2022.05.14 (Sat)
さすが、あの『山口』県、ですねえ(嗤)
ある意味で、典型的な「田舎の役場」的事件、ですかねえ?(嗤(嗤)
役場のみならずで、すべてが、すべてが。
なんとも田舎くさ~い構成の事案ですねえ?(嗤(嗤(嗤)
…わたしゃ、まだ体調が よくないせいか、ちょっとキツイ言いかたしてるかもだけどw
だって、まじ、2週間もの あいだ、ですよ。
手を拱いてたと言うか、
ほとんど放置してたわけでしょ?『阿武』町の役場。
銀行も、なんかマヌケな感じするわよ。
役所でも銀行でも、ふだんは、こまかいしウルサイし、
どうかしたら、エラソーな態度とりよるけどな。
法的に どうなのか?というと、そりゃ、専門外の者には分かりません。
分かりませんけど、
役所や銀行というところの、ふだんの姿勢や態度を鑑みるに、
「ぜったい、なんとか しろ!!」
と怒鳴りつけたくなるのが正直な気持ちですわ。
税金、公金ですからね。
不当利得ですからね。
私個人的には、しろうと考えだろうけど、やっぱり、「横領」や「窃盗」的なことに該当するはずと思う。
だって、どこの誰のか全く分からない、何らか高額のものを、たまたま見つけて拾って、そのまま届け出しないと、リッパに犯罪でしょ。
たとえ「所有者」だの「占有者」だのの違いとかは あっても、
少なくとも、この事案の場合、振り込んできた相手が誰であり、相手が単純なミス、言わば「置き間違え」が原因のミスと、重々明白に知っていながら、敢えて ひらきなおって、勝手にマイマイしたんだから、もっとタチの悪い犯罪でしょ。ずばり「窃盗罪」じゃない?
ところが、
私のような専門外のシロウトも含め、少なからぬ人たちが、すでに指摘しているように、
刑罰や罰金に問えるとしても、この事案のタチの悪さときたら、
罰金よりも、横領あるいは窃盗したに等しい、その金額のほうが、だんぜん高いってことだろう。
つまり、刑罰にせよ罰金にせよ、とうてい見合わない軽さ、ということ。
で、逃げた当人も、そこは分かっているらしいと。
こうなると、なるほど、くだんの持ち逃げヤロウの実名なりと公表し、
その なけなしの「名誉」でも将来の行く末も、なんとかして、少しは貶めてやらずんば、という気持ちも理解できないでは ない。
聞けば24歳だという若造だが、
どんな育てかた したのやら、親の顔が見たい、と言うか、母親の説得も拒絶したそうだね。
このまま、お咎めナシで済ませては ならないのは当然だし、
同時に、
これも、過去エントリーで何度か指摘してきたことだが、たいがい、一人に任せるシステムにしているから、特に金銭が絡む事件は何度も何度も起きている。
私みたいな低学歴ボンクラでさえ、高額の公金処理を一人で扱っていた頃、こんな呆れるほどの単純ポカミスなんぞ、一度たりとも しでかしたことは ないぞ。
それどころか、
引継ぎも一切なしで辞めた前任者のミスや間違いを見つけて対処したくらいだ。
私ってフシギな者で、
自分自身の損害は、大小とり混ぜ、あっちこっちから被っても、自分が、自分以外の者に、少なくとも大きな損害を齎したことは ないのよ。
それでも、親を中心とした周囲からは常に、「ボンクラがー」と嘲笑されてきたけどね。
この役場の担当者、まだ新人だったらしいが、それなら、業務上の慣れや自信も乏しかったはずだろうに、直属上司や銀行のほうの担当者とも、よく確認し合う、念を押しておくということも しなかったのか?
さすがに悪意や企みとまでは思いたくないが、
それにしても、2週間も放置状態だったことは酷いと思うなあ。
それを鑑みると、こちらも、お咎めナシでは、断じて許し難い。
ならびに、
この担当者の上司は勿論のこと、
ひいては、役場内のシステムが どうなっていたのか、
見るからに田舎者のマ●ケぶり まる出しなトップまで、責任を明らかにして、相応の処分と賠償を果たしてもらわにゃなるまい。
(再び)
役所でも銀行でも、ふだんは、こまかいしウルサイし、
どうかしたら、エラソーな態度とりよるくせに。
「お題」の二つ目。
さっき、『毎日』系の記事で、『クリミア』や『ドネツク』紛争の おりにも、当地で取材してきたという経歴の記者さんが解説しているのを、サッと読んだのだが、キーワードは「被害者意識」なのね。
この「被害意識」「被害者意識」という分析、理解についても、当ブログ過去エントリーを閲覧してもらったら分かるが、私は何年も前から指摘してある。
これは、何度も言うように、個人でも国家でも、共通性が見受けられること。
特に「ミギ」とか「ホシュ」とか呼ばれる側に顕著な傾向のようだが、そこでは必ずのように、国家と自分自身とを同一視する癖が ある。
その個人は、これが やっぱり、劣等意識やコンプレックスに敏感という共通した特徴が見受けられるようだ。
一言で言うと、さしづめ、「攻撃は最大の防御」ってやつ。
「思い込んだら命懸け」。
「死なば諸とも」。
そして、「憎まれっ子、世に憚る」。
負けん気つよいとか、やけに攻撃的性格の人って、身近でも、けっこう見かけるものだが、こういう人ほど、意外にも内心は脆くて、根底では不安と警戒心が つよい。
プーチン氏みたいに、多くの人の命や安寧を奪ってきた覚えが あれば尚更だ。
しかも、
なまじな成功体験や「悪運の強さ」みたいなものが助長すると、不安や被害意識の分、ウヌボレとプライドも高くなる。
わが国にも いるでしょ、「歴代最長」とやらになってしまった、あのチョロチョロ虫や老害が(嗤)
いつもピリピリしていて、
ちょっと何か刺さったと思うが早いか、ピキーーーッとなるでしょ。
気が小さいんですよw本質は。気が小さ過ぎるから、極端な嘘や保身や防御のための攻撃に走るんです。
穏やかな気質の者から見れば、なんで そこまで、とか、病的なと感じたりするけど、まあ、当の本人だってシンドイだろうにと思うけどねえ。
シンドイから、ますます被害意識。
でも、少しでも、気を抜いたりしたら、すべて奪われてしまうぅ~と思い詰めてるから、やっぱり、ピリピリが やめられないんだろう。強迫観念だね。
そういうエネルギーを飽きもせず費やし続けられるということ自体、それだけ頑健なのだ、だから、しぶとい、とも言えるのかもw
精神疾患などの人が、えてして、頭から下だけはエネルギッシュだったりもするようだけどww
思うに、
かの釈迦が、「愛」ですら、よろしくないものとして見做したというのは、たいへんな喝破だった。
そう、愛、愛情は、人間に おいて、依存、執着、ひいては憎しみと なり得るから。
だからこそ、不安や警戒心に苛まれ易い者にとって、愛と憎しみは常に背中合わせだ。
こんなのに愛されたら、たまったもんじゃないなw
また、「君子の交わりは水の如し」と、昔の人は、よくぞ言った。
夏目漱石も、『猫』で、「大和魂」だの国境だのを冷笑した。
ま、プーチン氏も、『北朝鮮』の場合と同様、権力を握っている自分たちだけが、得手勝手の贅沢ザンマイしてるという事実が あるようだから、そのことを、もっともっと国民大衆に知らせてやったらイイんじゃないのかしら?そして、
くだんの『毎日』記者さんが警告するように、もしも、核兵器を用いたならば、そのとき、「西側」諸国は、どうするつもりなのかを、本気で練っておく必要が あることに、目を逸らし、タカくくっているようでは いけない。
まあ、ある意味、『アメリカ』は、日本を原爆によって完全に沈黙させたという「成功体験」が あるからね。
ほんとに厭な気分だが、
万が一、もしものことが あれば、そのときは、今のところ、自分たちの頭上に降って来ないからとノホホンとしているらしい『ロシア』国民にも、思い知らせないわけには いくまい。
日本も、かつての開戦当初のうちは、あくまで戦地で兵士が戦ってくれてる、という感覚で、国内はノホホンとしてたそうだからね。
窮乏や逼迫、危険が他所事でなくなってから、「欲しがりません、勝つまでは」「一億火の玉」みたいなスローガンを叫びだしたけど。
それでも、あの時代の日本の主権者は、国民じゃなかった。
女性には、選挙権もナシ。
現代ロシアは、そうじゃないはず。
けれど、ここでも、目を逸らすわけに いかないのは、
「死なば諸とも」「道連れ」にすることを、プーチン氏のようなタイプは、自国民ですらも、躊躇や思いとどまる理由や対象には ならないってこと。
いずれにせよ、私は当初から言ってきてる。
この戦争が、どうにか こうにか終了したあとは、検証が必要。
ロシアと言わず、ウクライナと言わず、アメリカ、西側諸国と言わずだ。
容赦ない現実的、多角的検証が必要。
特に『NATO』を めぐる、プーチン大統領の危惧や不安の妥当性、根拠の如何。
アメリカは、堂々と、それは「被害妄想」に過ぎないと言いきれるのか どうか。
日本の一市民でしかない私としては、
まず、自国民に対する情報統制や抑圧、プロパガンダだけでも、こりゃダメだろ!と言いたいし、
「『大ロシア』ですって?そんなもん、実現できなかったからって、誰が困るっての?せいぜい、あーただけでしょ!」と、
『大日本帝国』復活を自慰の如く妄想する手合いと同じように、とことん嗤い捨てたいけど。
ああぁ、いくら土曜日だからって、しんどいのに、つい、3つもエントリーアップしちゃったよ。。。
そいじゃ、これで。