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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.08.18 (Mon)

 

【続】「天才」ゆえになされることとは

 

というわけで、

家族や身内、職場でも、精神や知能に問題ある人たちを少なからず、そばで見てきた私は、結論としては、彼らを無害な存在なのだとか、ましてや、必ず有益を齎す天才性を持っている存在だとか言って、むやみと肩を持つ気には、とうてい、なれない。

 

 

同時に、「普通」の脳とは、どんな脳で、そう言い切れる脳などあるのか?という疑問も持っている。

 

いわく「アスペルガー」にしても、聞くところでは、「何割アスぺ」とか称して、要するに、ほとんどの「通常人」は、明白には気づかずにおれるだけのことに過ぎないと。

 

 

もちろん、これも何度か言及してきたように、どんな人にも本来、長所や、磨きを かければ光り出す面はあることだろう。

ただ、こと精神とか知能方面の問題を抱えている場合、それが明らかなレベルであるほど、欠点も また、非常に大きいものになるってことだ。

 

しかし、幸い、自他が承知できていれば、周囲の共有があれば、これを つぶさに研究し、予防的対処も可能になるだろう。

うちの、精神科患者だった身内も、自分で納得して以降は、自発的服薬を怠らず、調子が悪いときは、真っ先に自分自身で気づけるようになっていった。

 

 

あるいは また、「治療」というものが存在しないとか、

もっと困惑させられるのは、何らかの「隠れ」と言うべきような場合だ。

おもてに明らかには出てこないだけに、始末が悪いこと このうえない。

身近な者が、人知れぬ苦労を味わうことも多いのが実態と思う。

酷いときには、無辜の者の人生をも破壊さえしてしまう。


 

 

凡人にも存在意義があるってことは喜ばしいが。

 

さて、

こういうコメントするってことが、すなわち、この投稿者ご本人は、とりもなおさず「凡才」「凡人」である表れってことなのかもしれないが。。。w

あのね。

じゃあ、「天才」とか、「(これこれの分野について)間違いなく天分が認められる」とか、周囲から評されていた私が逆に聞きたいのだけども。

 

いわゆる「天才」の存在価値とは、畢竟、どういう人々が つくりだしてるわけ?w

 

要するに、「天才」とは如何なるものかを理解できてる人々とは?

ってことよ。

 

 

「天才」と呼ばれる人にとって、「凡才」と目される人たちが大勢居てくれてこそでしょうにww

 

 

私なんか、どれだけ天分があるとか言われても、じつに残念なことには、その方面が好きなわけでないので、他の苦手分野と同様、努力も何にも せんにんw

ただただ「好き」、というエネルギーには勝てませんww

 

なのに、できちゃう、わかっちゃう。

 

つまり、多かれ少なかれ、ある程度「端折れる」んだ。

なぜかと問われても、
ある分野においては、努力まったく関係ナシにできてしまうんだから、しかたない。

生まれついての「絶対音感」等と同じかな?

 

 

「天才」って、「来るのが早過ぎた」云々とか言われることも ままあるようだけど、つまり、「時代が追いつかなかった」とかってね。

このへん、時間のプロセスをイッキに「端折れる」という天才性と関係してそうではある。

学校では「飛び級」とかもね。これは、IQの際立った高さがモノを言うけど、

芸術分野は、その点、IQ抜きにできる有り難い分野だからねwそりゃあ、承認欲求の奴隷みたいなのが、われもわれもと、「あーてぃすと」を主張するわけだww

 

 

精神の異常や知能の極度な高低これは必然的に、まず思考力全般に作用を及ぼすし、感性面にも大きく影響するはず。これらと、何らかの「人格障害」等が重なっていることは多いだろう。

 

結局はバランス。

偏りの程度。

 

 

いつだったか、もう数年前に、例の「OKウェイヴ・おしえてgoo」で回答したとき、こういうことを述べておいたことがあった。すなわち、

「精神や知能における何らかの障碍があるということが即、天才と呼ばれるべきことや大きな功績を産み出すと限ったわけではなく、
ほとんどの場合、ただただ平凡な人生で終わったり、それどころか周囲の お荷物的存在で終わってしまうことも ままある、というのが多く現実ではあるということ」。

 

そのとき同席していた回答者のなかには、まったく別人の質問スレッドだが、やはりアスペルガー障碍にまつわる悩みごとに関するスレにて遭遇していた人もいた。

 

その回答参加者自身も、外国人(ヨーロッパ圏だそうな)である配偶者や子どもさん等ご家族が、「ディスレクシア」とか言うのだろうか、識字障碍等を持っていると告白されていた。

もっとも、(私は、後になって気づいたことだけれど)
この会員さん、どこまで本当の話、事実を述べていたものやら、保証の限りでないのは、ネットの宿命か。

 

 

で、その人は頻りに、そういった「精神や知能における何らかの障碍があるということが即、天才と呼ばれるべきことや大きな功績を産み出す」という ご主張だったがね。

これは これで、逆に差別だとか、別様の問題を生じさせる恐れがあると、私は思うわけ。

 

じゃあ、なにかい、「天才でなくば、生まれて生きてちゃいかんのか?」って問い返したくもなるしw

 

 

だいたい、てい良く劣等感の代償にすべきじゃないわな。

 

当事者の辛い、やり場のない気持ちも全く分からなくはないけれども、

それこそ、「紙一重」になりかねん。

 

 

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