2014.08.18 (Mon)
「天才」ゆえになされることというのは、
それは、「努力」というものが、どれほどに関係するのだろうか。
いや、「努力」できること自体が、一つの「天才」だという見方もある。
私の思うに、
第一には、本人の持続可能体力かつ気力、
そして生育環境が、どれほどのチャンスを用意できていたかということも大きく左右するところだろう。
「凡人」「凡才」と見做されたままの一生を終える人々だって、その殆どは、せっかく持って生まれていた大きな長所を掘り出し、磨くチャンスに恵まれなかっただけのことだという。
逆に、人並み以上の機会等に恵まれて、本人も渾身の努力を続けていても、最後まで実を結ばないことも多々あることだろう。
『自閉症の一つといわれているアスペルガー症候群。原因や症状は?』
Mocosuku Woman 8月16日(土)21時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140816-00010001-mocosuku-hlth
~
人類の叡知とか言うが、その叡知はすべて、一握りの突出した天才が作り出したものだ。
~
それは違うと思うぞw
「人類の叡知」と言うが、
科学方面なんか特にそうだが、
世にゴマンと居る優秀な研究者・学者の殆どが、地味なこと この上ないチマチマとした実験を、何のために、膨大な時間を費やしてまでコツコツ続けているというのか。
実際、「人類の叡知」と呼びたくなるような事象というものは、単なる偶然と、それによる発見が齎したものであることが多いのではないか。
たとえば、
「芋を洗い始めた猿」とかいう逸話にも、若い個体から始まっているといった、興味深いことが幾つも潜んでいる。
分かりやすい例を あげれば、一番大切な食べ物。
何を食べて だいじょうぶなのか、危険か。人体実験ではないが、こういうのは、偶然分かったことが最も多いだろう。
身近の誰かが食べたとたん、体調を崩したとか、間もなく死んでしまったということがあれば、まともな知能さえ持つ者ならば、以後、よく注意し、学習するはずだ。より必要性があれば、可能性をパターン分析し、それらは、やがて膨大な蓄積を成す「データ」となっていく。
あえて「天才」と呼ぶべきは、このように、通常人が、やっと判明、または身に付くところまでに、相応の時間を費やして学習や訓練を行なう、その学習や訓練を殆ど、あるいは全く必要とせずに到達するのが、先天性のものとか「天才」の なせるわざと言えるだろう。
もしくは、ある目的に到達する確実なルート等を、パッと見分けられるとか。こういうのは、俗に、「勘が鋭い」と言い慣わしてもいる。
「端折っても いける」という能力、
通常人においては、「あれ」とか「それ」とか、
ことに日本語遣いにおいては、必要以上に主語を省いていても理解でき、通じるなんて芸当もあるわけだけれどw
ことばを端折ると、たちまち通じなくなるのであれば、省かずに、きちんと足せばいいだけのこと。そういう方策が必要な人もいるのだ、ってことだろう。
わざわざ「アスペルガー」ってことじゃなくても、
たとえば「隠語」の存在に見られるように、部外者には通じにくい、ピンと来ないなんて、いくらでもあることだ。
どんな「天才」であろうとも、すべてにわたって万能ではなく、それどころか、
むしろ、限定的で大いに偏っているからこそ「天才」と呼ぶに足り得るのかもしれない。そう、往々にして、ごく狭く偏っているということ。
たとえば、数学に関して極めて優秀であろうと、あるいは音楽の才能があろうと、はたまた「霊感」に優れていたとしても、彼らの「得意分野」以外における その発言内容の価値や、人となりの良し悪し如何とは別ものであり、いたって局所的、限定的なものだ。
ちなみに、例の「カルト連」ね。
あの連中は、なぜか、やたらと「アスペルガー」であることを自慢するふうの癖があってねw
どうやら、「天才」の呼称に餓えてるらしいんだけども(嗤)
「天才」が無理なら、せめて「芸術家」(爆)
ああ、それと、「サヴァン」とかいうやつ。これも同じくで(嗤(嗤)
ただ しかし、「サヴァン」てのは、「賢人」と言いながら、その実、思考力とは関係のない現象でしょうw
たしかに、「天才性」というものは、思考力と本来無関係に、すでに得意なものとして備わっているのだろうけど。
さて、
実際問題、「人類の叡知」これには、人類の息の根を止めかねないほど迷惑なものも含まれて存在する。
それこそ、(女性性の変異・異常とも見える男性お得意の)戦争や軍事目的に伴って発生し、やがて、日常生活に用いられるように転換していった物事は多い。
こんにちでは、まず、原発だとか、インターネットの出自が そうだという。
だが、はて、そんなにも必要に迫られたものだったのか、というと、大きくクエスチョンが付く。
かの南方熊楠という「天才」と称された学者も、その家族・身内にとっては、ただワガママ身勝手で、迷惑このうえない存在だったという。
うちの親なんかも、非常に頭の回転が速く、学校も よく できて、芸術方面の才能もあったのが、脳に局所的異常があったことが分かったということは、先日のエントリーでも述べた。
また ちなみに、
「左利き」って、これも一種の脳の異常なのだということを、科学系記事で読んだことがある。
欧米人に多いようだという印象があるんだけど、違うのかな?
『「左利きは天才肌」はウソ?ホント?都市伝説と化した「左利き天才説」の真実について検証してみた!』
2014年04月23日更新
うちの母のほうは、もともと左利きだったし、私にも少し、その片鱗はある(概ね右利きだが、場合によっては、左の方が断然やりやすい)。
母は、やがて両方とも基本的には同じくらい不自由なく使いこなせるようになり、学校時分は、クラスメートに羨ましがられたと言っていたが、何を やっても要領良く、とても器用な人だった。
ただし、文字や絵を書く(描く)こと以外は!(笑)
母にとって、けっこう深刻なコンプレックスだったようだ。
あ、今ごろ気づいたが、もと左利きのせいか?!
それほどヘタでもなかったし、絵では、賞を取ったこともあるそうなのに。
子である私にとっては、産まないでほしかったとまで思うほどに、はた迷惑な存在の親たちだったが、
彼らも、華々しく世に打って出るチャンスを逃さず掴んでさえいたら、大きな時代の流れに乗れていたかもしれない。
私とこは、他の身内でも、美貌を誇り、センスの良さを誇り、美術方面の批評能力には天与のものが見受けられたが、のちに、精神に明らかな異常を来たした者とか、
人格障害が何十年経ってもサッパリ緩和されないまま、相変わらず精神科に通い続けてる者もいる。
その娘は、親が切っ掛けなのか、それでも父親のほうには経済的余裕があったので、それに助けられて、いったん就職、結婚し、すぐ離婚してから、4年制大学に入り直し、院を出て、臨床心理の資格を取ったとかいうのだが、
幼い頃、その性格の悪さで、さしもの親らをも嘆かせていた この娘、
知っている私から見て、まるで役立たずな凡庸者でしかない。
およそ研究センスなんてものがあるとは思えんのだが(苦笑)。
(続く)