忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42
Updated   
2023.01.10 (Tue)

今年の抱負(?)その他の雑感の続き。

 

最後に、やっぱり政治の問題を。

ところで、

一般的に男性ってさあ、何かにつけて、女性を支配したがる傾向なのは古今東西あきらかだけど、その反面、気のつよい女性の言いなりになって満足してるケースも世のなか多いじゃん?w

まあ、なんせ母親という存在が異性だからこそ、いっそう複雑な心理になるんだろうけど、

むかしから私の見るところ、男性は、いわゆる悪女タイプが好きよねえw

要はラクだからよね。

自分のアタマで考えて判断する必要なく、放棄してハイハイと、支配欲の旺盛な誰かに寄っかかっていられるなら。

 

さて、ちょっと言っときますが、

世に言う「新興宗教」とかは、大概が胡散臭いを通り越して犯罪レベルの問題を起こしてきたことは多々知られているけれど、
もちろん、古い宗教だって、問題は多い。単に、長~い年数が経ってる おかげで、ウヤムヤになっていたり、てい良く隠されてきただけのことだろう。

 

去年、安倍氏射殺事件とともに、「宗教」を名乗るカルト団体との癒着が明るみに出た おりの当ブログ過去エントリーで、私は、いかがわしい宗教などに易々と引っ掛かってしまう人の背景事情のことについても少々触れておいたのだが、なかでも、ハッキリ指摘できることの一つが、

自分の子が何らかの障碍者であることを、どうしようもなく忌むタイプの人、特に、産んだ母親に、その傾向が顕著であると見受けること。

 

うちの母親は辛うじて、特定の宗教などに のめり込むことは なかったのだが、それも、娘である私の障碍が、誰の目にも あきらかに分かるほど重度では なかったことを利用しており、しかも、原因が、そもそもは自分に あったことも隠しとおしたかったからでも あったろうゆえ、あくまで私自身の「自己責任」「努力」しだいなのだと決めつけて、受験だろうが就活だろうが何だろうが、本当のことは言うな!とにかく誤魔化せ!と、頑強に主張し続けた。

その言いなりになっていた子である私もアホだったが、

父親に対する反感も影響していたので、ほぼ完全に信用していた母親の言うとおりにすれば するほど、やっぱり、現実との乖離に苦しむことが積み重なっていった。

そのことを少しだけ吐露した相手の、近所の幼なじみのとこの おばさんだけだった、

「奥さん、□※ちゃん(←私)が可哀そうよ?」

と、
あのプライドの権化みたいな うちの母親に向かって、ズバリと忠告してくれたのは。

 

他の周囲の者たちは全員、私の苦しみに無頓着で、
異常なほど気の つよい母親の言うことを正しい、としていた。

 

でね、

「ヤフゴミん」の連中にも言っとくよ。

「生活保護スレスレの苦しい生活なのに、自分たちは救われない!」と、さも、くやし気に言い募るオマエさんらに、私は一言、聞きたいのよ。

「おたく、持病とか障碍は負っているの?」

とね。

そうじゃないなら、病気も障碍もなく、ふつうのカラダと体力に恵まれているのなら、
「生活保護スレスレ」である不満や怒りについては、おそらくオマエさんらが支持しているのであろう『自民党=ダッピ統一壺売国党』や「ゆ党」の主張どおりのコトバで返せるのよ。すなわち、

「自分の努力不足でしょ」「おのれの無能さを恨みなさい」

とね()

 

 

故 安倍氏ならびに『自民党=ダッピ統一壺売国党』と『世界平和統一』なんちゃら(旧名)『統一教会』など、いかがわしい宗教団体との癒着も、暴力団(在日韓国・朝鮮人多数よね?w)と同様に、むかしから指摘されては いた。

 

かつて、このことでも大失敗している歴史を持つ日本に おいて、「政教分離」というものは、もちろん、こんにちの憲法のうちに含まれており、いずれにせよ、国家権力に対する縛り」なのであるが、

最近、私は、国家権力の側のみでなく、そこに向かって はたらきかける宗教団体に対しても縛りが必要なのでは なかろうかと考えるようになった。

なぜなら、

ある「宗教」団体にとっては都合のいい主張を「教義」として掲げ、その組織力をもって(しかも、それを撥ね返すだけの力を、有権者みずからが放棄している体たらくの日本だ)、政治の中枢や国家の権力に喰い込ませた結果、そこの信者でもないまったくの部外者である国民の多数が、納得なんぞ できないし、あきらかに間違ってるし、理不尽だとすら思うほど酷いにも かかわらず、その団体の主張する「教義」、それが、
われわれ一般の国民が知らないうちに社会の現実と化してしまっていて、小さからぬ不審や疑念を感じつつも、しぶしぶ、あるいは否応もなく従わせられる状況になっていた、

こんな事態が ありうるのだということが、安倍氏射殺事件を切っ掛けに、白日のもとに曝け出されたからである。

だから、去年の当ブログ過去エントリーで、もはや「自己責任の範疇を超えてしまっているぞ」と、指摘したわけ。

 

ほんとうに、民主主義という制度は、有権者の知的レベルを厳しく問う。

 

リッパな先進国の一員であり、超高学歴社会にも なって久しいはずの日本で、相変わらず、有権者としての意識も知性も磨かれぬまま、どんどん堕ちていってる、この国の社会。

 

近頃の私は、ますます、何を言うのもダルくなってきている。

 

有権者がアホだと、政治も、それ以上に新聞社などのメディアも、一斉にバカになるんだよ。

 

せめて、若い層にシッカリしてもらって、、、と、つい望んでしまうところだが、どっこい、こちらでも、「老害」に負けてないアホも多いみたいだなと思えてしまうし(嘆息)

まあ、若いということは、経験や体験の引き出しが少ないゆえ、思考が浅いのも仕方ないのが現実か。

 

ますます、自分に子や孫が なくてヨカッタと思えてくる。

もっとも、いたとしても、やっぱり、国外に出て生活していけるだけの力を身につけろと言い聞かせるだろうなあ、たぶん。
なんと言っても、遠からず、また大災害が やってくること必定の国土だしね。

 

 

最後に、『成人式』だか何だかワカランくなった式典のことを。

もう、必要ないがなと思うんやけど。税金つかってケッタイな行事は。

18歳だか二十歳なんだか、どっちやねんと言いたくなるほど、ややこしくなってしまったし、相変わらず、バカ造が、自分のためのオンステージとカン違いするだけで、これという意義に乏しい感じしか残らん。

 

女の子たちの和服姿の画像もチラッと見たけど、かつてのブームだった「大正ロマン」とか称していた、なんだか ばばっちい色柄から、最近は、また、古典柄っぽいのに近い方向へ戻ってきたのかなと思いつつ、色めのほうは相変わらずのケバケバしい下品さ。
こんなんが良いと思うんかねえ、近頃の女性の大多数は。

うちは、私が子どもの頃から、京都の呉服屋さんの出入りが あったので、いわゆる「はんなり」したものに魅かれるからでもあるだろうけど。

 

しかも、
あれじゃ、衣紋ぬき過ぎに近いやろ。水商売の年増じゃあるまいし。

せっかく若い娘の清純さも台無しやん。

母親なり着付けの美容師さんなり、周囲が教えてあげへんのかいな、いまどきは。

自分の娘だったら、
「そんな、品もコケラもないようなカッコ、やめときぃや!」
と、ガミガミ言ってしまいそうだわ。。。(苦笑)

 

 

PR
Updated   
2022.12.23 (Fri)

ちょと言っとかないと、かなの続き。

 

先のエントリーでは、ま、多少の極論めいたことも口走ったが、

さしづめ、「同性婚なんてキモチ悪い」云々と言い放ったオッサンなんぞは、どんなに高価なものを山と積まれて頼まれたとしても、ふるふる厭なタイプ、こういう男や人と、何を話そうがツマランし、ひどくタイクツするだろうなとしか予想できない。

 

私が出会ってきた男たち、そこに、うちの父なんかも含めると、
女性である汀さんのほうが、よっぽど「男らしく」って凛々しくて、真面目で誠実で、根性あるなあと思えるわけよ。
実際に接したことすらないけれど、少なくとも、そのようには見えちゃう。

これまでに、私としては珍しくも心底からマジで好きになった男性ですら(残念ながら既婚者だった)、もし、結婚なり、一緒になろうとかいう話になったら、けっこう長期間に わたってグズグズためらってしまったりするかもと思ってきたのが正直なところだけれど、それじゃダメなんでしょうね、実際、周囲からも、そう言われたよ、自分のなかでは、あまり納得は してなかったけど(苦笑)

 

言ってしまえば、

「男の人と生活するのって、なんかウザそう」

というのが拭えなかったんだけどw

私の場合、父親で苦労したことが第一原因になってると思う。

 

これも、自分の姉と同じく、離婚の修羅場を経験している叔母なんかには、

「それでも、結婚すると、なぜか、気持ちがグッと落ち着くもんなのよ」

って、

だから、あんたも、いいかげん、結婚する方向へ本気出しなさいよ、と いう お説教も されたけど。

それが、20歳代の後半頃。

まあ、この国では、30歳代に差しかかると、コロッと風向きが変わるからね。

私は、「仕事一筋」で行けるなら、それも結構じゃないかとも思ってたし。

 

ところが。

汀さんとなら、いまからでも、ほいほい結婚したいくらいなのよemoji()
いや、フザケてないよ、本気だわよ本気。emoji

そうして、グッーと落ち着いた心境になりたいもんですわw

もう迷うことは ないんだものww

 

ああー、これじゃあ、男たちの出る幕が ないwww

 

 

それは そうと、

『宝塚歌劇団』の音楽学校に入学する前の頃の汀さん(15歳ごろ?のジュンコさん)と御母堂、お二人ならんでいる お写真を、テレビ番組の なかでだったか、拝見したのだけど、
まあー、そっくりなのねえ、汀さんの おかあさん。

それを見て思ったの、

「ということはや、おかあさんが『宝塚』に入団して、男役スターに ならはったとしても、全然ありうるわけか!」()

 

 

何年前かに見かけた記事で、たしか、『宝塚歌劇団』の「男役」OGさん数人だったと記憶するが、その人たちが、ダンス(ソーシァル ダンス?みたいなん)の お相手を つとめてくれるという特別イベントで、それの参加希望を受け付けているというふうな内容だった。

私もさぁ、鳳 蘭さんとか瀬戸内美也さんとか、もちろん、汀 夏子さんに、ダンスの お相手を していただけるとなったらば、嬉しハズカシながら、めいっぱいのオシャレして参加したいもんだと思っちゃうだろうけどw

なんせホラ、杖の検討が必要かなぁ;というほどの腰痛でしょ、
これじゃ、踊るどころじゃないよ、とほほ。

最近は、バレエ ストレッチでさえ、ほとんどのメソッドを中止してるのに。

汀さんだって、若い頃の苦労のせいか、膝とかが痛いと おっしゃってたからね、汀さんよりも大柄な者を支える余力なんて残ってないでしょうし、だいたい、彼女たちは、私よりも、ずっと年上ですからね、その年上の方々から、

「腰は どないです?だいじょうぶかい?」

なんて、いたわられながらヨロヨロ踊るなんて、ありえねーでしょw
しくしくemoji

 

 

もともと、痛みが出やすい右側を庇っていると、そのうちに左側へ来る。なので、今度は左側を庇っていると、また右側に戻る、その繰り返しの あげく、両側いっぺんに来たー;emojiてな事態になったら、いよいよ万事休すだわ~emojiと、すごく焦ったけど、

まあまあ、おかげさまで、だいぶ、よくなりました。

ただ、ぶりかえしやすい持病なのだから、今後も油断しちゃいけないのよね。しくしくemoji

 

 

というわけで()

日本政府!

犯罪行為なんかじゃないんだからさ、とっとと同性結婚を認めなさいよ!!と、言いたい。

根本のところで、あたかも『イスラム原理主義』みたいな国だわよ、この国は相変わらず。

 

 

「自由」とか「選択の自由」だとかいうのは、とことん突き詰めていけば、はたして、そんなものが本当に あり得るのやら、いろいろ怪しくなってくるような難しいものを孕んでいる。

 

それでも。

人生のパートナー、結婚、子を儲けることなどについて、そして、親らが勝手に付ける名前ですらも、個々人に選択する自由が本来あるはずでなければ ならない。

 

国家の権力筋が どう決めつけようと、人の心を永遠と縛りつけておれると思ったら大間違い。

それこそが、自然界の摂理に反しているのよ。

 

選択の自由なんぞ不要だ無用だ、奪っておけば いいのだ、与えるべからず、知らしむべからずなどと思う者たち、そのように思っているのは誰で、何故なのか。

 

そんなの当然で、アタリマエのことだと思えている者は何故なのか。

 

感じて、考える人間は抵抗する。

できなくなったら、それは、すでに死んでいること。

 

 

Updated   
2022.12.21 (Wed)

前々から思っていたことを。

それは、「同性カップルは非生産的」云々とかいう決めつけについてである。

いったい何をもって「非生産的」などと思うのかワカランのだが、
たぶん、まずは子どもが できないでは ないかということを言いたいのかな?と。

ならば、それは的外れ。

いちおうは一般的な男女の組み合わせで あっても、できない場合は できない。

むろん、昔から ままあることだし(このことを考えるにつけても、安倍もと首相夫妻の典型的ケースを思い出し、彼らの側の主張・スタンスとの現実的矛盾と、どうしようもない滑稽さを感じることを禁じえないものが ある)、それこそ、「借り腹」なる考えかたや対処の方法が存在した陰では、女性たちの屈辱や苦難も多々伝わっている。

同時に、

養子を迎えるという対処も、大昔から多々見られた方法で、子が できない母方の伯母夫婦の跡取りとして養子となったことを、幼い時分には知らずに育ったという、うちの親父も、その一人だった。

さて、この方法なら、異性だろうが同性だろうが同じなわけで、
子を持てないから非生産的、というリクツは成り立たない。

生殖分野の医学が発展した現代では、なんなら、昔の「借り腹」に替えて、それこそ「借り精子」でもって、女性どうしで、子を持つことも可能だ。

 

私なんかは、自分自身の!遺伝子!などということに固執する気がサラサラないので、異性であれ同性であれ、ほんとうに惚れた相手の遺伝子を受け継いでいる子を、自分自身で産めるのならば、もう それだけで単純に嬉しいんじゃないのと思える。少なくとも、「あなたの子よ♡」なんて言えちゃうシアワセ(笑)

 

もっとも、私の実際は、病気のために産めない身となってしまっているし、もし、病気でなくっても、どうやら、そもそも、妊娠・出産に耐え得る体質じゃなさそうな生まれつきでは あるのだけれど。

 

あるいは、

「同性結婚を認めるにせよ、その前に、いろんな問題点を議論してからだ」などと、尤もらしいことを言いつつ、その実は、まぎれもない偏見と差別がアカラサマになっていることに自覚が ない連中も いる。

 

だって、男女の組み合わせでもと言うか、男女間のほうが、古今東西、よっぽどトラブルだらけなのが現実でしょうにw

むしろ、子どもが できるからこそ、深く拗れたり、ど修羅場にも なりがちだったのは明らかでしょ。

どう転んでも、
異性どうしだから、同性どうしだから、それゆえに、と言うべき問題は関係ないのよ。

 

ましてや、あほウヨ系が よく言い募る、

「同性カップルが増えてしまったら どうするんだ!」

という主張、これを目にするたびに、

「杞憂とかいうよりもな、こやつら、もうちょっとは科学的に考える能がないのか」

と、呆れてしまう。

 

一般的、通常的の異性どうしの組み合わせ、そうでないことには、子を儲けることが不可能であるのは自然・当然のことだった。たしかに、現代に おいても依然として最も多いパターンの組み合わせである。
同性どうしの組み合わせは相変わらずマイノリティであり、これが大逆転してマジョリティ化することは、今後も、おそらく、あり得ないだろう。それが自然の摂理としての少なくとも現行システムだからだ。

だが、基本から外れたように見える少数は、一定の割合で、必ず出現する。これ自体も また、自然の摂理として現れる。

バカなウヨ系は、何を考えるにしても、根本のところや本質を見ることが ないから、ほんとうにトンチンカンなことばかり言う。

 

だいいち、原初の摂理に おいては、「異性」などという存在は なかったのだ。

 

もしかしたら、いつかは、「男性」なる存在が なかった頃へと戻っていき、全く「自分だけの子」を産んでいたようなシステムに返ることが ありうるかもしれないのだが、

そもそも、男性というものを出現させたのは誰だったのか。

 

女性のなかに男性が あり、男性のなかにも女性が含まれる。

 

あ、それと、

同性婚は「キモチ悪い」などと言い放ってたらしい『自民党=じみんダッピ統一壺売国党』の地方議員も いたようだが、このオッサンにも一言。

「あたま・性格・容姿、ものの みごとに三拍子そろって醜悪、拾えそうなところが全く見当たらないオマエさんのごとき存在が、仮にも『議員』で いられるということのほうが、よっぽどキモチ悪い!!ってのemoji

 

 

ところで、

きょうは、汀 夏子さんがお生まれあそばした日だそうな。

彼女のバースデイの数字は、私のと、フシギなほど重なっていて、それを知ったときは嬉しくも少し驚いたものの、しかし、こういうことも また、なぜだか、私には わりと多く見られる現象なのです。

ともあれ、

いよいよ「後期高齢者」になられるとは(ご本人は、言わないで!!と おっしゃってたようなのに、ごめんなさーい;苦笑)、過去の動画を拝見するたび、私も、信じられない思いになってしまう。

時の流れが。。。だんだん速さを増していく、時の流れ。。。

そして、

アタシだって!わりと近頃まで!?w
ポニーテールの女子高生 だった、はずなんだよぉ~!!
と、叫びたくなるww

 

でも、お互いが、どんなに おばあちゃんになっても、愛しておりますemoji

 

汀さんの周囲を幾重にも とりかこみ、同様の思いを共有してこられた熱烈なファンの かたがたの、はるか後方の物陰から見つめるわれと わが腰を さすりつつ、そっと、そ~っと、せつなる願いを私も また捧げておりますのでございます

どうか健康第一にemojiどうか、おすこやかにemojiと。

 

いやぁ しかし、以前も言ったようにサ、こんなことが起きるんだなあと、いまだに驚きを引きずってますわ。

このトシになった自分よりも、ずっと年上の、しかも同性に惚れちゃうなんてことが あるんだぁ~emojiと。

心底ビックリした。高校時代の友人が、いちばん驚くだろなあ。

 

すごいじゃ~ん、汀さんのチカラ。

いまでも「釣れた」んだからね!私を。

ほんの数ヵ月前まで、『宝塚』や「男役」に何の興味も なかった私を。

 

興味なかった理由は、過去エントリーでも述べたように、子ども時分、それこそ「男役」に対する違和感を真っ先に感じたからなのだが、

どうも汀さんは、いかにも『宝塚』的な「男役」さんたちとは、外見からしてが、どこか ちょっと異質なのよね。それゆえ、汀さんに対しては、こんな私でも、他の男役さんに覚えがちな違和感が薄いのかなと思う。

 

まあ、私が、同性に恋愛感情を持つ場合には、男性的とかボーイッシュなタイプよりも、むしろ、女らしいという以上に女っぽいタイプが、もともとの好みの傾向だからということも あるのかも?だけど、
汀さんって、素顔では、本来、ふつうに可愛い女の子らしさを持っていたでしょう。

ところが、「女性に戻っている」ときのほうが、みょうに意識して、なんか緊張すら してるみたいな感じを受けるのよね、当の御本人自身が。
ひょっとして職業病?(笑)

なんともフシギな話だけどね。

実際、ステージに立っておられるときと、それ以外のときのギャップが、思わずビックリするほど大きいもん。このギャップの大きさは、人を飽きさせない、目を離せなくするのよね。いつ見ても、いつも、どこかが、前とは なんとなく違ってるフシギ(笑)

 

ほんの15、6歳から、ぜったいコレやりたいんだ!!と、脇目も ふらずに突き進み、しかも、その道が、前代未聞級に大当たりしたのだから、まさに、この「天職」をば手離すものか!って なるわよね。なかなか、一般的に、そうそう ないことだと思う。

大多数の人は、たいして好きでもないし、気が乗らないどころか、どっちかと言うと、きらいなことであってさえも、しぶしぶ妥協しながら、どうにか折り合いを つけながら生活してるものだろうし。

 

スター性ゆたかな人の共通点として、サービス精神の旺盛さという面も大きいと思うけど、そういう、一種の「律義」さでもって、ファンたちの期待を あまさずに応えようと一所懸命なのだから、女の子たちは感激して喜ぶ。なにしろ、世の多くの女性たちを喜ばせ、たちまち夢中にさせるパワーが あるのだから、しかも、これ、個人的魅力も さりながら、なによりも、プロとしての お仕事なわけですからね、これは もう、殆どの男性にとって、羨ましき、あらまほしき、「目指す理想」のうちでも あるはずでしょう。

「はり合う」立場になりかねないw男性から見てさえも、こういう律義さ、健気さってものは、みずからも、このようで ありたいという、そこのところで、「意気に感ず」というふうな、グッとくる共感をも覚えるのでは ないだろうかと。

 

そうして、汀さんも また、彼女にしか できない「スタイル」というものを、若いうちから探し当てていき、築きあげてこられた。

いかに「男っぽく」見えるのか どうかなんて、もはや、どうでもイイことね。
その人の醸し出す、滲み出る持ち味だわ。

 

もっと早く出会えていたらな~と思う反面で、

高校時代のクラスメートに、
「ねえねえ、汀 夏子って知ってる?」
と、話しかけられたとき、
「え?ミウラって誰??」
と聞き返して、「あ、ええわ」と、ソッポ向かれた あの頃。

友人は、私がノッてきたなら即、「いっしょに『宝塚』見に行かへん?」と、誘うつもりだったんだろう。

でも、友人は、裕福な家の娘だったけど、私には、公演のチケット代も、電車を乗り継いで通う余裕も ない。ましてや、貢ぐプレゼントも できやしない。

せいぜい、あの友人に託して、ラヴレターemoji届けてもらうくらいしか。。。(苦笑)

もし、なんとか工面して通ったとしても、

「おまえはぁ、、、!emoji『宝塚』より、ガッコの勉強せんかー!!emoji

と、親に どやしつけられて、苦しんだろうと思うの。

 

20代の頃、シナリオ作家の道に進もうかなぁと思ってたことも あって、
その頃に、汀さんのファンになっていたならば、筆を折らずに、汀さんのためのシナリオを捧げたかもね。

「外に出る」という言いかたを するみたいだけど、退団してしまえば、一般の芸能界のなかに おいても貫き通したいと、汀さんが つよく思い続けた「男役」のニーズって、なかなか、やはり、どうしても難しいでしょうから。

【続く】

 

Updated   
2022.12.12 (Mon)

ひょっとすると、私が政治やったほうが、だいぶマシちゃうか?emojiと、
かなりマジで思えるようになった近年。

 

最近も、例の『()統一教会』によって巻きあげられていた巨額の資金が、あちこちマネーロンダリングを経て、『北朝鮮』に流し込まれていたということが、『ペンタゴン』の情報資料から発覚したとか報じられていたが、まあ、私も以前から薄々そんなところじゃないかと感じていたことを、過去エントリーで指摘していることもあって、まさに、それほどには驚かなくなってしまっているのだが、

ここで、あらためて呆れ果てつつ思い出したのは、

安倍政権のときに、やたら増えだした北朝鮮からの「ミサイル」が発射されたら、頭かかえて即うずくまれ!という指令。

みなさん、お忘れでしょうか?

「戦前・戦中に戻すべき」と信じる『日本会議』系や、それを後ろ盾としていた安倍氏らが、なんとも嬉しそうに、タイコを叩き鳴らさんばかりに、われわれ一般国民を嗾けていたこと。

 

あれを、なんともナサケナイことよと、安倍氏と その政権、それに盲目的に従っている人々を、つよく批判した一部の識者なども見られたが、あの号令に、おとなしく従い、あたかも「戦時訓練」を素直に実行していた地方民たちも いたよねw

まさかだろうけど、あの人たち、いまでも実行しとるんかの??

 

 

さて、国内に限らず、国外を眺めてみても、たった一人の突出したバカが のさばってきて、大多数のアホの頭上に攀じ登り、手に入れた権力を暴発させては、くっっっだらないことに、貴重な資源や人命を、延々、湯水のごとく費やすことになる。

 

 

最近のニュースで、出産費用の援助一時金とかの額を8万円だか上げることにした、ということだったが、これについても、やっぱり、ぶうぶう言う声が聞こえてくる。

まあ、私自身も以前から指摘しているように、いまどきの日本社会で、子どもの二人や三人を儲けられるということ自体、それなりに安定した家計で、あるていどの余裕が見込めるからこそだろうというのは、一部を除いて、概ね当たっているはずだ。

もっと余裕が ない層は、そもそも、結婚にも至れないでいるというのだから、たしかに、出産費用をナンボ上積みしたところで、深刻な「少子化」問題の解決には程遠い、と言うよりも、はなはだズレている。

つまり、根本の解決には、とうてい、なり得ないわけだが、

ここで、再び、比較する対象を間違えていると言うか、アタマが悪すぎと言うか、判断を根本から誤っていることの典型的愚衆の声が、「非課税世帯」への5万円給付と並べて批判している連中の あいだから聞こえてくるわけである。

 

昨今の、ほぼ全ての面での値上げにより、ただでさえ、食費や光熱費を削りに削ってきている世帯に対して、数万円程度の給付金は、それこそ「焼け石の水」に等しい。

これとても、根本の問題解決になり得ないことは同じなのだが、

やはり、出産援助金額を上げることと同列に並べて批判するのは大いに間違ってるよ。

 

出産当事者たち自身がボヤいているように、出産時よりも、その先が長いのだということを考えてもらいたいという意見も尤もな話だし、

光熱費や食費さえも大幅に削減しなければ ならないほどに、ふつうのレベルの生活が逼迫している層が増えてしまってることの深刻な問題も、いずれにせよ、根本的なところを見て、有効策を打っていかなければ ならないことは同じなのだが、
それでも、さしあたっての喫緊度は大きく異なるからだ。

 

もう一人くらいは産めそうだ、なんとか育てられそうだと踏んでいるからこそ、子を儲けることを実行できる人たちと、
あすの光熱費や食費に窮している人たちの生活喫緊度が同じなわけが ない。

そういうところを履き違えて、ブーブー言う手合いの相変わらず多いことよ。

日本人って、こんなにバカが多かったのかと、これで何度あきれたことだろうか。

 

いまだに、せいぜい2、3割の『自民党=本名:だっぴ統一壺売国党』の積極的支持者(その内訳は、多くが『日本会議』シンパと()『統一教会』信者)連中の したいようにさせていて、何も分からないアホのまま、選挙にすら行こうとしない、大多数の有権者。

終わってるやろ。

 

ちなみに、今度は『毎日新聞』が やり始めたな。

どこぞの大きな有名神社が、障碍者の仕事を用意して云々とかいう。

自身も障碍を抱えている私は、先日も指摘しておいたように、そういうキレイごとの裏の、『日本会議』『神社本庁・神社庁』などの思惑を察しているから、こんな記事には一切、鼻も引っ掛けない。

 

「はずされて」怒っているという高市アネゴさんも そうだが、

「防衛費」のための増税ね。

これ、安倍政権のブチアゲだったなら、高市さんも大いに擁護・賛同したんじゃないのかしら?()

 

 

あ、それと、宮台氏が襲撃された事件。

ぜったいに、犯人を見つけだしてもらわなければ ならないんだけれど、いまのところ、進展が ないということらしい。

私も、一報を聞いたときは驚き、かつ、ハラハラしたが、辛うじて、致命的なことは免れたのが、せめてもの幸いだった。その おかげも あってか、えらく早々の退院と(まあ、たとえば全身麻酔で開腹手術したとしても、だいたい1週間で退院させられた経験は、私自身にも あるけれど)、お仕事再開の宣言会見に臨まれていたのを拝見し、この際、もう少し ゆっくり養生されたほうが いいんじゃないのぉ?と、これは これで、またハラハラしたが、
いや、しかし、

例えはヘンかもしれないが、
要するに、いわゆるレイプ被害と同じことなんだよね。

こういう類の犯罪被害に遭った人には、それを機に、それまでと明らかに異なることは、可能なかぎり、しないほうが よくて、できるだけ、もとの通常生活に戻っていくことが、メンタルの面でも望ましいそうだから。

「負けへんでー!!」というファイトのコトアゲは、むしろ大事なのかもと考えなおした しだい。

 

ただ、入院中の食事のことについても、宮台氏は少々不満の旨を洩らしておられたが、それを聞いたときだけは、私は思わず、「ぜいたく言うんじゃありませんよ!」とムッと来たw

私自身も入院生活を一度ならず体験してるけど、出された食事についてだけは、ガッカリしたり不満に思ったことは、せいぜい一度くらいしかない。

それは、過去エントリーでも述べたことが あったと思うけど、
初めて入院した二十歳代のときで、
一晩じゅう断末魔の苦しみに のたうち、息絶え絶えの ていで、何度も親に訴えて、やっと、未明になってから、救急車を呼んでくれたときの経緯だけど、
(ちなみに、あの頃でも、時間帯を慮ってか、住宅街のなかでは、サイレンを止めてたようだったよ。広い道路に出てから鳴らし始めていた。)
このときの、毎度の、うちの親のエゴ パターンだか何なのだか知らんけど、対処が冷酷で後手後手だったゆえ、たまたま宿直に当たっておられた院長先生が、極太の注射をソッコー、私の太腿の つけ根に打ったあと、「連れて来るのが もう少し遅かったら、死んでたよ!」と、うちの親を厳しく叱ったということだった。

 

その直後から、これまた痛いうえ恥ずかしい検査が相次ぎ、ここでは、出血の酷さに驚いた医師が二人がかりながら、処置に手こずり、看護婦さんを、モタモタするな!と叱りつけていたのもウッスラ憶えているのだが、

病室のベッドに おさまった その日は、ひたすら点滴に次ぐ点滴、また点滴で、やっと、食事の膳が運ばれてきたのは、夕食のとき。

さすがに、地獄さながらの苦痛は、緊急治療と多量の点滴の おかげによって薄れていたのと、数日前からの食事不能で、少し空腹感は覚えていたので、目の前に運ばれてきた食膳の お椀が三つ並んでいるのを見て、いそいそと箸を取り、食事に とりかかった。

何十年たっても、いまだに忘れもせんわ、

最初に、中くらいの大きさの椀の蓋を あけてみたら、それは、薄味の お吸い物だったのだが、驚いたことに、具はナシ。

次に、いちばん大きい椀の蓋を あけたら、それは、米粒一つも見当たらない、うす~い薄~い「おも湯」であった。

もしや もしやと思いつつ、最後に、いちばん小さな椀の蓋を取ってみたら、オレンジ ジュースか何かの飲み物だった。

 

結局、三つの椀の蓋を取り終わってみて、あらためてビックリしたのは、見事に、すべてが汁物だったこと。まあ、要するに流動食そのものってことね。

固形物のカケラだに入っていなかったことにガックリと うなだれたものだったが、その おかげも あってか、翌日から徐々に再開された固形物の食事は、たいへん たいへん、おいしかったw

 

そして、病院の窓から見下ろせる「天ぷら・うどん・蕎麦」の看板が掲げられている店の屋根を、せつなく見つめる日々となった(苦笑)

ほんとうは良くないだろうけど、退院した直後に、くだんの店に駆け込みましたわw

 

あとね、30歳代のときにも、手術の必要が生じて入院したけど、
そのときも、食事について何らかの不満を感じることは なかった。

もっとも、好き嫌いと言うか、ふだんの食生活で食べない、食べられないものが けっこう多いタチなので、それは ともかくとして、単に おいしくないだのと不満に思うことは なかった。

いったい、どんな貧しい食生活だったんだ?と言われちゃいそうだけどさw

 

うちの親も、特に母親の世代は、いわゆる「欠食児童」世代だが、それでも、祖父は裕福だったので、同世代の子どもたちよりは ずっと恵まれた食生活だったせいか、口が奢っているというのか、食べる物については特にワガママだった母親。

そのくせ、しょっちゅう、せっかくの食材を廃棄したり、つくった食べ物を腐らせたりしていたよ。

 

だいたいね、
専門スキルを持ちながらも、この御時世、パソコンや非正規、派遣労働が普及したことで、障碍持ちの私なんか、働けど働けど状態だったからね、食費を節約するために、実家から、簡単な糠床セットを送ってもらい、おサイフのなかが寂しくなってくること必定の、お給料振り込み前に備えて、ぬか漬けだけは拵えてたけど。

あとは、お茶づけか、炊いたばかりなら、白ご飯に塩やマヨネーズだけ かけて済ませることも しょっちゅうでしたわ。

そんな自活を始めたあとも、たまに『難波』や『梅田』で待ち合わせて、デパートで買物に つきあったりすると、最後は必ず、デパ地下のグルメ食品コーナーに立ち寄り、高価なものを買い込む母親を、横目で眺めていた私です。

で、
最晩年の母親は、あれだけのグルメ・健啖家だったのが、普通の食事も 
いっさい、できなくなっていった。

 

こんな私が、ほぼ唯一と言えるほど、誰に憚ることなく堂々と宣言できるのは、食べる物を粗末にすることだけは なかったことかな。

まあ、溜まったストレスや何やかやで、ついつい食べ過ぎることは よく あったけど、
食べもせずに腐らせて廃棄するようなことだけは、重々自戒してきた。

もし、うっかりと、そんなことが起きてしまったときは、自分で自分を思いっきり罵倒し、どつき倒したくなるくらいの自己嫌悪だ。

これは、お酒を好まないことと同様に、およそ、親や身内に似なかったことの一つなのだが、ま、典型的な「反面教師」ってことだろうか。

 

 

最近は、通常の買物にすらも出向きにくいので、食材のムダどころか、あたりまえに食べるべきものが尽きてしまい、泣きたくなることも増えた()

なかなか、痛みが解消しない腰と相談しながらなので、いろいろ渋滞を起こしている このごろの私の暮らし。
従来にも増してキツイ冬になりそうだわ()

 

 

Updated   
2022.12.07 (Wed)

最近の私の日常と所感の一部の続き。

 

こないだ、ちょっと買物に行った店舗内の新聞コーナーを見たら、各社とも、サッカーの国際試合の記事がデカデカと躍っていた。
『ワールド カップ』とかいうの?私はサッパリ興味ないし、さりとて、腹を立てるわけでもないんだけど、ただ、スポーツ紙でもないのに、『毎日新聞』までもが、例の『産経新聞』と同レベルで、サッカー試合のことを中心に1面にデカデカと載せていたのには、いささか呆れた。

『朝日新聞』は辛うじて、防衛関係などの国内問題を中心に扱っていたようだが、それでも、サッカー試合についての記事も、同じ1面の半分近くを割いていたようだ。

 

いくら なんでも、サッカーのことよりも真っ先に大きく取り上げて報道すべき喫緊事が いろいろあるでしょうによ。スポーツ新聞とは違うんだからさ。

なさけないことだ、日本の報道界よ。

まあ、あほみたいに浮かれてノってしまう民衆も軽薄短小。肝心のことには無関心で不勉強で、選挙にも行きやしないんだから。

 

 

あと、

最近、『イギリス王室』関連のスキャンダル発覚で、なにやら、故エリザベス女王の側近中の側近だった「貴族」女性が、『カリブ』出身の両親を持つ、イギリス出身かつイギリス人である黒人女性を侮辱したという問題。

 

私が察するに、

おそらくは、まず、その黒人女性の『ドレッド ヘア』と呼ぶのだろうか、あの、民族と文化の誇りを示すという独特の髪形が、くだんの「イギリス貴族」女性の気に入らなかったのかもと思うんだけど、それにしても、初対面で、他人の髪を、いきなり勝手に触って動かすなんて、とんだ「マナー」違反だよね。よりによって「貴族」の振る舞いとは思えないわw

ま、こういうところでも、マナーを無視していい相手だと見做していることが窺えるわね。

 

いずれにせよ、本音では、こんなものなんだろう。

その点、日本の『皇室』関係者だって、本音のところは大差ないだろうと思う。
『皇室』の場合は、あきらかに、その「権威」誇りとウラハラなものも潜んでいるから、もっと屈折してるかもしれないけどw

 

しかし、『民主主義』の現代では、本音は隠して、タテマエを立派に演じきらなければ ならないからねw

でないと、強大な実権と権威にアグラを掻いていれば済んだ大昔のようには いかないのだから。

 

なので、亡くなられたときの話題を挙げたエントリー
葬式やって、退陣だ?(嗤)
にて、エリザベス女王は、一流の演技者でもあったと、私は指摘した。

また、そうなければ ならないということに、ご本人自身、つよい自負を持って、基本的には納得されておられただろうと思うし。

その点、「スペア」とかw根本が不満だったら、こうは いかないでしょうよ。

 

何かと話題のハリーさんたちだって、ご自身たちが、まさしく『国王』と『王妃』とか、次期国王と その妃という確約された「最高位」なる立場でさえあれば、あえて、あれこれと不満を述べたてなかったのでは なかろうか?w

ああいう世界は、じつに「ヒエラルキー」そのものの世界でアタリマエ、なんだもの。

 

たとえ、そもそもの出自が、たとえば「炭鉱夫」の子孫であろうと、インド人の子孫であろうと、黒人だろうと黄色人種だろうと、ひとたび、オツムに王冠さえ乗っけてしまえば、はい、いっちょうあがり!そういう世界でしょ。

 

ところで、

若き日のエリザベス女王が初めて戴冠する儀式のときの記録映像を『ユーチューブ』で見たことが ある。かなり長大で、途中から、すっかりタイクツしてしまったが、アクビしながら、こういうシンキくさくも異様に長たらしい儀式に主役として臨まなければ ならない お役目というのも、なかなか大変だわねえ、とも思った。

ただただ、『イギリス国教会』だかの、おえらい お坊さまたちの、ここぞと殊更もったいぶったパフォーマンスの一大舞台なんだわなあと感じた。

 

ちなみに、

むかし、茶の間のテレビで、両親と一緒に、エリザベス女王が即位したおりの一連の儀式だったのだろうか、『王配殿下』にして『エディンバラ公』フィリップ氏が、女王に「忠誠」を示すの儀で、ひざまづいて誓う場面が放映されたのも見たことが ある。

親父は、

「ありゃりゃ、自分のヨメさんに、忠誠を誓ってるのか。はっはっは~」

と、大笑いしていた。

 

なにがオカシイんだか(苦笑)

まずは単なる「ヨメさん」じゃないからねwこの場合は。

 

 

まっ、きらびやかな宝石や勲章やドレスで着飾っていても、

いつの時代であろうと、人格識見が伴っていないカラッポな「王侯・貴族」なんて、むなしくもバカげた存在の見本だわ。

 

 

最後に、
近頃ハマってるということで紹介した『山田五郎 オトナの教養講座』。

今回は、『エッシャー』の巻を視聴、

「テセレーション(正則分割)(平面充填)」とか「敷き詰め」とかいう技法のことが出てきた。

これは「数学的命題」に繋がっていくという話だったのだが、ところが、エッシャー自身は、数学ニガテの人だってw

私と同じだあ♪wwわぁい(^^♪

とは言え、

こんな私だって、過去エントリーで言っておいたように、単純な計算題はズタボロでも、文章題だと、相変わらずの「公式ヌキ」で解いてたしw

『集合論』とか、まあ得意な分野も あったわけだけど。

親父は、本来は文系と自認していたものの、戦後から晩年まで続けた仕事は経理・会計分野だったし、

母親は、音楽の才能とともに、数字にも非常に強いタイプだった。

それだけに、私は「いったい誰に似たんだ?」と言われまくった理由の一つにも なってたんだけど、

エッシャーも、単に苦手というだけでは なかったのじゃないかな。潜在的なセンスは あったのかも。

 

『イスラム』と数学、幾何学の深い関連性も言ってたが、

そう言えば、『インド』の人も、数字・理数系に強いということが知られてるよね。
『インド』と『イラン』って、ルーツが重なるそうだから、それも頷けるわけだ。

 

 

ところで、
「平面充填」とか「敷き詰め」という用語を聞いて、真っ先に連想したのは、兄の お弁当のこと。

兄が中学・高校時分は、私の母親が毎日お弁当を拵え、それを持たせていたのだが、

過去エントリーで触れたように、

emoji『お弁当の想ひ出』オマケ

ある日の朝、兄は、お弁当を忘れたまま登校した。その お弁当を置いたままになっているのを見つけた私は、母親に、自分が食べてしまっても いいかを尋ね、いいと言われたので、蓋を開けてビックリ。

全面が鮮やかな緑色に敷き詰められていた。

ひとくち食べてみて、その苦さに またビックリ。

その緑色は、ピーマンだった。

私の、ピーマン初体験の思い出である。

 

後年、母親と しゃべっていて、ふと、兄の好物や お弁当のことが話題になったとき、

「あの子は、とにかく、ご飯の上に、好きなものをビッチリと敷き詰めてやれば、キゲン良く完食するから」

ということだったw

 

海苔なら海苔を、ご飯の上にビッシリ敷き詰めてやる。

正確には、白ご飯の上に、最初は「おかか」を敷き詰めておく。

その上に、海苔をビッシリと敷き詰める。

なので、海苔弁当の場合なら、蓋を開けるとビックリの真っ黒!だったわけだ。

 

 

ちなみに、
その苦さに驚いた幼児の私も、やがてのことに、ピーマン大好きになりましたー()