2017.01.19 (Thu)
つい最近、実家の母親の祥月命日であったため(ちなみに、ちょうど十日後は、父親の祥月命日で、どちらも1月中のことであり、偶然なのか どうなのか、末尾の数字も同じと きている)、
そのせいか、この時期になると、特に、いろいろ思い返すのだけれど、
なかでも、ある場面が、いつも必ず思い出される。
それは、「脳のなかの光景」だ。
こんなことは、言っても しょうがないだろうので、周囲の者たちの誰にも、わざわざ言うことなく きているのだが。
いよいよ、今晩が峠であろうという旨を宣告された日だった。
母は、意識不明に陥っていた。
(急激に、この状態になったのは、ある看護婦からの心無い仕打ちが切っ掛けに違いないと、私は確信している。思い出すと、胸が苦しくなるので、あまり考えないようにしている)
実母と二人きりで過ごすのは、幼い頃に生き別れて以来だったはずの、母の先夫とのあいだに もうけた娘すなわち、私の、父親違いの姉に当たる者を、その夜は、病室に残して、見守らせることとなり、
父も私も、とりあえず、それぞれの自宅へ戻った。
出勤したばかりで、他の同僚らも出て来ていない早朝、近所の人からの突然の電話で連絡を受け取り、母が入院中だった病院へ大急ぎで直行して以来、
私は、どこか、現実離れしたような浮遊感覚のまま、
また一方では、今後の流れを冷静に見越しながらという、
真逆に相反する心と引き裂かれる思考を同時進行で保持しながら、
好むと好まざるとに かかわらぬ、さしあたっての やるべきこととして最低限の準備を済ませて、ようやっとのことで、真夜中過ぎのベッドに もぐり込んだ。
すでに、不眠症が深刻化していた身には、
疲労困憊していたせいで、かえって、眠りは訪れにくく、少々うとうとしたかと思ったとたん、目が覚めてしまった。
直前に見ていた、夢とも言えない夢の光景は、あたかも、放送終了後のテレビ画面さながらの、「砂嵐」そのものだったことを憶えている。
そのまま寝直す気にも なれず、
まるでロボットのように機械的に起き上がり、
敢えての計算で着ていたワンピース型の寝間着の上に、
セーターやボトム、防寒コートを着込み、
その間、何の感情も動くことなく、機械的に、
再び、母のいる病院へと向かっていた。
冷たい冷たい早朝の澄んだ空気のなかを、昇ってきたばかりの陽の光が、まばゆく きらめいていた。
あの日から、はや10数年が経っているのだが、毎年、あの早暁の前後の光景を、まざまざと思い出さずに いられない。
さて、もう一つの「脳内ビジュアル」の話。
例の「カルト連」の巣窟サイトにて、
あそこの連中の誰もが無関心だったなか、その詐欺サイトと連中の正体に気づき始めていた私が、あえて、ひとり呟くように語ったことだ。
それは、私が、その時点から数年前に経験した麻酔の効果による現象の話だった。
それよりも もっと前には、全身麻酔も経験していて、
そのときの印象は、「砂嵐」どころか真っ黒な画面と言うか、
まさに「疑似的な死」あるいは「限定的な死」とも言うべきものであったが、
局所麻酔の場合、自分の意識自体は、まず通常どおり働いているので、
意識が全く働いていない全身麻酔のときとは異なった、興味深い現象を垣間見ることが できたのだった。
そのおりには、より近年の経験だったわけで、記憶も、より詳細だったとは思うが、
多少アヤフヤになってしまった今でも、鮮やかに残っている光景。
オペ室のベッドに横たわり、しばらくしてから、
寝入りばなの夢のような感覚で、わりと心地よく うとうとしながら、
しかし、私のなかの「もう一つの眼」はシッカリと見開いていて、
眼前に繰り広げられ始めた鮮やかな光景を見つめていた。
乳白色の滑らかなプラスチック様材質を思わせる、四角い、かつ細長い帯状の物体が、左右から静かに、同じ速度で、蛇のように するする伸びてきた。
基礎の乳白色の物体のなかから、不思議な光が漏れている。
少しアヤフヤになっているが、
一方はオレンジがかった赤系の蛍光色、もう一方は緑系蛍光色だったと記憶している。
左右で全く異なっている色調の それらが、全く同じ速度で、中心に向かい、同時に伸びてきている。
と見る間に、
その両側の細長い「光の帯」は、中心の位置で出遭うと、
たちまち、鉤なりに組み合わさって合体した。
そのとき、
麻酔が確実に効き始めていることを、私は自覚したのであった。
思うに、脳のなかで、薬剤の化学反応の光景を如実に眺めていたという感である。