきあい つきあい♪とばかり、背中まで流してあげようとしたらしいプーチン大統領が、結局、どういう態度に終始したことか、
さすがの「鳥アタマ」日本人と言えど、少しは、国民としての羞恥と共に屈辱の記憶の片鱗くらい残っているはずだがな。
あまりに媚びすぎたもんだから、国家の威厳なんてものはカケラもないよなあ、日本って。
このうえ、いよいよビンボボ国家になっていけば、ただ憐憫の対象として、世界じゅうから持て余されてしまいそうだぜ(怒)
ウヨどもに言っとくけどな、
ビンボボ国家にゃ、オマエさんらが大好きな軍事関係に注ぎ込むカネなんか ねえし、
無理に注ぎ込んだら、即で国民全体の生活を逼迫させることになる。
それは、即で、国力を落とすことになる。
戦前・戦中の『大日本帝国』を真似してるとしか思えない、けど、
それすら実現できてない(嗤)滑稽な「金王朝共和国」まっしぐらだぞw
ただし、
いまでは、「王朝」も「英雄」も「ヒーロー」に値する存在も、この日本には、もう ないのだ。これからもな。
だったら、いまこそ、一般の有権者・国民は、どうするしかないのか。
「力なき正義や理念」は、たしかに、しまつの悪い、役立たずでしかないだろう。
しかし、「理念と正義なき力」は、阿鼻叫喚の破壊と暗黒を齎す。
「力」こそは、正義や理念を備えていなければ ならないのだ。
ならば、その「力」とは何であるのかを考えなければ ならない。
要領の良さや狡猾さばかりを官民挙げて磨くのでは なく、
真の知性と論理力と哲学精神を養わないとね。まじで消滅するよ。
何年も前から私は言ってきたように、
典型的な「大国間に挟まれて右往左往、難儀する小国」の姿、
それが年々あらわになってきている日本。