2022.05.26 (Thu)
『再び、「ズレを感じるとき」』の続き。
それにしても、「ヤフゴミん」のなかには、ああいう「マルチ商法」の類に引っ掛かったことが あると告白している者が少なくないようだったので、わたしゃ、かなり驚きました。
しかも、その言い訳が、「意識高い系だったから」ですとさ(嗤)
「意識が高い」んじゃなくて、低級な欲が旺盛過ぎたんでしょうw
だいたい「ヤフゴミん」って、株などの投資で大いに儲けてますヨ♪と、ふだんから、コメント欄で自慢しまくる者も多いんだけどねえ(嗤)当然、アベシまんせー!!だよネェ(嗤(嗤)
まあ、集団の「ヒエラルキー」でもって、「信者」らをコントロールしようと はかる仕組みは、宗教も政治も同じですわな。
これは、ついでの付け足しだけど。
『ヤフージャパン』以外のポータル サイトでも、復活させた「コメント欄」というものに対する意見が出てきたりしているようでw
先日は、「コメント欄を設けるのは、あくまで企業やサイト側の自由だ」とする投稿も見かけたが、
こんなものは、たった一言で済むのよ。
「自由と責任」。
ほれ、マイノリティや弱者叩きが大好きなネトウヨが、誹謗中傷を投稿する「自由」をジャマしてくれるな!とて、特に好んで言い放つセリフの定番、それが「自由!」ですよねw
「自由には責任が伴う(はず)!」とも、よく力説してるよねえ?ww
私自身、例の「いやがらせカルト連」の誰やら(たしか「キグル●だったかな?w」)に、ブログのコメント欄を閉じているのは卑怯だ!とかと、
ま~、しつこくイチャモンつけられたことが あったが、こっちの勝手じゃ。そんなもん、知るかい。┐(-_-)┌
あの連中こそは、うちのコメント欄へ連日しょっちゅう押し掛けてきて、支離滅裂で凶悪な罵倒・恫喝投稿を大量に並べ立てて荒らすんだからよ。
こちとら、あの連中みたいなヒマ人でも なければ、
何かの胡散臭い集団構成員として、手分けするための徒党を組んでるわけでも なし、
毎日毎日、ブログやコメント欄の管理だけして生きてるのと違うからな。
ちなみに、当時の私は、自分が被った被害が、何によって引き起こされたのかを突き止めたいと思って、多少いろいろと追跡・調査していた頃も あるのだが、
まずは連中、案の定、かの『2ちゃんねる』常連でも あったようだ。
あんな、犯罪者の巣窟みたいな所へ出入りする やつらの気が知れんわ、ほんとに下品でモノズキだなあと、
私なんかは心底から呆れてたもんだけど。
いまでは、『ヤフージャパン』コメント欄が、かつての『2ちゃんねる』の代替を果たしてるよね(嗤)
だから、『ヤフージャパン』の運営に対しても、何度も言ってきたの。
「管理責任を持ちきれないのなら、コメント欄は閉鎖しなさいよ、社会的に有害なレベルですから」と。
ところで、
旧ブログか過去エントリーでも述べておいた話なんだけど、
たとえば、小学生の頃、うちの母親が、『PTA』で親しくなっていた保護者からの誘いを断り切れなかったのか、その保護者の娘であるクラスメートと一緒に、ある日、とつぜん、「新興宗教」に相当する類の組織の集会に連れて行かれたことが あった。
そこの会場に入ってから、あたりの ようすをキョロキョロ眺めていた私は、やがて、「教祖」なる人物が(私に付き添っていたクラスメートは、「先生」と呼んでいたようだが、遠目には、子どもの眼にも、まだ、わりと若いように見える、女性で あった)、さも勿体ぶった、「お高く留まった」みたいな ようすで、側近と思しき者らに、うやうやしく かしずかれつつ、壇上に登場し、設けられてあった「玉座」のような雰囲気の席に着いて、ほどなく、私は、強烈な違和感と嫌悪感を もよおしてきた。
「教祖」のみならず、
そこに いる人(信者)たち全員にも、なんとも言えない異様さを感じて、
帰宅後、母親に、
「アレなに?あんなのヘンやん
」
と訴え、
もちろん、そもそも本気でなかった母親も苦笑して頷き、以来、私ら親子が参加することは二度と なかった。
それより何より最もショックだったのは、
私の隣りに終始つき添い、いろいろと、その場に おいて やる事と決められているらしい しぐさやらルールを、懇切丁寧に「教えて」くれたクラスメート、つまり、うちの母親と、『PTA』で親しくなった おばさんとこの長女なんだけど、
彼女とは、小学校に入学当初から長らく同じクラス、しかも、偶然、名前も一字違いの同音だったせいか、先方から親し気に仲良くしてくれて、優しく穏かな性格の彼女に関しては、ただの一度も、不快な思いなど したことが なく、たびたび、お互いの家へ遊びに行き来していた頃が あった。
そんな彼女は、私と違って、りっぱな優等生なのに、あんなヘンなものに夢中になってるなんて、なんで、なんで、、、と、それが第一の衝撃だったわけ。
ところが、彼女の おとうさんが急に亡くなられてしまい、お葬式のときに、私も母親らと参列した記憶が かすかに あるのだけれど、こまかいことは憶えていないものの、なぜか、彼女の おじいちゃんが、よろよろと玄関先に出て来られ、手にしていた お茶碗らしきものを、いきなり、出入口のセメント敷きの所に叩きつけて、カチャーンと割られたので、それと同時に、参列していた人たちの あいだから、「おお」「ああ~」と いう溜め息まじりの どよめき声が響き渡ったことだけは鮮明に憶えている。
あとで母親に尋ねたら、そのクラスメートの おとうさんが生前、日常的に使用されていた お茶碗だということだった。
振り返るに、
うちの母親も、おばさんも、あの頃は、まだ30歳代なかばくらいの年齢だったのだ。
彼女の一家は、残された全員が、悲しく、将来が心細く、辛かったことだろう。
いまになって考えると、どうも、この頃から、おばさんやクラスメートたち一家の異変が起きていったように思えるのだ。
やがて、私らは中学生になり、別の学区になり、以来、疎遠になっていたのが、お互い20歳代になっていた ある日のこと、突然、彼女からの連絡が あり、訝しく思いつつも、「遊びに行って いい?」と言うのを断る理由も ないので、なかば戸惑いつつ、約束の日時が来た。
会ってみれば、
子どもの頃と変わらぬ、利発そうな清楚な雰囲気は そのままに、
しかし、私が真っ先に驚いたのは、あの、屈託のない、明るい眼差しが、すっかり、底光りするような、得体の知れないような表情の眼つきに変わっていたこと。
彼女は、なぜか、見知らぬ中年男性を伴っていた。
ますます困惑する私に、言い訳のような理由を言っているのを聞けば、どうやら、あの新興宗教への、再びの勧誘が目的なのだった。
せっかく久しぶりの再会なのに、残念だけれど、玄関先での立ち話だけで帰ってもらったが、彼女らが去ったあと、うちの母親は、
「な?こんなことやろうと思ったわよ」
と言った。
私としては、あれから、きょうに至るまで、例のヘンな新興宗教の団体に入ったままだったということに、まずは驚いていたのだが、
むしろ、もともと真面目な性格の優等生だった彼女だからなのかなぁとも思った。
いずれにせよ、とっくに疎遠になっていた私のところにまで、信者仲間を連れて訪ねてくるくらいだから、その組織もジリ貧状態だったのでは なかろうか。
【続く】