2016.05.22 (Sun)
『注意欠陥多動性障害、成人期に発症も 研究』
AFP=時事 5月19日(木)12時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160519-00000017-jij_afp-int
この記事に付いたコメントのなかに、
「子どもを持たない人は」云々と言っている投稿者を見かけたが、
このひとは、それなりに知識も持っているようなのだが、要するに、
ご自身に、発達系障碍児が いるのだろうかと思えた。
そのコンプレックスから、
はては、障碍児だろうが、とにかく子どもを産んだという一点において、そうでない者よりはナンボかでも偉いと思っての意見なら、くだらないことを言うのは やめたほうがいい。
そんなことを言ってるから、往々、障碍児本人よりも、むしろ、その親の資質や考えかたのほうを不審に思われるのだ。
もっとも、私も、数年前だかに、いま首相に就いている政治屋さんあたりを指して、その、あまりの浅薄な考えかたは、子どもを持たないゆえなのだろうか?と疑問を呈したことは あるけどもw
「汚気・愚」(OKウェイヴ・おしえてgoo)でも、何の筋合いがあってなのか、突如として、「カルト連」の一員(と言うか別ハン)「あまがっぱ」と私の争いに、いらぬ嘴はさんできた「ミスト グリーン」なる会員が いたが、
この者も、自分の息子が、脳関係の障碍者なのだそうで、
にも かかわらず、
連日、長時間を、あのサイトでの異様なまでの長文投稿連発に費やしていて(いまだに やってるのかしらん)、
そのために、子らの食事すら あとまわしという体たらく、
一応これは健常らしき上の娘に、白い眼で見られているという内容の、見るも恥ずかしい自己申告を見かけたことが あった。
つくづく、呆れたことだ。
私を つかまえて、筋合いもないのに、「トラブル メーカー」呼ばわりし、「カルト連」のほうに肩入れしていた、その愚かさ。
他には、「こだわり」という特徴のことを指摘している投稿者が いて、
そう そう、それよ、と思ったしだい。
この短い指摘くらいだなあ、最も冷静にして的確なコメントは。
私も、仕事の関係で、発達障碍児に間近で接した経験は少し あるが、
それは もう、程度の重い子だったのだろうか、ひどく手こずったものだ。
もちろん、困らせようとして、わざと、という感じとは異なっていた。
この類の障碍も態様は いろいろあるだろうし、個人によって、現れかたも様々だろう。
私の経験では、精神障碍の方面、かつ、いわゆる人格障害者にも重なるところが あるように感じては いるのだが、
彼らを総じて、その大きく特徴となる面を一つ挙げるとすると、まさに、「拘り」なのだ。
私には、親きょうだいを含めた身内にも、職場の同僚として関わった人たちにも、大なり小なり、そうした傾向を持つ者たちが いるし、
たしかに、
うちの親のように、知能は人並み以上に高く、日常生活の範囲内では、狡猾なほど要領良く立ち回れる者だから、ある程度の見分けられる知識がないと、むしろ非常に優秀で、非の打ち所がないほどの人物、といった印象を持たれて誤解されてしまう。
なぜ、それが「誤解」であると言えるのか。
彼らは、表向きや世間向きにはイイカッコしていても、その裏で、立場の弱い者を、それが、わが子であろうとも、平気で踏み台にしてしまうからだ。
その犠牲者のことを、世間は知らない。
彼らが、自分の所業を自覚しているか いないのかは、そばで観察していても、よく分からない。
ただ、もし、多少なりの自覚が あるのなら、そのために、ますます、自己保身のため、内外ともに、取り繕う細工を必死に凝らすだろう。そこは、知能が高いだけのことは ある。
なぜなら、異様に見栄っぱりだからだ。
その また理由は、
小心が過ぎるのか、「不安」に苛まれるほど過敏ということなのか、
つまりは、自己防御のために小賢しいからでもあろうが、
むやみと被害意識が肥大したあまり、トコトンひらきなおっているからだ。
職場関係でも、いまだに思い出すたび、辟易感を もよおしてしまう人たちが いるのだが、
いまにして思えば、一人は発達障碍者、もう一人は、何らかの精神障碍おそらく、強迫神経症らしきものも併せ持っていたのだろうかと推察した。
発達系障碍者かと思しき人のほうは、性格そのものが悪いとかいう感じでは なかった。
単に、考えが極端に足りないのか、それゆえ、洞察力や、周囲に対する気遣いが、極端なまでに不足している、
一言で言って、極度のマイペースであり、そこを乱されると、被害意識を持つ、という印象だった。
まあ、それじたい、人によっては、こいつ性格が悪い?と感じさせるかもしれないのだが。。。
【続く】
2016.05.17 (Tue)
『「ドレス コード」』の続き。
ところで、私の知人のなかに、オシャレという意味での身なりを、ほとんど かまわない女性が いたんだけども、
彼女が、新しい職場に初出勤したとき、いわゆる「のびのびジーンズ」的オバサン向けGパン着用という、普段の彼女のパターンで出社したら、上司から早速、「うちは基本的にブラウスとスカートね。Gパンはダメです」と言われちゃったんだって。
そのせいなのかまでは聞かなかったが、ほどなく、そこを辞めてしまったらしい。
Gパンを愛用するのは、わりとスタイル良いのでないとキマラナイはずと思ってる人、けっこう多そうだけども、彼女の場合は、おみあしにコンプレックスが(いわゆるO脚で短足という、日本人女性の典型的おみあし)あって、むしろ、だぼっとしたオバサン向けGパンはいてるほうが、曲がりぎみの脚を隠せて、つごうが良かったんだな。実際、めずらしくスカートはいた姿を見せてくれたとき、全然似合わないことに驚いたくらい。
おまけに、お化粧が絶望的に下手、
ただ、土台の顔だち自体は、まあ それなりで、けっしてヴサイクなわけでは ないので(もちろん、好き嫌いは あろうが)、そりゃあ、こんなにメイク下手なら、いっそスッピンで とおしたほうが、よっぽどマシだものなあと思った。
そのくらい、自他ともに認める不器用、かつ、およそセンスというものが からっきし、なかった。
フアッションだけでなく、仕事にも家事にも全てに、その傾向は およんでいたので、いろいろと、内心で驚かされていたけど、
「センスが備わっている」かどうかということは、そういうものなのかもね。
こっちは、仕事でシワ寄せされてエライめに遭わされてたということも あったもんだから、にも かかわらず、その異様な負けん気の強さと性格のキツさも相俟って、なんで こうなの?このひと、、、と不審に思っていたのだが、
あとから思い当たったのは、本人から聞いた過去の身の上話を鑑みても、どうやら、精神的な方面の病気か障害が あったらしい。
その方面の病気や障碍者には、あたかも代替作用のように、美的感覚やら各種芸術の才能に恵まれているはず、という、ありがちな印象から、俗世間の思い込みに感化された信仰者、殊に遭遇した「病んだネット民」ら多々の願望に対して、そうとは限らないのだよと冷酷に(?)w反論する場合の根拠の一つにも なってるほどだ。
取り立てるほどの何の才能も才覚もないが、ただ、何らかの精神障害を抱えているだけ、って者も いるのが現実、ってことよ。
だから なに?
ってことだ。
芸術的才能やらを持ってたら、何か偉いのか?ってことよ(嗤)
ま、俗悪な価値観に毒されているゆえの劣等感を捨てることだね。
そういうのが凝り固まって、しまいには、筋合いもない他者に八つ当たりして鬱憤晴らしするようなグジグジ歪んだ性質になってしまうようだから。
かくいう私自身も不器用さでは負けてないし、
肌質が弱いせいもあって、顔にアレコレ塗りたくる化粧そのものが鬱陶しいので、お化粧を本格的に始めた年齢も遅かったし、いまじゃ普段は、ほぼスッピン、やっぱり、全体ダボッとしたヒッピー的スタイルと化してしまいましたわい。(これでも むかしは、どこの ご令嬢?と言われるほど、お嬢さんスタイルだったのにぃ、、、ううっシクシク( ;∀;)
たまにリキ入れてメイクする必要に迫られたときは、コツも何もスッカリ鈍っちゃってたりするどころか、やりかたすら忘れかけてたり(苦笑)
それとねー、
Gパンばかり履いてると、脚のほうも、それに向いたかのようにガニマタ傾向を帯びてくるのだそうな。ほんとかなあ?(汗)
あと、
ウォーキング レッスンの心構えとしても、むやみと長時間にわたって歩くこと自体が、あまり良くないことで、特に、まちがった歩き方のままだと、ヘンな筋肉が ついてしまうし、
ロウヒールばかり履いてると、やっぱり、そういう靴向きの足になるのだそうで、足首が太くなるとかって。
私が教わったモデル スクールの講師は、なるべく10センチくらいのハイヒールに普段から慣れておくように、最低でも8センチ程度は必要だと言ってた。
しかし、ま、やたらヒールの高い靴、やたら締めつける衣類は、総じて、健康に良くない。
特に女性にとって、血行は大切。
いつものように、話は あっちゃこっちゃ飛び続けたが(苦笑)
最後に、心理的に興味深い事例の話。わりと知られていることかもしれないが、
むかし、雑誌で読んだと記憶するけど、おもしろいなあと思って、いまだに憶えてる記事が ある。
アメリカだったかな、出勤時の女性たちは、その多くが、スニーカー等のフラットな靴を履いて出勤し、会社に着いたら、ハイヒールに履き替えるのが一般的なのだと。
要は、出勤途上に すれ違う他人の目なんか気にせず、着ているスーツには似合わない靴であろうとも、合理的にラクに通勤することを優先していて、「戦いの本番」たるオフィスでこそ、きちんとした靴を履いてビシッとキメてるのだと。
日本とは、ほぼ真逆ね。
なにしろ長時間拘束されるからという理由が1番目に来るのだろうけど、職場では、可能なかぎりラクにしていたいのが本音。
ましてや、お仕着せの制服に着替えて、座りっぱなしの事務系仕事はね。やっぱり むくむし、ムレちゃうし。
で、退出時間になって、パンプス履いて帰る頃には、おっさんサンダルで遊ばせてた おみあしがパンパンになっちってる、というパターンは、私も経験してきたw
ちなみに、満員電車で痴漢に遭遇したおり、犯人と思しき男の足の甲めがけて、ハイヒールで思いッきし踏んづけたこともある。
もしかしたら、お人違いだったかもしれない ことも あったw
私は、少しの摩擦にもズル剥けになるほど、異常なくらい弱い皮膚なので、靴擦れはハンパない。
だから、ハイヒールと言うか、そもそも、かかとのある靴が厭である。
なんせ、スニーカーでも、おろしたては特に、酷く靴擦れするくらいだ。
アメリカあたりの女性たちの対処ぶりには、合理性を認めやすいスッキリさが あるけど、
日本の場合、通りすがりの他人たちには、ハイヒール等で澄ました姿を見せておき、慣れた職場の同僚たちには、まったりした かっこうで和気あいあいと、、、ってところか。
それでいて、通勤電車で人目を憚らず化粧したり、もの食ったりだもんね。
同じ日本人ながら、あらためて考えてみれば、一筋縄で いかない、ちと不可解な面が。。。
ついでに、
欧米圏と言うか、やっぱりアメリカだったかにおける一般的母親は、
もしも強盗や何かの危険な相手に思いがけず遭遇したとき、そばに幼い子どもが いる場合、まずは子どもを、自分の背中の後ろに隠すようにして、自分自身は犯人にキッと顔を向けて身構えるそうだけど、
日本の母親の場合、その多くは、反射的に子どものほうに向き、犯人に対しては、まるめた背中を見せて縮こまってしまう人が多いという、何かの調査結果を読んだことが ある。
まあ、読んだ当時は、なんとなく、そんなとこだろうなあとは思えた。
2016.05.17 (Tue)
『企業のハイヒール義務付けを違法に、英女性の陳情に12万人が署名』
ロイター 5月16日(月)12時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160516-00000044-reut-int
パリジェンヌなら、むしろ、しゃれたフラット シューズで闊歩するイメージだけどね(笑)
イギリスの場合でも、幼いうちは、王室のプリンセスたちが履いてるような、ベルト付きのフラット シューズは上品だし(私も子ども時分は履いてたよ)、
なんといっても、エリザベス女王が、お若い頃から、ハイヒールは好まれないそうで。
欧米圏と言っていいのかどうか、少なくとも、かつて、王侯貴族を戴いていたとかで、あるいは現代でも、身分制度の名残が色濃く残っている国では、ドレス コードというものも、いまだ厳格な面が あるようだ。
アメリカあたりでも、服装がキチンとしてないと、それなりの格を標榜するレストランには、入店を断られたとかって話、むかしは、けっこう聞いていた。もちろん、人種差別とともに。
もともと労働着だったジーンズとかTシャツなんかも、ソーシャルとされる場では許されなかった時代が あった。だいぶ緩和されてきて、近頃では、ほぼ全く許容されているようだが。
私が旧ブログを やってた、産経系運営のサイトで、
そこの常連の、いかにも頑固な、保守派を気取った自覚もない、退職後の高齢と思しき男性で、もちろん、堅く自民党支持・産経シンブン愛用と思しきブロガーが、
いつだったか、たしか「クール ビズ」ファッションを話題にしていた記事に寄せたコメントのなかで、
どうやら、わが国においては、夏場の、どんなクソ暑い季節でも、きちんとした服装で いるべきなのであり、くだけたスタイルの かっこうで勤務するのは、はなはだケシカラン、ということを主張したかったのだろうか、のっけから、「ここは日本だ!!」と怒っていたのを見たことが ある。
それで、この高齢男性、ならびに、多くのウヨ系の かたがたも そうであるのだろうが、
ごく日常的な場や卑近の話題等に関しては、いたって平凡な思考力レベルと感性だけに、まずまず普通に善良と言っていい人たちなのだろうとは察しているのだけれど、
いかんせん、彼らが大いに好む政治やら、それ関係の思想などの如何となったレベルの話題となると、
この低学歴・無教養な私ごときでも、そうとうに辟易感を もよおさざるをえないほどの、
「真情溢るる浅薄」
とでも喩うべき人物タイプが、あまりに多過ぎることは、すでに じゅうぶんなくらい見てきているので、
直接対話は、めんどくさ過ぎゆえ、避けさせてもらってw、
自分のブログ内で、私としては珍しくも、なるたけ遠まわしにww
「ここは日本だー!と言うのなら、昔ながらの伝統守って、和服や裃着てりゃあ いいのに、とっくの昔から欧米スタイルどっぷり真似てて、それが普通で やってるんですけどもー」
というふうな内容で、せせら笑っておいたことが あった(爆)
さて、
ハイヒールにせよネクタイにせよ、発生した時点では、そもそも「美的に」とか、ましてや「エロ」目的だったかというと、そうは言えない事例が少なくないようだ。
たとえば、ヒールのある靴というものは、昔のロンドンあたりの、ぶちまけられた糞尿まみれの道路を歩く時のためだったとか、
ヴェルサイユ宮殿のようなゴージャスな城にさえ、こんにちで言うところのトイレなるものが なかったので、女性たちは、その思いっきり膨らませたスカート内にコッソリ隠して、迫った用を済ませていた時代の必要性だったとか、様々な説が あるようだ。
ついでに、
昔の軍用コートなんかの袖口に、ボタンを多数、縫い付けてあるのは、寒いときの見張り中などに、当番兵が、垂れてきた鼻水を袖口で拭おうとするのを防ぐためだという説も ある。
気候も寒冷だし、白人さんは、鼻が高いせいか、鼻水たれやすいそうな。
このへんの考察を、興味深いサイトやブログさんを引用しつつ、私の旧ブログでエントリーアップしたことが あるのだが、
もとは「色気」どころか、身も蓋もない生活状況の影響から、「爪先立つ」必要性を生じ、ヒールの高い靴が考案、流通したのだとすると、
その「爪先立った」状態の足が、意外に可愛い(小さくて、不安定な雰囲気を齎す)というので、やがて、のちのバレエにて用いられるようになったポアント シューズへと引き継がれたのかもしれない。
もっと穿った考察を すれば、
「爪先立つ」という しぐさの、もともとの由来を連想させるがゆえ、本来は生理的用足し等の必要性から来ていた、この しぐさなり形態を、敢えて とどめるよう造形された靴が発達したのでは あるまいかとか。
多少似たような理由で、中国では「纏足」なる風習が生まれたという。
このあたりになると、ほぼ完全に、異性に対する媚び目的からの美意識で発展していったと言って過言では なさそうなのだが。
「纏足」の場合にも、それを実行したすえに見られる、成人でありながら女性が歩行するときに、幼児のごときヨチヨチ歩きになってしまう姿の、おぼつかなさ、不安定さが、一種の性的魅力なのであろうか。
(他には、日常的労働に似つかわしくない容姿ということで、むだに長い爪なども そういう意味が あるのかもしれないが、ひいては、働かなくていい、高貴な身分を表現しているつもり、とか。)
果ては、
足を不自然にキツく縛りあげたままにすることで生じる独特の臭気さえもが、男性の性的欲求を刺激するという効果を もたらすのだそうで。
まあ、そうなのだろうなぁ、現代日本人の男性にも、女性の生理的臭気に興奮する向きは あるようだしw
「纏足」には、もとは、女性の逃亡を防ぐことを期していたのかなとも推察するのだが
(単に靴の形状自体に、何かと不つごうな問題が あるのなら、いったん脱いでから走るなりすれば いいはずだし)、
ついには、女性みずから、泣き叫ぶ幼い娘の足を、鬼のように縛りあげることを当然の義務のように考えて、母親が、嫁入り条件の一環として、娘に対して実行していたのだそうな。
【続く】
2016.05.17 (Tue)
もうちょっと、他の絵は ないのんかと、
私個人的には嫌いな「ばっちい絵」やら「暗黒画」系統ならば、さしづめ、「カルト連」の お好みよねえ(爆)
『バスキアの絵画、日本人社長が史上最高額62億円で落札』
TBS系(JNN) 5月12日(木)13時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160512-00000038-jnn-int
国際間で褒めそやされつつ、内心で軽蔑もされていた、いわゆるバブル時代の日本人の姿を彷彿させる一幕だった(苦笑)
だいたい、色遣いや絵画の趣味には、その人の内面が出ると聞いたことあるし、
くだんの社長さんについては何も知らないので、とくに言いたいわけでもないのだが、
個人の好みとは関係なく、ただ財テクや投資目的だけの理由から、知識も教養も、個人なりの審美眼もない、金持ちだからというだけで、あまり売れそうにない不人気作を、計算高くソロバンはじいてる画商等の美術関係者に つかまされる人も あるといった裏側の現実について、以前に聞いたこともあるけど。
まあ、私みたいに、ネーム バリューやらブランド性には無頓着なほうで、基本的には飽くまで自分の趣味・嗜好だけで気に入ってしまうと、いざというとき手離す気にも なりにくいから、それでは投資や財テクにならないわなあ。
そうして、秘匿しているままでは、公共の利益にも反してしまうし。
なので、
この社長さんも予定しているという、美術館を設けて、そこで展示するというのであれば、それは それで、結構なことと思う。
聞くところによれば、むかし、ある財閥系か どこかの大企業の大社長だか会長だかが、自分で購入し、大事に所蔵していた、歴史的画家の名作を、自分が死んだら、その絵も棺桶に入れて、いっしょに昇天させてくれと遺言していたのを阻止したという実際に あったらしい話を、誰だったか知識人が暴露していたのを見かけたこともある。
まあ、「ゾゾ」なんとかいうところの経営者さんの個人的趣味が どうだろうと、また、その人が稼いだ金銭を何に、どれだけ注ごうと、それは勝手だし、自由を保障されているのは、国家的にも基本事項である。
ただ、この記事にも、相変わらずの浅薄なコメントが溢れかえっているので、それに向けて、すでに何度も指摘してきたことを、ここで また言っておく。すなわち、
儲けさしてもらったならば、それに見合うだけの社会還元は、あきんどの心得るべき道徳なり、
と、大阪商人の伝統精神に言う。
ま、「いまいずこ」の典型だろうがね。
「貧者の一灯」が、なぜ、尊いと されてきたのか。
どうやら、「貧者の一灯」などは無価値ということになってきているらしい、こんにちの日本だが、
そもそも、日本に限った話ではない、東南アジアや中東あたりの、いわゆる発展途上国では、
「持っている者が、持たざる者に分け与えるのは、偉くも何ともないこと。分かち合って、独り占めしないことは義務」
なのだという考えかた。
もちろん、これに甘えきっているだけでは、何らかの弊害が出てくることも あり得るし、要は、何事にも、限度というものが あり、それを超えてしまうと、持っていようと持たなかろうと、いずれの立場に居る者であろうとも、やがては、わが身の首が締まるぞよ、ってことさ。
「肉屋を支持する畜肉提供動物」かどうか知らんが、いわゆるネットウヨお得意の、「金持ちネタムな」なんどの類では ないぞ。
これは摂理というものなのだ。
大儲けできたのは、誰の おかげか、
手前一人の おかげでしょうかな?ということを、一度は、よく考えてみれば分かるはずだということ。
早い話が、
「ゾゾ」なんとかのような企業を含めた、すべての商売人が、この社会、そこは、もちろん、貧乏人と呼ぶべき庶民たちの割合が最も高い、その社会なくして、
あーたは、何を それだけ稼ぐことが可能でしたか?ってこと。
税金なり、何らかの社会還元を、それ相応に納めることが苦痛で業腹なら、
無人島でも買って移住するなり、砂漠やジャングルにでも入り込んで、人っ子一人いない所で終生、暮らすが よろし。
才覚なんぞがナンボあろうとも、
畢竟、社会の皆さんなくしては、カネ稼げるやつなんぞ、どこ探しても、いるわきゃないのだ、
というアタリマエのことが、身に沁みるはず。
ほんとうに、なくては困るものを商いして稼いでいる者が、どれだけ いるというのか。
少なくとも私には、「ゾゾ」なんとかいう会社や「アマゾン」とかいう会社も なくて何ら さしつかえない。
実際、ほとんどの人にとっても同様だろう。
だが、
およそ商売人にとって、この社会が ないのでは、そもそも成り立ちようが ない。
2016.05.13 (Fri)
東京にオリンピック招致が決定したとき、ほとんどの国民もネット民らも、ガッツポーズで湧きに沸き、メディアも口々に、安倍朕の「強運」とやらを称えていたはずだがなあw
あの頃は、私は、よりによって産経系wが運営していたサイトでブログを やってたから記憶してるが、
同じサイト内で、どういうわけか、あそこでは珍しいことに、「サヨ」系と目されているにも かかわらず、
どういうわけか、がちウヨ・ネットウヨどもにまで好かれていた、毎度ロリコン趣味の悪趣味なイラストを宣伝してた、自称「Tシャツ屋」だか建設業者だかが、普段は、安倍政権をコキオロシていたのに似合わず、オリンピック決定おめでとう!と のたまっていたものだ。ふん。
このブロガーは、あるときなんか、例のana5と一緒に、私に対してヘンな絡みかたを してきたもので、ここにも胡散臭いやつが いるわぃ、、、と思っていたけれど、いまにして思えば、やっぱり、えせサヨだったのだろう。でなきゃ、あそこの究極ネトウヨどもにまで好かれるはずがない。
しかし ま~、日本国民、おそらく、在日の人々も含め、この列島に居住している者たちは、とことんまで忘れっぽいのだろうか。
「3歩あるいたら」ナントヤラ、、、まんまじゃねえの?
この記事に付いた、「フェイスブック」コメントを見てごらん、
ミギだろうがヒダリだろうが毎度のチョーシで、呆れるったらないよ。。。
『<東京五輪>招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に』
毎日新聞 5月12日(木)21時26分配信
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6200833
やっとれ、ミギやヒダリの愚民ども
今ごろにもなってからに。(呆)
だって、オリンピック誘致成功したというニュースから ほどなくして、どこかの新聞社(やっぱり毎日新聞だったかな?忘れた)が、オリンピック委員の各人に、大金とか高級ブランド品だかを渡してあったとか、来日したときに、東京で、豪勢なオモテナシしてあったとか、報じてたよ?詳細は、私も忘れたけど。
そのときは、国民もネット民も殆どは、なんら問題視せずにスルーしていたようなんだがな。
それどころか、
オリンピックに文句言うのか、反日だー!反日新聞だー!!って雰囲気だったわな。
やれやれ。
『【続】歯が痒くなるw 』
あの頃のエントリーでも述べたように、
思えば、日本の華々しい上向き時代到来の象徴だった旧の国立競技場、それを、潰したのだ。
旧国立競技場を取り壊すことになったとき、
さしたる愛国心もない私でさえ、いささかは抵抗感を覚えたものだが、
それは(耐震性問題とか)仕方ない理由も あったそうでは あるけれど。。。
だいたいなあ、オリンピック委員会そのものの利権・腐敗ぶりは、とうの昔から指摘されてたろ。
それもあって、
石原の都知事時代から、ちんたろう爺さんがナンボ欲しようと、誘致反対してた人たちも少なくなかったはずだよ。
もうね、
発祥の地、アテネに帰して、お金に困ってるらしいギリシャの永劫特権にしてあげたら いいよ。