2014.08.21 (Thu)
『「吉田調書」開示求め提訴=原発訴訟の原告ら―東京地裁』
時事通信 8月20日(水)16時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140820-00000087-jij-soci
あの証言は吉田さんがそう認識していた、というだけで、実際にそうだった、と言う確証は無い。
死期を悟っていた吉田さんが、吉田証言が真実だと一人歩きしてしまった時に誰も検証も修正も出来なくなってしまうのを恐れて非公開を要請した、という話だったはず。
なので、吉田証言を客観的に検証することの出来る人に~
さて、どうだろうか。
故 吉田氏にとっては「真実」だったのか どうか、それすらも、さだかには分からない。
たしかに、自身の死後を つよく意識しているときは、それが、死を もって何事か訴えるという目的でもある場合でないなら、
ことさら「敵」に まわすとか、「敵」を つくりかねないような関係性は残さずキレイにしておいて、他界に赴きたいものという心情はあることだろう。
「あの おっさん」とか?w
その時まさに現場に居た火中・渦中の人であっても、当人自身の記憶や判断の流れに自信が持てない、これが実際の、現実というものなのかと。
大きな歴史上においてすら、ままあることでもありそうだ。
ご本人生存しているものならば、のちに説得のもって行き方もあったやもしれないが、
この人の生前、公開拒否申し入れがあったというなら、死後も意志として守り通してあげたいという気持ちは分からないでもない。
が、
その吉田氏は、なんと言っても、東電側の人であった。
しかも、現場で最も重い職責に就いていた人であり、
各界・各方面においても、各々の立場で責任あるはずの、数多いる人々のなかで最も分かりやすく、決死の職責を最後に果たされ、そうして世を去っていった人であるということ。
氏の軌跡である これらは、もう大きくは揺るがないことと思う。
ただ、一般的社員に過ぎない立場の人々については、現に生きてもおられ、同時に被害者を兼ねているという場合も少なからずあるわけで、むやみなバッシングに晒されないことを期する手立ては重々必要だろう。
そういった諸々のところも、事前に よくよく踏まえ、心しておいて目を通すことは、じゅうぶんな理性と判断力、謙虚さを備えている者になら、平凡な一般人と言えども、可能なはずと思う。
このことは、ずっと前の、朝日新聞による「吉田調書」の話題が出ていた頃、これを とりあげた当ブログ エントリーでも指摘しておいた。
直接的関係者以外にも、専門筋の人々や各界の識者たちは、公開されれば、時間を割いて、慎重に目を通すだろう。
だいたい、ややこしい経緯の話を、専門用語混じりの長大な文書で読みとおせる一般人は、そりゃあ限られるであろうという指摘も尤もだろうが、隠蔽せず、公開されること自体には大きな意味がある。
隠蔽し通して済むことでは決して ないのだから。
また再び言うが、
ただ「故人の遺志」を盾に非公開を貫く旨、現政府の人間が、つい先ごろ言い切っておきながら、こういう事態に至っているのも、はなはだ不審である。
どういうことなのか、官房の菅さんあたりでもいいからwきっちり説明してもらいたいものだ。
多分できないのだろうけど(嗤)
事は、全国民が当事者として関わるのは勿論だし、日本国の外部にさえも及んでくる問題であって、特定関係者のみに帰することではない、甚大な事態に繋がっているのだということを、もっと認識すべきだと思う。