2026.03.01 (Sun)
なんと、3ヵ月以上のゴブサタになっていたわw
じつに、お久でございます。
近年は、家計の苦しさと栄養失調度が深まってきたせいか、いよいよ、体調の悪さを繰り返すようになって、ますます滞ってしまってる煩わしい家事の処理やらアレやコレやで、ブログの更新を後回しに し続けておりましたら、あっという間に数ヵ月。
この間も、思わず「怒髪天」な出来事は相変わらず起き続けていて。
そのなかの一つは、私個人的「怒髪」順位としては、比較的低めだったとは言え、ほら、不倫相手のオッサンと、よりによってラブホ通いするのに、よりによって!公用車で乗りつけてたとかいう、『前橋』の市長。泣きの涙で再選挙まで やって、その あげく、よくも、こんなの再選させたもんだと、そこの市民までキライになっちゃったけどな。
なんせ、知人の母親が、『群馬』県の出身者で、凶悪な虐待親だったと聞いてるもんだから、なるほど、あのあたりは、大昔からキッツイ気性の女性が名物的に知られているだけのことは あるのかなと、かねてから、イメージ良くなかっんだw直に接したわけじゃないから、私の勝手な想像だけどね。それは ともかく、こともあろうに公用車でラブホ通いしていたとかいうこと、同じく不倫騒ぎを起こして、結局は、議員でもなくなった女性が いたでしょ、もともとは『民主党』のね。この人の騒ぎのときにも言ったけど、私は、「不倫」そのものについてガーガー言いたいわけでもないんです。そりゃ、自分自身が、ダブル不倫で産み落とされたから、というのじゃないけれど、要は、公人の立場でありながら「わきの甘さ」剥き出し、だったがために、仲間や周囲に迷惑かけたのが、いやだなと思うわけ。
それにしても、騒ぎの渦中でギクシャクして離婚した相手の姓から旧姓に戻したらしいのに、次の立候補時は、またぞろ、別れた相手の姓へと戻すんだそうで、これまた、みっともないね。まあ、そんな話は ともかく、
前橋市の「公用車でラブホ」の市長ですが、自分がトップに君臨している自治体の市民の家庭を破壊するような不倫のことも、いまでは心底から反省していて、初心を取り戻し、真摯に、粛々と仕事に邁進しているのなら、それは それで、と思いきや、再選後の態度が、とたんに、あからさまに悪く、ぶーたれておるという話を見かけたので、やっぱり、許しがたいなと思っちゃうわ。
ま、しかし、
やはり、最近で最も立腹したことは、「寝耳に水」的に唐突だった選挙ですね。
しません、しませんと言いつつ、結局、やったわね。
いまでは、言ってたことと、やってることが、あからさま以上にチグハグのアベコベ状態が剥き出しとなってしまってる高市さんは、「嘘つきサナエ」とか「タコ市」とか「つぼ市」とか「タコつぼ」とか、まあー、いろんな仇名で呼ばれてますねえw
で、例年以上に冷えて、ここいらでは珍しく雪が積もったなかを、しかも、おり悪しく痛みが ぶり返している足腰を なだめつつ、投票に行きましたがな。
たしかに、これまでに比べて、比較的、若い層の有権者が多めに来ていたですわ。
あの人ら、やっぱ『自民党』に投票したんかね。。。
毎回、異様なまでに早すぎる選挙結果の予測報道を見るにつけ、投票に行くのを やめたくなるのだけども、毎回、萎える気持ちを叱咤して赴いてきましたがね、
今回という今回は、心底、やめたくなりました。
そして、「案の定」どころか、それを はるかに超える結末を迎えましたな。
まあ、考えようによっては、今回の選挙で、大圧勝した『自民党』は、「右」から「左」まで拾って、あらためて、ひととおり揃ったカタチになるのだろうか?
従来、『自民党』内には、言わば「右から左」まで、ひととおり揃っているのだと、そういう定番の説も ある。
だから、自民党以外の政党は必要ない、とでも言いたいのかな。
しかし、少なくとも近年は、「左」の要素は顕著に薄れゆき、かと言って、本来の「右」とも呼び難い、正確なところを言えば、自民党というものは、『アメリカ』によって誕生させられ、アメリカによって育てられ、いずれ行く末は、アメリカの忠実な奴隷となるべく教育され、しつけられてきた、その出自と性分とが、いよいよ、あらわになりつつ あった、
そこへ持って来て、第二次 安倍政権で総仕上げかと思いきや、なんの まだまだ、高市政権こそが、最後の総仕上げということらしいのだが、
この総仕上げというのは、つまり、「とどめ」ということだ。
そこまで行き着けるか否か、まだ ちょっと断言しがたい。なぜなら、高市政権は、就任当初も当初から、新首相の属人的と言えよう理由で、とんだ失態を曝け出しているので、これの結果がハッキリと見極められるまでには、もう少し かかるのだろうし、もしかしたら、もっとトンデモな失態をば矢継ぎ早に重ねる可能性も あるので、要するに、ぐらぐらぐらぐらしているのである。
いかに、有象無象も折り重なって、まれに見る支持率を得たと言えども、なかみが全く伴っていない、まさに「白紙委任状」の紙切れペラリと1枚、それを、サイズだけが、むやみに大きな、派手な色柄の紙箱に放り込んであるだけで、外側を見るぶんには、どれほどの立派で見事なデコレーション ケーキが隠されているのだろうかと、期待を誘っているだけの現状だからである。
あれも これも、遅いんだ。
「野党を育てて来なかった」という指摘は、もう10数年も前に、私が指摘してきたことだが、
とにかく汚い『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』であっても、これを支持し続けていたコア層以外の有権者にも、「頼りない野党に任せるよりは」という、多かれ少なかれの危惧感は あるように思う。
私ですらも そうだからw
さて、
「軍事力を高めておけば おくほど、攻め込まれる危険性が低まり、抑止力となるのだ」という、あまりに単純な図式を固定した主張は、「右翼」や「ネトウヨ」の定番だが、ほんとうに そうだろうか?
ならば、なぜ、『中国』は、その旺盛な軍事力強化と、強硬な姿勢は(なので、私は、中国というか、いまの中国のトップに対しても、厳しい視線を向けているわけだが)、わざわざ、多くの日本人の警戒心に火を点け、不快感を募らせるように仕向けているのだろうか。
日本が、ここに来て、「右翼」や「ネトウヨ」連中以外の国民にまで、「軍国主義」をも容認しかねないほどの雰囲気を広げてきている原因は、中国の姿勢や態度に大いに刺激されてのことであるのは、けっして否めないだろうと、私でも思う。
中国が、あんなふうでなければ、日本も、いまのような雰囲気にまでは なっていなかっただろう。
もっとも、常に、日本を嗾けようとするアメリカへの御機嫌取りは、それは それとして、やむことは ないのだが。
この、中国に見るケースの分析については、言わば「国家心理」「民族心理」と呼べるような観点をも、むしろ一大要因として考察しうることは明白だろうと思しいが、
どっちみち、これまでにない軍事費の爆上げと、それを受け入れさせる、日本国内の雰囲気づくりに、中国(そして台湾)は大いに役立ち、アメリカも、それを大歓迎というところなのだろう。
だが、遠からずして、中国は、アメリカを追い越す可能性が あるという。
そのとき、日本は、どうするのだろう。
そのような視点には考え至らず、もっぱら逆の、そして、とても浅薄な視点からのみしか主張しえない「右翼」ならびに「ネトウヨ」に対して、私は、いつも、ほとほと、溜息を ついてしまうのだが、
ことは、右翼やネトウヨに限ったものでは なくて、むしろ、「左翼」とか「左派」とか「ヒダリ」とか、あるいは「リベラル」とかいうグループの人々にも見受けられることが、けっこう たびたび あることなのである。
その一つの事例が、直近では、山田 順氏というかたのコラムの「世論に背を向け」「男系男子に拘る」「血筋だけが伝統ではない」という見出しに対して言える。
もっとも、本文は全く読んでないというか、大概の場合、私は、そうなってしまうのだが、見出しを見ただけで、やれやれ、と感じるような場合は、本文を読む気が起きないからなのだが、
山田氏の、くだんの見出しというものが、要するに、「男系男子」に拘っているということは、「天皇・皇室の血筋さえ引いていれば よいということ」なのか、いや、そうでは ない!という主張を込めておられると見て、そういう趣旨で合っているという前提で言うのだが、はっきり言って、それならば、全く、筋の通らない主張だ。
「男系男子」に拘る必要など皆無であり、したがって、これまでの仕来り、つまり「伝統」に反することだろうが、女性だろうが女系だろうが『天皇』に即位することを認めるべきだ、という主張のほうが、むしろ、よっぽど、
「血筋さえ引いていれば よい」
という主張 そのものになってしまうのだが、
このへんのことに、なぜ、考え至らない人ばかりなのかが、私には理解し難いのである。
「右派」「左派」双方とも、
「このままでは、『皇室』が存続できない」「男系に拘っているほうが、存続を困難にさせるのだ!そんな右翼のほうこそ、皇室を潰そうとしているではないか」云々と、
眺めていると、まさに、ゲンナリしてくることを、双方が言い合っている。
まあ、私自身は、時代錯誤は いいかげんに切り上げて、「共和制」にでも移行するのが、現代人たる筋としては真っ当だと考えている立場なのだが、まあまあ、いまの『天皇』ご夫妻のセリフを借りれば、「自然に任せて」おけば いいとも思うし、
いや、愛子さんにしても悠仁さんにしても、決して「自然」なる出生方法でなかったことは、われわれだって知っていることなのだから、今後も、
「不自然な」方法を用いてでも存続させることだって可能なはずだろう。
自然でも不自然でも、いずれ、存続は不可能ということにしかならないのであれば、なにを無理することが あるのだろうか。
ヨーロッパ随一の『ハプスブルク』も、世界一の華やかさで鳴らした『ブルボン』も、はるか昔に潰えて、それでも、誰も何も困ってない。
おりしも、諸外国の『王室』では、世界じゅうを仰天させ、幻滅させるような醜聞が、これまでにも なかったほどの凄まじさで噴出している。
日本の『皇室』というものは、単なる「血筋」のみならず、「祭祀」と、それに伴う仕来り、ルールが、勝るとも劣らぬ重みを持つ「二本立て」のシステムとなっているのだから、ここで、片方の「血筋」だけ重視して、本当の「伝統」たる「祭祀」上の仕来りを捨ててしまっていいのであれば、それは もう、諸外国の『王室』と同じことなのだから、韓国人あたりが呼ぶように『日王』という名称で よいのである。
このように、私は、以前も指摘してある。
祭祀に熱心では なかったという『昭和天皇』は、「万世一系」というものは、ファンタジーだと言い放たれた。そう言ってしまうのなら、『皇室』に まつわる全てのことは、ファンタジーに過ぎない。
まあ、どこの国の『皇帝』だの『王室』だのも、突き詰めていけば、ファンタジーだ。おとぎ話で着飾っているだけ。
ところが、しかし、前の『天皇』と現『天皇』は、祭祀を熱心に執り行っているという。
彼らは、特に政治や社会のことに関し、ほぼ全く、自身の意見や主張を述べることが許されておらず、述べることが あるにしても、ほぼ「お約束」どおり、打ち合わせどおりの、政府や役人に用意してもらったものを、公の場で読み上げる以外のことは、たとえ自分たちの「家」のことや、主宰している『神道』についてであっても、何も言っては いけないのだろうか。
しかし、いくら何でも、『皇室神道』の祭祀事についてだけは、『天皇』が、最も、身をもって知っているところを述べる資格が あるのでは ないのか。
はっきり おっしゃったら よろしいのにと、かねて思ってきた。
「祭祀事も、代替わり儀式も、男系男子が やろうが、女性(女系)が やろうが、何ら差支えは ありません」と。
何なら、「祭祀事も、その関係の儀式事も、一切、なくて構わないことです」と、はっきり、おっしゃったら よい。
そうすれば、この先は、女性だろうが女系だろうが、「血筋」さえ引いていれば よし!と、われわれもスッキリ納得できるというものでは ないか。
この現代の、この ご時世に、莫大な税金を注ぎ込み、大きな儀式のたびに、日本社会の あちこちで、滞りを起こさずに済む。女性あるいは女系の『天皇』となった人にも、負担が のしかからずに済む。
でも、おっしゃらないのよね、これがw
【続く】