2016.05.11 (Wed)
私も、世界的に共通して見受けられるのは、人種や国、地域とは無関係に起きていることから、男性性に由来する面が突出して大きいのだろうなと察しては いた。
おりにふれ、こういう記事を目にするたび、少しずつ考察してきて、すでに何度も指摘してあり、もう めんどくさいので、たまには簡潔に言おうw
男性は、いろんな意味で、根本的に自信がない者ほど、レイプに走る。
もっとも、
状・情況が与えられたにせよ、自分で無理に拵えたにせよ、そうできるチャンスが あればだが。
『「レイプは黒人文化」 南ア白人判事の投稿に非難殺到』
AFP=時事 5月10日(火)17時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000027-jij_afp-int
発言の真意と詳細は、よく分からないし、もちろん、言いかたは悪い。
せめて、疑問形にしておくべきだったろう。
けれど、
現地で生活してきた、かつ、女性であり、判事という、裁きの立場にいるからこそ、目の当たりにしてきた、あらゆる悲惨の事例の かずかずが、このように言わせたのでは ないかとも とれる。
さて、
一般的に、男性は、何らかの理由で、自信を失うと、てきめんに、まずは性的方面にて、レイプ等の歪で強圧的な行為に走りがちのようだ。
彼らは、自信を傷つけられた、損なわれたと感じると、とにかく、自分よりは弱いと踏んだ相手に対して、手っ取り早い「自信の回復」を図れるような気がしてなのか、レイプ等の性的蹂躙行為に およぼうとする。
それは、被害相手だけでなく、
当の自分自身さえも貶めてしまうだけのこと、全くの錯誤でしかないのだが、一般的に男性の性欲の、不自由なまでの強烈さが、ダイレクトに後押ししてしまうのだろう。
もちろん、そこでは、相手の人種とか所属する国等は関係ない。
自分と同じ共同体の仲間でさえも、そっちに向かうほうが、とりあえずは容易であれば、そうするだけのことだ。
女性一般の側にも、傷つけられたり損なわれたりした自信を回復したいという欲求から、自分よりは弱い対象に向けて、強圧的な何らかの行為を行うことは、めずらしくもないだろうが、
男性一般の そうした、身も蓋もない単純な肉体的発露に比べると、もう少しは、メンタル的に屈折していて、
昔からの譬えで言う「真綿で首を締める」的な やりかたを することのほうが、女性には多いだろう。
特に、男女とも、自分が保護者側として扱える子に対して発揮されがちなことは、古今東西の例に事欠かない。
ここに、もう一つ加えておく。
俗物根性。
俗悪な程度の思考能力しか備わっていない者は、こうした浅はかな傾向を強化する。
当然、世俗の、または、自分が所属する場所の価値観に、たやすく感化されるし、自覚なく、無批判に従う。
さしあたり、おのれにとっても、つごうが よいとなれば、「渡りに船」のことだ。
文化、教育、習慣、風習、これらは、切っても切れない、繋がった関係である。
古今、高等教育は、男性を対象に、より注力されてきた。
反面で、女性には、むしろ、教育から遠ざけるのが望ましいとされてきた。
たぶん、これも国際的な共通傾向だと思われるが、日本でも昔から、
「男性を立てておくべき」
といった戒めは唱えられてきた、そのことの意味。
ほとんどの男性にとって、ほとんどの女性にとっても同様だろうが、
乳母のように世話をしてくれ、優しく あやしてくれ、うっとりと包んでくれた温かい肌が懐かしくもあるのだが、
原初の自分の上に絶対的に君臨していた生ける法典、有無を言わせぬ暴君、恐ろしい女神でもある。
それに加えて、男性の場合には、女性とは、尽きせぬ神秘を、この世に体現している
「メカ女神」
であるかのようだ(笑)
解き明かしたいフシギ、
同時に、克服せねば ならぬ、
つまり、大自然の化身。
さても恐ろしいがゆえに、
組み伏し、究明しつつコントロールするべき対象のようである。
文化的特徴、というのなら、たしかに、白人の思想や文化の歴史に顕著であるとは言えそうだ。
イスラム教等に見られる、不当としか思えないほど、女性に対して抑圧的で厳格な戒律の類も、
また、それらと通底している日本の風習にも、体よく現れていること。
それは、ひとえに、
それほどまでに、
男性性とは本来、心身ともに脆弱な存在
なのであるということ。
というわけで、私に言わせれば、
キリスト教の「アダムとイヴ」神話にしても、かのフロイト大先生の お説にしても、真逆も いいとこ。
科学的にも、各方面のデータに明らかなはずである。
染色体の形状にすらも、本来、「あるべきもの」がない、ということが現れているw
それが即、悪いとかいうことでは、もちろん、ないよ。
「原始、女性は太陽であった」とか言い放った人が いたが(学校時分に読んだことある。ほぼ完全に忘却してるけど笑)
原初、男性は女性であったのだから。
『民族か?個人か?』
『ひとたまりもないのだ。』
2016.05.05 (Thu)
日本人と、たとえば中国人の違いで言うのなら、あちらの人たちは概ね、感情をハッキリおもてに出すことを躊躇しない傾向性は あるように思う。しかも、どういうわけだか、女性の場合のほうに顕著なようだ。
私自身は、日常で、中国人と親しく接した経験にも乏しいので、あくまでも、いままでに
あと、近ごろでは、訪日客として、じかに見かけた印象から。
『機内で暴れる乗客、ファーストクラスの存在が原因?』
CNN.co.jp 5月3日(火)21時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-35082121-cnn-int
たとえば、客室乗務員に対する態度を とりあげるなら、
中国人女性が感情を爆発させたすえ、キャビン アテンダント、むかしで言う「スチュワーデス」さんの背中に熱湯を ぶちまけたという事例に対して、
日本人のオッサンの場合なら、スチュワーデスさんの背中やらオシリやら撫でさすった、という話を聞いても、それほど驚かない人が大多数だと思うw
なぜなら、日本のオッサンは、それくらいは やりかねんと思うくらいに、想像し易いからだよww
それでいて、熱湯を ぶっかけたというような凶悪なことよりは、さほどの大ごとになって騒がれることもないからねえ。
概ねの日本人の場合、おもてにハッキリと出して、すぐにバレちゃうようなことは避ける。
そのかわり、
陰にまわって、すぐには発覚しないような悪事を やらかすことが多いようだ。
しかも、
そういうところで、やった本人も、それを知った日本人たちも、すぐにバレないだけ巧妙であることを、あたまがイイからだと、履き違えた受け止めかたを する、一種独特の愚かさが ある。
それゆえに、
まず陰湿である、とのイメージが前面に出てしまい、それも影響してか、とことん隠蔽しており、あわよくば最後までイイほうに まわろうと してるのでないかと、いつまでも疑われ、チクチク責められてしまうのかもしれない。まあ、自業自得だが。
以前のエントリーの どこかで、高度成長時代の日本の特にオッサンやサラリーマンの行儀の悪さ、
たとえば、
飛行機に搭乗した田舎者のオッサンが、座席に落ち着いたとたん、上着のみに とどまらず、シャツもズボンをもイッキに脱ぎ捨てて、ステテコいっちょうになり、スチュワーデスを慌てさせたとか、
ヨーロッパの一流どころの老舗ホテルの共用廊下を、寝間着とスリッパ履きでウロチョロして、スタッフや他の宿泊客の顰蹙を買ったとか、あの当時は、珍しくもないほど報じられていたと記憶することを述べた。
ただ、日本人女性に限っては、だんぜん、おとなしいほうだということに変わりは殆どないと思う。
同じアジア人女性と比べても、少なくとも、表面に出して激しい自己主張を辞さない日本人女性というのは、やはり、いまだに少数派だろう。
あれから、日本人も、男女含めて、ずいぶんとオスマシするようになったものだw
つい祖父母の時代まで、ど田舎の百姓だった、あるいは、田舎から出て来て、しがないアキンドでげしたというような家系の者でも、どこぞのボンボン、お嬢さま気取りなのが嗤えるほどに、カン違いしたオスマシして、お高く とまっておるw笑止であるww
しかし、なおも総じて おとなしい性向の国民性は変わらずに、
許容性の低さ、人目を気にし過ぎた余裕のなさだけは高まる一方のようである。
これには、殊の外に大災害の多い国土が培った国民性ということも大きく関係が あるのではと察している。
まあ、私みたいに、いちおう平凡な感覚の?人間から見れば、
「ファースト クラス」だ何だでカリカリするような者は、ちと普通じゃないんだろう、と思ってしまうけど。
ところで、
過去に私が闘ってきたw「汚気・愚」(=「OKウェイヴ・おしえてgoo」)の「哲学」なるエセ看板を掲げたコーナーでガンバってた、とある女性会員に向かって、あるとき、
「哲学史」的知識のみに埋もれ、心理学等の実際の働きを軽視していた彼女に些かでも気づかせるべく、個人的に、少々の忠告を したことが あった。
「心理学の知見というものは、あなたが、いまだに気づいていないだけで、われわれの日常生活の そこかしこで、すでに参考にされていますよ」というようなことを。
「カルト連」その他の常連会員に特に多く見受けられた傾向性でもあったのだが、
何によらず、自分よりも「上位」に位置していると思える対象と、自分自身とを比較せずには おかず、
いかなることであっても、自分のほうが多少なりとも「下」と感じたならば、たちまちにしてイジケた様相を示し、
自分自身が、何か、とてつもなく不当な、可哀そうな位置に貶められたとヒシヒシ感じてしまうのらしい、異様に敏感にして病んだ性向の者たちが居た。
彼らは、それだから、鵜の目鷹の目で、ターゲットと定めた対象に、自分よりも脆弱な部分は ないものか、ないものかと、
さしあたって見つからなければ、わざわざ拵えてでも押しつけてやろうと虎視眈々な彼らには、専門筋の診断こそ受けていなかろうとも、自己愛性肥大ゆえの人格障害者が多いのだろうと見受けている。
先日、どこかのサイトで、私自身が子どもの頃から、睡眠に関する悩みを抱えてきているもので、その方面の記事を読んだのだが、
そのなかに、客室乗務員として長年のキャリアを積んできたという女性のインタビュー記事が あった。
その垢抜けして端正な品良き女性が語ったところによると、
日本では皇室、他国の王室、あるいは、どの国の要人、大統領や首相といった国家的トップの人々には、機内サービス等の細かいことに要望を示したり文句を言うなどのことは、まずもって、起きないことらしい。
なぜなら、
あのような地位の人々、重い国家的任務を背負っている人たちは、自分が渡航なりした先での大役を無事に果たすこと、
それがスムーズに、滞りなく果たせるか如何ということにのみ、全精神を集中させているためだ、というふうなことを解説しておられた。
私は、なるほどなあと思いつつ、
しかし、この聡明なキャリア ウーマンにも、少々、掘り下げが足りないかもしれないと思った。
それは、
いわゆる要人クラスにして、そのクラスならではの公的大役を負っている人たちが、自分の役割というものを、きちんと果たせるかどうかということにのみ、関心を集中させていることの根本的土台に対しても、その善悪や正当性といったことについての踏み込んだ検討が あるか否かとなると、そうとは限らないだろうということ。
歴史上の極端な例では、ナチスの高官のようなことになりかねないかもしれない。
彼らも、自分の負った公的任務については、このうえなく律儀で厳格で忠実だったという。
だが、その思想性は歪みきり、哲学性は矮小で下等だったわけだ。
その狡猾さと悪運の強さも、結局は潰えた。
しかし、気を抜いていると、今後もフツフツと湧いてくるだろう。
昨今の世界的様相は、そうした危惧を、あらためて持つべきである、との警告を示し始めているのではないか、そんな感じが してきている。
杞憂であってほしいものだ。
2016.05.05 (Thu)
と、旧のブログで問うたことが あったなあ。
あの櫻井よしこさんに向けて。
むかーしの彼女については、私も、全然、詳しく知らなかったし、
時々、テレビやグラビア写真で見かけるていどだったので、彼女の容姿から受ける印象に限って言うのなら、たしかに、知的で上品な婦人というイメージしか なかったな。
ところが、ごく近年になって、彼女の顔写真を久しぶりで見かけたときに、
えっ?と、少し驚いたの。
だって、
なんだか、かつての雰囲気が変わってしまっててと言うか、
ハッキリ言っちゃうけども、、、まるで、
どこぞのヤクザの情婦?
(情婦なんて呼ぶには、かなりのところ、薹が立っていると言うべき年齢では いらっしゃろうが 苦笑)
と思えるほどに、
かつてのような品の良さは消え失せていて、
そうとう無理に若づくりしたアネゴ、、、
という雰囲気になってしまってるように見えたんだもの。。。
(゚д゚;)>すんませんけど。
その後、
彼女の姿や雰囲気から受ける印象が変わってしまっっていたことの理由が、だんだん分かってきたなと思える記事を、いろいろと目にしてきた。
最近では、これとか、
『改憲派のリーダー・櫻井よしこは「言論人の仮面をかぶった嘘つき」だ! 憲法学者・小林節が対談を捏造されたと告発』2016.05.02
http://lite-ra.com/2016/05/post-2206.html
そういえば、これとかも↓
『アーミテージ氏と櫻井よしこ氏に異議あり!』
2014年03月04日(火)11時33分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/03/post-631.php
人間性が、容姿や雰囲気に、おのずと滲み出る、
という説は、必ずしも当てはまるわけではない。
話は変わるけど、
たとえば、うちの母親なんかも、こないだも述べたように、顔相は、単なる美人を通り越して、あたかもギリシャ彫刻かヘレニズム様式か、てなほどに、ご立派そのものだった。
インド人の女性には、「奥さん、うちらと似てるわ~♪」と親近感むき出しにされ、
私の学校時代の友人には、あくまでも中年以降の、と但し書きは付くが、母の風貌を指して、「ヴィクトリア女王」を連想したと言われ、
外見だけ見たらば、どこの大女優かと、他人さんたちに言われるほど、堂々たるもんだった。
実際、若い頃、芸能界にスカウトされたのだが、祖父の猛反対で断念したという話も聞いたし、
私の職場の男性からも、写真を見て、「天女のようだ」とまで形容されたこともある(笑)
体躯のほうも、威風堂々たるもので(苦笑)
ま、ひらたく言えば、こないだも言ったように、巨体、おデブだったわけだけど(爆)
まあ、まだスマートだった若い頃の写真見たら、うちのスケベ親父が狂喜乱舞したのもムリないか、と言いたくなるほどの容姿では あった。
母の きょうだいたちも、美人姉妹であり美男兄弟として、その学業優秀さと共に、生家周辺では、そういう家系として知られていたそうだが、
ただし、妹の一人である叔母なんかは、お勉強はダメで、兄弟姉妹たちのなかでは一番、おバカと見做されていたけれど、おチビちゃんながら、ポートレイト専門モデルを やっていたくらいなので、これも容姿だけは人並み以上だったことに違いない。
若死にしてしまった叔父も、有名どころのポートレイト モデルを やってたので、その忘れ形見である娘に、おとうさんのこと憶えてる?と聞いたら、本人についての記憶自体はないけれど、寝室に、写真を飾ってあるよ、パパ、とてもハンサム、、、と言っていたそうな。
えっ?
当ブログ主の私自身は どうなんだと、知りたいと?
ふふふ、、、やぁねえ。。。
私はですな、
あのスケベ親父のほうに似てしまったのよぉ、とほほほほ
もちろんのこと、部分的には母親似のところも あるよ、当然。
しかしね、これが なかなかに複雑なの。
さっきも言ったように、うちの母の中年以降は、早い話がデブだったからwそこだけ見れば、親父のほうに似たのは(一応、やせ形の部類だったので)、まあ、いいのよ、
おかげで、私も若かった頃には、ファッションモデルを目指せとを奨められたことも あったよ。(遠い、遠~い遠~~い眼w)
それでも、顔の つくりだけは断然、母親のほうだったらな、、、とクヤシイ思いは してきたw
かと言って、
母親と父親と、それぞれに似た部分を、現状とは真逆に逆転させたらば、これは これで、悩んじゃう。
だって、
たとえばだけど、部分の例としては、眉なんかは明らかに母親に似ていて、モデル スクールのメイク講師からも、全くイジらなくていいくらいだ、そのままで遠目に見てもハッキリ分かるほど整ってる、と太鼓判押されたもんだけど、
長姉みたいに、父親のほうに似てたらと思うと、ゾッとするよ。
だってだって、親父の眉毛は、まんま「八の字」なんだもーんw
_, ._
(;゚ ∀゚)ノヽノ \ / \ / \
…ほんと、マヌケっぽい滑稽な眉毛してからに、あのドすけべ親父が!
でもさぁ、
体型だけは、母親似だと、とてもじゃないが、ファッションモデルどころじゃないつーの。
それでも、首の細さ、脚の長さなんかは、母親のほうに似たみたいだし、
どえりゃあ巨乳になるのも良しとしてw
全体がデブデブになっちゃうのはねえ。
体型がモロ母親に似てしまった姉なんか、苦労してたもの。
なので、
顔のほうは、まるっと母親コピー、体型は親父のほうだと、まあまあ一番うまくいったんだが(爆)
でね、
通常人の何倍も、頭の回転が速く、学校時分は成績優秀、音楽の才能までも恵まれて、
誰にケンカをフッ掛けられても、一歩たりとも引かず、倍返しすら やってのけられるほどの頭脳と、気の強さは群を抜いていた、うちの母親だが。
脳に異常が あったんだ。
どうやら、先天性らしいということだったが、
中年期に、交通事故のとき、頭を打ってるから、それも後押ししてる面は少なからず あったのか、いまとなっては、私には よく分からないが、
本人が亡くなったあと、そのことを知らされた私は、ええっ?と仰天し、
同時に、
自分が子ども時分、時々怪訝に思っていた、母親の言動のアレやコレやも思い出して、
驚きつつも、やっぱり、、、と思うところも あって、非常に複雑な感慨に おそわれたものだった。
私以外の誰もが、特に、表面的にしか知らない他人なら なおのこと、ビックリ!唖然とするはず。
【続く】
2016.04.23 (Sat)
(このエントリーは、数日前に書き始めて、そのままになっていたもの)
被災地の役所で用意していた毛布の枚数が、全然不足してるという記事を最初期に読んで、
相変わらずだな、、、毛布なんて、腐るもんでもあるまいに、これまでに起きた、まだ記憶に新しい大災害の教訓なんて、結局この程度じゃないのかな、と思った。
私も、たまたま先日、久しぶりに、長期保存が利く缶入りビスケットを売り出しているのを見て、気休めに一つ購入したばかりだったのだけれど、
実際、個人が備蓄に励んだところで、あまり、意味ないかもしれないなあとも思っている。
うちなんか、備蓄の品々を多数購入したり置いとける余裕じたいが そもそもから ないし、
実際に被災した人たちの話でも、極限の場合には、天井が落ちてきて、身動きならない状態で、防災品詰め込んだリュック担いで避難どころの騒ぎじゃないからなあ。
まあ、あくまで軽度から中度までの被災で済み、とりあえず見つけて持ち出せる余裕が あればの話に過ぎないわな。
さて、
つくづく、政治屋センセイってのは、何でも かんでも、政局に結び付けてしか考えられないのかと思った。
要するに、「勝ち負け第一」「要領第一」思考回路と、私は呼んでいるのだけど、そのくせ、肝心のところが、みごとにスッコ抜けてるという不可解さ、奇異さが付きまとうパターンである。
でもね、これは、政治屋センセイだけではないようだ。
今度の熊本大地震でも、勃発して早速、ネットのコメント投稿で、毎度のごとくに「ヒダリが~」と喚き出してた輩らが いた。
そやつは、自民党支持のウヨだということが、発言そのものから あきらかだったけど。
こういうのを、ごく早い段階から幾つも見かけたわ。
なので、即ゲンナリしちまって、今回の地震についても、うちのブログで取り上げる気が なかなか起きなかった。
ま、さすがに今後は、
「日本で『ヒダリ』が政権とったときには、大災害が起きる」
云々てな極度にバカげたことは言えないねw
そのデンでいくのなら、
それこそ、現行のようなウヨ政権に対する、天の怒りなのだと言われても、ネトウヨらは文句言えまいてww
『熊本地震「タイミングいい」=おおさか維新・片山氏が発言撤回』
時事通信 4月19日(火)17時4分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160419-00000090-jij-pol
最初、見出しを見た瞬間は、自民党の誰やそれやを思い浮かべたのだがw
まあ でも、ほぼ完全に近い存在だわね、思考回路とかさww
言った直後に撤回だなんて、顰蹙を買うだろうとは一応、本人も分かっていて、それでも、よっぽど、これが言いたくて言いたくて言ったんだろうなとしか思えないよ。要するに本音だ。
しかし、
どうして、政治屋センセイというものは、こうも、口に締まりとボキャブラリーが なさ過ぎなのか。病的である。
学歴も教養も乏しい、そのうえ、知的や発達障碍等を抱えているというのなら、まあ、多少は仕方ないのかと思えなくもないが、全体的に、一般人よりも優れているからこその政治家、のはずなのだが。
実態は、真逆の場合が多過ぎるほど多いような。。。
これは恐らく、言っちゃいけないのだろうなァ、、、でも、、、言いたい、、、言わないとグルジイよぅ、、、
えーい!言っちゃえー!!
ハイル!!ヒットラー!!!(^ρ^)
あ、あーん、イってしまった。。。
スッキリしゃっきり♪
…みたいな感じすら するw
もっとも、今度の災害も、政権維持のために、めいっぱい利用してやろうとか考えめぐらしてる誰かさんたちも いるはずだww
あっという間に、米軍とオスプレイの宣伝に利用とか、こういうことだけ、呆れるくらい早手回しのアメぽち安倍政権は特に(嗤)
どこの国も、どんな大災害時でも、他国の「暴力装置」組織である軍隊を、おいそれとは自国内に入れない、できるだけ避けるという基本姿勢には、それなりの深い理由があるからなのだそうだが。当然、そこには、軍事戦略が つきまとうので。
ま、せいぜい、「トモダチ作戦」の二の舞にならないよう、あとからヘンな請求を負わされないようにするんだな(嗤)
どういうわけか、日本のメディア連は、これの事後を殆ど報道していないようなのだが。
2016.03.20 (Sun)
『安倍答弁同様すり替えコメ投稿者が居並ぶヤフー』の続き。
さて、
「29日の指導で、ライターを持ってきている子がいることがわかった。陵平くんの名前も挙がっている。来週、お母さんも学校に来てもらうことになる」
母親が陵平くんにこのことを告げた40分後、長男が大きな物音を聞く。10階の自宅マンションから陵平くんが飛び降りたのだ。~
最近の、「万引き冤罪」とやらでの生徒の自殺事件と共通した不可解さが残るような。。。
私の場合は、父親と離婚してくれることを切に願わざるを得ないほどに、始末の悪い家庭だったが、
そんな私の推察でも、他のコメント投稿者の指摘にもあるように、恐らく、この男子生徒の両親が離婚して間もなかったことが、根底の原因に あったのではないかと思える。
当該記事を読んだかぎりでは、
この年齢の男の子には珍しいのでないかと思うほど、おとうさん大好きな お子さんだったようなので、両親の離婚によるショックを心底に引きずったままだったのでは ないだろうか。
このあたりの事情は、学校側も把握しているはずなので、何らかの不祥事が発覚したとしても、その対応については、やはり、通常時以上の、
配慮
が必要だったろうと思う。
そのことは、離婚当事者である御両親に対しても言えることだろう。
学校からの呼び出しを、おかあさんから告げられた、その前後の母子の やりとり詳細が、ここでは分からないので、結局、ご本人が、どのように受け止めて、あのような書き置きとなったのか、
残念ながら、いまとなっては、知りようもないこと。
それにしても、
「ハイチュウ」だライターだ、で長時間の問い詰め指導、ご苦労さんなことだ。
その果てに自殺かよ。。。
「精神論」だ「鉄拳」だのが罷り通っていた、通させていた、「お国のため」だ「孝行のため」だと言い聞かされ言いなりになって、バタバタ死んでいった世代も、無防備で、ある意味では弱かったからだろう。
私の中学時分も、「校内暴力」が頻発した時代だった。
わが校では、特別の事態は起きなかったが、それでも、ある日、何かのおりに、学期末とか季節に伴う大掃除だったかで、男子トイレ横の雨樋付近から、ビニール袋のカタマリが発見されたとかで、
担任の中年男性教師が、教壇に立ち、些かの怒気を滲ませつつ、われわれ生徒に告げたとき、
クラスの あちこちから、なぜか、意味あり気な笑いが漏れていたw
高校時分も、うちの学校は、地域では「お嬢さん学校」の伝統で名の通っていたせいか、喫煙がバレたらしい数人の女子が、停学どころか、あっという間に退学処分されたという話だった。
個人的に、うちの親父も、シラフ時でさえ、日常生活のなかの ちょっとした作法や やりかた等に、自分の無神経ぶりは棚上げで、周囲が呆れるほど異様に事細かく注文を付けてくる傾向があって
(たとえば、ご飯の よそいかただとか、おふろの掛け湯は何杯まで、とかw)、
母のほうは、逆に、良くも悪くも何事も大胆大雑把な傾向の人で、
親父が、あまりにも細かいことを注文し始めると、たまりかねて一喝することもあったので、まだしも救いもあったが、
もし、親父だけとの家庭だったら、どんなに息苦しい状態になったことかと、想像しただけでも恐ろしく思った。
しかも、
えてして、こういう細かいことにばかり拘泥する分、肝心のことが疎かになるものだ。
同時に、
母のほうも、自分一個の保身欲と名誉の取り繕いを先行させたために、とんだ失敗を、子に擦り付けることになった。
アメリカでも、生徒の風紀その他の問題は多々あると、むかしから聞こえては いたけれど、時おり、スケールの大きい人物を輩出するパワーも また、アメリカらしさを感じさせる面が ある。
ひるがえって日本では、育てるとか教育というよりも、抑えつけて管理する、これのほうが中心になってしまってるのではないか。
昔からの国民性なのだろうが、
どういうわけか、近ごろになって、ますます、この傾向が高まってきているらしいという印象が、子どもを持たないので、学校現場の事情に疎い私にすら、感じられる昨今だ。
学校だけではない、企業等でも同様で、
人を育てるという余裕が、全体に ますます希薄になっているようで、
その必然的結果が、社員・従業員の使い捨て現象だ。
これでは、人は育たない。
ましてや、スケールの大きい国際人は。
まさに、「スネ夫」的イメージの優等生しか ないねえ。
私自身も若いころから、この国と人々の気質が、どことなく、自分の肌には合わないという感覚が あった。
誰かも言ってるけど、ほんとうに、息苦しい国になってしまいそう。