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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.01.05 (Tue)

岡 潔という人について、ひょんなことで検索してみたんだけれど、

ええと、この記事がキッカケだ。なかなか興味深く、オモシロかった。

日本会議/日本青年協議会の宗教的活動の実態――シリーズ【草の根保守の蠢動 第26回】20151226

http://hbol.jp/73921

http://hbol.jp/73942

 

で、

「ウィキペディア」等を、ひととおり読み流してから、
最後に、松岡正剛さんとこの記事を読んでいて、
途中まで来て、読むのを中止したw

セイゴオ氏のような書き手さんにとって、とても不本意な読み手の反応では あろうけれどね。

まあ、また暇なときにでも、続きに一応、目を通すかもしれないけど。
もともと、普段は、たとえ、どんなに鼻白んでしまっても、最後まで読みきるのが、私の癖だ。

 

また、岡 潔氏の唱導されていたところによっても、この故人に お叱りを受けるかもしれないけれど、

私が、中途までで、読むのを止めたのは、

いわく「未知」のものに対して、分からないから、とて打ち捨てたのでは なく、その逆とさえ言っていい。

 

すなわち、岡博士の述べ立てた内容に、かなりの思い込みの強固さが見て取れたからです。

 

岡博士の述べたというところを、そのまま引用して紹介しておられたので、当該記事の筆者であるセイゴオ氏自身に咎は ないのだけれど、

博士は、たとえば、幼児の発達段階を示唆し、もって、自分の唱えることの根拠に用いていたりするのだが、

これ一つ とっても、
私自身の実体験(無学無教養な低学歴の私には、これが最大の武器w)とは相容れないものなのだ。

 

すなわち、現実に そぐわない説だということ。

 

要するに、この博士は、ステレオ タイプと言っていいほどの、非科学的思い込みを、論の根拠に据えられている箇所が、セイゴオさんのコラムによって知れたわけ。

まあ、言っても、この先生も、いまから見れば、そうとう昔の人なんだし、

たとえば、「数学は、芸術です」と明言した広中平祐氏のことを取り上げた小論が、学生時代の数学担当教師に注目され、全校に向けて強制的に発表させられたこともある私は、数学と音楽の性質は酷似してるんじゃないかと指摘してきているように、両者究極のところを指せば、もう、リクツではない世界ということは、早くから理解してるけど。

 

うちの親や兄弟姉妹たちも そうだったが、単純に計算が得意で早く解答できるだけでは、本当に、数学というものを理解しているわけじゃないのかもしれない。

真逆に、

父方母方の双方とも、身内一族に全く似なかった特異なる生まれのw私ただ一人、算数レベルから まるでダメダメなのに、どういうわけか、数学的思考回路だと言われたこともある。

でも、「集合」論の方面なんかは、わりと得意ですのemoji

 

 

しかも、岡博士の場合、歴史上の伝説に過ぎないことを、事実であるように取り上げて、称賛していることもあり、このへんは、まさに、
ウヨの お得意、歴史修正主義の源
みたいな感wなるほど、ここかぁ、と思った。

この類稀なる数学者が、あの『日本会議』だか旧『生長の家』だかの信者らに崇められているわけだww

 

 

ただし、博士の言い遺された、あれこれの言説には、あの「カルト連」のストーカー野郎に、
「乾ききった砂漠の砂」
と罵倒された私の共感するところも含まれていて、多くは、理解も容易く可能だったよ。

 

岡氏と、かねて私の敬愛する三木 清氏双方とに共通した思想も垣間見えるところが あり、

三木氏にも、私なんかは思わず、首うなだれてしまうほど厳し~い指摘が遺されているけれど、

あくまで私の実感レベルにとっては、潔さんよりも、清さんの論のほうが、もっと すんなりと入ってきて納得できたなあ。

まあ、そんなとこでした(笑)

 

 

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