2017.01.11 (Wed)
『どうにも かったるい』の続き。
言い足しておくと、
哲学的に、
あるいは、もしかして、生物学などの見地でも言えるのかもしれないが、
「自由」というものは、ほんとうのところ、あり得ないという指摘は、決して間違いではないだろう。
自らの由とは何なのか。
結局、自分の やれるようにしか やれない。
たとえ、自分の好むところのみを やっていてすらも、それで、ほんとうに自由というものなのか、言いきれるわけで ない。
われわれは、むろんのこと、この世の大摂理に組み込まれた、自分一個の矮小なる欲求にさえ、思わず知らず従わずにはいられない、そんな「不自由」な身だ。
知っていての犯罪、敢えての自殺、いずれも、最も不自由だからこその行為とも言える。
誰しもが、そもそも「不平等」と言うべき何かしらを抱えているのは明らかなこと。
あらゆる格差は、あって当然のこと。
そんななかで、ひとたび生まれてきた以上、まさに等しく、まずは生き抜くという基本の方角に向かわんとするのが、この世に生じた者の基本だ。
だからこそ、
そこに普遍性を認めて、おのおの抱える「不平等」「格差」というものを、多少なりとも均すという社会の努力が要請されてくる。
なぜなら、
多様性の温存は、生き抜くための選択肢に他ならず、
たとえば、ヒトの性が概ね男女に分かれたという自然現象も、原初段階における多様性の選択肢の一つであろう。
「弱肉強食」を、突きつめていって、何が残るか。
何も残らない。
最も強いはずの者ですら、残れない。
共産主義も、小学生だった私にすら、欠陥を内包した思想だと見抜かれてしまう程度だが、
民主主義というものもまた、致命的欠陥を抱えている。
その名のとおり、主権者たる民の全体的知的レベルがモロに反映されてしまうのだ。
でも まあ、どんな政治的主義や体制でも、結局のところ、民衆の知性が反映することには大差ないのだろう。
私としては、
ヒラリーさんの執念ゆえか、せっかくのバーニー・サンダース氏に、その身を引かせたことは、今回、アメリカ民主党自身で招いた失敗だったような気も している。
ただ、サンダース氏も、オバマ氏と共通した印象が あり、やはり、理念の人、良識の人、という印象だ。
ま、オバマ大統領は、彼なりに、いくつかの新しい扉を開いた。
良し悪しは未知数では あろうが、
最も画期的だったキューバとの国交再開、
広島訪問、
今後とも努力の継続が望まれるところの「オバマ ケア」(医療は、格差の問題と最も密接にかかわる分野。だからこそ、社会的弱者に対する配慮の重要事項)、
心残りは、アメリカの宿痾とも言うべき銃規制の問題だったろう。
世界第一級を自他が任じる大国だけに、心身ともの激務であったことを しのばせるように、その おぐしは、すっかりと白いものに覆われた。
もの足りなさや異論も様々あろうが、いまは、ただ、お疲れさまでしたと言いたい。
さて、
こんなに「品もコケラもない!」
と言いたくなるような大統領は、いまだ かつて いただろうかというほどのトランプさん、「劇薬」という仇名が、これほど似合う大統領は初めてと言って過言でない。
いつぞや、
「同盟国の国民にも、アメリカ大統領選に投票参加する権利を」とかいうコメントに、それ、マジで言えるかもなあと思ったことを述べたけれど、
それくらい、アメリカの動向は、日本にとって、ぶっちゃけ、首相が誰かということよりも影響大かもしれないのだから、なさけないっちゃあナサケナイ。