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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.10.16 (Thu)

 

【最終】「更生の余地」ありや?なしや?

 

まーだやってるのかよ(呆)

 

私が、自分のブログ エントリーで取りあげたもんなら、たちまちにして
「一家総出」
だと、こないだも指摘したとおりにw

 

ああ、そうだ、

いつぞや、mashumaroおばさんが自分で言ってたけど、

書いたものを投稿する前には、家族でチェックしてるんだって(嗤)

 

 

さて、私は もう、このあとは見る気もないが、

bragelonne
primeape(=Flareon)と
littlekiss(=にゃんこ~!
(もちろん、いずれもハンドルの一部でしかないw)をコキ混ぜたみたいな、

どこぞで誰かのを横合いから掠め取ってきた お説を披露して悦に入ってるooz*****クンよ。

ここだけ簡単に指摘しといてやるわな。

 

加害者もその子どもを愛する気持ちは自分と同じってことが解れば、相手を赦すしかないわけよ。
赦せないのは、相手が自分と違う人だと思っているから。
でね、宇宙が終わるときには、他人は自分って解る訳よ。だから、赦すのよ」云々

 

「曽根崎心中」のヒロインあたりでも言ってそうなセリフだがw

 

だったらね、ooz*****クン。

それこそ、あーたこそは、

 

復讐する者を理解し、そして、受容せねばならぬ。

 

この意味、わかるか?

 

わからんだろうねー。

そんな あーたに、「宇宙が終わるとき」何が分かるってのさww

 

 

自分の幸せを」つって、

その幸せが、佐世保の事件の加害者みたいに、殺人・解剖とか、

カルト連の「仕事」みたいに、アカの他人さまを気に入らんからと目を付けて厭がらせしまくるのが極上の楽しみだとなると、

それを奪う相手は、さても憎かろうがよ!www

 

 

「それを引き出す教育」ぅ?

あーたにゃムリムリっしょw

真逆に「鬼畜」再生産のための活動には、現に励めていてもw

 

 

善極まれば、悪となり
悪極まれば、善となる

 

その意味も、自分で言ってて全然分かってないやろ?ww

 

ヒントを あげよう。

 

絶対悪」。

 

まあ、「悪」こそは憧れ~な者には褒め言葉だわねwwやれやれemoji

 

 

この前のエントリーで言ったように、

結局、
犯罪行為を犯す者と、そうでない者との相違、その溝は、小さいようで、やはり大きく、深いようだ。

 

 

少なくとも私は、あんたがたよりは多く深く苦労してきたが、

あんたがたのような醜悪な趣味は持たない。

持ったこと、持ちたいと思ったことが ない。

 

つまり、

「相手が自分と違う人」だと実感せざるを得ないのよ。

 

 

まあ、ooz*****クンらのごとき、こうした言動を振りかざす連中相手に、私が、どんだけ疑問を感じ、

もしや、こちらに何かしら迂闊なところがあったのかと思って、先に謝ろうが、

真意がサッパリ分からないので、事情を尋ね、

そのうえで なお、ムリには説明しなくてもいいとまで譲歩し、

そのあげくに、

徒党を組んで、「愛」だの「悟り」だのと容易く口にしておきながら、裏腹な汚い罵倒を浴びせられ続けた私の怒りと不快さ、

普通の感覚と良識を持ってるなら、誰でも理解できるだろうと思うよ。

ただし、

いくら、お勉強して お勉強して、単なる頭でっかちの知識自慢優等生や、

やじうま根性を隠し持って近づいてきては、おかど違いの お説教ぶちあげて楽しむ偽善者もダメだがね。


(続く)

 

 

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Updated   
2014.10.13 (Mon)

【続・続】「更生の余地」ありや?なしや?

http://schneewittchen.7narabe.net/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%83%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%EF%BC%9F/%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%83%BB%E7%B6%9A%E3%80%91%E3%80%8C%E6%9B%B4%E7%94%9F%E3%81%AE%E4%BD%99%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%82%E3%82%8A%E3%82%84-%E3%81%AA%E3%81%97%E3%82%84-

 


    

 

犯罪者にならない人格を育んだ人は、愛に恵まれた環境に居ただけ。愛に恵まれない環境で育った人や

 

それは違うw

「愛に恵まれない環境」で育った人なんて、世のなか珍しくもない。

それでも、殺人だのといった犯罪者になるほうが断然少ないはずだよ。

 

だったら、
なんだかんだ言っても、犯罪行為を犯す者と、そうはならない者との差は結局、大きいということだ。

 

 

やられても、やりかえしていけないのは、当たり前のことだよね

それ以上に、

そもそもが、やっちゃいけないことは、やっちゃいけないのよw

 

 

それこそ、
脳に障害」あるゆえに、どうしても反省といった機能が欠けている場合は どうなる?

 

 

というわけで、

ooz*****さんとやら。

誰かの真似や受け売りで お説教するにも、よく考えたてからにしたほうがいいよ。

 

だいたい、誰の受け売りにせよ、

あーたの言う「前世で、誰もが人を殺したから」云々、

では、人類全員、殺し殺されで当然になってしまうじゃないか。

 

他人は、自分ですよ」とか、

自他の区別がつかない、つけないのだという思想は、タチの悪い危険性を孕むよ。

なぜなら、それも確かに、あらゆる犯罪の温床となりかねないんだ。

おかど違いの人を巻き込むのも、そう。

 

ただ、反面では、

自他の区別がつくからこそ、理性働く、

それは同時に、無関心の温床とも なる。

 

他者最優先にしていたら、肝心の自分の人生が潰れることもある。

 

私の本音では、過干渉の罪よりは、よっぽどマシなこともあると思ってるけど、

適切な補いは必要だな。それが、社会の責務。

 

 

人が死によって無に帰すとすれば、すでに(残念ながら)無に帰った者の為に、新たに1人を無に帰すことにどこまで合理性があるか。

だってさ。

しょうもねえヘリクツがあったもんだw

w17*****さんよ。

どなたかの言うような「魂」だ「何次元」だを仰々しく持ち出さなくても、

人が死によって無に帰すとすれば

なーんて、

ごく普通の物質世界次元で単純に考えても、ウンザリするくらい、あり得ないの分かるでしょ。

 

 

 

まあ、「カルト連」に言いたいのは、
一介の個人をターゲットにして、わけワカメなネタミや劣等感で被害意識を募らせ、鬱憤晴らしにイヤガラセして楽しむ趣味を、どうにかしてから説教することね。

 

あのアラシの言いぐさみたいな、

やれ、障碍は前世の報いだの、

同じ障碍でも、身体障碍は下等、精神病とか、そっちの障碍は高尚だ、とか、

イジメも、前世が原因だの言ってて、

何の解決に資するってんだ。

 

ええトシこいて、

お仲間の一人、neutralが言った「スティグマ」被せだかバタイユかぶれだかしらないけど、

一日じゅうネットでフザケたことばかり出まかせに言い散らして陰湿遊びを拡散するのもイイカゲンにしなよ。

 

 

罪は連鎖を産む。

 

連鎖を、自分の所で止めておける人が、本当の理性人である。

 

 

だが、やられ損」天国ではいけない。

「泣き寝入り」に耐えられる者ばかりではあるまい。

 

国家として、被害者救済そのための方策は最重要の喫緊課題だ。

 

どのような犯罪の被害者においても共通していることは、

とにかく、経緯の全容を知りたいと望むことだろう。

 

精神疾患であるとか知能障碍等が原因であったとしても、
事に至ったプロセスは全て知りたいだろう。

これなくして、被害者側にとっての理解と、最終的受容も困難なのだ。

 

 

Updated   
2014.10.13 (Mon)

 

【続】「更生の余地」ありや?なしや?

 

さてさて、まーた出てきたかw

今度は一段とクッキリ、ぶらゲロんぬに似たこと言っとるわww

OKウェイヴ・おしえてgoo」テツ カテでも、こういうのが跋扈・蔓延しててさ、

だから、「宗教」カテに看板掛け替えろ、って言われてしまうんだわなww

 

まあ、あそこのサイトは、経営者の金さん自身からしてが、宗教臭いしwww

 

 

 

「愛」とか「悟り」なんてコトバを、やたら ふりまく者で、実際には、そういうことから最も遠く、

ネットなんかで、おかど違いの説教して悦に入ったり、

自分の胡散臭い お説を聞き入れないからとて、イヤガラセやストーカーを してみたり、

結局、まともな人ではなかったということを痛感した経験は、私にも ある。

「自己愛性人格障害」で、精神科通いだったり、そんなのばっかりだ。

 

 

俺は、身内が殺されたら、加害者を殺し返す気力さえ無い。

おや、経験者なの?

 

 

 

なによw

「首吊り」で思い出したこととamaguappa

私が、こないだのエントリーで紹介した「毛利甚八さん」の受け売りか?
ステマ的に宣伝しとんのか?w

 

 

ほーら、指摘されてるww

 

 

 

死刑するより、加害者に反省してもらった方が気が休まる。

それもあーたの勝手。

なんぴとと言えど、他者に向かって、ほんとうの反省を強いることはできない場合もあるでしょ。

 

どう転んでも、失ったものが決して返って来ない、

その深い喪失感を引きずっていくのは同じなのだから、

だったら、

本当に憎悪しか感じない相手には、加害者が反省しようが、もう どうでもいい、更生なんかしてもらわなくて結構だから、

こっちが やられたのと同様に、さっさと、息の根を止めてしまってくれよ、同じ社会で、同じ空気を吸うのすら許せない、消えてくれ、と思う人々もいることだろう。

実際、「気持ちの区切りには なる」と吐露した遺族もいた。



死刑にしたところで、決して、とうてい埋められは
できまい。

ただただ、抱えていくしかないのは確かなのだから、

それを噛み締めるしかない者に向かって、「魂次元」が どうだのと、ナルシストの胡散臭い説教は、しゃらくせえというものよ。

 

 

奪うのは、幸せと言うこと自体が解らないから、それは、自分が幸せでは無いから。

どんな鬼畜にも、加害者の幸せを奪うことは出来ません

いや、だから、

奪った「鬼畜」は、あらたな「鬼畜」仲間を再生産するわけよw

これこそが、世を荒ませる所業だっちゅうの。

 

少なくとも、加害者・犯人を赦せない、地獄に行けばいいとの思いを抑えられないうちは。そうでしょ?

 

犯罪者というものは、直接、歯牙にかけた被害者だけに被害を齎すのでは ないんだ。

もう四方八方に齎すんだよな。

 

そして、時を超えて、代々連鎖を齎す。

ほんとうに罪深い存在だ。

 

 

(続く)

 

Updated   
2014.10.13 (Mon)


「更生の余地」ありや?なしや?

で、また「人権」の問題だ。

これも先日のエントリーで述べたことだけど、

人権というものは、徹底的に及ぶ及ばせるものあって、

たとえば、加害者だから例外、とできるような安直な概念ではないよ。

まあ、哲学的なセンスの一切ない、簡単に「自己責任」だの「自業自得」で済ませてしまえる日常レベルの思考だけで満足できてる人には、おいそれと理解し難いものだとは思うが。

 

どうあっても、許さない赦さないなら、それも自分の好きにしたらいいことで、許す赦すも許さない赦さないも、心のなかのことは、他者の強制できることでは ない。

 

ただ、「感情」や「感情論」を蔑む資格は、誰にもなかろうと思う。

およそ人間社会を 成り立たすルール、法というものは、人々の素朴な感情を基にしているはず。
現実として問うべきは、妥当性だ。


「自分が、同じ経験をしてみたら」と言うけれども、これも考えようで、

むしろ、自分が、ある事件の直接被害当事者ではないからこそ、

「目には目を」のつもりで、つい、
「目」だけでなく鼻も耳もと、先祖返りの世界にならず、
冷静に、妥当な判断ができる、そこを期待しているからこそ、
そもそも「無関係」なはずの第三者に委ねて裁判するのであって。


もちろん、「第三者」とは、最も、当該関係の情報に欠けているわけで、
だから、綿密に調査・検証を行なわねばならない。

そもそも人間的な想像力に欠けているような第三者では困るけれど。


さて、
自分の判断と行為で自分を守れない幼い子どもは、自己責任を持てないのだから、強制的教育を施すのは、基本的に、自分の判断と行為で自分を守れる養育者側としての責任となる。

ならば、他者の人権を尊重できる能力なき者、幼児並みの判断力の者も、同様としてしかるべきだろう。
「もうコリゴリだ」
と思わせるためというのが、刑罰の目的であるのならば、それも また、強制的教育のうちだ。



性犯罪を例にとって考えたら分かりやすいが、
幼児自身が主体的に起こす性犯罪などあり得ないだろう。


しかし、精神や知的のレベルが幼児並みだとしても、肉体としては人並みであれば、やはり、性犯罪は起き得る。

だが、性犯罪を性犯罪として認識できない者に、それを理由に処罰したところで、

反省するどころか、かえって、被害意識を募らせ、「歪」を拗らせてしまう懸念のほうが大きいのではないかと、これも先日に述べておいたことだ。

 


被害者意識からくる報復によるものなのだから許しが必要なんだよ

それ以上に大事なことは、未然の防止。

このことは、
ある意味、最大の不幸者である加害者自身の不幸というものを考えてみれば、
ただ野放しにしておいて、事が起きたら赦しておけばいい、では済まない。

なぜ、そうした「被害意識」を持つに至ったのかを的確に分析する必要がある。

真の「責任」を負うことは、予防のためであり、畢竟、社会全体にかかってくる。

 

再犯に対して滅法無力では困るので、厳罰化を主張する声も多く出るのだろう。

しかし、これでも到底、追いつかず、本当の予防にはならないだろう。

 

私なりのヒントは、先日も述べたことだが、

例の佐世保で起きた「同級生殺害・遺体損壊」事件の加害者宅へ、詳細は分からないけれど、
定期的に訪問を繰り返していた担任教師が、とにもかくにも無事でいられたという事実だ。


(続く)

Updated   
2014.10.13 (Mon)

なぜ心神喪失者を許せないのか /新潟青陵大学 碓井真史
THE PAGE 1012()80分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141012-00000005-wordleaf-soci&p=1

 

執筆者の碓井先生とは、だいぶ以前に、少しだけ お話させていただいたこともあって、そのおりの印象からも、個人的には、とても真摯な紳士でいらっしゃると思っている。

ただ、この先生も、公的に知られている、他人を指導する立場もあってか、とてもとても用心して述べるよう、慎重に律しておられるのだなあということがヒシヒシと伝わってくる。

それだけに、無難第一で、従来的・公式的見解に則った、啓蒙的なスタンス、

はっきり言わせていただくと、これというほどの具体策が見当たらない分、いかにも優等生的で、つまらない感じは、しないでもないw

でも、碓井先生は、

「加害者への刑罰以外にも、被害者保護の方法を考えなければなりません」

「重罪を犯して心神喪失で無罪になる人はほんのわずかです」

とも仰ってる。

たしかに、
重篤な精神疾患に陥った状態で、手の込んだ計画的で凶悪な犯罪が やりおおせるものかなあ?という気は する。

 

ただ、最近起きた佐世保の「高校生殺害・遺体損壊」に見られるような、「サイコパス」とか呼ばれるような者となると、はたして、どう考えていいのやら戸惑うところ。

 

本当の「公平」とか「公正」という観点では、「消費税」の問題にも共通した課題はあるよね。

 

 

なんか まあ、いろんなコメ投稿者が出て来て、ゴチャラゴチャラ言ってるけど、

まずさー、

「身内」と言ったって、

精神疾患」と言ったって、

内情はいろいろだよ。決して、簡単に一括りして済ませることはできないよ。

 

 

この記事に付いたコメントのなかで、

bou*****さんとやらいうハンドルの投稿者は、

精神疾患や心の病の人達は自傷行為(自分を傷つける行為)や自殺などは多いかもしれないが他人を傷つける行為はしない

なんて断言してるが、

嘘だね。

 

再び言うが、

精神疾患」と、ひとくちに言っても、いろいろ。

同じ環境下にあって、疾患になる者と、ならない者がいる。

 

同じく、

どんなに怒っていても、怨んでいても、およそ犯罪行為に走らない人のほうが圧倒的に多いし、そうかと思えば、

ふざけ半分に、他者を脅かし、傷つけて楽しむ者もいる。

これが、しかも、被害意識に凝り固まった自分よりも、多くの苦難を味わってきた人に対してだ。

 

 

うちの身内らの場合、精神的な病(統合失調症でも、人格障害でも)によって、他者に重大な危害を及ぼしかねない危険行為に走ったし、

自分が死にたいからと言って、他の者を道連れにしようとしたこともある。

 

幸い、身内の一人は、治療は可能だったので、私らの尽力と、他人さまの力添え、また犠牲の お陰で、その後、まずまず回復したけど。

 

ただねえ、

私から見ていても、本人らは、精神状態が明らかに異常事態に陥る前から、もともとの性格や思考性向に偏りや問題はあったのよ。

決して、本当に、いきなり、おかしくなったとは言い切れないの。

 

回復してからも、もともとの軽薄さや自省心の希薄さに変わりはなかったし、

そんなこったから、おかど違いの他人にまで、不当で大きな迷惑を及ぼしてしまうのだろうかと思えた。

 

 

そして、

犯罪にも いろいろある。

 

公の法律自体には違反していなくて、犯罪者として呼ばれ、処罰されるには全然至っておらずとも、世間に隠れた罪を犯した者などゴマンといることだろう。

うちの親なんかでもそうだよ。

 

私は若い頃、ぶっちゃけ、いつか、父親を殺すかもしれないと思っていたこともあったので、

もしも、ここで、コメント投稿者たちによって想定されているような、家族の誰かが誰かを殺してしまったとして、

私の場合は、父親が、母親を殺してしまったとしたら
(現実にあり得る状態だった)、

裁判の結果、親父が死刑になっても当然だと思っただろう。

悲しいなんてもんじゃないよ。

はらわた引きちぎられる怒りだわ。

 

逆に、母親のほうが、亭主である親父を殺したとしても、ムリもないかと思ったかもしれないし、

それくらいだから、死刑になるはずもない。

悪いのは、圧倒的に親父のほうだったから。

 

もちろん、母親のほうも、問題は大きかった。

 

 

私が、もしも、父親を殺してしまったとして、
では、母親が、私の死刑を悲しむかって?

そりゃ分からないw

 

まだ私が、母親の役に立つ存在であるうちは(無意識に依存してたから)、必死の涙ながらに、助命嘆願なんかをしたかもしれないけど。

そうでもないとなったら、アッサリしてたんじゃないかなww

 

あのひとは、さすが、アル中親父に相応しくと言うか、脳に異常があっただけに、

いまとなっては、娘の私でも、一番わかりにくいところがあるwww

 

 

自分個人の欲得が最優先で、責任を持って対処せねばならない子どもの将来なんか二の次にしておいて、こんな不出来な親でも、本人たちは、親として正しいと信じ切っているオメデタイ者だって現実にいるよ。


 

彼ら自身も また、彼らの親に対して、深い怨みを抱いていたんだ。

でも、憎しみだけだったかというと、そうでは ない。
父親と母親とでも違っていたり、いろいろ微妙で複雑なんだ。

 

私自身は、もう幼い頃から、恐らく、人並みの意味での幸せというものは、自分には ないかもしれないと、まだ、言語にする能力もない子ども心にも漠然と予感していた。自分の親らを見ていたら。

 

中学生になってからは、早くも、自分は、子どもを持つまいが よかろうと、心のうちに思ってきたし、実際、持たないできた。

だから、少なくとも、代々の親の、なさけなくも醜悪な連鎖を、自分のところで止められる。

 

 

どんな障碍でも、自分と無関係でおれる保証はないのだ。

これも「理不尽」な現象だし、「不条理」なことではないか。

 

思えば、

人類の壮大な闘いの相手は常に、「理不尽」「不条理」だ。

しかも、ここには、人という存在も含む。

 

 

(続く)