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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.02.04 (Fri)

「繋いでいる」ものはの続き。

 

こういう記事が あった。

「死」とは何か 脳死状態で約20年生存した人の脳はどうなっていた?〈週刊朝日〉1/28() 19:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f198cd9fcddb59a4f8ac42cd2397e65172380d16

 

うん、「脳が溶けて」「液状化」とか「石灰化」と言っても、全体一挙に進行と限ったわけじゃないのだろうし、

こまかいところまで全ての動きを脳だけが一手に取り仕切っているわけでもないのだろうし、

連結しつつ、分担も あって、ある程度まとまった、自動的に進める機能も、局所ごとに持っているのだろう。

爪や髪だけは勝手に順調に伸び続けている、とかいうね。

 

人工的な装置によって、機械的維持は継続できても、結局、肝心のところは、不可逆性が覆せないのであれば、問われるのは、決断だ。

 

維持し続けるにせよ、止めるにせよ、それぞれに別様の、
得られるメリットも、可能性を断ち切るデメリットも ある。

 

 

私宅の、初代のパソコンだったかな、それが突然、故障したときに、修理業者に来てもらって、何が原因か調べてもらったことが あるんだけど、
そのときに初めて聞いて知ったのが、「論理障害」「物理障害」ということの違い。

 

パソコンの仕組みも、カメラなどの仕組みも、おもしろいことに、人間の脳や眼球の仕組みと基本が共通してるみたいよね。

 

 

むかし、私が学生時分だったか、

「透析」患者と家族が、腎臓移植を望んでいるといった話を、新聞やテレビで報じているのを多く見聞するようになった、そのたびに、

「他人の内臓を もらってまでも生きたいなんて、あつかましいこっちゃ。それなら、自分の家族や身内から もらったらエエねん。それも無理なら、諦めるべき」

などと主張して憚らなかった、うちの母親は、内臓移植そのものも、遺体の解剖にも嫌悪感を隠さず、断固反対!の意見だった。

 

当時は、「脳死」の問題がクローズ アップされてきていて、

私自身も、かなり曖昧で怪しいものが少なからず残ってるようにも思え、その頃の、気まぐれ日記ノートには、

「そのうちに、脳も死なんのに、すげ替える」(ように なりかねない)

てな、俳句モドキを書き残している。

 

 

これは、父方の親戚筋の嫁ぎ先だったかと記憶しているが、

その親戚の女性たち家族一行が、冬季休暇の おり、スキー旅行に赴いた地で、さっそうと滑降していた最中のダンナさんが、いったい どうしたことか、立木の太い枝か何かに気づかなかったのか、よけられず、頭部からマトモに激突してしまい、ほぼ即死か脳死に近い状態で、緊急搬送されたという事態が起きた。

私とは全く面識が なかった親戚なので、自分の身内に起きた悲劇という感覚は、正直、希薄だったのだが、それ以上に容赦もないのは、うちの母親だった。

なんでも、急死した夫側の両親が、担当医と病院に対し、息子を蘇生させる努力をと執拗に要求して諦めなかったそうで、

その理由というのが、たしか、

「うちの息子は、とても優秀な頭脳を持っているんです!なんとか蘇生させれば、奇跡は起きます!!」

「なんとしても蘇生させないと、もったいない!」

とかナントカと頑強に主張し続けたそうな。

 

なんだか、最近、90歳代の母親の死亡後、すでに1日以上も経っているのに、蘇生させよと要求し、あげく、訪問介護を担当してくれていた医師らスタッフを死傷させたという立て籠もり事件の、寝たきり老母をダシに、自己愛を満たしていたオッサンを連想させるが、

そんなムチャな要求を言い張って やまなかったものだから、医師や看護師らの顰蹙を買っていたことを、自分も「また聞き」で私に聞かせた母親が、さんざんに嘲りつつ話していたものだ。

「息子が優秀なアタマも何も ないやろが。とっくに死んでおます!ちゅうねん。アホみたいや!」

と。

 

 

まあ、特に親子の関係では、互いに、どんな姿になっても、とにかく生きていてほしいという愛着や執着が起きやすいものなのだろうが、それは、肉体そのものに及んでいてもフシギは ない。

親にとって、自分の子は、自分の肉を通じて生まれ出たもの。

子にとって、自分の存在が生まれ出た みなもと、それが、親の肉体。

 

とりわけ母親の からだに対する愛着・執着は、子にとって、独特の重要感が あるのは、多くの人に共通している感覚であろうし、

日本語には、母親というものを、あたかも「聖堂」の如く喩えた呼びかたも あるし、俗に「お袋」という呼びかたも あるくらいだ。

 

そう言えば、うろ覚えだけど、フロイトだっけ?
『夢判断』に おいて、「トンネル」は、母親の産道の象徴とかいうの。

 

そうだ、

「多元宇宙」と「トンネル仮説」理論だw

 

ま、さて置き、

後年、うちの母親自身の『C型肝炎』が判明し、同じ血液型の娘である私は、移植で改善できうるものなら、自分の肝臓を提供してでも、と考えていたのだが、

生来の虚弱で、長年の『本態性高血圧』で、他にも持病が多かった母親自身には、移植手術に耐えうるだけの余力が、60歳代にして、もはや、残っていなかった。

また、私自身も、長年の持病の結果、開腹手術に至っていたし、やはり、母親に似たのか、虚弱な体質なので、自分自身の からだにメスを入れ、内臓を欠けさせたとなっていたら、いまごろは、もっと難儀な状態に陥っていたことだろう。

 

意外なことに、
むしろ、家族間に おける内蔵移植は、あかの他人との それよりも格段に、複雑な問題が起きやすいのだそうで、家族関係の隠れていた心理的問題をも浮かびあがらせることが あるという。

介護の問題とも通じるものが ありそうだ。

 

 

ところで、

題名も筆者名も忘れてしまったんだけど、むかし、新聞に連載されてた小説のことを思い出した。

それは、先天的障碍児、ずばり、奇形、それも、脳が ない新生児を題材にしていて、

実の両親たちのショックと狂乱、激しい拒絶を始め、病院のスタッフたちの困惑や葛藤といった、周囲の人々のネガティブな反応や心情が渦巻くなか、その新生児を担当した看護婦が、ただ一人、だんだんと、情愛を覚えて傾けていき、やがて、ある日あるとき、
くだんの あかんぼうを、「おくるみ」に包んで、両腕に抱きしめ、病院から連れ出して逃亡を図るという、そんなふうな場面が あった。

この あかんぼうが「安楽死」させられそうになったことを切っ掛けに、とか、たぶん、そういうストーリーだったように憶えているのだが、

とりわけ鮮烈な印象が残ったのは、

脳の ない あかんぼうは男児で、
ふしぎなことに、性器だけが、申し分なく備わっていて健康だった。

その性器が、まめまめしくケアに つとめる看護婦の手のひらに向けて、おむつを はずしたとたん勢い良く、気持ち良さげに、清らかな おしっこを放出する、そんなふうの場面だ。

 

 

 

全身麻酔と局所麻酔の両方を体験した私は、それぞれの違いを考察し、うちのブログでも(旧ブログも含めて)エントリーに まとめてある。

脳内ビジュアルの話

 

全身麻酔について一連の流れを実体験した人のコメントには、さすがに、「ヤフゴミ捨て場」と言えども、ほぼ共通した独特の現象が あった事と、真面目な所感が窺えた。

 

古人も言った。「きのう きょうとは思わざりしを」

 

先日、当ブログでは、これらのエントリーをアップしている。

【続・続】久方ぶりの科学系記事

最終】久方ぶりの科学系記事

 

なおも、ちらちら考えていて、
もしかしたら、水分というか粘液状のものに決め手が あったのかも?
などと思った。バラバラのものを繋げていなければ ならないはずだから。

 

生命活動すなわち新陳代謝すなわち、それは、化学反応。

外部から、栄養などを取り込み、供給し、いらないものはポイする。

こういった一連の化学反応のサイクルこそが、すなわち生命活動なのだという。

 

「有機的結合」性。。。

 

ひとたび連結・結合したものをば、バラバラに崩したくない。

調節し、立て直し、維持し続けたい。

壊したくない、死にたくない、という本能的な思い。

 

自殺願望だって、本音では生きたいことの裏返しだ。

なくなってしまえば、もう二度と、失われることは ないから。

 

 

唐突だが、

いわゆる「膠着語」としての日本語。

「てにをは」などの助詞とかね。

これが、「膠」として結着・連結の機能を正しく果たせていないと、一見は「日本語文」の体らしく見えても、よく見るとブツブツ途切れてバラバラの支離滅裂、ただの意味不明な「日本語文モドキ」でしか なくなる。

 

生命体も同じようなもんで、繋いでいる連結が切れてバラケたら、様々な基本物質の単位、分子のレベルに戻るのだろう。

 

 

目には見えない、手に掴めない、数値化も できない、たとえば「視線」の強さ、「感情」や「念」といったものですら、物質かもしれないね。

 

 

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