2015.12.24 (Thu)
天皇誕生日だったんだね。
今回の談話では、途中、お声が震えたというので、
まず、感情を あらわにされることを徹底して避けてこられた天皇さんも、やっぱり、お年を召されたということかなあと感じたが、さて置き、
敬語のことを云々してるコメント投稿を、この話題にても散見するので、ずばり言っとこー。
まずね、
おたくら、初歩的な日本語すら、まるで なってないやんかw
敬語が どーだこーだ言う資格は、自分には ないものと知りなはれ(嗤)
また言うんだけど、
例のブラ下論ぬw
きゃつが「汚気愚」に現れた当初の頃、そこでの遣り取りで、
「のたまわります」
と言ってたのを見て、
よりによって言語関係の著作を出してる研究者だとか専門家だとかいう自己紹介、本当なのかよ?
と、私は甚だ呆れたわけ。
こういう自己申告でなければ、
どんなにコトバ遣いや文章の作り方がヘンでも、あまり、目くじら立てて指摘しないんだけどね、私自身は。
たとえ稚拙であっても、その人が言わんとする なかみのほうを重視するから。
でね、
天皇や皇室に対する敬語一般のことを、私は、旧ブログで指摘したことがあるの。
要するに、
いわゆる「尊崇対象」に据えておりながらも、報道等での敬語は使わないのか、使っても、なんだか中途半端な用い方で、ひどく奇妙だねと、
そういう意味のこと。
旧のブログというと、あれですよw
あの「産経」系列が運営してるとこだったからねえww
何も知らず、何も考えてない私だった。。。(苦笑)
それから ほどなくのことだった、
天皇関係の記事に関して、報道の一般的ルールに従わないことに変えたのか、敬語を盛んに用い出したわけよ、産経が(爆)
こういうところがねえ、あのテのひとたちは、どうにも軽薄だなあと思うの。
だってさ、私が言いたかったのは、天皇関係のことには、きちんと敬語を用いるべきだ、ということなんかじゃないのよ。
ただ、
酷くアンバランスで、滑稽だね、ということを言いたかったの。
まあ、私個人としての意見は、
「天皇」制というものを、即なくしてしまえとか、そこまで言う気は ないし、同時に、
天皇であろうが、基本は、普通に人であるという感覚しか持っていないけれど、
たしかに、長いあいだに培われた文化の一大集成を見るものでは あり、たとえば王朝文学とか様々な面で、その種から咲いた花が見られる。
もちろん、こういった特権階層ならではの謀りごと、血生臭い争いの種にも事欠かなかったのは、日本も例外では ない。そうした悲劇も また、
「おおきみの みこと かしこみ」「雲隠ります」
等々の絶唱となり、文学の種になった。
ましてや、いまの天皇ご夫妻は、敗戦を機に一転、ありかたの大転換を図ったことに合わせて、いっしょうけんめいな努力を続けてこられたことが窺え、お考え自体も、まさに戦後的教育の成果が表れた「リベラル」的範疇のものだと思われる。
それだけに、このような地位・立場である彼らの内心・内情も複雑を含むであろうし、決して一筋縄では いかないものが あろうけれども、
聡明さと慎重さを もって、皇室を維持、新たな役割を明確にするために、生涯かけた渾身の努力を持続されてきたからこそ、私なんかでも、いまの天皇ならびに、その一族を非難する気までは ない。
しかし、また同時に、
今後、もし、こういう姿勢が失われたときには、容赦なく、天皇制廃止を主張するだろう。
人間の現実というものは、世のなかに、どんな悲惨なことが起きようとも、直接わが身のことにならないうちは、冷静で いられるし、その冷静さが必要でもある。
だからこそ、自分だけは、あらゆる災厄から免れて、なんとなく、ずっと だいじょうぶな気がして、根拠もなく楽天的で居れるものだ。
そして、子も産める。
だが、少なくとも、現代の天皇のような特異な立場となると、そうは いかない。
彼らの独特なる務めを怠ろうものなら、そのことが明らかになったなら、「弱者」に対すると同じようなバッシングが たちまち始まるのは、すでに あらわになっていることだ。
たとえば、日本列島に付きものの大災害が あったときなど、天皇は勿論のこと、その係累の かたがたは、あたかも自分の家族に起きたこととして、逐一、憂えてみせねばならないわけだが、これも また、苦行と呼ぶべきものに相当すると思える。
とうてい、普通の人間に負いきれるはずもないものを、
なぜか、有無を言わさず一人の人に集中させて、すべてを負わせようとする。
その分、他の人々は、気がラクで いられるのかもしれないが。
それだから、
直接に、わが身が災難に遭ったのでなければ、いたって冷淡さにも繋がる。
特定の誰かに犠牲を集中させておいて、わが身では決して引き受けない。
日本人の思想・精神の浅薄さは、
こういう、まさしく「人の上に人を」つくっておきながら、それが引き起こす諸矛盾にトコトン無頓着なところが、ともすれば、救いようのない幼稚さに結び付いている。
「天皇」制とは、
実のところ、特権的栄華と引き替えにした、言わば「人身御供」のようなもの。
「聖」なる存在を、ただの人に負わせておいて、事足れりとしているうちは、日本人の無自覚な幼稚さは改善できない。
自覚したならば、その時点で、もはや必要としなくて済むはずの存在なのだから。
それにしても、
山本太郎氏が、あの「園遊会おてまみ事件」で、
一旦は受け取った天皇さんから、その手紙を渡したおりの、侍従さんの態度を見て思ったことだ。
ああ、この人は、天皇さんを本当には敬っていないのだな、と。
もしも私が侍従なら、せめて、天皇さんに向かって一礼してから預かるがね。
だって、その手紙は、本来なら、受け取った天皇さんのものなんだよ?
でも、決まり事である以上、ご自分では読まずに
(一応、手紙を広げるような しぐさだけ なさってた、それは、いまの天皇さんの お優しさであり、基本的マナーとしての優美さでもあると思う)、
ところが、あの侍従さんは、
天皇さんが受け取って、すぐに差し出した、山本氏の手紙を、まるで、「当然だ!このやろう」と言わんばかりに、ふんぞり返って受け取り、そのまま自分の懐に ねじ込んでいたようだ。
顔じゅう苦虫を噛み潰したみたいな表情で。
天皇さんの穏やかに落ち着き払った、でも、優しい受容的表情とは対照的だった。
どっちが天皇だか分かりゃしないw
あのときは、山本氏を指して、やれ「不敬」だなんだと非難轟々だったけれど、
本当に、天皇さんを尊敬し、重視しているのは、むしろ、こういう人なんだよww
私も、考えが違うゆえ、山本氏の味方も しないけど(苦笑)
ともあれ、
現天皇家というものは、現憲法のもとにこそ確保されている存在なのだ。
いつぞや、沖縄を無視して挙行した「主権回復」式典において、
「天皇陛下バンザーイ!」
と、あざとく三唱してみせた安倍朕も また、天皇を、本当には尊敬していないのが感じられるどころか、
まさに、その存在を、自分の野心のために利用しているのがミエミエだった。
もしも、世が世なら、「リベラル」天皇なんどは不要とばかり、暗殺奉り、
政権に つごうのいい皇族の誰かにサッサと すげ替えられていたことだろうw
相も変わらず、個人崇拝を大いに好む日本。
後進国の精神的特徴は、政・教一致にあり、だよ。