2015.12.26 (Sat)
の続き。
自由主義経済諸国の一員である日本のメディアは「事業者」、しかり、
第一には、商売人だ。
けれども、碓井広義さん。
「事業者が放送する番組全体のそれで判断」
云々といった細かいことよりも、真っ先に問われなければならない大ごとが あるのではないですか?
本当の意味で、政治的に公平でないのは、はたして、どちらの誰なのでしょうか。
こともあろうに、国会における討論をウヤムヤの体にし、
もって、形式主義へと突き落とし、
違憲の恐れが高いという圧倒的な見解を無視している安倍政権こそが、政治的公平性を踏み躙っている張本人なのではないですか?
だいいち、
そもそも、「言うべきこと」が、「偏っている」なんてことがあるのですか?
ただ、日本特有の問題が、ここに明らかになりつつある。
それは、冒頭に述べた、「自主規制」なる国民性。
これが あるからこそ、
さしもの安倍政権とて、剥き出しの弾圧に及ぶまでもないわけだ。
じつに、うまくいってるw
言わば、マスコミがリードし、これを批判してみせる国民でさえも、大学院で学ぶ者が珍しくなくなった現代となっても、
実のところは、いまだに、知性と教養が及ばず、したがって、
高く深く、将来を見通すだけの見解力もないのは、居並ぶ政治家たちをも含む。
国政のレベルは、国民多数側の見識レベルしだい。
内容は後進国でしかないものが、身に余る大金を得て、イイ気になっていたあいだに、とうとう、足元を すくわれる時代が来た。
愚か者のアホに、なまじな大金を持たせたようなものだ。
いっぺん、滅びな しゃあないかもな。
そこから、おのれの身の丈を痛覚する。
かえって、マスコミ含めた国民みずからがウンショウンショと、でごんしょ でごんしょう、とて泣きながら唱え、
ちぐはぐアベコベ安倍政権のごときを、「自主規制」の力で後押ししてやっているようなものだ。
はよ気づけやぁ