2022.05.19 (Thu)
最近、「ヤフゴミん」のうちの誰かが、何やら、
「値上げしたら、『われわれ庶民』と言い張る者たちに限って、政府と企業の批判する」のだとか、
「そのシワ寄せは、中小・零細企業に いくので、賃金は上がらないし、非正規が増える」とかも言ってたけど。
べつにサ、「われわれ庶民」と言い張る者(!w)たちに限って、政府と企業を批判するってことでもないだろう。
ただ、この現状では、生活が ますます圧迫されるという事実は事実なのだし、そこには、政府と企業が根本的に大いに関係してるわな。批判されても しょうがないだろうよ。
まさか、
こないだ、うちのブログ エントリーで、ちょっとだけ指摘しておいたけど、どこかの雑誌の記事あたりが、
「値上げヘイト」する消費者ガー、
みたいなこと言ってたらしい、これに賛同してのことなのかな?(嗤)
しかし、だいたいね、なぜか、とにかく「値上げしたら批判されて、そのシワ寄せは中小・零細企業に いくから賃金が、非正規が」ってのは、根本的な順序からして間違ってる。
ほぼ虚偽に等しいことを主張していると、運営にも通報したぜ。こういうコメントも有害だと。まあ、ムダだろうけど。
この投稿者、ケッタイなことに、どうやら、いわゆる「左巻き」とか「サヨク」とか呼ばわれそうなコメントが多いようなのだが、
「ミギ」や「ホシュ」に、エセがウヨウヨしていることと同様、「ヒダリ」にも、やはり、こういうエセが いるってことかいなと思った。ややこしいのうw
さて、
以前のエントリー『ズレを感じるとき。』でも指摘した、
「いわゆるデフレが、日本で長引き過ぎていること、この原因について、とうてい読む気もしないので、見出しか冒頭部分のみチラッと見ただけなのだが、どうやら、たぶん、われわれ一般の消費者を指して、『物価上昇をヘイトしている』と呼ぶ、どこぞの雑誌社の記事も あるようなのだが、しかし、ここで「ヘイト」という言いかたを するのも、おかしいと思う」
「『物価上昇をヘイト』しているのが、一般消費者の傾向として あると言いたいのなら、その根本には、やはり、一般労働者の賃金や可処分所得の低迷が続いていることから論じていなければ嘘だと思う」。
大企業の正社員や、エリートと目される、一部の層は除く、一般的または、そこにさえも届かないクラスも含めた、つまり、ほとんどの労働者の賃金や可処分所得が増えない(それどころか減少してさえいる)状態が、じつに数十年にも わたって、ずーっと続いてきたなかで、少なくとも日常生活に直結しているものの値上げラッシュが受け入れ難いのは、そんなの当然である。
先日、いつも購入していたキッチン ペーパーの愛用品が、いつの間にか、見かけなくなったので、行きつけのスーパーマーケットやドラッグ ストアでも探し続けていたのだが、すっかり、店頭から消えた。
しかたが ないので、『アマゾン』あたりには あるのだろうか?と思って、サイトを見てみたら、品そのものは あるようだが、レビューには、不満の声が並んでいた。
実際、私も、その製品は、一つ100円くらいで入手できていたのだが、なんといきなり500円に値上げされていた。こちらもイッキに、買う気が失せた。
それでも、ここへ来て、他国事情など別様の情況も加わり、いよいよ、あらゆる方面で次々に値上がりが続いている現実を、われわれ庶民(!w)、一般消費者には、どうしようもない。。。
問題は、どうして、こんな状態にまで至ったのか、ってことだ。
ここで、
上に挙げた、同じエントリー中の、「少子・高齢化」問題」の くだり、
「現状、最も搾取されている存在であろうのは、子どもどころか、結婚する余裕もないほど低収入のまま、しかも劣悪な労働環境のなかで働いている人たちのはずだ」というところへ加えるのを忘れたことを、ここに あらためて述べよう。
出産・子育ては置いておくとして、
まず、結婚しない、できない人が多くなったという、言わば前代未聞級と言えそうな、こんにちの世相の ありさまには、じつは、隠れてる理由が、もう二つほども指摘できそうなのだ。
と言うのは、
いつぞやの過去エントリーでも、うちの実家の親父が、生前に述懐していたことを紹介したように、
少なくとも彼らの世代までは、結婚しないで いるという状態は、ことに田舎に おいて、ほとんど身内に近い人々によって構成される村じゅうから、断じて許容されないことなので あったという。
本人以上に、その親が、
「おまえのとこの息子(娘)を、結婚も させず、いつまで一人で置いておくつもりだ?」
と詰め寄られ、厳しく責められるそうな。
で、
村の連中に世話された相手を、たとえ、本人が気に入らなかろうとも、無理やりにでも結婚させられる。
そうして、次には、
子どもを儲けるのも当たり前のこと、これについても、うるさく干渉される。
なぜなら、
田舎では、「家」の継承、とりわけ「墓の守り」は、否応を言える余地もない義務であり、責務そのものだったから。
と、このように、親父は言っていたわけだが、
おそらく、昔の田舎ともなると、結婚や出産の問題は、すなわち、自分たちの「村の維持と存続」如何にまで直結し、左右する要件でも あったからなのだろうと察する。
子どもだけじゃなく、墓も いらない、という時代にまで なった。
ところで、
婚礼というイベントが あれば、自分が営んでいる商売のほうにも大いにメリットが齎される、そういう目的を秘めつつ、しかし、周囲には、その秘めた目的がバレバレになってしまっている、そんな人が、うちの母親の知人のなかに一人おられて、
当時、私も若い頃だったので、その人から、顔を見れば、お見合いをと勧められるものだから、いささか困惑の苦笑を浮かべつつ、やんわりと断っていたというような時期が あった。
そんな私に、その人は、
「なぜですの、お嬢ちゃん、じゃあ、この お人なら どうです?」
という感じで、写真を持参してきて、熱心に掻き口説きつつ、他の人の縁談も まとまりそうで まとまらない、焦れてイライラしてくるほどだったけど、やっと、本当に、まとまってくれましたわ等々とブッチャケたりで、それは もう、自身の商売にダイレクトに結びつく勢いでもって、日々、数々の縁談の お世話という名の、営業に励んでいるという具合。
それでも、
私自身が、いちおう「適齢期」と呼ばれる時期だったン十年前、すでに当時から、昔ながらの「お世話する人」が いなくなってきている、ということはハッキリ指摘され始めていた。
なので、営業を兼ねている「お世話」でも、親切心で やってますのよ、という装いも、じゅうぶん通っていたようだ。
生活が苦しいからという理由が、結婚しない、できない理由に挙げられているのは、昨今、わりと頻繁に見かけるようになってしまったけれど、
これに関しても、昔から言われることに、
「一人口は食えない、二人口は食える」
という、私も初耳だった当時に、この意味を聞かされたことが あるのだが、
要は、独身でいるほうが、むしろ、生活費などは嵩みがちなので あり、意外と、夫婦で生活しているほうが合理的で安あがりに済む、
というほどの意味らしい。
それならば、こんにちに おいても、生活が苦しいからこそ、思いきって同棲なり結婚なりして、「二人口」になってしまえば いいのじゃないかと思えるけれど、
昔なら、近所に一人や二人は いたという、いわゆる世話焼きオバサンなどは、絶滅危惧種となって久しく、もう、そこいらで見当たらない。
あとに残るは、業者の「結婚相談所」等だろうが、これは、しっかり有料だ。しかも、けっこうリスクが ある。
へたにネットなんかで探すと、もっとリスクが伴うしね。
これも昔から言われるところの「貧乏、ひまナシ」というわけなのか、
いや、ヒマだけじゃなく、なんと言っても資金に乏しければ、遊びに出る余裕もないだろう。
それは、つまるところ、
交際や結婚の相手を探す、見つける機会にも乏しくなるということへと繋がってくる。
結果、「ブラック」な職場と、自宅との往復に明け暮れる、味気ない日々の繰り返しを重ねつつ、年齢も重ねていく。。。
ほんとうに、なんか凄まじい時代になってしまったな。
【続く】
2022.05.14 (Sat)
『運転しながら「おにぎり」食べるのは交通違反?警察に確認すると…(BSS山陰放送) - Yahoo!ニュース』
まあ、信号待ちなんかで、片手で つまめるサンドイッチとか缶飲料などを口にする程度は許容範囲なのが現実なんだろうとは思う。
それよりも、もっと恐いのは、ケータイやスマホじゃないだろうか。
ハンドルから手を離さずに済むツールを使用しているにしても、相手先との応答で、気を取られるのは危ないと思うし。
なので、宅配の業者さんなどに、再配達の依頼を しなくては ならなくなるのを、運転中に無理して応答しておられやしないかと、難聴ゆえ聞き返しも多い私は内心で特に気が咎めていたのも、そういう意味からでも あった。
あと、助手席に(病気の?)ペットを乗せていて、そっちに、気を取られて、死傷事故を起こした事例も あったよね。
私なんかも、むかし、まだ実家で生活していた頃、朝食のサンドイッチを、玄関先で半分ほど、大急ぎで口のなかにグイッと押し込み、残りは片手に持ってモグモグしながら自転車に跨り、最寄り駅まで猛ダッシュして、見送る母親に呆れられたものだ。
そのあと、ギリギリ セーフで到着した職場でも、「今朝ねぇ」と、そのことを話したら、同僚にも、
「へえ~。サンドイッチ頬張りながら、そのミニスカとハイヒールで、自転車またがってダッシュてか、、、すごいな」
と、感心された。
旧ブログなどで、少々話題にしたことも あったかと記憶しているが、
ある時期、ちょっと かかわっていた、かなり年下の男。
当時、向こうは20歳代だったのだけど、工務店か何かを経営している おとうさん、交通事故で、半身が不自由になり、車椅子の生活となった おかあさん、その影響から看護師になったシッカリ者の おねえさん、という家族から、高校卒業後は離れ、海外の あちこちを渡り歩いていて、サーファー気取りの放浪生活を何年か してから、資金が尽きたか何かで日本に戻り、次の渡航と放浪を内心に期しながら、その日暮らし的チャランポラン的な生活と言えば そうだったのだが、
そのくせ、料理などに関しては、台所に立つ労を惜しまず、毎日マメにやってるという、真面目なんだか不真面目なんだか、よくワカランやつだった。
でも、
身障者となった母親の世話も してきたという、いまどきで言う「ヤング ケアラー」の一人だったわけだし、
心身が荒んでるとか、凶悪な性格とまでいうわけでなく、いちおう健康で、じょうぶで活動的で、どっちかと言うと、あくまで表面的にせよ、人当たりは いたって柔らかく、ソツなく、まあ優しいと言えば優しいところも あった。
私に、缶飲料などを買ってくれたときなんか、プルトップを必ず開けてから渡してくれるという細やかさが あり、そういった方面では意外と(?)「女らしさ」というものに欠けるのだろうか、ガサツなオッサン的な側面が ある私なんかには、とうてい、思い至らないところ。
このことを思い起こすと、生前の母親の述懐も思い出す。
と言うのは、
母親も、お稽古事仲間の一人だった女性と、何かの集まりで同席したとき、その女性が、ガムを勧めてくれたのを見たら、ガムの銀色の包み紙までも半分ほど丁寧に剥いてから、しとやかに差し出してくれていたので、これに いたく感じ入り、
そんなにも細やかな気の遣いかたは、さすがに、自分には思いも つかなかったというので、うちの母親は、その日の帰宅後、ひとしきり、私に聞かせたので あった。
要は、
うちら母娘には、そういった類の「女らしさ」みたいなものが、いっさい、備わっていないのだなと結論したことで あった。
さて、
電話で、「作ったから食べに来いよ」と誘ってきて、その自宅に行ったときは毎回、何らかの手料理を ふるまってくれたり、実家の姉から くすねてきたという、高級メーカーのフレーバー ティーなんかを、いっしょうけんめい淹れて、講釈たれながら飲ませてくれたりしたサーファー男の話に戻ると。
ただ、
およそ法律とか社会的ルールなどに対する遵守精神的なものは、わりとイイカゲンだったことは確かだと思う。
そうね、どこかで根本的から「タガが外れてる」みたいなところが。。。
当時も、大麻なんかは全く後ろめたさや罪悪感なさげに やっていたし、それを、たまたま、私に見つけられたときは、さすがにバツが悪そうに、ゴニョゴニョぶつぶつ言いわけしていたが、
いまでも、「脱法・危険ドラッグ」の類にだって、平気で手を伸ばしているかもしれない姿は想像に難くない。。。
それでもね、
当時、私にも大麻を勧めるとかいうようなことは決して しなかった。
しかしながら、
そういうことに とどまらず、全体に、どこか、倫理観や良心のようなものが希薄な傾向は、なんとなく感じていた。
しつけ不足とか生育環境から来たものなのか、同じ両親の子どもでも、おねえさんとは だいぶ違うみたいだから、やっぱり生まれつきの性質なのか、よく わからない。
で、ある日のこと。
その日も、彼の自宅に行ったら、よく煮込んだ具だくさんのカレーライスを作って待ってくれていた。
私が、一皿分を食べ終わり、向こうは2皿目に とりかかったとき、急な用が起きて、外出しなければ ならなくなったので、とりあえず、食事は中断とアタリマエに思った私は一足先に外へ出た。
やつの車の所で待っていたら、
あとから施錠し、ほどなくして やって来た やつの手には、
少し食べかけとは言え、
盛大に盛られたままのカレーライスの皿とスプーンとが握られていた。
「ちょっと!!それ、どないする気やねん!?」
と、ビックリして咎める私を なだめる口調で、
「だいじょぶ、だいじょぶ」
と言いながら、運転席に乗り込んで、まずは膝の上にカレーの皿を安置して、落ち着き払って、エンジンを かけ始めた。
「ちょっとぉ!!」
と、なおも騒ぐ私を、
「へーき、へーき」と なだめつつ、とうとう、広い車道に出てしまい、
助手席の私はポカンとしながら、やつの ようすを見ていたら、信号待ちの箇所に差しかかった とたん、
ハンドルから離した両手でソッコー、くだんのカレー皿とスプーンを持ち上げ、あたりをチラチラ窺いつつも、猛然と口中へ かき込んでいる。
「あー、俺のカレー、やっぱウマいわぁ~」
【続く】
2022.05.07 (Sat)
そりゃあ、いわゆる「オレオレ詐欺」みたいなことに易々と引っ掛かる人が多いのも頷ける。
ましてや、インターネットに親しんでいる世代の人々ですらも、ほいほい引っ掛かって乗せられているようすを聞けば、なかなか、なくならないわけだよなあとも思う。
いわゆる「キャンセル商法」とかいうやつじゃないの?とて、大いに不審なことが増えてきているような気がする昨今。
最近も、『栃木』だかの地方の和菓子屋が、当日キャンセルされた「柏餅」を買ってほしいという主旨の「SNS」発信したとたん、「やさしい」客が押し寄せて、かえってウハウハになったのだそうだが、
顔も名前も堂々と出しちゃってる、いかにも、いまどきのと思しいほどに、まだ若いらしい、この店主の説明どおりのことが実際に起きていたのだとしても、こういう やりかたは、いずれにせよ、もう二度と使えないものと、肝に銘じることだ。
この次も やったら、事実かどうかとは無関係に、大いに顰蹙を買うだけだから。
とは言え、
儲けてる者は、どこかで汚いことを やるからこそ儲かるのだ。
「悪名は無名に」なんとやらで、とことん顰蹙を買うことも、ある意味、「有名」になる手段のうちとして、ひらきなおっているのかな。
「憎まれっ子、世に憚る」。
政治の世界でも、議員に立候補するために、まかりとおらせている実態が あるのだから。
べつに憚りもしないのに、憎まれてるケースも あるけどw
そう言えば、
昔の事だが、『洋服の』ナントカとかいうチェーン店が、派手なチラシを出しているのを、購読紙の折り込みで見かけたことが ある。
それは、ずばり
「助けてください!!」
という、さも悲痛な調子のキャッチで目を引き、
このままでは倒産してしまう~という、
もろに泣きつき商法と言うか、「倒産商法」とかいうらしいが、
いまほどには、インターネットを利用した集客・宣伝がアタリマエでなく、まだまだ、旧来式のチラシなど紙媒体中心の宣伝・集客方法が最多で あった頃、私自身も、当時は まだ、仕事上で少々使う以外は、個人のプライベートでのネット利用は ごく少なく、もっぱら大手新聞を継続購読することで、日々の情報を収集していたので、くだんの洋品店チェーンの「泣きつき」チラシを初めて目にしたときは、とっくに、世間の景気も、目に見えた下り坂になっていたことも あり、本当に倒産危機に見舞われているのかと、いささかは驚いた気分で見た記憶が ある。
ところが、
このチェーン店、よほど「味を占めた」のか、
以降も、たびたび、その強烈なキャッチを用いたチラシを折り込んだものだから、もちろん、「仏の顔もナントヤラ、もう、その手にゃ乗らないよ」と冷めた目で見る人も増えていったことであろうと思う。
かれこれ20年ほど前だったか、当時の職場の近くに あった、ある有名な老舗の和菓子店にて予約しようとした経験が私自身も あるのだけれど、
その店のショウ ウインドウをチラチラ見ていた私が欲しいと思ったのは、結婚式のときの引き出物などに使われる特有の和菓子で、特上の「練り切り」とかいう、そこいらの一般の店で入手できる類のものでは なかった。
そこで、ある日、思い切って、こじんまりながらも古めかしい和風な造りの店のなかに入り、そこの人に申し出て、値段など尋ねようとしたら、真っ先に、「ご結婚用の お品ですか?」とか何とか聞かれたように憶えている。
単に、私個人の好物なので、自分で食べたかっただけなのだが(苦笑)
考えてみたら、結婚予定でもないものが、単に好物だからという理由で、重厚な「鶴亀」を象った婚礼菓子を購入しようとしたのだから、いま振り返ると、自分でも苦笑してしまう。
しかし、世のなかには、よりによって「葬式まんじゅう」が大好物で、これが手に入ると、家族全員で喜びのバンザイを せずに おれないという話(マンガだけどw)も あったくらいだから、それに比べれば、世間と些かズレていようとも、めでたい婚礼用の高級和菓子が好物なのは、「葬式まんじゅう」好きよりはマシだろうと、自分を慰めている しだいであるw
さて、そのときは、個人の少量注文は受けられない品ですのでとかいうことで、やんわり断られたと憶えている。
何らかの お式なり、お茶席なり、ある程度以上の、まとまった量で注文を受ける以上は、どこの誰あるいは組織なり企業で、納入日の厳格な確認および前日にも再確認と共に、「手付金」「内金」「前金」の類や、万が一のキャンセル料は勿論のこと、そもそも、当日キャンセルなんて あり得ない話。何十年も前から常識ってもんだろう。
商売側も客側も、そもそも、シビアな世界であり、ボランティアやってるわけじゃない。
お涙ちょうだいのマヌケなんだか狡猾なんだか判然としない商売人が拵えたものなんか、胡散臭くて、私は買ってまで口に入れたくないな。
『自民だっぴ党』の、防衛関係の要職に就いているらしいウヨウヨ議員あたりが、例の『ウクライナ』が、日本に対して感謝してないのか どうかと騒いだらしいことも考えると、
もともと単純で、押しつけがましいのを「正義」と思い込んで疑わない気風が あるのは、「プーチンのロシア」と変わることのない日本であるし、
さても、さもしい時代になったもんだ、、、と思う近頃の世相、
いや、まあ、昔から、こんな類のことは まま あったのが現実なのだろう。
ただ、やはり、ネット上のことになると、かつてない規模と拡散のスピードが激しいから、よけいに、さもしさに輪が かかったような感じは募る。
それでも、私の考えるところと似たような感想を持った人は、やっぱり、幾人かくらいは いるようだ。
しかしながら、
以前は「オーサー」とか呼ばれていた人たちの「ヤフージャパン」コメント欄に寄せた見解(嗤)
まあ、そりゃ、顔・氏名・肩書付きだから、しかたないのだろうが、
めったなことは言えないから、オブラート包みも分厚くして、奥歯に物が挟まった ていのダメ出しくらいが精いっぱい、てな感じまる出しだ(嗤)
いくら和菓子でも、甘すぎる見解www
「フード ロス」が出なくて良かった等々なんて意見はズレてるよ。本質は、そこじゃない。
かつての『洋服の』なんたらと同様な趣の、「柏餅、買ってください」。
『朝日』系列は、体よく、その店の宣伝に加担してやってるじゃんかと、呆れる思いで見た。
だいたい、キャンセルされたという数量にピッタリ符合する「500個」の「柏餅追加」が、あっと言う間に作れて、これまたアッと言う間に完売いたしました、ってね。いやいや
全体、すごく不自然な話だというのは、さすがの「ヤフゴミん」らも次々に指摘しているようだが、
『朝日』もなー、さも「美談」めいた煽りで終わらせずに、話の矛盾点や、キャンセル料などは どうしたのか?などのツッコミを せんかいや!(嗤)
やっぱり、視聴者ナメとるやろ?w
裏で何やっとるやら、どいつもコイツも。
あとはですね、女性の生理用ナプキンのことを少々。
近頃では、ビンボボ女性のため、生理用ナプキンを恵んでくれるようになってきているそうなのだが、
私自身、むかし、長らく、婦人科も患っていた時期が あり、その間は、生理が非常に重くて、しかも、期間も長くなっていき、ついには、ひと月の殆どが生理中という凄まじい ありさま、ほんの1週間に満たない中断のあと、すぐに次の生理が始まるという状態に陥った。
なにしろ、経血量が毎日これまた凄まじく、もっぱら「多い日の夜用」など、数十年前の あの当時の商品群のなかでも、吸収量や保持能力の高いものを選んで使っていても、ほんの30分ほどしか もたず、仕事中はヒヤヒヤしどおし、帰宅後は疲れきって睡眠中、少しウトウトしただけで、ハッと目を覚ますと、早くも、寝具まで汚していたことが たびたび。
もう なさけなくて、泣きながら起きて洗濯し、自分の憎たらしい おなかを、自分で どつきまくっていた。
障碍を隠して就職した非正規だから、病院通いも ままならないなか、
実家に戻るのだけは、死んでも厭だと、乏しい収入のうち、食費を大幅に削って、ほとんどオムツのような特大ナプキンを大量に購入していた あの頃。
仕事帰り、それを抱えて、フラフラしながら、一人暮らしの自宅に帰っていた。
もともと、じょうぶな体質じゃないし、粗末な食事と、一時的な「気つけ」とか「カンフル」とかの意味で、「荒塩」などを舐めつつ、必死で仕事に行っていたけれど、通勤の駅の階段を上りきれず、踊り場で手擦りに つかまったまま、卒倒しそうになるのを こらえていた日々。
遅刻が増え、青白く暗い顔を見て、「なに?この人は」と、ろこつに眉を顰める同僚たち。
もちろん、看護師もビックリするほど酷い貧血になっていたわけだが、いまも、あの頃に無理を重ね続けた影響は、手術後も ずっと残っていて、心身ともに、もう、無理は できない。
花の命は、すごく短く、報われぬ苦しきことのみ多かりき、だ。
そんな私だから、
生理用ナプキンの無料配布という結構な記事を見かけるたびに、少し気になっている。
生理の重い人ほど、高機能・高価格なナプキンを購入しなければ ならず、最も費用が嵩むことを、関係者は理解してくれているだろうか?と。
そして、
どんなに優秀にして無料のナプキンも、根本的な問題の解決には ならないことも。
2022.05.05 (Thu)
このところ、またぞろ、体調を酷く崩してしまっており、ブログ更新する気にもならなかったのだが、
痛い苦しいのを堪えつつ、這うように身じたくして出かけて行き、
やっとの思いで購入してきた市販の医薬品や、ささやかな栄養補給を心がけながら、病院にも行かずに頑張ってるところです。
今回も、なんとか、自力回復を目指したいと切に思う。
さて、近頃のニュースなどを眺めていて、どうしてなのだろう?と、またも感じているズレのこと。
まあ、公的でも個人的でも、ほぼ毎度のことなのだけれど。
まずは、「プーチンのロシア」問題から。
これまでにプーチン大統領が のたまう見解、
『ウクライナ』や、われわれ「西側」諸国に対して、ああだ こうだと述べている指摘や抗議の意見が、その少なくとも概ねが、すでに「プーチンのロシア」側こそが やってきたことであり、または、これから やるつもりマンマンであろうことを、
あべこべに、ウクライナや西側が、やってきたのである、または、やろうとしているのだ、と主張している、
この奇妙な矛盾に、誰も気づかないようすで、
「プーチンが、またまた怪しからんことを!」
と、ただ単純に憤るだけのコメント投稿が多いのは何故なのか。
私にはキミョウに感じられる。
このたびの『ウクライナ』への侵攻と言うか侵略だが、相変わらず、止みそうにないままで、この騒ぎに関する一連の報道や情報を追いかけ、熱心に注視し続けてきたものと思しい、特に『ヤフーコメント』を筆頭に、ネット上のコメント投稿に大いに参加してきた投稿者らは、気づいていないのか?と、怪訝に思うことが多いのだ。
まあ、自分側こそが やってきたこと、企んでいることを、あべこべに、
相手側が やってきた、やっている、企んでいるに違いないと主張するのは、これも、被害意識の つよい「自己愛性人格障害」者などの一大特徴、常套手段の一つですけどな。
次は、
やらせ、じゃなくて河瀬カントクの、自分とこのスタッフに対する暴行が暴露されたに あたっての言い訳について。
はっきり言って、あくまで私個人的に、「安倍ポチ」の一員として、胡散臭い俗物のうちに入れている氏のことは、せめて、メディアに登場する頻度さえ少なければ、アベシのようにチョロチョロチョロチョロして、そのせいで、しまいに怒髪天になることもなく、単に、無関心なままで済んでいた対象なのだが。
引き起こした「暴行」についての彼女自身の釈明みたいなものの内容が、甚だ不審に思われたのに、これについても、コメント投稿に励んでいる連中のなかには見受けられなかったようなので、ヘンだなあ?と思ったしだい。
と言うのは、
河瀬氏は、何やら、非常に重たいカメラ機材を抱えての撮影中、ふと、手順が狂ったみたいなことで、当時、撮影スタッフの一人だった男性が、彼女のカメラ機材に付属の何かを引っ張って、間接的に軌道修正と言うのか、誘導と言うのか、そうやって、河瀬監督をサポートするべく図ったところが、予想外の裏目に出てしまい、河瀬氏の逆鱗に触れた かたちで、腹部を蹴られるに至ったという。それが切っ掛けで、くだんのスタッフたちは、『河瀬組』を去ったという話だったが、
それについての河瀬氏ご本人の言い分では、最初、彼女の体を直接に触れつつ誘導しようとしたものだから、なにしろ非常に重たい機材を抱えつつ、ギリギリのバランス状態で作業していたため、思わず反射的に、スタッフの足を蹴ってしまったのだとかいう説明だったようだ。
しかも、そのとき、たしか、エスカレーターの上に乗っている状態だったとかいうことも加えられていたと記憶している。
で、
この話を、誰も、素朴にヘンだなぁと思わなかったのかしらん?と。
だって、本当にギリギリ危ういバランスで作業していたのなら、おなか、いや、足もとだろうと、とっさに蹴る、なんて動作を とれるもんかしらね?
「いや!!ちょっ!ちょっと待った!!
今あぶないから!触らんといて!!」と叫ぶのが精いっぱいと違うかな??
そのあとに激怒したということなら、まあ理解できなくも ないんだけど。
現場に いなかった者には、全体に奇妙で、ようワカラン話。
個人的には興味も薄いから、この話題は、ここまで。
次は、メディアの記事の述べようについて。
たとえば、いわゆるデフレが、日本で長引き過ぎていること、この原因について、とうてい読む気もしないので、見出しか冒頭部分のみチラッと見ただけなのだが、どうやら、たぶん、われわれ一般の消費者を指して、「物価上昇をヘイトしている」と呼ぶ、どこぞの雑誌社の記事も あるようなのだが、
しかし、ここで「ヘイト」という言いかたを するのも、おかしいと思う。
だいたい、単純に安いのが好きな向きに負けず劣らず、「ぼったくり」級に無意味に高価なものも好きな日本人は少なくないんじゃなかろうか。
「物価上昇をヘイト」しているのが、一般消費者の傾向としてあると言いたいのなら、その根本には、やはり、一般労働者の賃金や可処分所得の低迷が続いていることから論じていなければ嘘だと思う。
アキンド、商人というものは基本的に自分の利益、儲けのことしか考えないからね。
そんなものをば、国家運営の基盤に置いていたら、やがての行く末はメチャクチャになるのが当然です。
まあ、『自民だっぴ党』は、あまりにも、商売界と癒着し続けてきたわな。
最後に、
「少子・高齢化」問題。
これも また、メディア記事、ネット投稿者ら共に、根本のところから目を逸らしているように思える。
なかには、やたらと、「子どもを産まないのが問題」、「持とうとしないのはケシカラン!」とか、
あげくは「独身税とれ!」みたいなメチャクチャを言う投稿も見かけるのだが、
現状、最も搾取されている存在であろうのは、子どもどころか、結婚する余裕もないほど低収入のまま、しかも劣悪な労働環境のなかで働いている人たちのはずだ。
これについても何度か指摘してきたのだが、
いまどき、子どもの一人や二人でも拵えようかと思えるのは、現代日本社会に おいては、比較的に生活の余裕が ある世帯じゃなかろうか。
もちろん、しょせんは中途半端な余裕でしかないのなら、家計が苦しいなかで育つ子どもも、かなり可哀そうかもしれないし、いっそ、自分たち夫婦の生活水準維持を最優先しようと判断する世帯も少なくないのだろうし、
しかしながら、
ちょっとくらい厳しめの節約を要することになっても、やっぱり親になり、子どもを持ちたいと思うのも自然の人情だろうし、伝統的価値観の一つには違いない。
なので、ほとんどの人々にとって、「人並み」の結婚も出産・子育ても、本来なら、自然の欲求のなかに含まれていたはずだろうにと思う。
ただ、
現代に おいては「先進国」を筆頭に、児童の労働が規制され、教育や医療・衛生の観点から、一般レベルと言えども、国家や社会から要請される水準が総じて高くなっていることが第一に挙げられる。
いわゆる発展途上国などでは、いまでも出生率が高いのだからということを理由に挙げる向きが多々あるけれど、これも、昔の日本と重なるところが複合的に あって、
わが国も含めた庶民階級では、「下手な鉄砲も数」じゃないけれど、
多く産んでも、まあまあ普通に育つのは一部だけだった、それは、貧しい家計を助けるためのダイレクトな労働力として期待され、でなければ、つまり、「跡取り」以外の子や、女子であったり、障碍者で あったりした場合は、幼いうちから丁稚奉公やら嫁に出され、あるいは障碍者専用の集団に加わらせたりと、「口減らし」を兼ねて、体よく追い出されてきた歴史が ある。
もちろん、そこには、これも定番のこと、現代の日本社会でさえも、俗に言う「甲斐性のない男」にほど、ありがちなパターンとして残っているのが、欲求不満を誤魔化せる娯楽の少なさゆえと、ある種の示威行動に準ずるが如きセックスゆえの、行き当たりバッタリな多産だ。
これも、何度か指摘してきたのだが、
日本列島に おいて、1億2千からの総人口が多いか少ないのかという議論は さておき、
根本的には、高齢者の生存年数の飛躍的な伸び そのものよりも、
出生数および若年層とのバランスの悪さが問題のはずだ。
まあ、私個人は、はやくも学校時分から、子どもを持ちたくない、というよりは、自分は親にならないほうが よいだろうという判断を していて、その幾つかの理由は、過去エントリーで述べてきているわけだが、
近頃では、それらのことに加えて、
やっぱり、この国の激甚災害への不安が大きくなっている。
もしも、いま、私自身が、出産可能な年齢と健康状態だったとしても、
もはや最大の理由は、自分の足もとで、あの『阪神』や『東北』で勃発した規模の大災害、いや、それ以上のものが、いつ起きるかもしれないという不安のなかでは、もう それだけで、二の足を踏みたくもなる。
それでも敢えて、子を産み落とすと決心したものなら(もっとも、ほとんどの人は、「決心」とも言わない、アタリマエに近い軽い気持ちでホイホイ産むものなんだろうけどw)、
わが子には、将来、できるだけ若いうちから、海外の どこででも生活していけるだけのスキルを身に付けるよう、親として、可能なかぎり協力してやりたいと考えるし、
子ども自身が理解できる年齢になれば、そのスキルを常に念頭に置いて学んでいくように言い聞かせるだろうと思う。
結局、そのためにも、親側の資力が、ある程度なりに必要なわけだ。
しかも、むずかしい障碍などを背負わずに出生し、せめて人並みの能力と健康体で生育していけることが、実際には大前提となるだろうから、やっぱり、「賭け」でしかない。
そして、
わが子を、「賭け」で儲けたくは ないなあという個人的本音も ある。。。
しんどいので、きょうは ここで。
2022.04.23 (Sat)
『「マッチポンプー朕」~個人独裁国家と『アメリカ』』の続き。
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「思い出すことがある。私が2014年にアフリカのルワンダを訪れたときのことだ。同国は中国から巨額の開発援助を受けており、現地では現場監督を含め大勢の中国人が建設現場で働いていた。私が現地のルワンダ人に「大量進出する中国企業に脅威を感じないか?」と聞くと、こんな返事があった。 『武力でわれわれを植民地支配した(欧米の)ベルギーより、経済進出で金をばらまく中国のほうが、ずっとましだ』」~
それも また、目先しか見てない、ずいぶん甘い考えだと思うけどね。
かつての日本も、いまの中国と似たようなことをバンバンやってきたわけだけど、ただ、それは、わりと単純な目的だったろうし、その点では、もっともっと底深いところを、中国は狙ってやってるだろうとは思う。
~
「世界は自由と民主主義の価値観を共有する欧米と中露などの独裁国の冷戦時代に入ったとする論調が多いが、冷戦後の欧米中心主義の秩序を固守する勢力、中露などの独裁大国の勢力、そして、そのどちらにも与(くみ)しない勢力の3つに割れているという見方もできる。 世界が二分されるという単純な議論に乗ってアメリカに追従するだけでは道を誤る。冷静に新興国や途上国の言い分に耳を傾け、日本独自の外交ポジションを構築すべきだろう」~
ところがですね、
「新興国」や「発展途上国」ってのは、現状の『ロシア』『中国』『北朝鮮』と同様、専制的あるいは個人独裁国家が やたらと多いよね。
で、そういう国は、そういう国どうしで、お互い不干渉で参りましょうやと、
そこには、自分たちの独裁を継続することを第一にした思惑が あろう。
相手の専制や独裁には無関心な代わりに、自分とこの専制や独裁も、目を瞑っててもらう。
全体的に、政治への国民の関心も低くは なく、つまり、日本人のように諦めては いないように見えるし、任期を明確に定め、選挙制度も機能し続けているようだと思しいアメリカの場合、大統領が、個人としての、また、長期にわたる独裁政治を行なっていた時代ってのは、あったのかな?
私が知るかぎりで、
少なくとも、それを目論み、実行しようとしたのは、トランプ氏(及び、彼の家族)くらいだろうと思う。
『北朝鮮』の「金王朝」や「プーチンのロシア」のように、「トランプ王朝」を打ち立てたかったんでしょうかね。
で、私も、過去エントリーにて、トランプ政権が発足した当時、
彼とロシアとの あいだに、いったい何が あったんだろうか?
と、非常に訝しく思っていることを述べておいたのだが、
最近になって、フランスの「極右」政党の党首が、ロシアに、大金を借りていたとかいう記事を目にして、
ああ、これかな?トランプ氏の抱える事情も、と思った。
何らかの弱みを握られているようだとは察していたけど。
とにかく、「力で現状変更」が許し難いのも そうだろうが、時代錯誤はマッピラ。
たとえば『イスラム』原理主義とか過激派の主張するところを、「わが国では」こう、これが伝統なの、と唱えられても、そんなもん、まっぴらだ。
ああいう主義主張が、およそ人間にとって正しく真っ当なものであるなら、
「マッチョ」信奉の男どもだけでなく、ほとんどの女性たちにも妥当性が あるものなら、
なぜ、あれほどの性暴力が頻々と起き、女性の人権を侵害することに対するデモや抗議が続いているのだろうか。
言って悪いかもしれないが、現状では、全体的に、けっして知性や教育レベルが高いとは言い難いような国の女性たちがだ。
彼女たちの あげる瞋恚の声を、他国人の私らは、ただ無視していれば いいのだろうか。
やはり、女性は人間のうちに入れていない?
だったら、むろんマッピラだよ。
もう一度、言ってあげようか。
戦争が、少なくとも、大規模な戦争が起きないようにする方法とは。
戦争と性犯罪がセットで脳に組み込まれてる男が いなくなることよ!w
「人類が学ばない」のでは ない、男には学べないの。
本能的に組み込まれてるから。男の脳みそには。だから繰り返す。
そして、
いろんな「文明の利器」たるものは、戦争が最も多くを産み出したでしょう。
で、その「文明の利器」によって、人類全体が困ったことにも なってる しまつ。
あと、付け加えておくのは、
まさに「終わってる人」アベシの ご意見お説なんかを、なぜ、『毎日新聞』などの大手新聞社が取りあげてやってるのかね。
やっとかめ、あの政権が倒れてくれたと思いきや、意地になって着用し続けた「アベノマスク」を、ふつうのマスクに取り替えると同時に、
ほとぼり冷めました~と言わんばかりに、チョロチョロチョロチョロしてる。
あの顔、見るのも厭だ。
軽薄を象徴したような声も しゃべりかたも、ひたすら嫌悪が募る。
私が、安倍晋三という個人からして大っ嫌いな理由はね、
ここでは第一の理由だけを述べるとすると、
国家権力を駆使してまで、弱い者苛めを するからです。
そして、
それは正しいことだと、
なぜ、正しいと信じるのかというと、
あくまで自分個人の利益になることは正しいことだと疑いもなく、幼児的素直さで信じているからだ。
プーチンに対する憧憬とシンパシーを抑えきれずに、チョーシこいたことを言うわけよ。
あのチョーシじゃ、もし、プーチンのロシアが、ウクライナを たちどころに制圧・掌握していたものなら、今ごろは、何を口走ったやら、知れたもんじゃない。
ロシアでも中国でも北朝鮮でも、アベシと共通していること、
それは、ごく一部の「オトモダチ」以外は、自国民であっても
「こんな人たち」
と敵視し、排除する。
こんなの、政治家としても論外でしょ。
あーやだやだ。