2023.08.02 (Wed)
今年も、はや、8月に入った。
先日の外出中、
出かける前に、ある程度の水分を何度かに分けて摂取しておいたので、体質的に、暑さに弱く、もともと、体調が良くないのが通常の身とは言え、いつもは、それで まあまあ なんとか だいじょうぶなのに、
この日は、歩いているうちに、だんだん しんどくなってきて、
でも、小銭で あっても、なるべく、おカネを使いたくないしw
もうちょっと もうちょっとと思いつつガマンしていると、しまいに、心臓が おかしくなってくるのが常なのだが、やっぱり、胸のあたりが痛いような感じになってきてしまい、そのせいで、ひどく前屈みの姿勢でしか歩けないので、これは限界なのかなと諦めて、
道中、100円で買える自動販売機を見つけたので、とりあえず、お茶のペットボトルを買った。
もう夕刻の時間帯に差しかかっているのに、さすがに、暑熱ハンパないんだなと、買ったばかりの冷茶を少しずつ飲み、駅の冷風機に当たっているうちに、えらいもんで、少しラクになってきた。
これからが暑さの本番だし、皆さんも、お気を つけください。
ところで、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の、誰やら女性議員たちが、
おフランスの、おエッフェル塔の前にて、どう見ても一般観光客みたいなハシャギっぷりで撮った写真を、ネットにアップしよったぞというので、たちまち、
何しに行っとるんや!!エエご身分やの!
などと、猛暑と物価高やらでイライラが募ってる巷から猛バッシングされてる最中だそうでw
ほんで、大慌ての『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の、
「おまーが言うな、あほw」
と、ますます嘲嗤いたくなってしまうような お歴々が、
どの口で言うとるんや?な教育的指導を行なったということらしいんだけどさw
これも渦中にある河野♪ゴリ押しゴリ押し♪大臣が、数年前だったかに、やはり おフランスでの何かの公務の おり、あちらの宮殿みたいな所の、歴史的由緒あるベッドルームらしき室内の寝台で、とても嬉しげに、その身を横たえて見せた写真を、短い説明付きで、ネットにアップしたことが あったそうで、
このときは、すかさず『日刊ゲンダイ』が、
「なにを遊んでおるのか」
などと指弾していたのを見かけたことが あるのを思い出した(苦笑)
【追記】
そうそう、
『大阪万博』パビリオン建設問題ね。
誰も来おへんわ、、、どないしょう。。。と困っているところへ、『韓国』が馳せ参じてくれたそうで。
さっすが韓国だな、
対 日本にとって、どのようにすることが効果的なのか、
よーく分かってくれてる!?(爆)
目下の大きな話題の一つ、例の「頭部切断」事件ね。
いくら「身元の特定を遅らせ」ても、早晩、ばれるに決まっとるわな。
眼つきの悪い下手人の女も、親以上に、プライドばかりが肥大してそうな雰囲気だけど、
ほんとうに厭な、嫌悪しかないオッサン(なぜか、自分の甘々な父親と近い年齢wファザコンか?ww)と、なぜ、何度も会って、
それもラブホなんぞに行くかねえ?
殺害されたオッサンのほうも、安心しきっていたのか、いやにアッサリかんたんにヤラレてるし。
自宅近くの店で連れ立って、店員の印象に残りそうなケッタイなヤバいものを同時に いくつも買い込んで、クレジット カードで支払いって。
自分の子が、いちおう女性なのに、どんだけ力持ちだと信じていたのだか、
あり得ないほどズサンな「完全犯罪」計画(嗤)
『解離性同一性障害』いわゆる「多重人格」とかって、あの「カルト(愚)連」も、そういうことを言いわけみたいに持ち出してたもんだけどw
今回の事件の下手人に、それが事実として当てはまるのか どうかも まだ不明だろ。
主に生育環境などで、トラウマを抱えているのが原因云々とかの解説を聞いたりしたことは あるけど、
私自身だって、そういうトラウマを抱えてますがねw
ほれ、『今田勇子』とかいう偽名を使った、幼女連続誘拐・殺害事件の犯人の男(宮崎 勤)が言い逃れで「ねずみ人間が現れて~」てな話も あったなあ。
ほんとうにコソクのカタマリなヘンタイだった。
どんだけメンタル弱っちいんじゃ!こういう事件を起こす甘ったれどもww
だいたいね、百歩譲っても、そもそもが、
「自分にとって、つごうの悪いことからは、眼を逸らしたい」
というのが、直接的な大きな動機と要因でしょう。
この下手人の協力者と言うか、なんだか積極的に唆した、ケシカケたみたいにも見える父親である精神科医の、「溺愛」という報道だけどさ。
何やら、外科医志望だったのが、血を見るとダメというので、精神科医の道に転向したとかいう話だけれど、
私の高校時分の生物担当教師を思い出した。
その先生も、そもそもは医師を志望して、医学部に所属していたものの、解剖の授業中に卒倒してしまい、それで、医師になるのを諦めて、高校の生物学教師になったそうなんだけど、
たしかに、とても優しい、紳士そのもので、授業中に、不真面目なことを した生徒に対しても、声を荒げることなど一度も なかった。
これは、先日のエントリーでもチラッと指摘しておいた私なりの見立てだけど、
この父親は、志望の分野を転換したこと以外は、その後も、まあ概ねはスムーズな人生で やってこれて、個人としては、大きな挫折が少ないせいか、ある意味の「ナルシスト」なんだろうと思う。
要するに、「人生ナメてる」タイプだったのかもしれないし、
以前から指摘しているように、
私に言わせりゃ、思想・信条に凝り固まる傾向の人ほど、現実の複雑さや、自分自身の至らなさを棚上げして、表面だけをキレイごとに片付けようとしたり、タテマエやリクツにばかり邁進したり。
政治の世界でも言えそうだけどw
持つべき理念や職責・立場なんぞ一切合切無視して、まさに「我欲の亡者」、ひたすら「今だけカネだけ自分だけ」剥き出しな手合いも、国民にとって、すごーく困るんだけど、
結局のところ、
自分の立場のみの利害損得に走るのも、
自分の立場での信念・リクツに走るのも、
そのために、妥当なルールを破り、表面だけをキレイごとにするために、サーッと流してオシマイにしてしまおうとする傾向は同様なんだなと思う。
彼らは、いつも、弱い立場の者に押しつけて、黙らせておけば、問題は なかったとして済むと思ってる。
そこには、深い思慮や謙虚さなどが欠けているという共通性が あり、
つまり、ウヌボレてる。傲慢。
これまでのエントリーでも、くだんの事件の親らについて、ほんとうの「愛」では ないし、
とうてい、親たる姿勢でもないということを指摘してあるけど、
いわゆる「溺愛」つうのはね、だいたいの場合、祖父母が、自分の孫を、というのが多いでしょ、昔から。
でも、うちの母親なんかが言ってたには、
「そりゃ、責任ないから、『猫可愛がり』できるんだ」
というふうに指摘してたけど、
たしかにね、一種の無責任だわね。いわゆる放任。
自分の子に対する「溺愛」という名の放任に限らず、
総じて、親としての無責任な姿勢は、自己愛、先述した「ナルシスト」の延長上に あるのかもしれない。
ま しかし、
自分個人の親子関係を持ち出してきて、
「自分の娘が辱められていたのなら、相手の男を殺したくなる気持ちは理解できる」
云々と、
さも愛情深い親である自分、そういうアピールを したいのか?と、疑いたくなるほど、バカなことばかり言い募ってる、
相変わらずの愚者の巣窟「ヤフゴミ捨て場」。
こやつらに、いっちょまえに、子どもを拵えて、親ヅラさせてるのが恐ろしいわ。
だいたい、おまいら「ヤフゴミ」や「ネット民」どもの見立てみたいなもん、どんな分野にせよ、ちょっとも当たってた ためしなんか あるかよ(嗤)
おまけに、コトバ遣いも、いつも いつも、なってない。
日本語モドキが夥しいから、
これは、よほどの年寄りで、目が悪くて、自分が打った文字や文章すらも確認できないのか?と思わせられるけど、
そんな年寄りでもないのなら、ほんとうのバカだわな。
この事件の下手人のことを、
「娘さん」
と呼んでるバカも いたわ(大嗤)
論理性は おろか、ふつうレベルの常識や良識にも欠けてる、
そんなだから、「犯罪者予備軍」と呼ばわれもするんだよ、ヤフゴミども(嗤(嗤)
まあ、今回の事件は、一見、いわゆるLGBTQ絡みっぽいのに加えて、『共産党』の関係者ガー、ということで、「ミギ」「ヒダリ」入り乱れ、さても複雑怪奇な様相を帯びておりますなwまさに「カオス」ですww
2023.07.21 (Fri)
『「歴史」vs.「経験」あるいは「賢者」vs.「愚者」』の続き。
さて、
障碍者や重度障碍者のなかに、受賞者が、「これまで いなかった」のも、いろいろな個人の経緯を含め、もちろん、社会的・歴史的背景事情が絡んでいるわけだろうけれど、
私なんかもね、のっけから、就職がスムーズには いかなかったので、デモシカ物書きにでも なるしかないかな、と思ってた頃が あったものの、やっぱり、「純文学」ってのはシンドくてさw
ドライな研究論文とか論考の類を書くほうが、まだラクそうだ(?)という気が するんだけどw
まあ、いまどき流行りらしい「ラノベ」だったら、なんとか、自分でも いけるかもしれない?とかも考えてたよ。
で、それらと比べたら、思いっきし短文で済ませられて、いちばんドライでラクそうじゃん♪と思って、俗な商業コピーのほうへ行ってしまったww
以前も言ったように、私は、ほんとうは、書くことが好きでない。なんと言っても、疲れちゃうから。
だいたい、「表現行為」としてを含めた書くこと、また、読むことって作業は、いわゆる「ふつう」の「健常者」でさえ、けっこうなエネルギーや体力が要るもんね。
べつにシンドくない、って言える人、それどころか、やらずに おれぬ!と言える人は、そもそもエネルギッシュな心身なのだろうよ、たぶん。
でね。
あ!なるほどな、の「当事者意識」。
やっぱり自分の身でもって経験・体験しないと、知ることも分かることも難しいもんなんだよなと、あらためて思ったのが
くだんの市川さんが、「紙の本への憎しみ」ということを述べられたので。
私が20歳代の頃は、先述してきたように、パソコンだのインターネットだのは、一般レベルに普及していなかったので、日常的な情報を得るには、ふだんは新聞や雑誌が筆頭になるが、特に目的が あって探している情報を入手するためには、やはり、まずは図書館や書店へ赴いて探してみるしか なかった。孤立無援な私の場合、最大の「敵」だったのが、あろうことか、親だったからね、よけいに、自力で、ひそかに探し当てる努力するしかなかった。
インターネット上の深刻な諸問題などについて、特に、これで汚く儲けてる商売人に向けては常々、かなりキツイことばで非難・糾弾し続けてきたことを、読者の皆さんは御存じよね(苦笑)
けれど、
そうは言っても、私の場合、聴覚障碍なので、間違いなく、役立ってくれてる現実面も あるわけで、その筆頭は、口頭で やりとりせずに済み、視覚のみで、的確に用が足せるメール機能だ。
それと、
国外から発信のニュース解説記事や、大学の講義内容、専門的論文や文献ですら、検索によって、探し当てることが、ある程度は、そうとう容易になったこと。
娘の障碍を無視し、『障害手帳』取得を邪魔し続けた母親が亡くなってから あとに、
私は、やっと、自分自身の障碍と、その原因について、いろいろと調べることが でき、それで、生前の母親らの卑怯な、狡猾な嘘や言い逃れの かずかずに気づくことが できたわけ。
私が生まれる前の経緯や事実、ほんとうのことを知っているのは、親ら、とりわけ母親だけで、親戚だろうが、どんなに親しい間柄だろうが、当の私を含めて、ほとんど何も知らないんだから。
しかしながら、
以前にも言ったことが あるけれど、
購読していた新聞も断わり、テレビも見ることが できなくなって久しいので、いま、辛うじて動いてくれてるパソコンがダメになったら、ほぼ「万事休す」だ。
『タブレット』なんてのも持っていない私は、外部からの、ありと あらゆる情報を得ることも、自分側が、ささやかに発信することも、ほとんど全ての手段が失われたままになるだろう。
そうなったら、
まずは、それこそ「紙の本」を求めて、近所の図書館などへ出向くくらいが せいぜいになるのだが、
私も、何か読むときは、長時間を座って読み続けることは酷く疲労するので、若い頃から、横になって、休み休み読み継ぐことが習慣になっていた。
近頃、過去エントリーでも話題にしたように、腰痛が激しいときは、椅子(壊れていたw)に座るのも困難で、横なっても、何かを読むことも できない状態が続いた。
私は、もともとからスマホを保有していないし、
それどころか、長年、手もとに辛うじて残していた、いわゆるガラケーも、ついに手離した。
つまり、私にとって、現代の文明の利器いっさい、スマホも大した贅沢品なのである。
視覚障碍者は、ほとんどの場合、点字や朗読によって、読んだり聞いたりしてきただろうけれど、それは、いつも望めることなわけでは ないだろう。「手話」や「筆談」も同様だ。
ただ、視覚から入る情報が最も多くを占める人間にとって、日常レベルで、生命の危険と隣り合わせていると言って過言でない障碍が、重度の視覚障碍だ。
おそらく、最も共有性が あろうのは、皮肉なことに、見えないにせよ、聞こえないにせよ、動けないにせよ、全く不可能、という場合だ。
完全に見えない、聞こえない、となると、これは もう、想像力の乏しさ最強を誇る「健常者」ですら、少しは実体験してもらえるもんねw
聴覚障碍と一言で言ったって、その人によってバラツキ、大なり小なり違う現象も ある。
同じ障碍を抱えている者どうしだって、理解し合えるとは限らない。
当の自分でも、いまだ分かってない現象も あるくらいで、他者に対して説明が難しいし、いちいちチンタラ説明していたら鬱陶しがられる。
聴障でない人に理解しやすく説明したつもりでも、ほんとうには理解できてないままだろうと思う。しかたない。
聴障者と言えば「手話!」と反射的に返ってくるのが常だけれど、
私は、他の聴障者とも、手話とも、いっさい親しむことなく生育し、否応なく社会に出た。
そのあとに、そういうサークルを、自分で探したり、紹介されたりもして参加したことも あったけれど、
もはや、ここでも「異端者」に出来あがっていた私には、すんなり馴染めない世界だった。
手話には、けっこう、やっかいな問題や「時代錯誤」な面も残されていることを知って、これは私の悪い癖なんだけれど、少しシラケてしまい、そこから、意欲を なくしていった。
「健常者」のなかで孤立しながら仕事しなければ ならないストレスも、深く習い性となってしまっていて、すでに慣れてる忙しさと疲労に、どんどん流されていった。
要するに、
この今を やり過ごすことに精いっぱいで疲れ果て、特別に「表現行為」するエネルギーなんて失っていったわけ。
はっきり言えることは、
私は、たとえば晴れやかな受賞のステージで、関心を持って集まった人々からの盛んな質問やインタビューを受けて、それを直接に聞き取り、適切に応答することは困難だ。言語障碍も伴っている。
世のなかの「障碍者」という立場の人々の殆どが、
とにかく「健常者と比べ、何ら欠けることなく同等に!」と、
つよく主張、要請してやまないようなイメージが あるのだろうか、それに対して、
大いに反感を持ってるんだぞ!健常者の こちとらは!!
ということを剥き出しに示してみせた、
昨今、いよいよ激烈な厭悪を突きつけてくる、その象徴的な光景が、
これだったね。
むろんのこと、私も、「かたわ」だの「ずうずうしい」だのといった悪罵を、決して許しは しないが、
同時に、
「すべてを、健常者と同様に(すべき)!」といった、障碍者側の(強固な)主張にも、全面的には同調しない。
なぜなら、現実的に、甚だ困難だったりすることが多々あるわけだし、
ちょっと極端な事例かもだが、ヨーロッパの中世頃の古い寺院などで、天を突くような高い塔に登れるよう設けられてある階段は創建当時のままのもので、若くて壮健な人でも、途中でギブアップしたくなるような急傾斜、気が遠くなるような段数で、とうてい、身障の人に登ることは無理なはずだが、登りきったところで、車椅子どころか、付き添いの人と一緒に立っていられそうもない狭い通路だ。
四肢の障碍だけでは なく、私も そうなのだがw腰痛などを抱えている人も無理よね。
だからと言って、創建時ほぼ そのままで保ってきた文化遺産級の寺院などに、敢えて工事を施して、エレベーターなどを設置すべきとの要望は出ていないのでは なかろうか。詳しくは調べてないので知らんけど。
それと、
「ふつう」の「健常者」であっても、およそ恋愛や結婚や出産等々に縁が なかった人なんて、世のなかゴマンと いるわけで。
「恋愛!結婚!セックス!妊娠!出産できる!それが、ザ・健常者」と決めつけるのも、むしろ、障碍者側からのレッテル貼りに なりかねないじゃん。
もっと言えば、
どのような障碍者であっても、恋愛、結婚、セックス、妊娠、出産を経験している人たちも おられるでしょう。
そりゃ、単に数字上の多寡の差としては明白だろうけど。
幸か不幸か、私は、特に性的、生殖の方面について、「健常者と同じに なりたいー!」とかは、あまり思ったことは ない。もっとも、まだ若い頃には、そういうことにもコンプレックスは あったし、しかし、体質的にも、一般的なカラダでは ないみたいなので、出産不可能な治療後からは、ないものねだりしたって しゃあないし、と割りきってきた。
むしろ、(男性と)結婚したいという気持ちが薄くて(父親からの悪影響が大きいのだろうけど、男性一般に対して、好もしいイメージが、全体に乏しい傾向だった)、
若い頃から、生まれつきの体質や「婦人科」系の病気やら(ちなみに、これが原因で、縁談話がアッサリ潰れたことも あったw)で、妊娠・出産の可能性にもサッパリ自信ナシまたは不可なことがハッキリしてる。
それどころか、これも過去エントリーで述べていることなのだが、
「自分が生まれてきたことを素直に素朴に肯定できないままであるなら、私は、子を産むべきでないだろう」
と、中学生時分に、ほぼ思い定めていた。
やがて、フシギにも、思考したとおりになって、そして、
それについては、めずらしく、いまでも、
「そんなに間違っては いなかったのだろう」
と、まあ肯定できている(苦笑)
自分自身に抱えてみなければ分からないのは、ほぼ誰しも凡人。
他人事のつもりでいるうちは狭いところから低い視点で悪罵したり、
本性は小心ゆえに試す自己チュウ徹底の自己愛性タイプは、まさに、「愚者」以下。
で、
彼らの「来世」てなものは、どうなるの?(嗤)
「前世」は虐められてたのかな??(嗤(嗤)
2023.07.20 (Thu)
「愚者は経験に」「賢者は歴史に」学ぶ、
とかいう有名な格言は、かつての『プロイセン/ドイツ』のビスマルク、という、たいそう偉い人が言ったのだそうな。
だが しかし、
じつは「勝者」が つくったものが「歴史」なのである、畢竟、歴史とは「勝者の歴史」に他ならないと喝破した警句も ある。
その時その時の「勝者=権力者」が上書きしていった。
だったら、「賢人」は、何を歴史に学ぶのだろうか。
歴史の隙間に埋もれたまま浮上しない事も多々あろう。
名を残す勝者にとって、不つごうなもの。
勝者に追いやられ、排斥され、踏み潰され、名も消えていった者たち。
過去から目下に至るまで、この国では、黒々した「のり弁」が累々積み(罪)あげられていってる(嗤)
あるいは、
海苔の貼り付けも間に合わない!と くれば、迷うことなく焼却場へ。
こっちのほうが、だんぜん多いようだ(嗤(嗤)
そして、うそぶく。
「やーい、ショーコ出せよショーコを!」w
ま、われと わが身が痛い目を して、明白な失敗を仕出かしておりながら、それでも直視を避け続け、視線を逸らし続けておれば、そりゃ、
「経験に学ぶ」ことすらも できない、「愚者」以下のままだ。
自分一個のみの欲得算段に囚われていたら、眼が曇って、すぐ前に あることすら見えなくなるのは当然だし、
我欲強烈に過ぎれば、わが子ですら踏み敷いて渡っていこうとするのだから、あとあと、深く恨まれたり、侮蔑を買うことになるのは避けられない。
よりによって、自分を産み落とした親を恨んだり侮蔑するのも、なんとも言えぬ、つらいこと。
尊敬や敬愛なんて無理に決まってる、許すのも困難だ、さりとて、許しきれないのも、なんだか忸怩たる思いに つきまとわれ、
結局、いちばん苦しむのは、弱い立場の子ども。
まあ、各自の経験や体験を、当人が、どのように受け止めて、消化していけるかというキャパも左右するけれど、
狭い、広い、低い、高い、
要は、「精神的視野」が大事なんだろう、人間には。
自分の低い視点のままで、身を置いている、その狭い場所から一歩も出ず、ひとりよがりな解釈ばかりしていたら、それは、「愚者」のままで い続けることになってしまうだろうし、それが往々にしてセットになっているのは、他者に対し、自分は こうだったんだ、だから!と、感情的に押しつける癖。
これも、私が、旧ブログの頃から言ってたと思うのだが、
最初は狭い所から、世界を眺めていて、低い自分の視点から、徐々に眼を上げ、見詰め渡していけば、
「経験」「体験」というものは、個々人にとっての「歴史」となっていく。
その集大成が、やがて、人類の歴史になっていく。
ほとんど誰しも、自分の身に思い知ることが ないと、気づけないものだ。
まずまず「人並み」「平凡」な「一般的」な条件のなかで生きてこれた人たちと比べるならば、私自身は、あらゆる面で、そうとうに特異な条件や環境下で生きてきたということに、あまり異論は ないだろうと思う。
ただし、うちの親らは除くw
彼らのような性質の者は、後ろめたさにプライドが貼り付いた背中合わせで、自分が仕出かしたことを、ぜったいに認めないからww
認めることは、死と敗北に等しいと、頑なに思ってるから。
「人並み」や「一般的」とは外れた所から、自分の眼で眺めたり観察しているうちに、どうしても、つよく疑問に思うタネにだけは事欠かない。
それは、まさに、人並みや一般的と外れてるからこそだ。
そうして、
そこから脱出したい、どうにかして、この理不尽から解放されたいという切実さも増してくるので、あれこれ考え詰めも するのだが、それだけでは、とてものことに、複雑怪奇の埒が明かないから、当たって砕けろも、少しは試す、大ケガも する。
そこまでは早々やらないにしても、
毎日の日常レベルで、全身、擦り傷や小さな切り傷だらけだ。
ますます考え込まざるを得なくも なるわけだけど、
もともとの性分から言って、ボーっとしてるのだし、
そんなにまで考えたいわけじゃなくっても、
なんとなく周囲を見ているだけでも、なんせ、特異な観察対象だけは、目の前に常に豊富で、事欠かないので、
特に親らは、年がら年じゅう、飽きもせずに、同じような争い事と失敗を繰り返し、子どもに深刻な迷惑を押しつけているわりに、妙な要領ぶりと押し出しだけは結構に見えるらしく、世間さまから、おおむね、わりと高い評価を いただいてきたりしていたもんで、
結局、ほぼ誰にも、私が抱えている疑問を聞いてもらったり、少しは腑に落ちるような解答を もらえた ためしが ない。
なので、
どうにも怪訝に思えたり、理解は難しいが切実なことについては、誰に言われることなく、自分で考える。
観察し、推察、洞察を はたらかせようとする。
なぜなら、
終始、何ごとにつけ、自分のほうが間違ってるとか、自分だけが悪いとか責め立てられ続けると、ほんとうに、身の置き所が なくて、気が狂いそうになりかねないから。
幼い頃は、抗う すべもなく、ただ、ひたすら泣き続けるか、途方に暮れるしか なかった。
精神衛生に甚だ悪い。
インターネットもパソコンも普及していない頃、私が若い頃には、図書館なり書店なりへ赴いて、ヒントや解答が載っていそうな本を見当つけて探すわけよ。
あぁ、これだな!と、ヒントを与えてくれたり、やっと腑に落ちる、納得いく解答に遭遇できることも、時たまには あった。
それらの解説は、たいがい、専門筋の学者、研究者たちが、長年かけて、仮説を立て、調査のための実験や臨床などを重ねてのちに辿り着いた、さしあたっての結論だ。
私は、何の専門もない、そのへんのドしろうとでは あるけれど、専門家たちが、労力を費やし続けて、やっと上梓した書物のなかで解説している内容は、
私自身が、自分の周囲を観察して、分析して、推察や洞察を はたらかせる努力を してきた、その結果、
「こういうことじゃないかな」と推測していた内容と合致することが幾度か あった。
まあ、専門家でも、この程度かと、失望するような稚拙な論を公開して恥じないシロモノを見かけることも幾度かは混じっていたけれど(苦笑)
つまり、
およそ「人並み」や「一般的」からは遠い、私を取り巻く、特異な環境を観察し、分析し続けたことが、そのまま、研究者や学者たちの調査とか臨床実験といった手続きに代わるものだったのだとも言えよう。
私の生来からしたら、
もし、人並みや一般的、ましてや、それ以上にも恵まれた環境で生きてきたものなら、
ものごとを深く考えようなんてことは なく、表面だけサラッと流し、自覚に欠けた偏見とウヌボレに気づこうとすることもない、鼻持ちならぬ驕慢な俗物、真の愚者だったかもしれないなと、自分で思う。
ところで、
個人的には、あまり、関心を持たなかった文学賞の類なのだが、今回の『芥川賞【第169回】』に おいては、市川沙央さんという、難病と重度障碍を抱えておられる女性が受賞されたという。
まずは、たいへん良かったと思う。
自分でも「ウヌボレてる」と、少しは自覚していたらしい!?wあの石原慎太郎氏が、生前のように、ここの選考委員を務めておられたならば、どのような顰蹙ものの問題発言を口走ったことやらw
『石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想』
ALS嘱託殺人:石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
2020/7/30 07:30(最終更新 2/2 11:28)
次のエントリーでは、
市川氏の受賞会見時、最もインパクトある問題を提起された発言、
「紙の本への憎しみ」
を めぐる考察を。
【続く】
2023.07.17 (Mon)
どシロウトながら、
この長い年月を、ただ ひたすら溜め込んだままにしていたくらいなら、少しずつでも蓋あけて、少しずつでも蒸散させて、少しでも嵩を減らしておくほうがマシだったんじゃないの?とすら思える、放射性物質汚染水または「浄化処理済み水」海洋放出について。
これが また、長の年月かけなくちゃならんらしいね。
あの大事故の あとの「謎の湧水」なども問題になり、
あんたが頼りや!の『ALPS』も、すぐにパンパンになって故障し易いと、すでに聞いていたことも ありで、頻繁に取り替えするのは可能なんだろうかとか、心配のタネは尽きない。
前回のエントリーでも指摘しておいたけど、
さらに一言。
あの大事故の直後から、われわれ一般の国民が、いろいろとイッキに目まぐるしく気づかされたことのなかに、最大の意外性とショックを感じたこと。
それは、
この方面の専門家や学者らの、それぞれに、言うことが大なり小なりバラついていて、結局のところ、
専門家や学者でさえ、ほんとうには分かってないことだらけなんだ、
ってこと。
なんせ、「見切り発車」してしまった分野の代表格だけに。
ということ。
まさに、『COVID-19』問題との共通性が ある。
だから、
いわゆるネット民、特にネトウヨ、特に『ダッピ』の手先や各界の回し者すべて含めて、
「おまいら、いったい何が分かって、こうも頑強に断言しとんのや?」
としか思えませんな、私は。
それにしても、
「科学的には問題なし」と理解しているらしい、「『自民党』の日本」には大甘な『福島』県人たちw
その声が あるという事実を事実として報じる新聞社や各メディア以上に、地元民みずから積極的に風評が風評がと言い募っていることで、かえって宣伝しているような側面が あるじゃないのかしら?ww
それに、
「風評」みたいなもんは、幸か不幸か、殊のほかに忘れっぽい日本の「三日アタマ」な民衆だからwいっときさえ越えたら、以後は順調に忘れていきますやろww
気にする人は、どうやっても延々気にするだろうし、
気にしない人は、ソッコーで気にしないもんですw
さしあたっては、公の補助を受けつつ、気にしない人たちを相手にしていればエエww
新聞その他の大メディアが「文系だから」「理系でないと」とかは無意味な話。そうじゃないかな?
近頃は、有象無象なネット民の大声のほうに おもねりがちで、余計なイイ子ぶりっこが激しくなってきた『朝日新聞』さん。しっかりしなよw
なお、私は、「セシウムさん」などと、裏でフザケていたテレビ局の軽薄さも、けっして忘れてないよ。
それと、
旧ブログを やっていたときに驚いたことの一つ、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の牙城としても定評ある福島県の地元民のなかには、『産経新聞』社と結託していると思しきブロガーも いたもんだ(嗤)
何かにつけて『産経』から、取材電話が かかってくるんだと、なんだか自慢口調で言ってたよ(嗤(嗤)
すべてにわたって浅薄で、いやらしく俗悪な性質むき出しの、そのブロガーの存在を知って、私は、福島県人に対しても、イッキに冷めた視線に なりましたわ。
あとは、、、そうそう、
あくまで個人的には、あまり関心を持てないままの、これも以前のエントリーで指摘しておいた『ジャニーズ』問題ね。
一言で言えば、おおもとは、故ジャニー喜多川氏の生前の性犯罪行為が引き起こしていることなんだけれど、
「日本の芸能界は」云々以前に、
諸外国でも同様の内情になってるらしいことは、すでに知られているわな。
芸能界どころか、あろうことか、宗教界もだ。
そう言えば、喜多川氏の おとうさんは、なんと、お坊さんだったってね。
かの重信房子ってのも、父親が「右翼」だったって話を思い出したわ。
さて、
子どもや未成年が、何らかの被害を、真っ先に打ち明けていける先は、親や家族じゃないの?
これも、養育者の仕事、「しつけ」のうちで。
子どもが、厭なことを されたと訴えたときに、まずは身近にいる周囲の おとなたちが、どのように対処したかが大きく影響するでしょ。
「特異的、特筆すべき才能」を有し云々と言っても、だったら、どんなに悪いことやってても見逃していいのかという問題は当然、起きてくる。
だいいち、悪いことしたやつの、何らかの「特異的、特筆すべき才能」ってのが、必ず備わっているとは限らないのだしw
単に、悪いことを やってのけて、逃げきる才能、それだけが あったに過ぎないということも、世のなか多々あるww
要するに、しぶとく、狡猾なだけだったというわけだが、
一般の犯罪方面でも、そういうことを仕出かした者は、才能が云々よりも、早い話、少なくともオツムから下の体力は、間違いなく旺盛なわけでねw
加えて、なまじに知能なんかが高いほうであるなら、いわゆる「知能犯」にもなるし、
古来から言う「英雄、色を好み」じゃないけれど、
要は、特に性犯罪を中心に、男性が実行する主役となっている世界だ。
もちろん、そこは、一般的に男性には、女性と比べて、脳の、ある意味の「偏り」が伴っている。
だからこそ、古今東西、戦争を引き起こしやすいし、
そうなれば、あらゆる「非人間」的残虐な犯罪も夥しく伴う。
で、ついでに言っとこう。
このことは、旧ブログの頃にも指摘しておいたのだが、
例の『北朝鮮』の「拉致犯罪」ね。
たまたま、最近、とある『ユーチューバ―』の動画を見てみたんだけど、大阪の『西成』区が地元であるとか言ってただろうか、その、やたらと元気なオニイチャンは、外国も国内も、あらゆる地域、特に、何らかの問題や話題で知られている場所へ赴いて、そのことについての感想や論評も行なっているそうで、何年か前には『北朝鮮』へ入国した おりのレポートも公開していた。
ところで、
私は、若い頃に、たまたま、デパートにて『韓国』や『朝鮮』の文化とか食べ物をテーマとする催し事を やっていたのを見かけ、『朝鮮式冷麺』というやつ、わりと身近で食べてきた普通の『韓国冷麺』と、どない違うのかしらんと単純に思ったことが動機で、特設レストランに入り、注文して食べてみたことが ある。
韓国式のと違っていたのは、用いている材料が異なるためなのだろうか、黒っぽい麺だったが、基本的な味は同様で、とても美味しかった。
なんと言っても、つるつる度が特異なのよね、あれって。
「韓国式冷麺」として馴染みのある白い麺よりも、つるつるしてるの。
うっかりしてたら、ほとんど噛まないまま、つるーっと抵抗なく呑み込んでしまいかねないほどのツルツル度。
日本にも、いろんな麺が あるけれど、そこは比べものにならない。
で、
そのことを思い出して、
要は、「冷麺」のことで興味を惹かれ、ヨダレを くりながら視聴してみただけなんだけどさw
その動画は、北朝鮮関係の短期的シリーズみたいに編集されていて、なかには、「拉致問題」などを含めた、日本側にとっての重大懸念事項を、現地で質問してみました、といったことも実行したらしい巻も含まれていた。
んで、
拉致問題についての、現地の人たちの返事は、やはり、「よく知らない」とか「もう終わったことなのに、なぜ、いまだに日本側は、この問題を引っ張り続けるのか?」という内容が殆どだったらしいのだが、
この動画主催者のコメント欄も、けっこう胡散臭くてねw
サッと読んでみただけでも、『北朝鮮』関係者とか「在日」の人が常連で投稿しているのかな?と思わせるような内容のコメントが多めで、
くだんの、たいへん元気な主催者オニイチャンを、個人崇拝的なまでにベタ褒めに褒めそやすコメントも多くて、鼻についてゲンナリしてしまい、今後は、もう視聴することは ないだろうなと、個人的には判断したけども、
一言、あらためて言っとこうと思ったのは。
日本の「現人神」時代を真似しているのであろう『金王朝』先代も、当時の首相だった小泉さんに対して、「部下が やりました」ってな、日本の政治屋ソックリな言いワケしたらしいね(嗤)、
たしかにね、世代が変わると、先代まで やってたことの内実を、詳しくは知らない、よく分からないということも、百歩譲って、あり得るのかもとは思うけれど。
「日本だって、戦時中に、われら朝鮮民族を拉致した」と言うけれどね、
まず、戦時は、なんでもアリ、どんな悪業も やらかすでしょ。
だから、男性が中心となって やりたがる戦争というもの、やってはダメなことよね。
しかしながら、
例の拉致問題は、戦時に起きたことじゃない。
どっちが、ヘタな真似して、いつまで「引っ張り続け」たんだかね。
韓国も、かの『ライダイハン』問題とか、日本の真似したんかえ?と嘲笑されても しょうがないことを仕出かしてるというし、
私は、たとえ自分側とか自国だからって、一方的に盲目的許容は しない思考と判断なので、
日本も日本、
まさに政治屋や悪徳バ官僚の特徴むき出しに狡猾、かつ、小心で下劣な計算をチマチマ執拗に働かすのが得意な国民性だとは常々思ってるけども、
北朝鮮に渡しますから預からせろと、大ミエきって、結局、自分とこの懐にマイマイしてたっつう韓国(嗤)
あれや これや思い起こすと、自分の国に対する自己投影度が高ければ高いほどに、自分自身を恥じることに繋がっていってしまうから、目を逸らして逃げたくなるんだねw
はてさて、
何度か指摘してきたように、
ほぼ、ルーツを同じゅうするだけにwお隣の『韓国』『北朝鮮』ひっくるめた『朝鮮民族』というものの、およそ権力や強者に ひれ伏す、不甲斐なさの歴史、その反面のウヌボレ、空虚な増長などの共通性は、日本国民にも大きい。
もっとも、
日常で食べる物さえ事欠いてヒイヒイ言ってるうちには、異議申し立てや「民衆蜂起」なんぞ起こす気概も なくしていくわな。
たった数十年ほどで、ますます酷くなった、「でごんしょう、でごんしょう」日本の民衆の「茹で蛙」ぶりよ。
私は、近頃には非常に珍しく、これを実行すると聞いたら、
「やったれ!!」
と、心中ひそかにガッツポーズで応援しているのだがw
デモもストライキも なくなって久しい、この国の体たらく。
総じて、日本という国は、あらゆる方面で、「反応が鈍い」「腰が重い」「行動力に乏しい」。
それにしても、
いまや、『ヤフーコメント』欄に勝るとも劣らぬ、『msnコメント』欄の ありさまよ(大嗤)
こういう商売によって、人類の下劣度は、いよいよ複雑に深まっていく。
2023.07.12 (Wed)
『ネット怪現象ふたたび みたび』の続き。
それは、先述したとおり、
けっこうな数が寄せられているコメント欄もサッと見てみたんだけど、案の定と言うか、その『アメリカの専門家』が胡散臭いとか、買収されたんだろ中国にとかいう誹謗中傷のメジロ押しで、
コメント欄を下の方まで繰っていくと、ようやっと、圧倒的な数の「ウヨ」「ネトウヨ」常連らの先着コメントに反論する内容のコメントがポツポツ並んでいるのが出てきた。
それで、
このように、ネトウヨや原発推進派らの猛反発、悪意とヒガミで憶測している中傷コメントに対し、きちんとした科学的、論理的な反論コメントも可能なんだったら、せめて、もうちょっと早く投稿しておけば いいのに
とも、私は思ったわけよ。
まあ、一日じゅう愚劣で下品なコメント投稿を「仕事」(←『ダッピ』かよ嗤)と称するウヨやネトウヨのヒマさかげんとは、差が あり過ぎるんだってことの証左なのかねえ?w
なんせ、
毎度のネトウヨどもの激烈な非難、下劣な中傷、デマ投稿などの異様なスピードと夥しさに対し、
反論側の反応と投稿は、真逆に遅過ぎ、かつ、ごく少数しか見当たらないのが通常運転、
そのあたり、勢いも切れ味も鈍くてモタモタしとる、たとえば『立憲民主党』などの野党に感じるのと、ある面で似たイライラを もよおさせるものが ありますw
それでも、なんかヘンだな~と。
だってさ、
ネトウヨや原発推進派らの(ヒガミ感情と悪意だけで憶測している)コメント、ってのは、そのときの確認では、2日ほども前に投稿されてるのが多かったんだよ。
それに対して、
私が目を通した日の、それこそ数十分前くらいに、反論的内容のコメントがポツポツと並んで投稿されているのが出てきたと、
そういうわけよ。
どうなっとるん?
と、フシギに思って、
そのニュース記事自体がアップされた時間のほうも確認してみると、
やはり当日の、いまから2時間ほど前のアップ、という表示が出てた。
( ゚д゚) ・・・
ほんの2時間前にアップされたニュース記事にですよ、
なぜ、2日前に投稿されたコメントがズラーッと付いてんだ??
ケッタイななあ、、、
いわゆる「バグ」の一種なんだろうか?
と、しばし、首を捻っていて、
ああ、これは、もしかしたら、他のニュース ポータル、たぶん、『ヤフー』あたりで、実際2日前に掲載されていた記事を、きょうになって、『MSN』が、自分とこでもアップしたのだとするならばだが、すでに同じく2日前に投稿されていたコメントごと引っ張ってきたのが、きょうの2時間前ということか??
しかし、
なぜに、よそのポータルから、2日前のコメントまでも一緒に引っ張ってくるわけ???
そうして、
それらの投稿コメントを見た、
より論理的なコメントを投稿できうる人たちが、僅かながら登場し始め、ネトウヨや原発推進派らのヒガミ感情だけで憶測している罵倒コメントへボチボチ反論し始めた、ということなら、つじつまは辛うじて合う。
でも、
そういうコメントは、ググッと下のほうに潜ってる状態のまま、浮上してこないw
そういう構図なの??
関係ないっか?w
ちなみに、
『msn』コメント欄でも、あまりに酷い内容のコメントを見つけたら通報するように心がけてるけど、ここのコメント欄の仕様も、悪名とどろく『ヤフーコメント』欄に負けてない拙劣さだからね。
2、3度ほど、コメント欄の仕様そのものの改善を促してみたんだけど、完全に無視されてるわw
こういうコメント欄ってね、むしろ、シンプルな つくりのほうがマシなように思う。
肝心なのは、通報や改善提案に対して、迅速に誠実に対応するかどうか。
それが できないんだったら、コメント欄なんぞ設けるのは よせ!
ってことだ。
ま、およそネット関係の業者は、「カネの亡者」の典型的にタチが悪いのが多い。
『ヤフージャパン』も『MSN』も、願わくば、はよ潰れろー!!
と、私は思ってますたいww
それにしても、
たった2時間前にアップしたはずの新着ニュース記事にズラーっと付いてるコメントが、すでに2日前の投稿ってシュールぶりww┐(=_=;)┌
わけワカランwww
ついでながら、最後に、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』のパターンと同様なんだけれど、
『大阪維新』『維新の会』の深刻な諸問題にもかかわらず、マスコミが、なぜか、それほどには問題視せず、あまり取りあげないのが、ワケわからんと おっしゃりたいらしい、古賀茂明氏へも、僭越ながら解答させていただきましょう。
ほんとうは分かっておられるのだろうとは思いますが、
実質、テレビ業界出身と言ってしまって過言でない、橋下ふわ~っと徹さんあたり、テレビ受けが特に顕著だったけど、
ほれ、近頃の国内でポコポコ発生している「政党」モドキとか、芸能人気取りの「議員」とか、ドキュン系「ユーチューバ―」とか「ネット民」とか、その他モロモロね。
総じて、軽薄短小。
要は、とにかく話題づくりとか、なんでもイイから目立つパフォーマンスは、ほとんどのマスコミ、とりわけ、下世話なとかスキャンダラスな色味の濃い話題は、大衆紙や女性週刊誌の飯のタネつうか、欠くことできない主食ですからねw
ここに、『天皇』家や『皇族』も同列に入ってますよ。
そういう傾向は、いよいよ末期的に、真面目(?)なはずの新聞業界にまで及び始めていて、なかんづく、『産経』系は、ずいぶん前から、恥も外聞もなくハッキリしとるじゃありませんか(嗤)
ま、それでも、各新聞社の垣根を超えて仲良くしてる裏の実態が あるようですね(嗤)
ただ、過去エントリーでも言ったように、
ライバル社の新聞勧誘員どうしだけは、大真面目に、深く憎み合ってるんだなあと感じたことは あるわけですがねw
私に言わせれば、
むしろ、『朝日』や『毎日』のほうが、奥歯に何か挟まってるみたいな、なまじ優等生の良い子ちゃんぶってるだけに、かえって、
タチ悪いのう
とも思うことが少なくないけどww
日本では最大紙であるらしい『読売』は、さすがの妖怪めいた老「主筆」を戴いたまま、ますます奇怪になってきとるしwww
実は、国民大衆を最も教育し得るのが、大手紙を筆頭とするメディア・マスコミ一般なのですからね、ほとんどの国民大衆がアーパーなのも、アーパーでなくっても無知・無関心に陥りやすいのは、世の常です。
政界⇔商売人(財界・マスコミ界・宗教界)
(一方的)しつけ、(「アンタのためを思って」の)誘導、(強制的)教育
そりゃ、『民主主義』が危ういのは一理も二理もあるわけですわな。
国民がアホやから~