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とりあえず、ひかりのくに
     
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2017.01.10 (Tue)

好い加減にしてもらいたい、「天皇退位」論議

 

あの酸鼻を極めた敗戦後でありながら、なおも皇室を存続させることになり、あまつさえ、当時の天皇が引退することすらなく、ウヤムヤの体に終わったのには、いかにも、曖昧を好む日本国民の気質でもあろうし、現代的知性や教養については、時代柄もあって、これを備えているとは言い難かった当時の国民一般の感情等も さりながら、一つには、まず、アメリカ側の計算を大としていたであろう。

 

もしも、この、最大限に妥当性が高まったはずの時を逃さず、皇室制度廃止という方向へ舵を切っていたとしても、なんだかんだ言って、大多数の日本人が、こんにちでは納得していたであろうと思える。

しかし、これにも、やはり、危惧は残るのである。

 

天皇や皇室について、民衆が無関心になるには、

日本会議』系の御用学者が、また その御用新聞『産経』紙上を利用して盛んに主張するように、

「ひらかれた皇室」など とんでもない話で、

まさしく「とじられた皇室」こそが、国民一般の無関心を醸成するのには最も効果的なのである。

 

したがって、

彼らをこそ「反日」と呼ばわる向きも また、少なからず見受けられるのも、本質的に、天皇・皇室崇拝者なら当然の罵倒なわけであるw

 

私が、彼らの どちらにも、サラサラくみする気になれないのも また当然であることが分かるだろう()

 

さて、

ではというのかどうか、

一般国民のあいだに、天皇や皇室についての無関心が目立ってきたと見ると、まずは一般大手紙等のメディアがさも深刻な論調を繰り広げるということは、先日のエントリーで述べたことであるが、

同時に、

当の皇室の人々、とりわけ天皇ご自身が、それを憂えるゆえに、いまの天皇さんの「ワーカーホリック」状態を招いている要因なのでは あるまいか?ということ。

 

時代の変遷に応じて変化していく、それをもって、
つつがなく「皇室の安定した持続」を願う以上は当然の処し方と考えるのも、それは それで理解できないこともない、

また一方では、

まさに現憲法のもとにある天皇制・皇室制度であるということも、つよく自覚しておられるに違いないことだ。

 

言ってしまえば、

現憲法は、天皇や皇室を、ユルい、しかしながらシッカリと縛っていることには違いない。

その「縛り」は、当の天皇や皇室を守るためでもある。

 

完全に解き放てば、特権階級の一員だったというだけで、その「ブランド性」を利用し、何らかの姦計を企む者が担ぎ上げるという事例は、古今東西に事欠かない。

その懸念が薄まるまでというのみでも、長い長い時間を要する。

 

 

しかし、まったくのところ、
天皇の存在を定めている、その奇々怪々な条文に ふさわしいと言うべきか、つくづく、わけのワカラン国民性である。

 

たとえば、日本における「南京事件」「従軍慰安婦」問題にしても、あるいは また、国外では、ナチスによる「ホロコースト」事件にしても、あげくには、「人類の月面着陸」までも()、近頃では、そういう事実は なかったもの、捏造であるとして、闇から闇に葬り去ってしまいたい、

いや、それが叶わぬからこそ、
いっそ、ひと思いに、事実として なかったことにしてしまいたい、

それがゆえに、見るも無残なヘリクツ捏ねまわして主張の声を張りあげる連中が、いよいよ鼻につくようになった昨今。と言っても、実態としては、さすがに少数派であろうけれども。

 

上記に挙げた、いまでは歴史上となった数例などは、
あらゆる方法による記録技術の確立され、かつ、当時の生存者が存在してさえいるごく ごく近い歴史上のことである。
しかるに、

それらを捏造である、事実ではない、としながら、

天皇や皇室関係の荒唐無稽な「ファンタジー」には、ろくな記録もないというのに、素朴な疑問すら感じずに有難がり自動的に平伏してしまう、

こういう連中の感覚や精神が、私には、どうにも不可解なのである。

 

 

どこの国のだったか、北欧圏の国だったが、そこの皇太子が結婚相手に選んだのが、よりにもよってと言おうか、かつて、犯罪者(当時、まだ服役中だったらしい)と結婚しており、子どもも もうけており、

しかも、その女性自身の過去が、とんだ不良娘だったゆえに、国民全体から非難轟々、

しかし、女性側が終始しおらしい態度で、ハラハラと涙まで流して見せたというので、

ついに国王夫妻が許し、結局は、国民たちも認めざるを得なくなった、

そして、
スキャンダラスな過去ある彼女は、連れ子と共に、めでたく、王室入りしましたとさ、

という、前代未聞級の経緯が報じられていたようだが、

それでも、その国民のなかには、メディアのインタビューに答えて、

「われわれ一般の国民と全く同じ自由や欲求を通せるのなら、王室って、なんなのか?」

という、いたって尤もな感慨を吐露していた。

 

ひるがえって、

ずいぶんと寛容になったように見えなくもないけれど、わが日本国民に、ここまでの許容性が持てるのだろうか。

 

 

私は、たとえば、王室を担いでいるからとて、イギリス人や、他の同様な制度を持つ国の人々を、その分、特別に尊敬視する感覚は一切ない。

逆にも、

そういう世襲の特権的地位制度を持たないからという理由で軽んじる気にも勿論、なれない。

(ちなみに、少々言い添えておくと、

私の父方以上に母方の家系のほうは、まさに「世が世なら」と言うべき、そのような特権的地位の先祖を、遠い遠い昔に持つのだが、伝わっている話のなかには、それだけに、民衆を苦しめたり蹂躙したというエピソードも ある。)

 

いったい、
わが国の人々は、天皇や皇室制度を担いでいることで、自分が日本人を名乗ったとき、国外の人々から、特別な尊敬を受けられるとでも錯覚しているのだろうか?とフシギに感じるばかり。

もっとも、心理的には、解釈でき得る余地もあろうか。

すなわち、

おのれの権欲に関わる、何事かを企んでいる連中の他は、

「国家」や、その権力あるいは権威というものに自分の存在を投影し重ね合わせることによって、

自動的に自分自身の存在意義もアップされ得るという、おメデタイ錯覚に囚われている連中である。

 

そんなの関係ねぇということに、とっとと気づきなさいっての()

 

誰かの何かの威を借りたがるアナタ、

あなたはアナタ自身以外の何者でもない。

 

 

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