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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.09.01 (Mon)

その昔、大阪では、商人たるもの、「商道徳」最高精神として特に、これを重んじたと言う。

 

来年度予算の概算要求、初の100兆円超え 主要項目の膨張相次ぐ
産経新聞 829()1941分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140829-00000574-san-bus_all

 

 

 
 
 

 

残念ながら、視野に入れただけで目が汚れるとかw読んで時間ムダしたと思えてしまうほどに愚劣さと殺伐さと口汚さだけを弥増してるネットの掲示板投稿等では、もはや珍しいくらいのことになってしまってるけど、

たわいもないユーモラスな遣り取り以外でなら、こういった視点と内容のあるコメントは、まあ見るに堪える。

 

 

今回、あらたに「ブラック」企業として発覚した「たかの友梨」社長の贅沢三昧ぶりと、社員たちの労働環境・福利厚生との激しいギャップ。

 

本当に、おのれ一人で稼げた者なんぞ、この世の どこにも いやしないし、

自己中心も度を超すと、いずれは自分自身の首を絞める結果を招くことになるし、誰も仕合せにならず、

一番厚い層を視点の中心に施策しないと、一番始末の悪い現象が起きてくるであろうということ、

「取り来る」あいや「トリックル ダウン」たらいう説なんて、最初に聞いたときから、私には「冗談でしょ?」としか思えなかったということ、
たとえ、いわく「長時間を要すもの」としても、過ぎると致命的になってしまう恐れは、基本的に、どんな分野にも言える。

 

「消費税」システムというものが、本質的には、決して「平等」とは言えないシロモノだということも、「カッサンドラ」たるワタシゃあ無知・無教養者なりに、もう何年も前から言ってきたのだけど。
まさに「サウンド
オブ サイレンス」だわぃ。

 

 

社会保障財源から国・企業負担減らし「日本に財源がない」という政府・財務省の異常、消費税が壊す社会保障
井上 伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014827 1511

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140827-00038624/

 

 

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2014.08.28 (Thu)

<安倍首相>戦犯処刑軍人法要に追悼文「魂賭し祖国の礎に」
毎日新聞 827()1952分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140827-00000071-mai-pol

 

へえ。

ただサ、官房の菅さんが毎度のとおりで庇って言う「私人として」云々というのは あたらんわな。

「自民党総裁」名で追悼文を送っていたというのなら。「首相」の肩書きだと、もっと大きく問題視されるとこだったろうけど。

 

だいたいなあ、
「いままで何も言われなかったじゃないかよ」とかいう、自民党信者安倍派だか何だか知らないが、その防御的言い訳は、ちと的外れでな。

実際には、一般に知られていなかった、大多数の人々は気が つかないままでいたから見逃されていたに過ぎないというのが本当のところだろう。私自身も、ずっと知らないでいた。

「自衛隊創立記念」パーティとかいうのを、わざわざ、韓国内で挙行してきていたというのも含めてだ。

もっとも、これは、韓国側にも原因はあったのだろうし、

そうそう、

原爆を、一般市民の頭上めがけて落としよったという「鬼畜」行為を はたらいたアメリカにも言い分はあったと言うか、

原因としては、ここでも、「狂犬」呼ばわりされた我が日本側が自ら招いた側面もあるということ。すなわち、

原爆開発については、実際の投下と共に、すでに、ナチス ドイツと一刻を争う競争状態に直面していたというし、そのドイツと日本は同盟仲間だった。そして、日本は、

国民一億総武装・戦力」という言挙げを してしまっていたわけだ。

 

アメリカにしてみれば、「ならば」というところだろうか。

それでも原爆投下は大罪も大罪には違いないことだが。

しょせん「竹槍戦士」ぢゃないか。

 

 

ええ、それで、先日、指摘されていた「広島平和記念式典」での首相演説文言みたいに、コピペしたところは、こちらのほうでは皆無でしたかなw


 


 

 

なんか もう、一般国民のほうも、ほとんど「プロレス観戦」してるみたいなww

 

『スカイ ハイ』

 

 

Updated   
2014.08.26 (Tue)

いつから、誰が、当該調書を、もともと非公開ってことにしてたか?ってこと。

 

<吉田調書公開>事故調関係者の賛否分かれる
毎日新聞 825()2037分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140825-00000106-mai-sctch

 東京電力福島第1原発事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録が9月に公表されることになった。聴取は公表しない前提で実施され、吉田氏も非公表を望む上申書を政府に提出していた。一方、未曽有の事故の対応で重要な役割を担った吉田氏の「肉声」の公開が、国民の知る権利に応えるという側面もある。公開に対する政府事故調の関係者の賛否は分かれた。

のっけから、「聴取は公表しない前提で実施され」って書いてある。はてさてw


私も、たしか朝日新聞の、この調書についての特集記事あたりで読んだ記憶かと思うんだけど、

当の吉田氏、政府事故調の

そのままの かたちで公開されるかもしれません

といった念押しに対して、

結構でございます

と答えていたということだったはずだよ??

 

 

私なんかは、ああ、それだからこそ、あとになって、ご本人よりの「上申書」というものがワザワザ提出されたというわけか、と思った。

その時点で、吉田氏に対し、公開する場合の条件提示の詰めの余地や、なお、ご本人を説得する やりようもあったのではないかと思うんだけど。。。この点、すでに、先日からのエントリーで私が述べておいた内容と重なること。

「吉田調書」のジレンマは続く

 

 

「やふコメ」常連さんらしきひとのコメントで、「吉田氏上申書」の存在を、マスコミが言わないせいで、知らない人が多いのだとか主張を繰り返してるの見かけたけど、的外れもいいとこだよ。

 

そもそも、「結構でございます」と豪語していたという人が、なぜ、「非公開にしておいてください」と、あとから申し入れすることになったのか?ということのほうを注視すべきだと思う。

 

 

しかし、なんだな、あたりまえ過ぎるほどアタリマエのことのはずなんだが、

広範に、重大な悪影響を齎しかねないような仕事に従事していて、しかも、重い役職に就いている身ともなれば、あとあと、コソコソとしか言えなくなるようなことは しちゃいけないだろうし、

その時分では、ことの深刻さに自力で気づけなくても、いざとなったときには、自分のやってきたことを包み隠さず、白日の下に認められるだけの腹は括っておかないとなあ。

 

ところが、これを豪も できないひとが、大した おエライさんがたや、
いっぽうでは、庶民大衆レベルにおいても、平凡な会社の上司と部下とか、個々の家庭で親が子に対してだとか、少しでも、より強い立場に居るひとに、なぜか多いというのが、世の現実の印象。

 

要領イイ者が出世するのだというのが事実であり真実だとすれば、なるほど、
責任を押し付けやすいほうへ
ほうへと押し付けていく要領もイイわけだ。

 

 

ま、いずれにせよ、われわれの眼にできるものは、大幅に端折られているか、あちら こちらを隠した姿で差し出されるに過ぎないのだろう。

そこを埋めようとして、 また、あらたな「憶測」も生じるだろう。これは避けられないこと。

 

 

Updated   
2014.08.24 (Sun)

関根麻里 韓国人歌手Kと挙式 白無垢、袴姿で
スポニチアネックス824()128分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140824-00000085-spnannex-ent

 

スポニチさんの当該記事に添えてあるフォトさあ、なんか厭らしいなあ?と感じるのは、私だけの気のせいだろうか?w

まずは、ふつう、結婚式の話題の場合に、こんな変なアングルの写真は使わないだろ?と思うのだがなあww

 

まあ、とにかく、

晴れの日を迎えられた主役の御両人には、おめでとう、お幸せにね、と心から申し上げる。

 

ところで、

以前、たまたま見かけた、在日朝鮮人であるというブロガーさんと、そのブログ常連さんたちが、

そこへ押し掛けてきた荒らしコメントの投稿者本人にとっては、厳然たる正義の主張のつもりなのであろうけれど、
もはや手の
つけようもないほど、浅ましさ このうえなくカン違いした「ネトうよ」に多く見受けるヘリクツを執拗に言い張るのを、面倒がらず相手になってやり、延々言いあっているのを、
私自身、その荒らしコメント投稿者に思い当たるふしを大いに感じたこともあって、当方のブログ
エントリーで紹介させてもらった、そのとき、少し触れたかと思うが、

すでに怪訝に思っていたところの、韓国の新聞記事等を毎日欠かさず、熱心に目を通している「嫌韓」派に加え、近頃では、

「在日韓国・朝鮮人」の友人・知人なんて、私には、いまだに一人も できたことがないので、いわゆる「ネトうよ」と思しきひとに、

「(仲の良い)韓国人や朝鮮人の友人・知人が何人も いますけど」

とか

「自宅のまわりや地区・町内には、在日が多い」

とか言ってるのを、たびたび見かけるものだから、なんともフシギだなあと思ってきたw

 

それと、日本語の奇妙さねww

 

もっとも、

上記に挙げた在日ブロガーさんたちのように端正な日本語も、彼ら祖国の言語も使いこなせる人たちは多いし、普通に日本の学校教育を受けて育ち、日常生活でも日本語を用いていれば、まともな自然な日本語を使えるのは、国籍が日本でない人であってもアタリマエだろうが、

句読点や「てにをは」を始め、全体、どうにも奇妙な感じを受ける日本語を書き込む投稿者というのは、なんなんだろうか??と、常々思ってきたw

 

なかには、まあまあ普通の日本人なのに、ごく基本レベルの日本語すら使えない日本人も、そりゃ、いるようだがなww

 

 

 

>ところで 白無垢、袴姿で とあるが、韓国人の結婚衣装ってなんだろな?

出席したことあるけど、ウェディングドレス→チマチョゴリだった。
チマチョゴリには結婚式だからと特に色の規定はないと聞いた。

 

へーえ、出席したことあるwww



こりゃまた、

結婚模様」て、なんのこと??どういう意味???

日本語で、こういう言い方してるの、初めて見たわwwww

 

 

ほんに、「嫌韓」さんというのは、さても おかしな日本語(もどき?)だったり、イミフなことを堂々と言い放つひとが多いようだ(嗤)



  『僕が一番欲しかったもの』
 

Updated   
2014.08.21 (Thu)

「おまえの かあちゃんデベソ」も、いかなる激烈な「ヘイト スピーチ」も、なるほど、「表現」のうちに入るのだろう。

 

だが、「言論」たり得ているとは到底言えまい。

 

 

ヘイトスピーチは「暴力」=日本政府に懸念続出―国連委
時事通信821()022分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00000001-jij-int

 

 

ヘイトスピーチは言論表現ではない、というのには同意できないな。
言論表現ではあるけど、他者の権利を侵害する度合いが看過できないので、例外的に表現の自由の対象外とする、と言って欲しい。
口から発せられる言葉は、どんなものでも言論だ。

 

言論表現ではあるけど

そうじゃなくて、

「表現」のうちではあるにせよ、「言論」と言えるレベルには全然ない、
ってこと。

 

 

「嫌韓」でも「反日」でもいいさ。そりゃ自由だ。
好きやキライを強制したって しょうがない。

「日本が嫌いなら出て行け!!」と叫ぶことも表現として自由が認められ、守られるべきなら、
日本を嫌いで、そのことを表現することも また自由で、守られるべきはずなのだ。


「反日」については、むしろ、より思想的なものであって、単なる好き嫌いの範疇の問題では ないのだろうが。

 

いずれにせよ、

「ゴキブリ」

死ね

殺せ

こうした類の発言の どこが「言論」だよ?(嗤)

 

こんなものは、およそ「」では ない。

ただただ口汚い罵倒であり、恫喝であり、脅迫だ。

 

恫喝、脅迫の類は、りっぱに犯罪行為である。

 

 

 

ところで、あちら韓国の国民の大多数は、政府やメディアの主張や論調に対し、日本人一般よりも、もっと ずっと突き放した、クールな眼で見ているということを紹介している記事もあった。

中国にしても、その国民は、自分たちの政府がメディアを使うとは、どういうことなのかを先刻承知しているという。

こういった点では、たしかに、一般的日本人のほうが、まだまだ、ずっとウブなのだろう。

これが何ゆえ、そのようにウブでいられるのか?ということを考察、分析してみるのも興味深いものだろうが、ここでは置いておく。

とにかく、

「ネトうよ」と思しき連中の発言に よく見受けられる「ネットの真実」という噴飯もののセリフを持ち出したところで、それに対してもウブなままなら、結局、従来的にウブな人々と何の変わりは ない。

 

 

韓国でのアカラサマに激しい「反日」行為というのは、実際は、どちらかと言えば年配者だというし、それも一部の過激な連中に過ぎず、それならば、まあ、「在特会」なんかの存在と似たようなものなのだろう。

私は、こうした問題について、あまり詳しく見聞してきたことが なく、そういうことが、もしや「知らぬが仏」になりがちだったか?と慌てて思ってみたものの、私個人としては、国内的には、むしろ、日本人のなかに昔からコソコソと存在し続けた(隠れ)差別意識を持つ人のほうが多いというのが実態では ないかと思われるのだ。こちらも やはり、従来は年配者のほうに断然多かったと思う。

だが、こんにちの日本では、ネットによって、若い年齢層にまで、異変が生じているように見える。

 

 

身近で思い当たるのが、「ヨンさまブーム」だ。

これが話題頻りになっていた頃を思い出す。

 

「よりによって朝鮮人の男なんかをチヤホヤ騒いでるんだってな。それも、けっこうイイ歳した、年配のオバハンらまでが大騒ぎだと。まったく、なにを考えておるんだか」などと、
実家の父が、実に苦々しい顔つきを して、首を振り振り、繰り返し言ったこと。

 

もしかして、

父のような受け止めかたを していた人たちが、あの「韓流」大ブームのあいだ、苦々しく見詰めていたのかもしれない。

 

 

さすがに、普段の父は、目の前にいるのが、どこの国民で、何の人種だろうと、少なくとも、あからさまな差別や侮蔑した態度は、そうそう出しは しなかったと思う。

でも、黒人のことを、あたりまえに「くろんぼ」と呼んだりは した。

自覚も疑問も罪の意識も ないのだ。

それだから、傍目には、ある意味で「信念」を強く持っている人であるかのように、紛らわしくも、見えたろうし、思わせたろう。

 

父も また、ある面では非常に几帳面で真面目だったが、半面では、とてつもなくエゴイスティックで、ハチャメチャで、本当には反省ということが できない、恐らくは理解できてもいないひとだった。

 

こうした面では、母のほうも、父よりは、全体的に幾分ひかえめだったと思うのだけれど、いわゆる「部落民」とか「同和」関係の人たちなどに対して、根強い偏見を持っていたようだ。

 

 

彼らの いずれも、そもそも、自分自身のやること、考えることについて、まったく無批判、少しは疑ってみるということが なかった。

ろくに根拠もなく確信に満ちてさえいるように見えた。

 

そのくせ、根本的なところで、彼らなりの切実な理由で、根強い劣等感を持っていた。

 

 

しかし、真正面を向いて見据えることからは逃げていた。

こちらが敢えて、それを突きつけると、狂ったように爆発し、相手を精神的に抹殺しようと かかるか、

深く憎悪の眼差しでもって睨みつけ、相手の一切を遮断し、聞き入れなくなる。

 

 

環境や外部に由来する問題には大いに恨みを述べ、批判しても、自分自身で招いた問題には、まったく自己批判ということが できない。

ましてや、自己に内包する問題について分析してみたり検証する能力は持ち合わせず、と言うか、

彼らにとって、僅かでも自分のヘマやら罪等の不利を認めることは、さても居心地悪さに耐えかねるあまり、目を逸らし続けるしか できなかったのだ。

完璧主義とでもいうのか、それを やったら、プライドだけは突出していたせいなのか、とても生きては いられなかったのかもしれない。

 

 

だから、自分よりも立場や力が弱い者、それが自分の子どもであろうとも、ひとたび体面・自己保身のためとあらば徹底的に、罪や責任を擦り付けて恥じない。
逆に、つごうがいいうちは、それなりに溺愛のふりを する。

要するに、とことん、自分が第一で可愛いのだということが隠せもしない。

 

 

だが、彼らとて、同情心や情愛というものを知らないわけでは ないし、
頭が良いほうだけに、高度な論理能力を持ち合わせないのでは ないし、
正義感が希薄というわけですら なかった。

特に母のほうは、それらを、むしろ、豊かに備えていると思わせるひとだった。

 

この落差というか、バランス悪さ。

 

 

世間では、要領も良く、優秀な賢い人で通っていたとしても、内実は、
おとなたちの言いなりを受け入れている子どものままみたいなものだ。

(このあたりのことに関し、あとのエントリーでは、私なりに、算数・数学と絡めて少し述べるかもしれない)

 

 

さて、

日本は、理由は どうあれ、もともと自国の側が野心を起こして、各国からの誤解も怨みも買うような行為を犯したことがあるのは歴史上事実なのだから、他国や他民族に「反日」的感情が根強く残り続けていることがあっても、しかたがないと腹を括るべきだし、そのうえでの外交努力。

 

私自身、中国政府や朝鮮人に対して、日本国また日本人と異なる類の欠点もあり、そうとう大きな問題はあるという考えは持っている。

しかし、日本国と日本人にも、やはり同様に、根深い問題はある。

 

だいたい、昔から、日本人のなかに差別意識がある、あったことは事実なのだし、迫害行為もあった、

そんななかでも、種々の事情で、日本国内に生活基盤を持ち、日本人と、ほぼ変わりのない暮らしを長年にわたり営んできている「在日」の人々と、彼らの本国の政治姿勢や人々の感情や見解のありようとを全く同一視して攻撃することにも重大な誤りがある。

 

 

決して表にアカラサマには出しにくい抑圧気質であるなら、かえって深く沈潜し、陰湿の傾向を帯びてフシギは ない。

これを突きつけられ、直視を強いられるとなると、耐え切れず、とたんに、身も蓋もなく、ひらきなおって爆発する。

 

 

弱者蔑視や差別意識、排他性などの底にある動機には、無自覚の自己投影や潜在した劣等感があるものと察せられるが、

考えてみれば、日本人も また、他国、近代においては特に欧米圏への劣等感を強く持ち続けてきた。

 

さても、個人と国家の落差であるか、それとも、両者は不可分なのか。

 

(気に入らぬ他国民を指して、お互いに、相手は人間ではない、と言い捨てようとも)
しょせん、人間どうしに、さしたる違いはあるはずもなく、僅かの微妙な差があるのみ。

その僅かが、どんどん、深い隔たりの溝を つくっていく。

 

犯罪行為を おかす、おかさぬことの違いも同様で、ほんの僅かな差が、やがて、深刻な結果を つくりだすのだろう。