2022.05.21 (Sat)
『なぜ こうなった、日本経済』の続き。
しんどいのが ぶり返してしまって、先行エントリーの続きをアップするのが遅くなりましたわ。。。
さてですね、
日本は「生産性が低い」「成長できない」、
そりゃまた、いつから、どうして?と、首を傾げるばかりだった私。
いちおう、戦後の「高度経済成長」期、やがて公共事業や不動産投資中心に大いに注力した『中曽根政権』から、ドル高に苦しんでいた『アメリカ』を救うための『プラザ合意』のみならず、今度はドル安だからと、『ルーブル合意』にも至り、で、
わが国のほうは「円高ドル安」によって発生した「バブル」の時代それ以降から、こんにちまでの日本を生きてきた私なのだけれど、そこまでの流れを、しっかりと理解し、詳細に記憶しているかというと、そんなことは ないのである。動きが激しいうえに、けっこう ややこしいのよねえ。
とにかく、どんなに「景気が良い」とて、世間が浮かれ、沸き返っていようと、私個人は、そんなことからは遠く、およそ人並みの人生とは言い難く、
子ども心にも、「この親のとこへ生まれてきてしまったからには、、、」と、
どうしても、なんか暗い将来の予感が もたげてきて不安で、
もう、生きてるだけで精いっぱいだわ、てな感覚だったよ。
外見は、おっとりノホホンに見えてたらしいけどね。
『私の苦悩は、誰も知らない』。
だって、人並みの身体条件でないうえ、家庭環境劣悪だったんだからさ。
せめても、どっちか一つにしてもらいたかったわよ、まったく。
そして、やはり若い頃は、政治や経済の世界についての関心は、それほどには なかった。
それでも、のちの職業では、新聞などからの情報をマメに得ておかなければ ならなかったので、同世代と比べて、かなりの関心が あるほうだったろうとは思う。
ただ、「バブル」の頃には、うちの近所周辺でも、まさに「土地成金」が、けっこう発生していたようだったことはウッスラ憶えている。
うちの実家は、もともと、この地域とは全く無関係な遠方から引っ越してきたので、「よそ者」と見做されてきた部類だったし、もちろんのこと、「土地持ち」なんぞでは ないのだが、私が幼稚園・小学生時分あたりから、住宅などがドンドンと増えていったので、それだけ、うちと同様の「よそ者」が大勢、流入していたわけだろう。
それまでは、ほんとうに田畑だらけの、大多数は先祖代々からの中小規模農家が多かった地味な地域だったようだが、せいぜい、市の中心部にでも出向かないかぎり、日常の買物を する店舗ですらも、近辺ではロクに見当たらないほどだった ここいらも、あの頃、田畑を手離し、農家、少なくとも専業は やめて、マンションやアパート経営に乗り出した「土地成金」が続出していたようだ。
そんな「土地成金」が闊歩している姿を指して、うちの母親なんかは、
「きょう、駅で電車を待ってたらな、まあ、いかにも成金まる出しの、センスも何も あったもんやない品のない金ピカ趣味のカッコして、得意そうに歩いてるオバちゃん見かけたけど、ほんま、ここいらの土地持ち百姓まる出しやった」
と、思いっきり嘲笑していた。
あの当時、たしか『NHK』でも、
「さああ!好景気日本の皆さん、ハリキッて まいりましょー!!」
みたいな盛り上げ調子のドキュメンタリー番組やってたのも憶えてるよ。
そして、うちの親父も何を浮かれたのか、どこぞの株に投資して、完全に失敗していたw
もともとケチで小心な性分だったせいか、辛うじて、「お試し」程度から始め、アッと言う間にビビりまくり、ほうほうの体で撤退したから、大きな損害にまでは至らずに済んだらしいが。
私自身は、病気しながら働いた頃は特にだが、なぜ、こんなにシンドイのか、報われぬ思いを しなけりゃならないんだか?と、派遣や非正規の身分で働いていたときの辛い記憶ばかりが重たく残っていて、
あとから気づいた小泉政権やケケ中らの やっていたことについても、憤りは消えない。
日本だけが取り残されている状態の発端には、まず、「バブル崩壊」の後始末に失敗したこと。そして、その後の「IT(情報技術)導入」が、あまり うまく いかなかったからだという2大指摘が あるようだ。
この指摘は何ゆえというと、これも あとになって思い当たったのは、私自身も若い頃から、盛んに言われ始めた「リストラの嵐」ってやつ。この毒が、すでに回っていたこと。
つまりは、すでに人手不足が始まっていたのであり、しかも、企業組織に おける「育成」ということを かなぐり捨て始めていて、私自身も、この網に絡め取られていたところの、やみくもな「即戦力」なるものをば求め始めた企業は、当然、深刻な人材不足の道へと、まっしぐらに足を踏み入れていた。
そのため、怒涛の如く押し寄せてきていた世界規模の大波、「IT」化への準備や移行に注力する体力が、もはや、殆ど残っていなかったのであるらしい。
日本だけ取り残され、浮上できないままでいるという、
世界じゅうから、その不可解さは特異レベルとまで見做されている状態に陥ったままであることは、これらが直接的にして大きな原因だったのだというわけらしい。
それでも、短命だった旧『民主党』政権の後半からは、景気は明らかに上向き始めていたというのに、
多くの国民、有権者たちは、よりによって、胡散臭い「バイ!マイ!アベノミクス!!」と歌い、「官製相場」を繰り広げて、ますます格差の拡大を定着させようと企んだだけの安倍政権をアッサリ返り咲かせ、
あまつさえ、歴代最長にしてしまった。
これも運命とか宿命なのかな??
加えて、日本には、経営者、企業トップを「甘やかす」ような特徴的気風が あるという。
そこには、日本においては、ごく限られた存在である大企業を中心とする経済界と、『自民党』政治との底知れぬ癒着も悪影響を及ぼしているはず。
経営者の甘え、エゴ、政権との癒着、これらのことは、専門筋の指摘が なくても、私自身の勤務経験などのなかで、幾つかの企業に おいて、如実に感じられてきたことだった。
実家の親父だが、身内の会計事務所に、いちおうの重役として所属しつつ、やがてはフリーとして、自分自身の顧客の企業を幾つか持っていたのだが、それら、主として中小・零細規模の経理を見たり、経営顧問を引き受けていた頃の親父が、税務署と渡り合って、連日、神経を擦り減らしてヘトヘトになる時期は特にだが、
自宅で晩酌中などの おり、相手を する母親にコボす話の内容を、私は食事しながら横で聞いていたりした。
たとえば、
経営者一族の身内に、勤務実態というものが一切ないのに、けっこうな高額の「給料」を与え続けるための名目だとか、彼らの家庭内のプライベートな支出のために、会社のカネを流用する方法をと、ためらいもなく要請してきたりする、そんなことのために、税務署の執拗で細かい追及を上手く かわさねば ならず、大いにストレスのタネにも なっているらしくて、顧客企業の社長のみならず、そのワガママな家族や、あつかましい親戚ともども含め、舌打ちしながら罵っていたことも よく あったようだ。
『日産・ゴーン』事件が発覚した おりの過去エントリーでも少し述べたように、
顧客の一人で あった社長とは、税務署の追及を、どうにか こうにか、かわし切った「ねぎらい」だったのか、社長とっておきの自慢の お酒を注がれて、仲良く二人、差し向かいで話しながら飲んでいるうちに、
何かの ひょうしで、親父の不満が飛び出してきたのを、社長のほうも応酬し、もともと、両人とも酒癖が悪いもんだから、殴り合いの大ゲンカになって、親父は、おでこにタン瘤こしらえて、よろよろと帰宅したことも あった。
ちなみに、ここの社長さん、フランス人の血を引いておられますw
愛人の女性も おられましたww
で、
せっかく、どこかの資産家の令嬢を おヨメさんにしていたものの、すでに長年、家庭内別居とか冷戦状態だったらしく、
その日も、朝からスキッ腹かかえたまま、急な案件のアドバイスと帳面をチェックしてもらうため、うちの親父を訪ねて来られた。
それで、
私の母親が気を利かせ、急いでサンドイッチを拵えて、コーヒーなどと共に、テーブルに並べたら、
社長さんは、おなかを押さえつつ、おずおずと、
「あの、、、奥さん、それは、ご主人の朝ご飯で?
」
と、弱々しく尋ねるので、
「いーえ!社長さんに召しあがってもらおうと思って」
と、うちの母親が答えると、
「え、、、ワタシの?そ、そうですか!それは それは
」
と、感激の面持ちで言うが早いか、サンドイッチを つまみあげ、
以降、
すべて食べ終わるまで、ただの一言も発することなく、
ひたすら、むしゃむしゃゴックンと、ガッついていたそうな。
その姿を見て、うちの両親は、社長さんが帰られたあと、
「かわいそうになあ。ありゃあ、お嬢さま育ちの奥さんに、食事も一切、作ってもらえないらしいからなあ」
と、しきりに哀れんでいたw
【続く】