2016.01.05 (Tue)
岡 潔という人について、ひょんなことで検索してみたんだけれど、
ええと、この記事がキッカケだ。なかなか興味深く、オモシロかった。
『日本会議/日本青年協議会の宗教的活動の実態――シリーズ【草の根保守の蠢動 第26回】』2015年12月26日
で、
「ウィキペディア」等を、ひととおり読み流してから、
最後に、松岡正剛さんとこの記事を読んでいて、
途中まで来て、読むのを中止したw
セイゴオ氏のような書き手さんにとって、とても不本意な読み手の反応では あろうけれどね。
まあ、また暇なときにでも、続きに一応、目を通すかもしれないけど。
もともと、普段は、たとえ、どんなに鼻白んでしまっても、最後まで読みきるのが、私の癖だ。
また、岡 潔氏の唱導されていたところによっても、この故人に お叱りを受けるかもしれないけれど、
私が、中途までで、読むのを止めたのは、
いわく「未知」のものに対して、分からないから、とて打ち捨てたのでは なく、その逆とさえ言っていい。
すなわち、岡博士の述べ立てた内容に、かなりの思い込みの強固さが見て取れたからです。
岡博士の述べたというところを、そのまま引用して紹介しておられたので、当該記事の筆者であるセイゴオ氏自身に咎は ないのだけれど、
博士は、たとえば、幼児の発達段階を示唆し、もって、自分の唱えることの根拠に用いていたりするのだが、
これ一つ とっても、
私自身の実体験(無学無教養な低学歴の私には、これが最大の武器w)とは相容れないものなのだ。
すなわち、現実に そぐわない説だということ。
要するに、この博士は、ステレオ タイプと言っていいほどの、非科学的思い込みを、論の根拠に据えられている箇所が、セイゴオさんのコラムによって知れたわけ。
まあ、言っても、この先生も、いまから見れば、そうとう昔の人なんだし、
たとえば、「数学は、芸術です」と明言した広中平祐氏のことを取り上げた小論が、学生時代の数学担当教師に注目され、全校に向けて強制的に発表させられたこともある私は、数学と音楽の性質は酷似してるんじゃないかと指摘してきているように、両者究極のところを指せば、もう、リクツではない世界ということは、早くから理解してるけど。
うちの親や兄弟姉妹たちも そうだったが、単純に計算が得意で早く解答できるだけでは、本当に、数学というものを理解しているわけじゃないのかもしれない。
真逆に、
父方母方の双方とも、身内一族に全く似なかった特異なる生まれのw私ただ一人、算数レベルから まるでダメダメなのに、どういうわけか、数学的思考回路だと言われたこともある。
でも、「集合」論の方面なんかは、わりと得意ですの
しかも、岡博士の場合、歴史上の伝説に過ぎないことを、事実であるように取り上げて、称賛していることもあり、このへんは、まさに、
ウヨの お得意、歴史修正主義の源
みたいな感wなるほど、ここかぁ、と思った。
この類稀なる数学者が、あの『日本会議』だか旧『生長の家』だかの信者らに崇められているわけだww
ただし、博士の言い遺された、あれこれの言説には、あの「カルト連」のストーカー野郎に、
「乾ききった砂漠の砂」
と罵倒された私の共感するところも含まれていて、多くは、理解も容易く可能だったよ。
岡氏と、かねて私の敬愛する三木 清氏双方とに共通した思想も垣間見えるところが あり、
三木氏にも、私なんかは思わず、首うなだれてしまうほど厳し~い指摘が遺されているけれど、
あくまで私の実感レベルにとっては、潔さんよりも、清さんの論のほうが、もっと すんなりと入ってきて納得できたなあ。
まあ、そんなとこでした(笑)
2015.11.12 (Thu)
『違憲イケン痴漢アカン』
の続き。
実家にいた頃は、おふろを覗きに、夜な夜な通って来ていたやつがいたし、
そいつに、こっちから、いきなり窓を開けたひょうしに、お湯を ぶっかけてやったこともあるし、
当時は、あれや これやの痴漢を経験して、つくづく、
「痴漢百態」
という著書でもモノそうかと、本気で考えていた。
一人暮らしを始めてからも、仕事で遅い時間に帰宅途上で襲いかかられたり、
下着を盗まれたりといったことも何度か あった。
それも、
普段履きの、くたびれたオバパンだけ残して、わりと奮発した下着を干したときにかぎって盗られちゃうんだから、まじで腹が立った。
あ、そうそう、
いま渦中のさなかにある、安倍政権の「パンツ大臣」さんね、
あのひと、若い頃、他人さまの下着盗む際に、とある民家に忍び込んでということだそうだけど、
合鍵を拵えてから入り込んだっていうんでしょ。
起訴されてなかろうが、これが事実なら、犯罪者と呼ばれてもしかたないよ。だって、犯罪行為だもん。
私は、その話を知ったとき、下着ドロ以上に、合鍵云々のほうが、もっと恐いと思いましたわ。
だって、もしも、狙われた女性と鉢合わせでもしてたら、周囲に誰もいなかったら、と思うと、ひらきなおった場合、なにが起きてもフシギじゃないからね。
けっこうなトシになっても、通勤電車内で、お気に入り服のスカート部分を汚されていたのを、会社に着いてから、同僚に指摘されて、あっと気づいたことがあったりと、
私の被害は連綿と続いていたので、あるとき、またぞろボヤいていたら、
一年じゅうGパン姿でガッチリ通している同僚が、
「あんた、スカート履くの やめよ、Gパン履いてたら、チカンなんか寄ってけえへんでぇ、いっぺん試してみ」
と、強力にアドバイスしてくれた。
ただ、このひと自身は、スカート着用時だろうが、痴漢された経験じたいが全くと言っていいほど、ないということだったが
スーツでも、パンツ スタイルよりは圧倒的にスカート姿で出勤することが多かった私、さっそく、自宅用にしていたGパンを着用して乗車したのだが、やっぱり、痴漢に遭った。。。
この同僚が、「トシいって、ラクになった」とか言ってたことがあるのだが、
男性一般に対して、心底では常に、あるていど身構えざるをえなかったのが、いつしか、必要なくなったという、めんどくささから解放されたみたいな実感は、自分自身にもあるw
引き換えみたいに失ったり捨てたりした楽しみも全くなくはないのだけど。
それでも、
私自身はフシギと、強姦とかいうほどの深刻な犯罪までは巻き込まれずに済んできたので、もっけの幸いだったが、
ここまで自分がトシくってみて、そのことによる何か良いことあったかしらん?と考えるに、
一つ言えるのは、間違いなく、痴漢の類や性犯罪の危険は、あるていどの年齢あたりから、グンと減少したこと。
この点では、性的な方面の犯罪ってのは、傾向性がハッキリしてるほうだよね。
でも、
学生の頃、電車のなかで、チンピラふうの連れの若いもんを そっちのけに、中高年のオッサンどうしで、お手々を握り合っている光景も目撃したことがあるよw
かたや、着古した作業服、かたや、ダブルの金ボタンスーツ着用のヤーさんふう、という面妖なカップルだったが、どういう人間関係ww
あとね、
私には、かなり年上の女性からも、もろな性的被害の継続した経験あります。これも、まだ子ども時分のことだったけど。
実際、めずらしい事例には違いないと思うのだが、
女性でも、こういうことを やるタイプってのは あるみたいだ。
その女の場合、のちに、結婚し、子どもを産んでから、いよいよメンタル面の問題が大きくなってきて、「人格障害」という診断が下されたと聞いている。
実は私、性的には、いわゆる「バイ」に近いと言うか、むしろ、女性のほうが好きなくらいなんだけどw
なんだかんだ言って不快感の伴う経験ではあるので、この話、ここでは詳しくは述べない。
この女の子、べっぴんさんで、セクシーで、魅力的ねえ。
最近になって知ったのだけど、リマールも、ゲイだという。
若い頃の彼には、そんな雰囲気は、ほとんど感じなかったので、かなり意外に思えたけれど、
近ごろの風貌を見たら、なんとなく、分かるよーな気は する。
『ネバーエンディング ストーリー』で組んだジョルジオ・モロダーっていう、この人の容姿を見たことはなかったんだけど、この名前じたいに、なんかホモっぽいものを感じるのよ、もちろん、私の勝手にねw
なので、この当時に、リマールは、何か されたのではと、そういう感じが したのよ、私の勝手でね、もちろんww
実を言うと、むかしの私なら、好きなタイプの男性が、彼はゲイとかホモであると聞いたら、むしろ、悦んで歓迎していたw
そういうことであっても違和感ないようなタイプが、当時の私の中心的な好みだったからというのも大きいかもだけど、
あらためて過去を振り返ってみれば、
ことに男性に対しては許容度が狭くて、好き嫌いの激しかった私が、
意外なことに、なぜか、けっこう、幅広く、異なるタイプの男性を好きになっていたりしてんだなあと、われながら驚いた。
あの人、その人、この人、全然、ちがうタイプだし。。。うーむ?
トシいってからのリマールを見て、けっこうショックも冷めやらぬに、
今度は、バッチリお化粧して出てる動画を見たとき、
最初は、普通の中年女性と思っていたら、リマールだということに気が ついて(また、彼の耳を見たのw)、またまた、かなしい気持ちになったw
『ジュテーム・モア・ノンプリュ』かよww
好きな男性が、ゲイだということを知ったときの、女性側の複雑な気持ちなんて、むかしの私には、ピンと来なかったし、かえって悦んでたというのにwリマールったら、もう、いまごろ、こんなトシになってから、私を悲しくさせるのねww
『<007>「ボンドガールじゃないわ」51歳ベルッチさん』
毎日新聞 11月10日(火)13時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151110-00000033-mai-soci
2015.11.08 (Sun)
『女性を彩る「きらめき」の影、雲母採取の児童労働 インド』
AFPBB News 2015/11/2
「安倍朕持ち上げ連」ときたら、自民党擁護ならびに韓国、中国罵倒コメントを大量に つけることには熱心なのに、それ以外のはサッパリ、というのがアカラサマ(嗤)
よりによって、この「経済大国」たる日本において、
子どもたちの貧困と連鎖問題が悪化の兆しを見せてきているというに、安倍政府・自民党は、何やら、寄付を募ってるらしいのだが、
安倍朕にも自民党にも「持ち上げ連」にも、まったく関心がない私は、彼らが何を言おうと、露ほどの興味も湧かない。
ところで、旧のブログでも書いただろうか、
母の話では、私は、幼い頃に一度でも与えられた本を、繰り返し繰り返し飽きもせず読み続ける特徴のある子どもだったという。
そんな私が親しんだ、かずかずの童話のなかで、いまだに鮮明なイメージ、鮮烈な印象のまま残っているものが、洋の東西を問わず幾つか ある。
ことに、『幸福の王子』にせよ『大男の庭』にせよ、いずれも、あのワイルドの作品であるということを、ハイティーンから20歳代あたりにもなって初めて知り、ああ、そうだったのかと、妙に納得して頷いたものだ。
というのは、
的確に表現するためのコトバも知らぬまま、幼心に、『幸福の王子』や『大男の庭』に出没する、いたいけで清らかな少年の姿に極度に凝縮された、ある「耽美」の匂いを、これらの作品から、敏感に嗅ぎ取り、訝しさと、微かな嫌悪すらも感じていたからだが、
それでも、
『幸福の王子』の最終場面で、雲の上の神さまが天使に命じ、
「この世で最も尊いものが、あそこに二つ ある。あれを拾ってきなさい」
と言った、このコトバに、いたく感じ入った記憶が ある。
『若い王さま』という作品も あった。
これまたワイルド作品であったことを、つい最近、知ったばかりで、些か驚いたのだが、この作品も、幼い私には、非常に印象に残っていた。
先に挙げた2作品と比べれば、耽美どうこう言うよりも、もっとミステリアスな雰囲気が迫ってきて、夜の悪夢のなかに繰り広げられる場面が醸し出すせいか、なんとも言えない不安感と同時に、この世の隠されたところにある厳しい現実というものがあることを、幼いながらに理解した覚えが ある。
こう思い返すと、
クリスチャン家庭で育ったわけでもなく、キリスト教に さしたる共感が あるわけでもない私の幼少時、特に記憶に残っていた童話の類には、少なからぬキリスト教の影響を秘めたものが多くあったことに、自分でも意外さを感じる。
そういえば、絵画でも、ご近所の おうちにて、ミレーの『晩鐘』の複製画あるいはタペストリーの類か何かを見るたびに、なぜか気になって気になって、母に、この絵の意味はと、頻りに尋ねたことを憶えている。
もっとも、母自身、その方面の教養が なかったので、いまにして思えば、そうとうデタラメを言っていたのだなということは分かる(笑)
まあ、ごく一般的・表層的な意味では、あたらずとも、、、といった程度のデタラメで済んではいるが。
ちなみに、この絵のテーマは、背景の夕空を舞う鴉たちの姿からも察せられる意味が あるように、多分に作者自身の来し方・生活感情を しのばせてあり、単なる感謝のための祈りといったものではないのだそうな。
まあ、私ていどのシロウトでも、男性の傍らにある農具や、女性の足もとの籠が、何を意味しているかは、容易に汲みとれる。後ろの手押し車に載っている袋状のものは、私には、ベッドの枕に見えなくもないのだが、乳母車あるいは人生を運ぶ車を象徴しているようにも思える。
つまりは「メメント・モリ」というところだろうか、総じて、生死ということが、この絵に込められた真の意味だということだ。
それに胸打たれていたように思う。
ちなみのちなみに、
学生時代、友人と共に、美術館にて、来日していたミレー作品を、間近に鑑賞する機会があったのだが、
その絵のなかの、畑作業を している農夫が、突然、動き出した幻視に一瞬おそわれ、思わず、叫び声が出そうになった。
おそらく、寝不足のせいだったのだろうと思っては いるが、
別のときにも、
たとえば、テレビの画面に映し出されたベックリンの絵のなかの船上の人物が動いているのを感じたことがあり、このときは、べつに寝不足でも なく、しかも、わりと長い間隔だったことから、最初のうちは、これは絵画ではなくて、実写か何かの場面なのかと思いかけたほどだ。
他には、動物が登場する話に特に弱くて、月に上げられた兎の話や、『因幡の白兎』の話にも、胸を痛めた。
私の こういった点は、小学校低学年時分の担任にも、通知簿の所見欄で、わざわざ指摘されていたほどなので、傍目にも明らかな傾向だったようだ。
むかし、亡母の語っていた思い出話の一つに、義理の母親で、家庭的に苦労したせいか、母自身は『マッチ売りの少女』を読んだとき、可哀そうで可哀そうで、涙に くれたということを言っていたが、
私には、この話のなかで、主人公の少女が、優しかった祖母との楽しい ひとときを、最後の幻影のなかにせよ味わい、微笑みつつ死んでいったのだから、まだしも救いがあるじゃないかと思えなくもなかった、
その反面で、
さしづめ『フランダースの犬』のパトラッシュは、人間たちの勝手つごうと巻き添えのせいで、酷い空腹を強いられたまま死んでいったというのだから、もっと可哀そうだとさえ考えていた。
要するに、人間のほうに対して、わりと冷たい(苦笑)
このような、童話の類型による心理学的考察を、どこかの専門家筋が、ズバリ『フランダースの犬』を用いて提唱していたような記憶があるのだが、その ずーっと前から、私自身、「『フランダースの犬』型」云々と考察していたものだから、やっぱりな、と思ったことがある。
「ルーベンス」という大画家の名前も、『フランダースの犬』によって初めて知った。とても印象的だったものの、話のなかで、そのルーベンスによる聖なる祭壇画を直接に見ることは できないのだから、その分、想像が掻き立てられ、どんなに すばらしく、もの凄い絵なのだろうかと、子ども心に思ったものだ。
でも、ルーベンス、こんな絵も残してる(笑)
えらく若い後妻さんだそうな。
『小さな毛皮さん』
2015.11.01 (Sun)
さきのエントリーで述べたように、「ユーチューブ」で体操の動画を漁ってるうち、ふと思い出し、
うんと若かりし頃に好きだったアーティスト・ミュージシャンたちの動画を見ていた。
『君はトゥー シャイ』とか、MTVで見てたPVなつかしいなあ!リマール、やっぱカッコイイ!!と思ってたら、
あれからン十年後の「カジャグーグー」のライブが出てきてさ、
「だれ?この小さいオッサン」と思ったら、リマールだったよ;
華奢なイメージだったニックが、えらく逞しいオッサンになってて、なぜかミニワンピみたいな服着て演奏してたのもビックリだったけど、
相変わらず明るい色調の金髪と、笑ったときの特徴的な口もとと顎つきで、辛うじて察しは ついた。まあ、この人はねー、若い頃から底知れぬユニークさがフテブテしく滲み出てたキャラだったんで、ちょっとだけ納得しないでもないのだが。。。
それにしてもなあ。
てか、それ以上に分からなかったのが、リマールだ。
コメント投稿者のなかには、
リマールが「関根 勤になってる(笑)」
とか指摘してる人がいたんで、
「ええーっ?じゃ、じゃ、やっぱり、そうなの!?」と、
彼の顔がアップになったとき、すかさず、鼻の形、耳の形を確認してみて、ああ、間違いないんだぁ、と理解した。
若い頃の彼ってさ、ニックもだけど、
一種独特のワルな雰囲気と、ウラハラに、どこかユーモラスかつ純情な雰囲気が見え隠れするみたいな、単にハンサムとか美形であるとかいうのと違う、えも言われぬ魅力があって、そういうとこが、また大いに好みだったんだけど。
ニックは、まあ、トシくっても、どんなに外見が変わっていても、どこかブッ飛んだ雰囲気だけは残ってるけど、
リマールは完全にコメディアン、関根 勤と化していた。。。ぁうう
何の「使用前・使用後」なの?
A-Haもなあ、モートンとかマグスは、たしかにトシいったなと思いつつも、まあ、激変とまでは いってなく、相応かなという感じは ある。
だけど、一番、才気ある美少年然としてたポールの、あの老けようは、、、
幸せいっぱいの人生でも、あんなに老け込むかよ?と思ってしまったが、
男性でも、奥さん以上に、子どもが赤ちゃんのうちから子育てを熱心に担ってると、ひょっとして、そういう傾向になるのかしらん?と思った。
しかし、極めつきはデヴィッド・シルヴィアンだよ。
このことも、数年前、旧のブログで嘆いた記憶があるのだがw
ソロになって、結婚して、子どもが できて、離婚して、そうして中高年になった、かつての、
「世界一、美しい男」。
アングロサクソン男の誉れ。
金髪に染めるのも、とっくの昔に やめてるのは、何度目かのコンサートで見たときから知ってたが、
このトシまできたら、さすがに、男女関係なく、化粧映えもムリになってくるし(自分で実感ありますわよw)、それにしても、、、
いや、たった一言で済む話だ。
私が、ババアになるわけよお(号泣)
で、でも、ま、みんな、トシくっても、それなりにカッコイイよ、うんうん
むかしね、あるときに、老齢になったブリジット・バルドーが、すごい久しぶりのことだったらしいのだが、すごい皺だらけの顔さらして出てきて、
若い頃から彼女の大ファンだったという映画評論家の男性で、誰だったかな、本気で怒ってた人がいて。
その話を、うちの母にしたところ、BBと同世代の母(ちなみに、うちの母も若い頃は、すげえ美人だったよ)が、
「ああー、バルドーってな、あの人はなあ、むかしから、肌の手入れとか一切かまわんので有名やったからなあ」
と言ってた。
くだんの映画評論家氏の嘆き、
「ファンに対して、思いやりというものがない!残酷だー!!」
この発言の気持ちに、若かった頃の私には、いまいちピンと来なかったものだが、
いまでは、わが身に沁みるのよおぉよよよ(再号泣)
2015.08.30 (Sun)
【旧ブログの記録より】
誰よりも、智みを愛す 2010/10/24 22:42
フィロソフィア=(希)哲学、というコトバは、西周という人が考案されたのだそうで、それまでは日本に、哲学という単語は なかったわけだ。
フィロソフィアとは、愛智(愛痴じゃないよ、これじゃ、例のカルト連だわな)、
知を愛する、という意味で、古代のギリシャ語では学問そのものを指したコトバで、
かのソクラテスも、田中美知太郎氏も仰ったそうだが、哲学の起源とは、ひとえに「フシギ発見!」であると。
哲学だの学問だのって、要するに、この世の自然が厳しいからこそ、
そして、それを受容できないからこそ発展したようなものだろう。
知恵が発達すると、欲も深くなるんだわな。アタリマエっちゃあアタリマエの話。
それが不幸せなことというなら、
なるほど、ヒト族以外の生き物たちのほうが、思考停止で、よほど幸せなんだろう。
野生の動物だって、欲を追求できる手立てがあれば、そりゃあ、トコトン追求するだろうと思うけどね。満足なのか諦めか、よく分からんけど。
長時間の記憶能力がないのが幸いかな。
なら、どうして、ヒトの場合は、それが不幸になるのか、は置いといて。
ただし、単なる便利・快適・安心という欲を追求するだけに終わらない、かえって、これを えいっ、と捨て去りさえするものが哲学というものだと、私は思う。
ならば、
西洋由来の「哲学」という名づけの単語はなくとも、哲学的なるものは、じゅうぶんに、わが日本にもあったと私は思っている。
もっとも、あくまで西洋の哲学は、キリスト教と密接に絡んで発展してきたという歴史があるわけだけれど。
しかし、江戸時代以前だか、もっと前だかは知らないけど、かつての日本には、「個人」という概念がなかったのだとか聞いたことがある。
そんな時代の人にも、それなりの悩みは尽きなかったであろう。
明治期になって、
「哲学」という学問が伝わってきて、はっきりと名称も できて、それからの歴史は、まだまだ浅い浅い。
全体を眺め渡せば、つい先日の出来事みたいなものだ。
それでも、「個人」という概念を持ち合わせなかったという日本人の姿が、この時代に生まれあわせた われわれには、すでに、なんと遠いことだろうか。
昔のような、自然の脅威に、まともに晒されることが めっきりなくなった生活を営めるなかでは、哲学は、ある意味、ぜいたくな学問かもしれない。
また、
過酷な状況下にあって哲学し続けることも、強靭な精神力が要請されるだろう。
この学問に限っては、スノビズムや道楽臭が漂いがちになるのも まま見かけるところだ。
反面で、最高に安上がりな学問とも言えるのだけど。
「難しい理屈」というより、理論という「切り口」なのだと思う。
それを使って、縦横無尽に切り裂いて、進んでいく、そのために使いこなせるか どうかではないかと。
だから、しがみついて、「信仰」化してしまってはならない。
それでは、よく言われる、「理論だおれ」になってしまう。
理論は使うもので、
こちとらが、理論に使われる者になってしまっては あほらしい。
なので、哲学やらずにおらりょうかという者こそは、世間のイメージに反して、柔軟でなければならないはずと思う。
そういう柔軟さこそ、企業が求めるものではないのか?
なぜ、
テツガクやっとります、と言うのが憚られるほど、哲学徒は優柔不断にして融通が利かないゴチゴチ、という滑稽なまでのイメージを、世間に持たれてしまうのか、いっぺん、よく考えたほうがいいかもね。
だいたい、いまの大学の哲学科の授業なんて、哲学史を なぞっているようなもので、本当の意味での哲学じゃないという批判は よく聞くし。
私は現場を知らないけども。
いずれにしても、哲学を「自慢できるアクセサリー」みたいな扱いにするのが滑稽極まりないことだけは確かだ。
めったやたら有り難がる者、
逆に、めったやたら貶めたがるのも同様、気づいてない者が多過ぎるようだよ。
カテゴリ: コラむ フォルダ: カルト・サイト関連
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「哲学」志す気概に拍手を(2010/10/24 08:19)